おれは、幸せだったんだなぁ。
教室でオナニー(小学生)くらいの思い出と、
友達とコタツに入って抱き合ったくらいしかねえなあ。
あ、友達が骨折して、それをなすりつけられた思い出はあるが、
基本的に親はケンカは絶えなかったが、優しかったぞ。
73 :
優しい名無しさん:02/03/07 19:56
父親のことが大好きだった。
若くて、かっこよくて、ひとから頼りにされる父親をとても素敵だと思っていた。
父もとても私をかわいがってくれた。
私が子供の頃、両親は仲睦まじく――小さい頃の家庭での記憶はいいことばかり。
(幼稚園や学校では一部の子にいじめられてた。)
ビンボーだったけど…近場の山にドライブして、てっぺんでお弁当食べたり、
父のトラックの助手席に乗せてもらったり、そんなことがたまらなく楽しかった。
うじうじしてるくせに何処か、最終的なところで図太くおおらかでいられるのは、
小さい頃しっかり愛されていたと確信できるからだろう。
いろいろあったけれど…父の葬式のとき、涙出なかったけれども、父と私の間には
特別な絆があったと言いきれる。
たいした取り柄もなく、容姿も良くなく、とても他人さまには自慢できたものじゃ
ない娘を、愛してくれた父に、とても感謝している。
でも自分が親だとして、私が父を慕ったように、子供に純粋に愛され、信頼され、
崇拝されたら、その子を愛さずにはいられないなあとも思う。
愛し愛された幼年期の記憶。
ええなぁ
ほんま、ええなぁ。
すんごいええなあ。
77 :
優しい名無しさん:02/03/11 21:59
あげてみました。
どうよ。
78 :
優しい名無しさん:02/03/14 23:18
アゲ
ママは時々夜になるとお化粧をして嬉しそうに出かけていった
パパとわたしといもうとをほったらかして
ママとパパが別れた後、ママはすぐに再婚した
離婚した後母親の顔をしてママはわたしたち姉妹をひきとりたがった
いままでずっとほったらかしていたくせに。
小さな頃僕はビートルズのレボリューションばかり聞いてる変わった子供だった。
81 :
優しい名無しさん:02/03/15 01:04
だんご虫が友達だった
82 :
優しい名無しさん:02/03/15 01:05
>73
感動あげ
83 :
優しい名無しさん:02/03/15 01:08
>>73 いやいや、実に感動しました。身体がまじで震えた。
正直羨ましいけど、嫌味のない素晴らしい文章だと思った。
鍵のかかった土蔵の中。
天井近くの高窓から差し込む一条の光の中、
お付きの婆やに見守られながら、
意味もなく踊る幼い自分が見える。
婆やの目は、確かに自分を哀れんでいる。
85 :
優しい名無しさん:02/03/15 01:37
かや。緑いろの。祖母がてきぱきと吊った。
かやの中は龍宮城だった。いい匂いがした。
86 :
優しい名無しさん:02/03/17 13:37
age
87 :
優しい名無しさん:02/03/17 13:42
父親のことが嫌いだった
母親が父親のことを嫌っていたからだと思う
家庭内母子家庭みたいな感じだった。
今は父親のことが好き。
小さい頃父親にもっと甘えておけばよかった
88 :
大竹ほたて&すずめ:02/03/17 16:58
12歳で拒食。15で過食嘔吐。16で売春。18で風俗。19でAV女優。
89 :
優しい名無しさん:02/03/17 21:07
保育園の時、外で遊んでてふっと母親の顔を思い出そうとした。
でも思い出せなかった。
なんでだろうと、ぼんやり考えていた。
同じく保育園の頃。
時々、寂しさの発作がくることがあった。世の中にいるのは自分一人みたいな
気分になって、動くこともできなくて震えていた。
ある日、母親が傍にいる時にその発作が来た。母親に抱き着けば安心すると
思ったのに、そうじゃなかった。母親にくっついていても、私は一人だった。
母親に抱きつきながら、私はやっぱり駄目なんだなあとぼんやり思っていた。
よく、耳の奥でキインという幻聴が聞こえた。
それは、父親が使っていた音叉の音だった。
彼はオペラをやっていて、私がどれだけ嫌がっても耳元で歌った。
劇場で聞けば誇らしいその歌声も、間近で聞けばおそろしい騒音だった。
みやちゃんが可愛かったなぁ・・・・
後じんがかっこよかったああかっこいい
悪戯されたので幼少期の記憶は払拭したいです。
あ、家族にはされていません。他人にね・・・。
私は男だけど、子供の時にはよく女の子に間違われたから・・・。w
11歳の時、学校帰りに突然知らない男の人に後ろからランドセルを
グッと引っ張られ、当然、後ろへ転がった。
