1 :
優しい名無しさん:
不意によみがえる、小さい頃の記憶。
楽しかったことや、苦痛だったこと。
好きだった食べ物、喧嘩したともだち。
うれしかったこと。傷ついた日。
唐突に浮かんで、また忘れてしまうその記憶は、
貴方にとって何か大切なものなのかもしれません。
儚い記憶のあぶくが消えてしまう前に、つれづれに書き留めてみませんか。
2 :
優しい名無しさん:02/02/16 01:17
>儚い
読めねえよ
3 :
優しい名無しさん:02/02/16 01:18
泣いてる小さな女の子。が。見える。
>2
「はかない」
にんべん に ゆめ と かいて はかない
と覚えませう。
儚い→はかない
6 :
優しい名無しさん:02/02/16 01:19
>綴り
読めない…。
>6
つづり
8 :
優しい名無しさん:02/02/16 01:25
儚い→つぐない
9 :
優しい名無しさん:02/02/16 01:25
儚い→ちんこかゆい
10 :
優しい名無しさん:02/02/16 02:21
輪になって手を取り合ってダンスを踊る体育の授業で、
誰もぼくと手をつなごうとしなかった。
11 :
優しい名無しさん:02/02/16 02:44
儚い→わずらわい
>>10 同じ経験あり。あれって結構辛いのよね、、、、
儚い→ティムポにコンジローマできたよかゆい
夏の暑い日。太陽に焼けた石の上に裸足で立たされた。母親に。
15 :
優しい名無しさん:02/02/16 02:57
儚い→さむらい
階段から突き落とされて7針縫った
17 :
優しい名無しさん:02/02/16 03:05
儚い→うそくさい
18 :
優しい名無しさん:02/02/16 03:47
リアル消防の頃、夕食時途中の会話で、
どういう話の流か忘れたが、養護学校に行った方がいいんじゃないのと親に言われ、
親を拳でしこたま殴り、泣きじゃくりながら自分の部屋へ帰った。
夕食が好物のグラタンだったので、
しこたま泣いたあと「しまったグラタン食べたかった」と後悔。
夜中に起きて、グラタン残ってないかなと台所探したけどすでに捨てられた後だった。
しかしどういう話の流れで養護学校なのか、
なんでそんなことぐらいで泣きじゃくることがあったのかわからん。
19 :
優しい名無しさん:02/02/16 03:50
儚い→うがむい
リアル中房時、鞄の中に金魚の死骸を入れられた。
うがむいって何?(藁
22 :
優しい名無しさん:02/02/18 01:49
消しゴム落とし
図工の時間に使ったアロンアルファ
縦笛
家族に分裂さんがいるが、ガキながら
「あの人少しヘンだな…」
と思ったものであったことよ。(詠嘆)
しかしあるとき、家にあったエアホッケー(懐かしい…)をいっしょにやり、
なんだ結構普通じゃんって思った。
よく一人でうたいながらニヤニヤしてるけど、よく考えたら普通の人でも汁し。
分裂っても、普通のヒトと変わらないもんだよね、結構。
小学生の頃、母親が分裂で入院してて、
父親と一緒に面会に行った。
家でどうしようもなかった母親がそこでは
ものすごく明るくて、それがすごくかなしくなった。
窓際で泣いてるおばさんが居て、それを見て母親が
「あの人ヘンな人だよね」って言って、それもなんかすごく悲しかった。
なんでかことあるごとに(父が母をなじってる時とか)あの時のことを思い出す。
忘れたい記憶って忘れたいと思えば思うほど忘れられないけど、
どうやったら忘れられますか。
理科の実験。
フラスコ、試験管、アルコールランプ、温度計、顕微鏡。
塩酸、水酸化ナトリウム、リトマス紙。赤と青、酸性とアルカリ性。
