160 :
優しい名無しさん:03/01/06 03:33 ID:Fh3sVKb7
>>157 ハンドル名を騙っちゃあいかんでしょ。
理解できない自分が理解力不足なのか
相手の言う事が変なのか・・・一概には言えんでしょうなあ。
161 :
※:03/01/06 03:36 ID:Fh3sVKb7
>>156 確かに。
生きるためには生き方を先導する思想と言うか哲学と言うか
そういうモノ要るものね。
精神病は脳内ホルモンのバランスが悪く
変な考え方をしてしまうんだな。
しかも、心理学>>>宗教>>>>>>>>>>>>哲学なんだな。
心理学、宗教、価値観の修正でいいんだよ。どっから糞哲学でてくるんだ?
つまり分裂病の妄想哲学ってことだろ?
精神病ってホントに脳内ホルモンが原因なの?
脳の問題と言うより、観念の問題のような気がするだけどなあ。
当人の持っている観念が他人とズレている事が問題で、
何故ズレるかと言う問題は
当人がどういう過程を経てその観念を持つに至ったかの問題で
脳がどうこうとは別の問題のような気がするんだけどなあ。
他人と違った観念を持って、
周囲と摩擦する事がストレスとなって
脳内のホルモンに影響を与えるって事もあり得るよね。
Fh3sVKb7はドーパミンが過剰ですねw
>>159 玄人さん悪かったよ。
漏れの言ってるのはコンディショニング法のことで、
※が分裂病だっていう前提に立った高尚なギャグだと思ってくれよ。
Fh3sVKb7は病院行ってリタリンを飲んでみなさい。
自分の哲学が一瞬に消え妄想だと気がつくから。
いや、たったいまでっちあげた話なんだけどさ。ギャグってのは
170 :
瑞:03/01/07 02:11 ID:8S+KVmOI
分裂病だとか敬遠せずに、もっと色々書き込んで欲しいなぁ。
個人的に気になるのはID:WrlH+5++さん。
最初は
>>82で「アフォスレハケーソ」とか言ってるのに、何度もレスつけて
次第に白熱した議論を展開してる。
それに私も哲学には分析哲学に期待してますしね(゚∀゚)
171 :
優しい名無しさん:03/01/07 07:00 ID:m3kI1t8Q
一切の流れを無視して
>哲学が逆に精神病を生み出す場合があるのかどうか?
ここだけに論点を絞ってみる。
哲学に限らず学術書を乱読すると潔癖症は生きにくくなる。
知った上であえて世間の流れに乗るぐらいずる賢い生き方ができれば
メンヘルにはならないだろうね。
173 :
えす:03/01/08 21:08 ID:6+0J1ihX
一通り読んでみました
心理学に関するカキコが多いようだけれど
哲学とはなにを考える学問なんでしょうか?
形而上学とはどう違うの?
大学で倫理学をちょっと学んだので倫理学なら何となくわかりますが…
174 :
優しい名無しさん:03/01/11 21:50 ID:7ekgm1lT
サイエン○ロジーはやめよう!!
>>173 哲学ってのは「私は何者か」とか「世界はどのようになっているか」
とかいった問題の解答を考える学問でしょ。
形而上学と哲学は同じだったと思うけど。
176 :
優しい名無しさん:03/01/12 00:01 ID:sWlhg5m8
正直、鬱や神経症患者は哲学なんてどうでもいいんだよ。
治って楽しく暮らせるならどんな思想、考えも受け入れるがなー
分裂病の哲学オナニーはくだらん!