ランドセルのおかげで、後頭部を打ったりはしなかった。
でも、その後の記憶がない。
記憶にあるのは、泣きながら玄関の鍵をかけ、チェーンをかけ、
それでも安心できずにドアノブを内側へ引っ張ってる自分。
そして、その時の
「恥ずかしい」
「もう生きていてはいけない」
という感情。
そして「手のかからないイイ子」だった自分が、勇気を振り絞って発した
「仕事を辞めて家にいてほしい」という言葉に対し、
「何、今頃になって甘えてんの?」と言い放った母親の無関心な表情。
もちろん自分はそれ以上、何も言えなかった。
いつの間にかその記憶は薄れていったが「自分は生きていてはいけない人間」という感情は、
違う出来事で、違う要因で年々増していくばかりだった。
そして、成人してから何のキッカケもなく、突然それを思い出したのだが、
どうしても、どうやっても「全て」を思い出せないのだ。
思い出せば、何かから解放されるような気がする。
でも……思い出すのは恐い。
93 :
優しい名無しさん:02/03/21 20:29
age
小学校の登校時
半ズボンだった
ぼくのうしろを歩く人は、みんなぼくのお尻を見てた
ような気がした。我ながら理解不能
スマンが世界の平和の為に死んでくれ
96 :
優しい名無しさん:02/03/23 01:16
97 :
優しい名無しさん:02/03/26 08:36
あげてみた。
98 :
優しい名無しさん:02/03/27 18:35
99 :
優しい名無しさん:02/03/27 19:17
小学校に上がったばかりの頃、給食が嫌いで地獄の毎日だった。
そんな学校からの帰り道、小川に架かる橋の所にやって来た時
突然、自殺というコンセプトが頭に浮かび、随分気持ちが楽になった。
どうしても耐えられなくなったら自殺すれば苦しみはなくなるではないか、と。
100 :
優しい名無しさん:02/03/27 19:28
小学校高学年のとき死という言葉をよく使ってた。
>>98さん
創作の世界ではよく聞く言葉ですが、実際、本当に効くんでしょうか?
メンヘル初心者なんでよく知らないんです。
本当に思い出せるのなら、それで解放されるのなら…それもイイですね。
でも、当面のところは「記憶にある部分のフラッシュバックによるパニック」を
どーにかするのが先決かも。
>>92 遅くなりました、本当に効くかどうか?人それぞれ合っている
人もいれば合わない人もいる・・としか言いようがありませんが
本などを読む限りこれで劇的に良くなった人も沢山いるようです
もちろん合わなくて良くならなかった人も沢山いると思います
潜在意識へ入りその記憶自体を思いだし絶えがたい体験だと
すれば暗示で記憶を書き返ることもできるそうです
何度も通う必要があるとは思いますがこれが上手く行けば
フラッシュバックによるパニックも無くなると思います
ガンバッテくださいね
泣けない子でした
104 :
優しい名無しさん:02/04/10 03:03
小さい頃家族で電車に乗って遊園地へ行きました。
普段は引きこもっている分裂病の兄も連れて。
兄はいつになく体調が良いようで私も嬉しくなりました。
やや満員の電車の中で兄の近くにいた女の子2人がボソっと、
「なんか気持が悪いね・・」って言ったのを聞いて私は
腹が立つというかくやしいというかものすごく辛かったのを
よく覚えています。ずっと後ろでそいつらを睨み続け
電車から降りる瞬間に思いっきり足を踏んでやりました。
遊園地といえばいつも思い出してしまいます・・・
105 :
優しい名無しさん:02/04/10 03:06
祖父が切れて、ナイフを振りかざし、「殺せ」と何度も叫んだのを
子供心に覚えている。
106 :
優しい名無しさん:02/04/10 03:10
そんな場面を見た後、自分は大いに泣き、その後狂ったように
笑い続けました。悲しすぎると笑えてくるよ。ほんと。
107 :
優しい名無しさん:02/04/10 14:28
みんな思い出すだけじゃダメ。
そいつらにオトシマエをつけに行かないと。
今からでも遅くはない。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/utu/1016880456/l50 66 :ノンちゃん :02/04/03 17:08
>>14 >>17 >>18さんの気持ちもわかる。
急に、フラッシュバックのように、
過去の恨みが甦ってくる。
呉智英さんの著書によると、漫画家の某は、
恨みの天才らしい。
彼は、子供の頃にイジメられたヤツに、
復讐しようとした。
それで、10年くらい経ってから、友達に、
「あいつを殴ってきてくれ」と復讐を依頼した。
