480 :
優しい名無しさん:02/05/17 23:49
というか、人間は他の動物と違うと思うこと自体が、人間の驕りである。
なんつったりして。
それでもやっぱ他の動物とはちがうんだな。
といってみるテスト。
「人」が他の動物と違うのは、「人」が「自分」を「人」と
比べるのに対し、動物はそれはしないから。
動物っていい意味で「他の」動物を差別しないんじゃないかと思う。
483 :
優しい名無しさん:02/05/23 02:08
>>482 メス争いで闘争やらかす全てのオス生物は、それと意識はしていなくても
「メスに『他のオスとは違う』こと」をアピールしてるわけだから、
ある意味では比べ「させて」いる。だから「客観面では大して差がない」感じがする。
主観、って概念(自意識)がある、というのが人間の人間たる由縁だが…果たして
他の生物に主観が無いのかはチト分からない。無いとは言い切れないし、あるとまでは言えないし。
とりあえず保守目的なので曖昧あげ。ワラ
484 :
優しい名無しさん:02/05/25 14:30
答えなんて出ません。
と言いきってみるテスト。
ていうか保守なんだけどね。
485 :
skirt ◆lPe6tSdk :02/05/27 21:59
動物に「主観」があるのかないのかと聞かれれば……
「ないんじゃないの?」
その動物なりの知恵なり工夫はあるにせよ。
動物を鏡に映しても自分だと判断出来るのは稀と思われ。
鏡に映った自分を「老いた」とか「太った」とか思う事はどうだろうか。
「腹一杯」みたいな身体感覚はあるかもしれないけど。
486 :
優しい名無しさん:02/06/01 12:41
ヒトが言語を発明しなかったとしたら、ヒトに「自意識」があると言えるのだろうか。
自意識を持っていることと、自意識を持っていることを表現できることは別な気がする。
その意味で動物に「主観」が無いとは言い切れない。
>動物を鏡に映しても自分だと判断出来るのは稀と思われ。
サルは出来るらしい。
うーん、ヒルナミン祭りの後だから頭が回らない。
でもこのスレすき。
ブックマーク!!
488 :
優しい名無しさん:02/06/01 13:33
>>485 類人猿「チンパンジー」は認識する。鳥類「フラミンゴ」はしない。という所までは
科学的に実証されている(前者はチンパンジーのアイちゃん参照、後者は動物園の
フラミンゴ舎参照(鏡に映った自分を「他の仲間」と感じて群衆欲を満たすとか))。
489 :
優しい名無しさん:02/06/01 21:12
幸せになれない人のために、難解に考え、単純爽快な、幸せの定義を考えて
頂けますか?
幸せを感じた時に、その後の不幸を考えてしまう人。いるんです。僕にはこんな
幸せは許されないんだ・・・今に、罰が当たって、前に不幸だった時よりも
もっと不幸になっちゃうんだ・・・心配。こんな感じです。それで、何故か
後に不幸が現れると。
492 :
優しい名無しさん:02/06/02 13:07
回答;1.まず幸せの定義とか考えない事。何が幸せで何が不幸なのか、
一般的な定説はないから。
2.幸せはいつやってくるともいつ消えるとも限りません。幸せを
感じた時、それがすべて、今なんです。
楽あれば苦あり。禍福は糾える縄のごとし。人間の脳味噌は、明日を考えます。
昔を考えます。時間という言葉ができる以前からきっと。
1は納得です。
定義と言い切るのは間違いでした。
なんていったらよいでしょう?ぬいぐるみの様なモノでしょうか。
495 :
優しい名無しさん:02/06/03 17:38
なんか、今までの流れをぶつんと斬られたのは
不愉快だな。
496 :
優しい名無しさん:02/06/05 20:55
>>495 気にしない方が正解。少なくとも、過去ログ落ちするのを防ぐ程度には意味があるだろうから。
>>495 ごめんなさい。気がつきませんでした。
また、上記の依頼に於いて・・・この事は私にとって、また、この掲示版の特定の
人にとって重要です。無視なさらずにお考え下さい。難解に考える事は単純な答え
かつ納得いく答えを得れてこそ意味あるものでございましょう?後回しで結構ですから
ごゆるりとお考え下さい。あらあらよろし。
いや、君は謝る必要はない。なぜなら
「元からそういうスレッドだから」
です。どっとはらい。
で、幸せの定義は次のレスへ。
その「幸せを提示すべき相手」というのは、幸せだけ感じられないか、一時的な小さな幸せに