どうせ、分裂病特有のドーパミンで興奮して誇大妄想にトランスしてんだろw
そして宗教、宇宙、哲学、怪しい組織、SFなどの話ばっかするんよ。
そういえばコンビニのチェーン組織を宗教のように信仰してる
ファミリマート信者とか痛い分裂病知ってるw
3年にわたってライバルコンビニが攻めて来るとかわめいてる奴な。
哲学:
世界や人間についての知恵・原理を探究する学問。
もと臆見や迷妄を超えた真理認識の学問一般をさしたが、
次第に個別諸科学が独立し、通常これらと区別される。
存在論(形而上学)、認識論(論理学)、
実践論(倫理学)、感性論(美学)などの部門をもつ。
メンヘルで哲学ネタは無理だろ。
心理学至上主義な板で哲学が系として理解できるとは思えん。
178 :
優しい名無しさん:03/01/18 22:43 ID:CfX+HC41
>>145 >この二つの本能が、人間の場合は、
>自我保存の欲望と性欲とに変質しているようです。
自我を守るということは自己像を守るということかな。
大雑把に言えばプライドを守るって事かな。
と言う事は・・・人間はプライドとセックスのために動いているって事だな。
179 :
山崎渉:03/01/19 15:11 ID:w4Jou1ig
(^^)
合理化とか補償とかの心理的な働きは、すべて自我の保護という欲望(目的)から説明できる。
合理化、補償などの防衛機制は、
自我が決定的に傷つく事、
自我が崩壊してしまう事を
防ごうとする心理的な規制ですね。
だいたいにおいて、自己欺瞞と言う方法をよく使いますね。
182 :
癒しの鬱 ◆jEun5TVgNo :03/01/23 13:10 ID:rF8+xIHv
いいスレですね。
私は大学院から科学哲学を専攻してますが、全くわからずドロップアウトして
今は引きこもってます。
具体的な思想家としては、ウィトゲンシュタイン、クリプキなどです。
183 :
ほかほかご飯 ◆wVaLgb/tNY :03/01/23 13:25 ID:u8UFvB8i
哲学、現代思想って触れてしまうと不幸になりますね精神的に(^^;
「塗装工」のお兄ちゃんが、現代思想と無縁であるのに、最も現代的な存在
であるわけだし。
精神面で困ったときにはいろいろと考えるとは思うが
とりあえず置いといてゆっくり休め。寝ろ。
フッサールの「エポケー」ってこんな感じ?
187 :
優しい名無しさん:03/02/01 23:17 ID:Su0g+jx6
自我を防衛する手段としては、
自分に都合の良いセルフイメージを持つということも考えられます。
自己欺瞞の一種です。
むひー
189 :
優しい名無しさん:03/02/03 20:57 ID:6YyF8JGZ
ROMってるのでageまつ
191 :
優しい名無しさん:03/02/08 13:21 ID:nJIu8nbH
ドゥルーズ アルトー
自己嫌悪。
自分がそんな事はやってはいけないと思っている事をやってしまい、
後からやった自分を自分自身が嫌悪するってヤツですね。
自分がやっちゃいかんと思ってる事をやりたい衝動が
自分の中にまずあるんですね。
自分の中で「やっちゃいかん」と言う観念と
「やりたい」と言う衝動が葛藤してるんですね。
その場合、自分が「やっちゃいかん」と思ってるんだから、
「やりたい」衝動の方を断念せざるを得ないんですね。
そうでないと自分を道徳的ないい人間だと思えなくなってしまいますから。
でも、どうしても衝動を諦められない人の中にそれをやってしまう人がいるんです。
そしてやってしまってから、やった自分を嫌悪する事によって
やった事を何とかごまかそうとするんですね。
やった自分を責めている自分はいい奴なんだと、
道徳的なんだと、そう自己弁護するんですね。でもそれは自己欺瞞です。
なかなかうまいやり方ですね。
自己嫌悪のきつい人は、自分を偽っていることに気がつかなければなりませんね。
193 :
おみそ:03/02/09 00:07 ID:V8fyBKL3
中公新書の「禅思想」を買いましたが、途中で虚と空の区別がつかなくなって
40ページぐらいしか読めなかったです。
194 :
優しい名無しさん:03/02/11 23:49 ID:BbnuORV6
禅の思想では
「空」はあらゆる可能性を持つ無
「虚」は一切の可能性を否定された無
だったような・・・・。
195 :
ななち:03/02/12 00:06 ID:ILZrc4Q/
だからなんなのさぁ〜!!
