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名無しさん@占い修業中:
易が実学である、という点は譲れないです。
その実学たる生命を損なわないだけの知恵を以て、改良されてきた
のなら、また改良し続けられているのなら、何ら文句はないのですがね。
哲学や倫理も、人類の社会文化を正しく支えられる本物の領域にまで至れば、
やはり実学であって、易の原理と背反はしないと思いますから。
しかし、知恵浅く判定の力を持たない我々は、
ただ長い歳月による「磨き」、淘汰の結果を、信ずるしかない。
昨今の学者が書く解説書は(ぜんぶ目を通したわけではありませんが)、
わかりもしない易の辞に託して、
自分の浅い "哲学" なるものをこねまわし作文しているだけ
のものが多い。
そういうのを見るにつけ、易に限っては、
学者の解説するものを用いる気にはなれないのです。
そもそも、占いとしての易を認めたら、その時点で学者生命を失うのが、
今の日本の学者世界ですからね。
そんな世界から、実学たる生命が損なわれていない易書など
出てくるわけがない(藁