プレパラート。ミジンコ、アオミドロ、ミドリムシ。
空気でっぽう。学研の科学と学習のふろく。
鉢植えと、植物観察。
夏の日差し、セミの声。水遣り、アサガオ。
図工の時間。
墨汁と絵の具。
汚れたパレット。黄色いバケツ。太いふで、細いふで。
ビリジアン。コバルトブルー。エメラルドグリーン。
嫌なことしかなかったと思ってた子供の頃にも、
それなりに好きなことはあったのかもしれん。
26 :
優しい名無しさん:02/02/21 23:08
27 :
優しい名無しさん:02/02/23 19:32
空想するのが好きでした。
魔法とか、すきでした。
空を飛びたいと、おもってました。
28 :
優しい名無しさん:02/02/23 19:38
小学校の時。
クラスで飼ってたおたまじゃくしが殺されてた。
潰されてた。
床や机や黒板や天井についてた。
幼少期の良い思い出なんてない。
子供の頃は父親という巨大な悪魔に押し殺されないよう頭の中で毎日、
毎日寝る前に頭の中で 自分に纏わり付いてくる糸を手で振りほどき無くそうとしてた。
糸というか なんなのか、とにかく邪悪な物体をほどくイメージを巡らせてた。
最期に消すまでイメージすると眠れた。
30 :
ツキモリ セキ:02/02/23 19:46
31 :
優しい名無しさん:02/02/23 19:49
寝る瞬間を見ようとしてずっと眠れなかった事かな。
32 :
ツキモリ セキ:02/02/23 19:51
2歳頃、保育園。
保母さんはスモーカー。
昼寝の時間、起立性低血圧のもれは寝られなかったんだが、そのたびに「ねろよ。」って言われて鬱。
昼食は給食。1日目、フタにAと書かれたAランチ。二日目、Bランチ。三日目Aランチ・Bランチ・Aランチの無限ループ。
激しい短調のピアノ曲を子供に聴かせるのは、止めた方がいいと思った。
幼稚園の時住んでいた団地
駆けっこで自分を引き離していく友達、毎朝見ていたポソキッキ
夕方はジャスピオソ、スピルバソ、トラソスフォーマー、ドリモグだ
緑地の芝生の匂い、大きなケヤキ、玉虫、ジョロウグモ、コガネグモ
友達と作った秘密基地、いつも鈍くさかった自分、駅前の何もないススキの野原
ツバキの毛虫にやられて背中がかぶれる、けっこう虫を殺していた自分
近所の子の新幹線のおもちゃにコソーリ乗って遊んでいた
あげ
35 :
優しい名無しさん:02/02/24 00:32
昔は辛かったけど楽しかった。
今は辛いけど辛い。
36 :
優しい名無しさん:02/02/24 00:55
儚い→せちがない
ageage
38 :
優しい名無しさん:02/02/24 03:44
子供の頃に戻りたいなあ。
10歳で死んでもいいから。
大人なんてほんとつまんない。つらい。
子供のころは早く大人になりたいって思ってたけど。
39 :
優しい名無しさん:02/02/24 03:50
小さいときピアノの練習してて
夕方で独りで寂しくて音はピアノの音しかなくて
気が遠くなりそうになって、鍵盤の溝?におちていくような気がしてた
それ以来ピアノの練習は苦手西日は苦手
思い出の向こう側いつまでも飛び回るボクがいる
子供のままどこかで、今でも・・・
41 :
優しい名無しさん:02/02/24 04:37
クラスのみんなの前でカメハメ波を披露してる場面をよく空想してました。
あげ
43 :
優しい名無しさん:02/02/24 16:06
小田急桜ヶ丘駅にマイチッチをおばあちゃんの家に行く時忘れてしまった事
五歳の時の出来事だけど30歳になっても夢に出てくる。
今でもツライのかな?