またその友達がいいヤツで、
通り魔みたいにボコボコ殴りに行ったらしい。
某曰く「あいつはなぜ殴られたか、わかるまい」
呉「そりゃわからないよ」
実にいい話だ。
イラついたら、古い昔の恨みことから、
順送りに晴らして解決していこう。
そうすれば、今の怒りも収まるし、今の恨みもいずれは、晴らせる。
元旦になると、いつも父がどうでもいいことに拘ったことことを
思い出してしまう。
私が小学生のある元旦の日、父はいつもの休みのように、
9時ごろのんびりと起きてきた。
そして、その年に限って突然、初日の出に向かって拝むようにと言い出した。
そんなバカらしいことはしたくなかったので、
嫌だと言うと、父はしつこく拝め、と言ってきた。
たぶん父は、初日の出に向かって拝む家族をまとめる父親、という構図に
酔いたかったのかもしれない。
それを感じたので、抵抗していたら、父は突然キレテ私を殴った。
父はそれに対して悪びれるようなことは、一切しなかった。
そして私が大人になり、それなりに勉強もして外見にも気を配って
人から誉められるようになると、父はまるで自分が大事に育ててきたような
顔をするようになった。
ふざけんな!
私は、つまらないことで女の子を殴るお前に育てられたんじゃないんだよ。
お前みたいなくだらない人間にならないように、がんばってきたんだよ。
109 :
優しい名無しさん:02/04/10 14:51
興味のあることには、すごく集中力があるのに、
興味の無いことになると、すぐにぼんやりとして説明が聞けない子供でした。
悪気はないのに、ほんとにいつの間にかぼんやりとしていて
説明が聞けなかった。
小学校での内科検診の日、検査手順の説明を先生がしていたんだけど、
私は例のぼんやりとする癖で説明が聞けなかった。
それで、自分の検診の番がまわってきたとき、何の検査かわからず
少しうろたえてから、やっと内科検診だと気付き、服を持ち上げて
検診を受けた。
そのモタモタとした動作が医者には気に入らなかったらしく、
「もう小学校高学年なんだから、そんなんじゃダメだろう。
何やってんだ!」と怒鳴られた。
本当に悪気があって、話を聞いてなかったわけじゃないんだけどなあ。
白衣をみると、思い出してしまう。
110 :
優しい名無しさん:02/04/10 14:56
小学生の頃に観たアニメ。
名前はわからないし、たまたま一回観ただけなんだけど、たくさんの
人間がものすごく暑い場所で、食べ物もないのにずっと死ねずに生きてる
地獄みたいな描写があった。
それを見たとたん、とつぜん気が狂いそうなほどの恐怖に襲われた。
「もし死んだら、私の意識はどこへ行くんだろう?」
という恐怖が頭から消えずに、ほとんどノイローゼになった。
家族に「死んだら人間はどうなるの?」と聞きまくり、死んだあとに、
自分の意識が消滅するというシミュレーションを頭の中で繰り返した。
「永遠に自分の意識が消える」ということが、生まれてきたからには
逃れられない私の最後だと知り、なぜ生まれてしまったんだろう、
死にたくない、と子供なのに異常なほどに死を怖がった。
毎晩ベッドで、「せめて老衰で安らかに死ねますように」と神様に
お祈りした。
その恐怖に耐えられなくなり、どうにか生きていく手段として、
諦めること、目先のことしか考えないこと、でやっと20年が過ぎた。
あのアニメ、見なければよかったなぁ…。
弟ばかり可愛がる母
おばあちゃん子になった私
おばあちゃんだけは私を一番に愛してくれると思っていた
数年後
おばあちゃんは末期の胃癌で入院した
意識ももうろうとしているおばあちゃんは言った
「○○(弟の名前)に会いたい」
私の名前を呼んでくれなかったのが悲しかった
私より弟の名前を呼んだのが悲しかった
誰からも私は愛されていないんだと思った
涙が溢れた
もう誰も信じないと思った
…これ書いてて涙がとまらん
>>111 ( ´Д⊂ウェーンヽ(^^ ) ヨシヨシ
4歳くらいの頃。母親が「○○のまんじゅう(局所)は臭い」と
ニヤニヤしながら言い始めた。
一緒に風呂に入るときも、それは続いた。
私の体を汚い物を洗うように、力任せに擦りまくった。
あまりに臭い臭いと言われ続けるので、私は自分の局所が臭くないか、
人前でも常に手をあてて匂いをかいで調べるようになった。
小学校に上がってもそのクセは治らなかった。
中学校に進学して、同級生にそのクセを言いふらされた。
もうあとは好奇の眼差しの洪水。
女として暗い青春を送ったのは言うまでもなく。
念のため、医者に確認したが普通とのこと。一生の心の傷...。
未だに思い出すだけで涙が止まらないよ..