没頭できない人、という定義でよろしかね? 感情が全くない人ではなくて(感情がない人に
感情を説くのは至難だ…)。
で。
>>492の2が至言。いきなり結論的なんだけど。
幸せ、というのは、あくまで「その一時の状態」であるから、それを楽しまないのは損。
例えばさ、遊園地に遊びに行ったとしよう。周りがキャーキャー言ってはしゃいでいるさなか、
君は一人冷めて「ふん、どーせジェットコースターってったって単なる体の動静に過ぎない。」とか
言って乗らなかったり、また乗っても終始その信念を貫こうとしていたならば、ジェットコースターに
乗って感じられるであろう「楽しい」状態にはなれない。そして更に重大なことに、その時以降にその時
味わえたであろう「楽しさ」は、決して味わえない。そのとき味わい得る「楽しさ」は、そのときのもので
しかないのだ。
幸せも、それと一緒。「これは幸せ感が感じられるかもっ」と思ったら、積極的に幸せ感を感じそうな方向に
行動をする。そうすれば、多大な幸せを味わうことが出来る。
ジェットコースターに乗ったときは、口を十文字に結んで1分半堪え忍ぶより、おなかのくすぐったさを
目一杯感じながら思いっきり叫んだ方が気持ちよくて「楽しい」。恥ずかしくて叫べないとか言ってないで
叫んだ方が「楽しめる」。 「幸せ」についても、ジェットコースターの楽しみ方同様、いろんな『増強方法』が
蓄積されてるので、それらを学ぼう。「幸せ」は結局いっときの状態でしかないので、その時を大切に。
因みに
>幸せを感じた時に、その後の不幸を考えてしまう……前に不幸だった時よりも
>もっと不幸になっちゃうんだ……それで、何故か後に不幸が現れると。
少し中略した。「なぜかあとに不幸が現れる」のは、2方向のアプローチで示せる。
第1には、最初既に小さかろうが幸せ感を感じてしまっているため、論理必然にそれ以下の感情は
おしなべて不幸であること。そしてもう1つは別の、より現実的なアプローチであるけども、
幸福を感じた直後に(より高い幸福を目指して突き進まず)悩み込んで停止すると、幸福は維持されない。
幸福が継続的であるためには、絶えずその幸福度を維持する努力が必要なのは経験則上既に明らかである。
更に因みに、幸福というのは実のところ、深い欲求が満たされることによって生じる、という
実に端的な構造を持っている。人によっていかなる欲求を強く持つかは様々で、また同一人でも
発達段階や経験によって欲求の対象となるものは常に変わるから一概には言えない上、必ずしも
常に本人自身その欲求の根元が何か、というのを意識出来る(知る、理解できる)とは限らない。
本人が「何を満たせば確定的に充足を感じ幸せであるか」を意識できない以上、とにかく現実の事象を
総当たりする形で、もしくは既に蓄積された一般経験則に照らして幸せ存在の蓋然性の高い行為・状態・立場、
名誉・所有・表現などを自分の属性と相談しつつ試みてみる、等の方法でしか、幸せは確定し得ない。
「あーもーこれでいいや」と思った時点で幸せ探しは終わるが、その終わった時点で、自分の幸せテンプレートを
自己のうちに体系づけられている(どんなもんに幸せ感じるか自分でそのパターンが分かる意)といないとでは、
その後の人生の輝きは大きく違ってくる。錆色の輝かない晩年か、白金の輝きを内心に秘めた晩年か……全ては
幸せ探しの努力次第で決まるといっても良いんではなかろか。
502 :
優しい名無しさん:02/06/06 17:54
”難解に考える”とは経験上、細かく分けて分類して
考える事だと思う。
「水が飲みたい」「水を飲もう」ではなく、「水が飲みたい」
(身体が水分を欲求してるんだな)
(そういえば、ずっと汗かいてたし)
(水を飲めばのどの渇きがおさえられるかも)
で「水を飲もう」、になったりする。答えは中途の
解釈の中でねじれるかもすれないし、場合によって
「水」よりも、「ポカリスエット」のような飲料の
ほうが良かったりする。
503 :
優しい名無しさん:02/06/06 18:51
細かく分けない限り、事の真実は見えない。だから細かく分ける。
実のところのどの渇きなどの原始的欲求と定義の2つは分けようがないから、
>>502のようにやると単に「段階をバラバラにしてみただけ」ということになってしまい無意義。
例えば「走る行為を『右足の次に左足を出しそれが地に着く前に再び右足を出すこと』と言ってみたり
する」のがそのような無意義な分解に当たるんだが、これだと水の上でも走れそうな矛盾が入り込んだ
定義になるでしょ?