小学校3,4年の時、学校で飼ってたウサギを追いかけて遊んでたら、
間違って、ウサギの後ろ足をちょっと踏んじゃった。
そのとたん、「キキキキキッ」って鳴いて、
その足を引きずって歩くようになった。
どうしようってすごくあせったけど、
何日かしたら、なおってて、ほっとした。
ことあるごとに、お前なんか生まなければ良かったと言われて子供ながらに落ち込んだ。
今思うと色々凄まじかった。
幼稚園児〜消防。
46 :
優しい名無しさん:02/02/24 17:08
生理用ナプキンを口に押しこまれた。
47 :
優しい名無しさん:02/02/24 17:11
>>45 同じ記憶アル。幼稚園の頃、それでよく泣いてた。
親が忙しいと夏休みとかでも保育園に預けられたな。
兄とは年子なのにいつも私だけ。殴られるのも自分だけ
だったし、間違いなくあの親の子なのに。
いっそ他人だったほうがよっぽど納得できる。
49 :
優しい名無しさん:02/02/24 20:07
おれは2歳の頃、おむつにンコをした記憶がある。(藁
>45
漏れも言われた。
親が年取って一人で生きていくなくなったら、
「お前なんか早く死ねばいいのに」
って親の耳に染み込むまで言うのを楽しみに、
今がんばって生きてる。
51 :
優しい名無しさん:02/02/28 14:18
手袋を逆から言って叩かれる理由がわからなかった
「ろくぶて」という漏れの知らない言葉があるのだと思ってた
今考えても「六、ぶて」って、日本語としておかしい
それを言うなら「六回俺をぶて」で、逆からなら「てぶをれおいかくろ」だ
どうでもいいけど
52 :
ずいぶん昔の話だけどね:02/03/01 06:56
みんなが僕をいじめた。
毎日が生き地獄。
ある日僕は包丁を隠し持って登校した。
でも震えながら包丁を持つ僕を怖がる奴なんかいなかった。
殴られた。蹴られた。つばを吐きかけられた。
デブが「刺してみろよ」と僕を挑発した。
「この包丁で運命を変えるんだ」
「太ってるから少しくらい刺しても大丈夫だろう」
気が付くとまわりは血の海だった。
小学生だったので児童相談所に行っただけですんだ。
新聞やテレビで報道されることは無かった。
自分が何をしたのかは覚えていない・・・
53 :
3歳〜保育園時代の記憶:02/03/01 14:04
自分が今ここに存在していることがすごく不思議だった。
何でいるのか分からなかった。それを友人にいったら「ハァ?」
って反応された。
人間が死ぬってことが分からなくて、それを知った時すごく怖くなって
親に「死にたくないよ」って泣きながら訴えた。
何故か、蒲鉾は端っこのピンクの部分しか美味しくないと
思いこんでいて、そこしか食べずにいたので、親に「白い部分の味も
同じだ」と叱られて無理矢理食べさせられたが、当然同じ味だった。
高野豆腐の煮物はかたつむりの煮物だと思っていた。
薄切りの椎茸が煮物などに入っていると、ナメクジに思えて仕方なかった。
54 :
ラバーズサイドディメンション1100011:02/03/01 14:13
小学生高学年の時、友人を一人殺した。
正確に言うと「殺した」のではないのだが、似たようなものだ。
ダメ人間。
55 :
優しい名無しさん:02/03/01 14:15
小学生の頃、家での勉強時間を7:30〜と決められていた。
算数が苦手で、毎日母親に思いっきり叩かれながら、
泣きながら机に向かっていた。
「お母さんがお風呂から出てくるまでに解いとくのよ!」
って言われて解いたけど、やっぱり間違っていて、また叩かれて。
「せっかく気持ちよくお風呂から出たのに台無しよ!」って言った時の
母親の顔、めっちゃ怖かった。
結局ず〜っと理数系は苦手なまま。
小学校高学年の時、溝に落ちて洋服を汚してしまったら
母親に髪の毛掴まれて引きずられて風呂場に入れられ水掛けられた
それから置いてあった便器ブラシで頭を何回も殴られ
頭から流血ドバー
風呂に入るたび思い出すよ
あげちゃった。
58 :
優しい名無しさん:02/03/04 00:30
いろんな事を体験しとけばよかったなぁ。
ここに来てる人ってトラウマ多いの?
