http://homepage1.nifty.com/ea_japan/12step.html EAの12のステップ
1.私たちは感情・情緒に対して無力であり、 思いどうりに生きていけなくなったことを認めた。
2.自分を超えた大きな力が、私たちを健康な心に戻してくれると信じるようになった。
3.私たちの意志と生き方を、「自分なりに理解した」神の配慮にゆだねる決心をした。
4.怖れずに、徹底して、自分自身の棚卸しを行い、それを表に作った。
5.神に対し、自分自身に対し、そして、もうひとりの人間に対し、 自分の過ちの本質をありのままに認めた。
6.これらの性格上の欠点すべて、神に取り除いてもらう準備がすべて整った。
7.私たちの短所をとりのぞいてくださいと、謙虚に神に求めた。
8.私たちが傷つけたすべての人の表を作り、 その人たち全員にすすんで埋め合わせをしようとする気持ちになった。
9.その人たちや他の人びとを傷つけない限り、機会あるたびに、 その人たちに直接埋め合わせをした。
10.自分自身についての棚卸しを続け、間違ったときは直ちにそれを認めた。
11.祈りと黙想を通して、「自分なりに理解した」神との意識的触れ合いを深め、 神の意志を知ること、それを実践する力だけを求めた。
12.これらのステップを経た結果、私たちは霊的に目覚め、このメッセージを他の仲間に伝え、 そして私たちのすべてのことにこの原理を実行しようと努力した。
http://www.mtn.org/EA/japanease/Concepts.html 1.私たちは、EAの12ステッププログラムを通して新しい〈生き方〉を学ぶためにEAにやってくる。
そしてこのプログラムは、12のステップ、12の伝統、役に立つ考え、安らぎの祈り、スローガン、
今日一日だけ、EAの文献、平日のミーティング、電話でのまた直接のコンタクトから成っている。
私たちは他の人が助かるためにやってくるのではない−私たち自身が助かるために、
そして私の経験と強さと希望を他の人達と分かち合うためにやって来るのである。
2.私たちは、私たち自身についての話や、どのようにしてプログラムを生きようとしてみるのか、
またどのようにプログラムが聞くのか、そしてEAが私たちのためにしてくれたこと、に関してのみ専門家なのである。
3.私たちは無名(アノニミティ)であることを大切にする−どんな質問もなされない。私たちは、愛情と受け入れのある雰囲気をめざしている。
私たちは、あなたが誰なのか、また何をしてきたのかは、気にかけない。あなたは喜んで迎えられる。
4.私たちは判断しないし、批判もしないし、そして議論もしない。私たちは個人的また家族的事柄に関するアドバイスはしないのである。
5.EAは、私たちのひどい状態を絶えず振り返って診るための委員会ではなく、そのような方法から私たち自身を切り離してゆこうとするひとつの方法なのである。
私たちの落ち着き(セレニティ)の半分は、未解決の問題と仲良くやってゆくことが出来るところからやって来る。
6.私たちは決して、宗教、政治、国内または国際問題、または他の信仰システムや政策といったものを議論したりはしない。
EAは外部の問題には意見を持たないのである。
7.EAは、霊的プログラムであって、宗教上のプログラムではない。
8.ステップは私たち自身よりも大きな力−つまり〈私たちが理解している神〉を信じるよう提案する。
これは、人間愛でもあり得るし、良い方向への力、またはグループや自然、宇宙やなじみの神(God)
でもあり得るし、またメンバーがハイヤーパワーとして個人的に選ぶ何か実在的なものでもあり得る。
9.私たちはプログラムを利用する。それを分析したりはしない。私たちは、病気や健康の程度に関しての
ラベル付けは役に立たないと知っている。
10.私たちは違った症状を持っているかもしれないが、その下に横たわっている感情は同じか似通ったものなのである。
私たちは、私たちの持つ困難やまたは病気はユニークなものでも何でもない、ということを発見する。
11.どの人も彼自身または彼女自身の意見を言う資格があり、それを(EAの範囲内において)ミーティングで表明してもよい。
私たちはみんな平等である−誰も他の人よりも重要ということはないのである。
12.EAのプログラムの美しさと素晴らしさの半分は、ミーティングで私たちは何でも言うことができ、そして話されたことはそこだけに留まる、
ということである。ミーティング場や電話でまたは他のメンバーから耳にしたことは、どんなことでも秘密であり、そして、EAのメンバーであれ、
同僚の人であれ、家族の人であれ、親戚の人であれ、または友人であれ、誰に対してもそのことが再び話されてはならない。
http://www.mtn.org/EA/japanease/Promises.html 1.私たちは新しい自由と幸福を知るようになる。