>>502さんも「ポカリスエットが入り込む余地」旨を言っている(言っている?)ように。
だから、難解に考える事が出来るのは、
@定義問答ではなくて(「幸せとは何ですか」とか)、
A更に単なる現象(「雪はなんですか」とか)でもないこと
という2点を満たしている懐疑、という意外に限定されたものだと分かる。
…結局はこういうプロセスこそ『難解に』なんだろう、というのが言いたい訳だが。
504 :
優しい名無しさん:02/06/07 19:19
どうして細かく分けない限り、事の真実は見えないんですか?
505 :
優しい名無しさん:02/06/07 19:57
『難解に』考えるプロセスにおいて湧き上がってくる疑問に
対処すべく、我々の人の頭脳が使われる。
これに関し、ひとがサルと異なることを物語っていると思う。
人は考える事に措いてのみ、他の動物とは異にした卓越した
才能を持って生まれたといえるんじゃないのだろうか。
その才能を使い切らずして、死に行くも良し。それは必ずしも
事の真実を明らかにするものではないにしろ、いくばくかの
平安(=幸福)を与えるのではないだろうか。
506 :
優しい名無しさん:02/06/07 20:11
『難解に』=小難しく
>>504 スイカを切らずに食べられようか。
リンゴをかじらずに食べられようか。
大きな真理というものを人が飲み込むには、それだけ小さなサイズにしなければならないのさ。
世には、『難解に』考えないと解けない問題もある。
けど『難解に』考えなくても済むものもある。
それは経験がそうさせるのであって、経験の少ない
人間ほど物事を『難解に』考え、処理しようとする
傾向があるんじゃなかろうか。だからなんだと言うと事もないけど…・
世には、『難解に』考えないと解けない問題もある。
けど『難解に』考えなくても済むものもある。
それは経験がそうさせるのであって、経験の少ない
人間ほど物事を『難解に』考え、処理しようとする
傾向があるんじゃなかろうか。だからなんだと言うと事もないけど…・
510 :
優しい名無しさん:02/06/13 08:31
(っ゚д゚)っホッスー
511 :
優しい名無しさん:02/06/15 19:06
>>508-509 経験の多い人間は、まさに経験の記憶でもって、不知不安定を補完して処理できる。
経験の少ない人間は、そういった記憶が無いから、仮想体験として「考え」たり、
リスクマネージメント的に「難解な思考」を『せざるをえない』だろう。まぁ何も
考えずにぶち当たってみるのも一つの手ではあるとは思うがage。
512 :
優しい名無しさん:02/06/15 19:30
話が、物事を何通りも考えると
複雑に考えると
ごっちゃになってるような気がするぞ。
513 :
優しい名無しさん:02/06/15 19:38
懐疑派って大変だと思う。
全部とにかく否定して、可能性が最大にあるところからつぶしていかないといけない。
たった一つの謎を解くだけで、何年かかるんだろう?