60 :
多重投稿スマソ:02/03/04 00:48
子供の頃は2Kの古いアパート
親戚の家も周りの家も比較的マシな家ばかり
自分だけ劣悪な家で自分の部屋も持てず
他人を羨ましがる事ばかり
親父は女房・子供に暴力振るい
家族放置でゴルフばかり
遊園地すら行く気無し
家族旅行なんて夢のまた夢
勉強もろくに出来ず
出来ないからと親父にはいつも酷い目に
学校ではいじめられ
家でも学校でも嫌でしか感じなかった
今やテレビで家族旅行の場面なんかを見ると腹立たしくなる
親子連れで楽しそうにしているのを見ると腹立たしくなる
昔住んでいた様なアパートに子連れが住んでいるのを見ると背筋が凍る
「勉強しろ、勉強しろ」と言われているのを見ると寒気がする
61 :
優しい名無しさん:02/03/04 22:24
62 :
優しい名無しさん:02/03/04 23:12
まだ幼稚園に入る前
しかられて、何度か、夜、家の外に閉め出された。
そのとき、祖母や、当時同居していた叔母が、庇っ
て、家の中に入れてくれた。
締め出されたことと、夜の闇がとても、怖かった。
二人には、今も、すごく感謝している。
63 :
優しい名無しさん:02/03/04 23:22
祖母の意向で、「いいおうち」の子が行く幼稚園に入れられた。
とても遠かった。
近所の同世代の子とは「おうちがよくないから遊んではいけない」と言われた。
幼稚園から帰ったらひたすら孤独だった。
曇り空を見ながら、ぬいぐるみを抱いて、泣いた。
64 :
優しい名無しさん:02/03/04 23:28
昔、近所にやぶにらみの若奥さんがいて
旦那さんになんであんな人と結婚したの?って聞きまくった‥‥‥
当の奥さんにも直接言った‥‥‥‥‥その罰か、
今私の人生は非常に上手くいっていない‥‥‥すみませんせした‥‥‥
65 :
優しい名無しさん:02/03/04 23:35
勉強しないからという理由で、鉛筆・ボールペン・ノート等を
目の前で壊されて燃やされた。
66 :
優しい名無しさん:02/03/05 01:18
母親が死んだフリして、僕は本当に死んでしまったかと思い
ずっと泣いていた。
その何年か後、母は本当に死んでしまった。。。
あの島へ引っ越した日、私は日本から持ってきたおもちゃを持ってテーブルの下へ逃げ込んだ
周りがバタバタとしている中、
ぼんやりとおもちゃをいじっている私を、私が、ぼんやりとながめていた。
あの日から私も家族もおかしくなっていった。
68 :
優しい名無しさん:02/03/05 01:54
真っ暗な部屋に閉じ込められた。泣き叫んでも出して
くれない。閉じ込められた理由が思い出せない。未だに
暗いとこが怖いのはそのせいもあると思うのだけれど。
祖母の背中に耳を当て「鼓動」を聞いていた。
応接間の柱の時計が鳴り響いていた・・・・・。
虚無感が襲ってきていた。寂しかったんだ。
私は不思議に思ったことは、
なんでもかんでも、誰かれ構わず
「何故?」
と聞いてしまう子供だった。
でも
「何故自分は親に殴られるのか」
と、誰かに聞くことはどうしても出来なかった。
私は気が付くと何故と聞くことをしなくなった。
唐揚
おれは、幸せだったんだなぁ。
教室でオナニー(小学生)くらいの思い出と、
友達とコタツに入って抱き合ったくらいしかねえなあ。
あ、友達が骨折して、それをなすりつけられた思い出はあるが、
基本的に親はケンカは絶えなかったが、優しかったぞ。
73 :
優しい名無しさん:02/03/07 19:56
父親のことが大好きだった。
若くて、かっこよくて、ひとから頼りにされる父親をとても素敵だと思っていた。
父もとても私をかわいがってくれた。
私が子供の頃、両親は仲睦まじく――小さい頃の家庭での記憶はいいことばかり。
(幼稚園や学校では一部の子にいじめられてた。)
ビンボーだったけど…近場の山にドライブして、てっぺんでお弁当食べたり、
父のトラックの助手席に乗せてもらったり、そんなことがたまらなく楽しかった。
うじうじしてるくせに何処か、最終的なところで図太くおおらかでいられるのは、
小さい頃しっかり愛されていたと確信できるからだろう。
いろいろあったけれど…父の葬式のとき、涙出なかったけれども、父と私の間には
特別な絆があったと言いきれる。