小学生の時痴漢に遭って局所を触られたと聞いたときも、母親は
ニヤニヤしていたし...私が何をしたというのだろう...
二歳くらいからの記憶があるけど。
怒られたこと、傷ついたことばかり覚えてる。
楽しい思い出はすぐ忘れてしまうのに、こんな自分がすごく嫌。
過去を振り返れば間っ暗闇。根暗がオーラに滲み出ているのも
頷けるかも……
一番一番傷ついた思い出。披露しましょうか
高校の時、友達がいなかった。
そんな自分を小学校から親友(と思っていた)人には知られたくなかった。
でも同じ高校。3年になった時、同じクラスになってしまった。
クラスで浮いている私は彼女に助けを求めることはしなかった。
彼女を巻き込みたくないから。
彼女も私を無視した。
小学校からずっと一番心を許していた相手だったのに。
ある日、学校の階段で目があった。時が止まった。
周囲には二人しかいなかった。
でも、彼女は目をそらし、私の前から去っていった。
記憶にあるし、嫌でも時々思い浮かぶ情景。
でもあまり深く考えたことはない。あの時彼女が私をどれだけ
蔑んでいたとか、もしくは哀れんでいたとか。リアルに想像しない。
深くつきつめたら、多分精神破壊される。
>>98さん
こちらこそ、ご丁寧なレスをありがとうございます。
自分でもいろいろ調べてみようと思います。
これが治れば、ずいぶん人生変わるような気がするんで…
錯覚かもしれませんが(爆
>>113さん
辛い経験でしたね。
少し違う話かもしれませんが、おそらく
>>113さんのお母様は、
>>113さんの事を
「女」としてライバル視してたのではないでしょうか?
私は幼い頃から母親に「アンタはデブだしブスだし…」とゆー風に言われながら
育ってきたんですが、最近になって別件で「父親を私に取られるような危機感を感じていた」
という話を聞きました。
いずれにせよ
>>113さんは全く悪くないと思いますよ。
気にせず…というのは無責任ですが、なるべく意識しないよう日常生活を楽しく過ごせればと
思います。
>>92さん
かなり違う例かとは思うんですが、
タレントの東ちづるさんが、高校の頃の記憶があまりないって言ってました。
中学の頃の記憶はちゃんとあるんだそうです(たしか)。
で、カウンセリングを受けたらしいです。
「明るいいい子を演じていた」みたいなことを言っていました。
記憶がないのは、あまりに辛かったから無意識に消していたみたいだ、
みたいなことを言っていて、思い出せばいいというものでもないのかな・・・
と思った記憶があります。
あ、今調べたら「笑っていいとも」に1/30出てました。
いいとも資料室で会話全部見られますよ。
良
小1の時、父親が鉛筆を削ってやるから筆箱を持って来い、と言った。
「筆箱、学校に忘れてきた・・・」とビクビクしながら白状したら顎に蹴りが入って
血を噴いた。凄い勢いで血を噴いた。
今は憎んでも恨んでもいない。もう20年も前に別れた父の顔なんか忘れた。
でも血を流した事は不思議に鮮明に思い出される。
夢に見て飛び起きても心配してくれる夫や子供がいる、FB抑える薬も貰っている。
だから大丈夫だ。
それは酷いね・・・。>みなさん
カラアゲ
良