196 :
優しい名無しさん:03/02/14 00:48 ID:9TcoARIU
マルクスの「資本論」を読みなさい。
197 :
優しい名無しさん:03/02/14 01:55 ID:3HDqkape
現代哲学者の死にざま
ドゥルーズ 自殺
アルチュセール 妻を殺して精神病院で死ぬ
フーコー ホモの乱交でエイズで死ぬ(?)
末期哀れは覚悟の上やで
198 :
18禁:03/02/16 17:44 ID:5QLVmS9i
阿呆大杉
アホはおまえや
200 :
優しい名無しさん:03/02/22 06:21 ID:nFx80bli
201 :
優しい名無しさん:03/02/22 06:25 ID:NnA3Rydo
哲学で僕はおかしくなりましたが何か。
素質があったんでしょうね。
いずれなおるでしょうが。
202 :
優しい名無しさん:03/02/22 07:12 ID:qdrfqdYi
前期ヴィトゲンシュタインと後期ヴィトゲンシュタインの違いを教えて下さい。
>>181 「怒り」も自我を守るために働きというか衝動というか・・・自我の保護が目的ですよね。
人間にとって自我は行動規範です。行動規範は一貫していなければなりません。
ですから自我の一貫性を保つ為に自我の一貫性にとって不都合な衝動は
自我から排除されています。エスに落ちています。
エスに落とした衝動が自我に侵入してくると自我の一貫性が揺らいで
自我が不安定になり崩壊してしまう危険が出てきます。
この危険を避けるため、
危険な衝動がエスから自我に侵入しようとする時には
自我の側から攻撃してその衝動を抑圧しようとする衝動が働きます。
この働きが「怒り」となります。
自分が一生懸命働いているときにサボる奴がいて、
それを見た時、そいつに対して怒りの感情を抱くとします。
この場合、自分の中にもサボりたい衝動があります。
自分もサボりたいんだけれど、例えば周りの人の非難が恐いからとか
上司に説教されるからとかの理由で我慢して働いているのでしょう。
ところが、ここに仕事をサボる奴が現れます。
自分が我慢している衝動を我慢せずに表現し衝動を満足している奴がいる。
これでは自分が衝動を我慢している理由がなくなります。
自分の中のサボりたい衝動が暴れ出します。
この時に、この暴れ出した衝動を強く抑圧しようとする攻撃衝動が「怒り」です。
暴れ出した衝動を抑圧せず、自分もそのまま表現すれば怒りは湧きません。
例えば、「あっ。サボってる。俺もサボろう!」となれば怒りは湧きません。
この衝動を「やっぱりいけないことじゃないの。」とばかりに抑圧しようとすると
怒りが湧いてきます。その怒りは暴れ出した自分の衝動に対する怒りです。
2つの衝動がぶつかり合い葛藤します。この葛藤を解決する為に、
攻撃の相手を自分の外部にズラします。
「サボりたいのは自分ではなくあいつだ。」と思い込みます。投影です。
サボった相手に怒りを向けます。
怒りの対象が外部に出来ることで、自分の中の葛藤は一応解決します。
サボりたい衝動を持っていない人は、サボっている人を見ても
不思議なだけで怒りは湧かないでしょう。
例えば、仕事が好きで好きでたまらない人がいたとします。
彼は、仕事をサボるなんて夢にも思わないでしょう。
サボっている人を見ても
何故こんなに楽しい仕事をサボるのか不思議に思うだけで
怒ったりしないでしょう。
サボりたい衝動を持っているのだが
人によく思われたいとかなんとかのためにその衝動を我慢せざるを得ない、
つまり、
他の衝動と折り合いをつけるためにサボりたい衝動を抑圧しなければならない人が
サボっている他者に対して怒りを抱くんです。
209 :
優しい名無しさん:
元々、いろんな衝動を抑圧して自我からエスへと追い出して
それで何とか自我の一貫性を保っているんですね。
だから、常に抑圧した衝動が自我に入って来て
自我の安定を崩そう崩そうとしている・・・
人の心はそういう状態なんです。
だから常に、自我は一生懸命に邪魔な衝動を押さえ込もうとしているんですね。