たいした取り柄もなく、容姿も良くなく、とても他人さまには自慢できたものじゃ
ない娘を、愛してくれた父に、とても感謝している。
でも自分が親だとして、私が父を慕ったように、子供に純粋に愛され、信頼され、
崇拝されたら、その子を愛さずにはいられないなあとも思う。
愛し愛された幼年期の記憶。
ええなぁ
ほんま、ええなぁ。
すんごいええなあ。
77 :
優しい名無しさん:02/03/11 21:59
あげてみました。
どうよ。
78 :
優しい名無しさん:02/03/14 23:18
アゲ
ママは時々夜になるとお化粧をして嬉しそうに出かけていった
パパとわたしといもうとをほったらかして
ママとパパが別れた後、ママはすぐに再婚した
離婚した後母親の顔をしてママはわたしたち姉妹をひきとりたがった
いままでずっとほったらかしていたくせに。
小さな頃僕はビートルズのレボリューションばかり聞いてる変わった子供だった。
81 :
優しい名無しさん:02/03/15 01:04
だんご虫が友達だった
82 :
優しい名無しさん:02/03/15 01:05
>73
感動あげ
83 :
優しい名無しさん:02/03/15 01:08
>>73 いやいや、実に感動しました。身体がまじで震えた。
正直羨ましいけど、嫌味のない素晴らしい文章だと思った。
鍵のかかった土蔵の中。
天井近くの高窓から差し込む一条の光の中、
お付きの婆やに見守られながら、
意味もなく踊る幼い自分が見える。
婆やの目は、確かに自分を哀れんでいる。
85 :
優しい名無しさん:02/03/15 01:37
かや。緑いろの。祖母がてきぱきと吊った。
かやの中は龍宮城だった。いい匂いがした。
86 :
優しい名無しさん:02/03/17 13:37
age
87 :
優しい名無しさん:02/03/17 13:42
父親のことが嫌いだった
母親が父親のことを嫌っていたからだと思う
家庭内母子家庭みたいな感じだった。
今は父親のことが好き。
小さい頃父親にもっと甘えておけばよかった
88 :
大竹ほたて&すずめ:02/03/17 16:58
12歳で拒食。15で過食嘔吐。16で売春。18で風俗。19でAV女優。
89 :
優しい名無しさん:02/03/17 21:07
保育園の時、外で遊んでてふっと母親の顔を思い出そうとした。
でも思い出せなかった。
なんでだろうと、ぼんやり考えていた。
同じく保育園の頃。
時々、寂しさの発作がくることがあった。世の中にいるのは自分一人みたいな
気分になって、動くこともできなくて震えていた。
ある日、母親が傍にいる時にその発作が来た。母親に抱き着けば安心すると
思ったのに、そうじゃなかった。母親にくっついていても、私は一人だった。
母親に抱きつきながら、私はやっぱり駄目なんだなあとぼんやり思っていた。
よく、耳の奥でキインという幻聴が聞こえた。
それは、父親が使っていた音叉の音だった。
彼はオペラをやっていて、私がどれだけ嫌がっても耳元で歌った。
劇場で聞けば誇らしいその歌声も、間近で聞けばおそろしい騒音だった。
みやちゃんが可愛かったなぁ・・・・
後じんがかっこよかったああかっこいい
悪戯されたので幼少期の記憶は払拭したいです。
あ、家族にはされていません。他人にね・・・。
私は男だけど、子供の時にはよく女の子に間違われたから・・・。w
11歳の時、学校帰りに突然知らない男の人に後ろからランドセルを
グッと引っ張られ、当然、後ろへ転がった。
ランドセルのおかげで、後頭部を打ったりはしなかった。
でも、その後の記憶がない。
記憶にあるのは、泣きながら玄関の鍵をかけ、チェーンをかけ、
それでも安心できずにドアノブを内側へ引っ張ってる自分。
そして、その時の
「恥ずかしい」
「もう生きていてはいけない」
という感情。
そして「手のかからないイイ子」だった自分が、勇気を振り絞って発した
「仕事を辞めて家にいてほしい」という言葉に対し、
「何、今頃になって甘えてんの?」と言い放った母親の無関心な表情。
もちろん自分はそれ以上、何も言えなかった。
いつの間にかその記憶は薄れていったが「自分は生きていてはいけない人間」という感情は、
違う出来事で、違う要因で年々増していくばかりだった。
