1.> 私は音声は連続的に変化する音のストリームだと言ってます。
無駄な文。人間の発声器官の制約により実際の発話は連続的にならざるを得ない。
あまりにも当たり前のことで世界中のすべての音声学者が知っている。
もちろん素人でもほとんどの人が知っている。
2.> その音のストリームにはRやLに聞こえる部分があります。
それを音素と言う。
3.> しかし、そのRやLの音の始点や終点は判別できません。
実際の発話では区切れ目がないので当たり前。しかし大雑把な判別は可能。
4.> そのストリームを聞いて人間は錯覚でLやRがあったと認知します。
意味を成さない文。「錯覚」を厳密に定義せよ。
もし言語による認識そのものを言っているのならl,rに限らず言語すべてが錯覚。
5.> 音のストリームの発音は音を連続的な変化をさせる事です
上記1.により不要な文。
6.> 音のストリーム聞き取りは連続的な音のストリームのフォルマントの
> 時間変化から動的にいろいろな音を認識します。
短絡的。静的な認識と動的な認識の両方が関与すると考えられている。
7.> 音声学では音声に45(または44)の音素が時間軸に子音も母音も同格に並んでいると考えます。
意味を成さない文。「同格」を厳密に定義せよ。
もし時間長のことを言っているのなら母音や摩擦音等と破裂音等の違いを考えればわかるとおり
同格ではない。世界中のすべての音声学者が知っていること。
8.> 音声学の発音はその45の音素を発音記号のように並べる事であります。
嘘。世界中の音声学者の誰一人としてそんなことは言っていない。
9.> 音声学では音声認識はその45の音素を静的に聞いているといいます。
同上。
10.> 音声学の音素を、多くの辞書は概念の音であり、実際の音で無いと定義してます。
音韻論ではそう。音声学でも基本的にはそう。ただし操作的に同一音素と認められる
単音の集合をさす場合がある。
結論: 無駄と曖昧な定義と嘘により、議論自体が無駄。