514 :
優しい名無しさん:02/06/16 00:47
>>513 最大の懐疑派は要するに「哲学者」だろう。…現代に於いては既にビジネスモデルとして
成り立たないってのは周知だな。
『郵便ポストの現象学的還元』というテーマで何年も大学講義を続ける強者も過去にはいた。
その場合、別に謎を解いたことで現実に利益はないんだが、謎を解く行為自体が思考を強化する、という
意味で利益がある。…もっともそこで得た利益を「謎を解く行為」に再投資してはまさに『一生涯掛かっても何も出来ない』んだが。
>>511 レスどうも。
『難解に考える』は生活者としては頭の体操程度に留め、
行動面でプラスの方向に動くように内面を強化する方向が
正しいのかもしれませんね。
皆が皆、生活者として同じ方向性をもっているわけではない
にしろ、ひとつの方向性を指示するものとして。
上げさせて戴きたく候。
517 :
優しい名無しさん:02/06/19 23:37
経験のないものは、『難解に考えて』頭を鍛えようではないか。
518 :
優しい名無しさん:02/06/20 20:03
519 :
優しい名無しさん:02/06/22 00:52
結局はこういう事だな。
「考えているだけでは何も生み出されない。
たとえ何某か内心に生み出されたとしても、
それが表出されなければ何もないのと同じだ」
とかいいつつ単にageなんですがね、えぇ。
人生って無常だなあ。最近「平家物語」の冒頭部分が心に染みるよ。
答えは一つ
このスレ キ モ イ
522 :
優しい名無しさん:02/06/22 17:57
>>521 荒らしだ。昨日からちょくちょく見かけるね〜。
>522
こんちわ〜ス
よろしくどーも!
524 :
優しい名無しさん:02/06/22 18:26
>523
キモウザイ
525 :
優しい名無しさん:02/06/23 05:41
難解に行こう。
一行レスなんか論外だの風潮を作ろう!(w
526 :
優しい名無しさん:02/06/23 14:18
二行レスもいかんね。
せめて四行いかないと。
527 :
優しい名無しさん:02/06/23 14:33
ただ長々文章綴るのは言葉を選んでいない証拠なんよ
読む側の理解なんか考えていない、
伝える意思の無い言葉なんて何の意味も無いし、
言うだけ時間の無駄なんよ、自分には敢えて語る必要も在るまい?
伝えたいならわかり安く明快に。
言葉ってのは思考の過程の全てを逐一書き表してゆんじゃなくて、
その過程の結論を述べる道具なんよ。
と だらだら云々
528 :
優しい名無しさん:02/06/23 14:55
>自分には敢えて語る必要も在るまい?
そうだろうか? もちろん「今日の夕飯何にしよう」レベルの、容易な思考で片が付くものは
自らに語る必要はないだろう。しかし「マズい、鬱だ、どうしよう」となったらどうか。
「ダンボールか生活保護か…」「彼女の真意は何処にあるんだろうか」「あの声は電波かそれとも現実か」
自らに語り、自らの内で答えを探らなければならない問いは、それこそ五万とある。単に伝えるだけが
言葉の機能だと思っているのだとしたら、君は哲学者&哲学書を知らない不幸な人だと言えるように思う。
また、公共の掲示板に書き込んでいるからといって必ずしも即伝達でなければならない訳でもない。延々
読む側の理解など考えない言葉を積み重ね、最後の結論に至った…そう確信したとき初めて「通常語」に
翻訳してまとめる。そういう言葉の使い方もある。
前段と後段で激しく論点がずれてることを難解に考えないように(w
529 :
優しい名無しさん:
<528
哲学を知らないことの不幸をぜひ聞きたい(<煽りではなく)
実際哲学書といわれるものを読んでみたがさっぱり意味がわからない、
日常から飛躍しすぎて、、、それは万人にとって不幸なのか。
それとも527さんのような考えをしながら哲学を知らなかったとしたら不幸なのか、
幸福になれる哲学書(非宗教)があれば教えてほしい。
そもそも哲学という学問は、科学という学問の存在を認識しているのでしょうか?
一読して感じた疑問はそこにありました。
宗教的な論理、倫理が置き去りにされつつある昨今、哲学はこの先存在し続けうるのでしょうか?