そして、成人してから何のキッカケもなく、突然それを思い出したのだが、
どうしても、どうやっても「全て」を思い出せないのだ。
思い出せば、何かから解放されるような気がする。
でも……思い出すのは恐い。
93 :
優しい名無しさん:02/03/21 20:29
age
小学校の登校時
半ズボンだった
ぼくのうしろを歩く人は、みんなぼくのお尻を見てた
ような気がした。我ながら理解不能
スマンが世界の平和の為に死んでくれ
96 :
優しい名無しさん:02/03/23 01:16
97 :
優しい名無しさん:02/03/26 08:36
あげてみた。
98 :
優しい名無しさん:02/03/27 18:35
99 :
優しい名無しさん:02/03/27 19:17
小学校に上がったばかりの頃、給食が嫌いで地獄の毎日だった。
そんな学校からの帰り道、小川に架かる橋の所にやって来た時
突然、自殺というコンセプトが頭に浮かび、随分気持ちが楽になった。
どうしても耐えられなくなったら自殺すれば苦しみはなくなるではないか、と。
100 :
優しい名無しさん:02/03/27 19:28
小学校高学年のとき死という言葉をよく使ってた。
>>98さん
創作の世界ではよく聞く言葉ですが、実際、本当に効くんでしょうか?
メンヘル初心者なんでよく知らないんです。
本当に思い出せるのなら、それで解放されるのなら…それもイイですね。
でも、当面のところは「記憶にある部分のフラッシュバックによるパニック」を
どーにかするのが先決かも。
>>92 遅くなりました、本当に効くかどうか?人それぞれ合っている
人もいれば合わない人もいる・・としか言いようがありませんが
本などを読む限りこれで劇的に良くなった人も沢山いるようです
もちろん合わなくて良くならなかった人も沢山いると思います
潜在意識へ入りその記憶自体を思いだし絶えがたい体験だと
すれば暗示で記憶を書き返ることもできるそうです
何度も通う必要があるとは思いますがこれが上手く行けば
フラッシュバックによるパニックも無くなると思います
ガンバッテくださいね
泣けない子でした
104 :
優しい名無しさん:02/04/10 03:03
小さい頃家族で電車に乗って遊園地へ行きました。
普段は引きこもっている分裂病の兄も連れて。
兄はいつになく体調が良いようで私も嬉しくなりました。
やや満員の電車の中で兄の近くにいた女の子2人がボソっと、
「なんか気持が悪いね・・」って言ったのを聞いて私は
腹が立つというかくやしいというかものすごく辛かったのを
よく覚えています。ずっと後ろでそいつらを睨み続け
電車から降りる瞬間に思いっきり足を踏んでやりました。
遊園地といえばいつも思い出してしまいます・・・
105 :
優しい名無しさん:02/04/10 03:06
祖父が切れて、ナイフを振りかざし、「殺せ」と何度も叫んだのを
子供心に覚えている。
106 :
優しい名無しさん:02/04/10 03:10
そんな場面を見た後、自分は大いに泣き、その後狂ったように
笑い続けました。悲しすぎると笑えてくるよ。ほんと。
107 :
優しい名無しさん:02/04/10 14:28
みんな思い出すだけじゃダメ。
そいつらにオトシマエをつけに行かないと。
今からでも遅くはない。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/utu/1016880456/l50 66 :ノンちゃん :02/04/03 17:08
>>14 >>17 >>18さんの気持ちもわかる。
急に、フラッシュバックのように、
過去の恨みが甦ってくる。
呉智英さんの著書によると、漫画家の某は、
恨みの天才らしい。
彼は、子供の頃にイジメられたヤツに、
復讐しようとした。
それで、10年くらい経ってから、友達に、
「あいつを殴ってきてくれ」と復讐を依頼した。
またその友達がいいヤツで、
通り魔みたいにボコボコ殴りに行ったらしい。
某曰く「あいつはなぜ殴られたか、わかるまい」
呉「そりゃわからないよ」
実にいい話だ。
イラついたら、古い昔の恨みことから、
順送りに晴らして解決していこう。
そうすれば、今の怒りも収まるし、今の恨みもいずれは、晴らせる。