2.私たちは過ぎ去ったことを後悔しないし、またそれにドアを閉めようとは思わない。
3.私たちはセレニティという言葉を理解し、心の静けさを理解するようになる。
4.どんなにひどい状態まで下っていったことがあるとしても、私たちの経験は他の人達のためになり得る、ということを知るようになる。
5.自分は役に立たないと思ったり自分をかわいそうと思う気持ちは少なくなってゆく。
6.私たちは自分のことで気をもむことが少なくなり、他の人達に気を配るようになる。
7.自分の福利ばっかり求める気持ちが滑り落ちてゆくようになる。
8.人生に対する私たちの姿勢と見方がすっかり変わるようになる。
9.他の人達とより良く関わってゆくようになる。
10.私たちを良く悩ましていた状況をどのように取り扱ったらよいか、すぐさま知るようになる。
11.自分自身のうちに安心感を覚えるようになる。
12.私たちは、私たち自身ではできなかったことを神がしてくれている、ということに気づくようになる。
●これらは途方もなく約束されたことのように思うかもしれないが、しかしそうではない。
これらは私たちの間で実現していることなのである。時にははやく、そして時にはゆっくりと。
http://homepage1.nifty.com/ea_japan/12step.html 1.EAの12のステップは、私たちが回復し心の落ち着きを持てるようになってゆくための生き方のプログラムとも言えるものです。
2.私たちの持つ問題、たとえば対人恐怖や不眠、不安など。 これらの問題から回復してゆくための最初のステップは、
問題の根底にある自分の感情に対して、 私たちは全く無力だと認めることです。
私たちが、自分の感情に対して無力であると認めることによって、 回復に向かってゆく希望がつかめるのです。
3.ミーティングでの仲間との正直なわかちあいを通じて共感し、自分だけではないということに気づき、
未解決の問題とも仲良くやって行くことを学んでゆきます。 自分を超えた大きな力(=ハイヤーパワー)を通じて
自分の自己中心性を知り、 自分のエゴを手放してまわりの人々と仲良くやって行くことを身につけてゆきます。
4.この自分を超えた大きな力(ハイヤーパワー)という考えに違和感をおぼえる人もいるでしょう。
また、何が自分を超えた大きな力であるか、わからないという人もいるでしょう。
ですが、この疑問にこの場で答えることはできません。ハイヤーパワーとは、 ひとりひとりが自分で選び取るものなのです。
1.今日この日、私はこの日だけを生きようとし、あらゆる問題と一気に取り組もうとはしません。
問題を一生引きずるかのように感じて、ひどく気落ちしてしまうようなこの瞬間にも、
私は何かをすることができるのです。
2.今日この日、私は幸せになろうと努めます。 私の幸せは、他の人がしたり言ったりすることや、
周りの出来事などで決まったりはしません。 幸せは自分自身と仲良くやってゆくことから来ます。
3.今日この日、私は今あるものに自分自身を合わせ、 強いてあらゆるものを私の欲望に合わせようとはしません。
私の家族や友人、私の仕事や環境を来るがままに受け入れるのです。
4.今日この日、私は自分の体の健康に気をつけ、心を鍛え、霊的なものを読みます。
5.今日この日、私は誰かにちょっとした良いことをして、心に止めません。
もし誰かに知られたとしたら、数には入れません。私は、したくないことを少なくとも一つはします。
そして私の隣にいる人にちょっとした愛情を示します。
6.今日この日、こだわりを捨て、出会う人に親切であろうと努めます。
思いやり深くふるまい、声高に話さず、できるだけよい面を見ようとします。
不必要な批判をせず、そして私以外の誰かを良くしようとしたりまた変えてみようとはしません。
7.今日この日、私はプログラムをやってみます。 正確にはできないかもしれない、でもやってみます。
そしてやっかいな病気、せっかちと優柔不断から身を守ります。
8.今日この日、私は「時間があったら」と口にするのをやめます。 私はどんなことにであれ、
「時間を見つける」ことはない。 時間が欲しいなら、その時間を作らなければならないのです。
9.今日この日、私は静かな瞑想の時間を持ちます。 その間、私は私の「ハイヤーパワー」について、
自分自身について、私の隣の人について、思いを馳せます。 私はくつろいで、真実を求めます。
10.今日この日、私は恐れません。 特に幸せになることや、人生の中のよいもの、美しいもの、
喜ばしいものを楽しむことを恐れません。
11.今日この日、私は自分を他の人と比べたりはしません。
私は自分自身を受け入れ、自分の能力をフルに活かして生きます。
12.今日この日、私は、今日一日を生きることができると信じるほうを選ぶのである。