元旦になると、いつも父がどうでもいいことに拘ったことことを
思い出してしまう。
私が小学生のある元旦の日、父はいつもの休みのように、
9時ごろのんびりと起きてきた。
そして、その年に限って突然、初日の出に向かって拝むようにと言い出した。
そんなバカらしいことはしたくなかったので、
嫌だと言うと、父はしつこく拝め、と言ってきた。
たぶん父は、初日の出に向かって拝む家族をまとめる父親、という構図に
酔いたかったのかもしれない。
それを感じたので、抵抗していたら、父は突然キレテ私を殴った。
父はそれに対して悪びれるようなことは、一切しなかった。
そして私が大人になり、それなりに勉強もして外見にも気を配って
人から誉められるようになると、父はまるで自分が大事に育ててきたような
顔をするようになった。
ふざけんな!
私は、つまらないことで女の子を殴るお前に育てられたんじゃないんだよ。
お前みたいなくだらない人間にならないように、がんばってきたんだよ。
109 :
優しい名無しさん:02/04/10 14:51
興味のあることには、すごく集中力があるのに、
興味の無いことになると、すぐにぼんやりとして説明が聞けない子供でした。
悪気はないのに、ほんとにいつの間にかぼんやりとしていて
説明が聞けなかった。
小学校での内科検診の日、検査手順の説明を先生がしていたんだけど、
私は例のぼんやりとする癖で説明が聞けなかった。
それで、自分の検診の番がまわってきたとき、何の検査かわからず
少しうろたえてから、やっと内科検診だと気付き、服を持ち上げて
検診を受けた。
そのモタモタとした動作が医者には気に入らなかったらしく、
「もう小学校高学年なんだから、そんなんじゃダメだろう。
何やってんだ!」と怒鳴られた。
本当に悪気があって、話を聞いてなかったわけじゃないんだけどなあ。
白衣をみると、思い出してしまう。
110 :
優しい名無しさん:02/04/10 14:56
小学生の頃に観たアニメ。
名前はわからないし、たまたま一回観ただけなんだけど、たくさんの
人間がものすごく暑い場所で、食べ物もないのにずっと死ねずに生きてる
地獄みたいな描写があった。
それを見たとたん、とつぜん気が狂いそうなほどの恐怖に襲われた。
「もし死んだら、私の意識はどこへ行くんだろう?」
という恐怖が頭から消えずに、ほとんどノイローゼになった。
家族に「死んだら人間はどうなるの?」と聞きまくり、死んだあとに、
自分の意識が消滅するというシミュレーションを頭の中で繰り返した。
「永遠に自分の意識が消える」ということが、生まれてきたからには
逃れられない私の最後だと知り、なぜ生まれてしまったんだろう、
死にたくない、と子供なのに異常なほどに死を怖がった。
毎晩ベッドで、「せめて老衰で安らかに死ねますように」と神様に
お祈りした。
その恐怖に耐えられなくなり、どうにか生きていく手段として、
諦めること、目先のことしか考えないこと、でやっと20年が過ぎた。
あのアニメ、見なければよかったなぁ…。
弟ばかり可愛がる母
おばあちゃん子になった私
おばあちゃんだけは私を一番に愛してくれると思っていた
数年後
おばあちゃんは末期の胃癌で入院した
意識ももうろうとしているおばあちゃんは言った
「○○(弟の名前)に会いたい」
私の名前を呼んでくれなかったのが悲しかった
私より弟の名前を呼んだのが悲しかった
誰からも私は愛されていないんだと思った
涙が溢れた
もう誰も信じないと思った
…これ書いてて涙がとまらん
>>111 ( ´Д⊂ウェーンヽ(^^ ) ヨシヨシ
4歳くらいの頃。母親が「○○のまんじゅう(局所)は臭い」と
ニヤニヤしながら言い始めた。
一緒に風呂に入るときも、それは続いた。
私の体を汚い物を洗うように、力任せに擦りまくった。
あまりに臭い臭いと言われ続けるので、私は自分の局所が臭くないか、
人前でも常に手をあてて匂いをかいで調べるようになった。
小学校に上がってもそのクセは治らなかった。
中学校に進学して、同級生にそのクセを言いふらされた。
もうあとは好奇の眼差しの洪水。
女として暗い青春を送ったのは言うまでもなく。
念のため、医者に確認したが普通とのこと。一生の心の傷...。
未だに思い出すだけで涙が止まらないよ..
小学生の時痴漢に遭って局所を触られたと聞いたときも、母親は
ニヤニヤしていたし...私が何をしたというのだろう...
二歳くらいからの記憶があるけど。
怒られたこと、傷ついたことばかり覚えてる。
楽しい思い出はすぐ忘れてしまうのに、こんな自分がすごく嫌。
過去を振り返れば間っ暗闇。根暗がオーラに滲み出ているのも
頷けるかも……
一番一番傷ついた思い出。披露しましょうか
高校の時、友達がいなかった。
そんな自分を小学校から親友(と思っていた)人には知られたくなかった。
でも同じ高校。3年になった時、同じクラスになってしまった。
クラスで浮いている私は彼女に助けを求めることはしなかった。
彼女を巻き込みたくないから。
彼女も私を無視した。
小学校からずっと一番心を許していた相手だったのに。
ある日、学校の階段で目があった。時が止まった。
周囲には二人しかいなかった。
でも、彼女は目をそらし、私の前から去っていった。
記憶にあるし、嫌でも時々思い浮かぶ情景。
でもあまり深く考えたことはない。あの時彼女が私をどれだけ
蔑んでいたとか、もしくは哀れんでいたとか。リアルに想像しない。
深くつきつめたら、多分精神破壊される。
>>98さん
こちらこそ、ご丁寧なレスをありがとうございます。
自分でもいろいろ調べてみようと思います。
これが治れば、ずいぶん人生変わるような気がするんで…
錯覚かもしれませんが(爆
>>113さん
辛い経験でしたね。
少し違う話かもしれませんが、おそらく
>>113さんのお母様は、
>>113さんの事を
「女」としてライバル視してたのではないでしょうか?
私は幼い頃から母親に「アンタはデブだしブスだし…」とゆー風に言われながら
育ってきたんですが、最近になって別件で「父親を私に取られるような危機感を感じていた」
という話を聞きました。
いずれにせよ
>>113さんは全く悪くないと思いますよ。
気にせず…というのは無責任ですが、なるべく意識しないよう日常生活を楽しく過ごせればと
思います。
>>92さん
かなり違う例かとは思うんですが、
タレントの東ちづるさんが、高校の頃の記憶があまりないって言ってました。
中学の頃の記憶はちゃんとあるんだそうです(たしか)。
で、カウンセリングを受けたらしいです。
「明るいいい子を演じていた」みたいなことを言っていました。
記憶がないのは、あまりに辛かったから無意識に消していたみたいだ、
みたいなことを言っていて、思い出せばいいというものでもないのかな・・・
と思った記憶があります。
あ、今調べたら「笑っていいとも」に1/30出てました。
いいとも資料室で会話全部見られますよ。
良
小1の時、父親が鉛筆を削ってやるから筆箱を持って来い、と言った。
「筆箱、学校に忘れてきた・・・」とビクビクしながら白状したら顎に蹴りが入って
血を噴いた。凄い勢いで血を噴いた。
今は憎んでも恨んでもいない。もう20年も前に別れた父の顔なんか忘れた。
でも血を流した事は不思議に鮮明に思い出される。
夢に見て飛び起きても心配してくれる夫や子供がいる、FB抑える薬も貰っている。
だから大丈夫だ。
それは酷いね・・・。>みなさん
カラアゲ
良