あれだけ予言を重んじた日蓮聖人が、世界の大戦争があって世界は統一され本門戒壇が建つという予言をしておられるのに、
それが何時来るという予言はやっていないのです。
それでは無責任と申さねばなりません。
けれども、これは予言の必要がなかったのです。
ちゃんと判っているのです。
仏の神通力によって現われるときを待っていたのです。
そうでなかったら、日蓮聖人は何時だという予言をしておられるべきものだと信ずるのであります。
この見解に対して法華の専門家は、それは素人のいい加減なこじつけだと言われるだろうかと存じますが、
私の最も力強く感ずることは、日蓮聖人以後の第一人老である田中智学先生が、
大正七年のある講演で「一天四海皆帰妙法は四十八年間に成就し得るという算盤を弾いている」(師子王全集・教義篇第一輯三六七頁)と述べていることです。
大正八年から四十八年くらいで世界が統一されると言っております。
どういう算盤を弾かれたか述べてありませんが、天台大師が日蓮聖人の教えを準備された如く、
田中先生は時来たって日蓮聖人の教義を全面的に発表した――即ち日蓮聖人の教えを完成したところの予定された人でありますから、
この一語は非常な力を持っていると信じます。
また日蓮聖人は、インドから渡来して来た日本の仏法はインドに帰って行き、
永く末法の闇を照らすべきものだと予言しています。
日本山妙法寺の藤井行勝師がこの予言を実現すべくインドに行って太鼓をたたいているところに支那事変が勃発しました。
英国の宣伝が盛んで、日本が苦戦して危いという印象をインド人が受けたのです。
そこで藤井行勝師と親交のあったインドの「耶羅陀耶」という坊さんが「日本が負けると大変だ。
自分が感得している仏舎利があるから、それを日本に納めて貰いたい」と行勝師に頼みました。
行勝師は一昨年帰って来てそれを陸海軍に納めたのであります。
行勝師の話によると、セイロン島の仏教徒は、やはり仏滅後二千五百年に仏教国の王者によって世界が統一されるという予言を堅く信じているそうで、
その年代はセイロンの計算では間もなく来るのであります。
今までお話して来たことを総合的に考えますと、軍事的に見ましても、
政治史の大勢から見ましても、また科学、産業の進歩から見ましても、
信仰の上から見ましても、人類の前史は将に終ろうとしていることは確実であり、
その年代は数十年後に切迫していると見なければならないと思うのであります。
今は人類の歴史で空前絶後の重大な時期であります。
世の中には、この支那事変を非常時と思って、これが終れは和やかな時代が来ると考えている人が今日もまだ相当にあるようです。
そんな小っぽけな変革ではありません。
昔は革命と革命との間には相当に長い非非常時、即ち常時があったのです。
フランス革命から第一次欧州大戦の間も、一時はかなり世の中が和やかでありました。
第一次欧州大戦以後の革命時は、まだ安定しておりません。
しかしこの革命が終ると引きつづき次の大変局、即ち人類の最後の大決勝戦が来る。
今日の非常時は次の超非常時と隣り合わせであります。
今後数十年の間は人類の歴史が根本的に変化するところの最も重大な時期であります。
この事を国民が認識すれば、余りむずかしい方法を用いなくても自然に精神総動員はできると私は考えます。
東亜が仮に準決勝に残り得るとして誰と戦うか。
私は先に米州じゃないかと想像しました。
しかし、よく皆さんに了解して戴きたいことがあるのです。
今は国と国との戦争は多く自分の国の利益のために戦うものと思っております。
今日、日本とアメリカは睨み合いであります。
あるいは戦争になるかも知れません。
かれらから見れば蘭印を日本に独占されては困ると考え、
日本から言えば何だアメリカは自分勝手のモンロー主義を振り廻しながら東亜の安定に口を入れるとは怪しからぬというわけで、
多くは利害関係の戦争でありましょう。
私はそんな戦争を、かれこれ言っているのでありません。
世界の決勝戦というのは、そんな利害だけの問題ではないのです。
世界人類の本当に長い間の共通のあこがれであった世界の統一、
永遠の平和を達成するには、なるべく戦争などという乱暴な、
残忍なことをしないで、刃に※らずして、そういう時代の招来されることを熱望するのであり、
それが、われわれの日夜の祈りであります。
しかしどうも遺憾ながら人間は、あまりに不完全です。
理屈のやり合いや道徳談義だけでは、この大事業は、やれないらしいのです。
世界に残された最後の選手権を持つ者が、最も真面目に最も真剣に戦って、
その勝負によって初めて世界統一の指導原理が確立されるでしょう。
だから数十年後に迎えなければならないと私たちが考えている戦争は、
全人類の永遠の平和を実現するための、やむを得ない大犠牲であります。
われわれが仮にヨーロッパの組とか、あるいは米州の組と決勝戦をやることになっても、
断じて、かれらを憎み、かれらと利害を争うのでありません。
恐るべき惨虐行為が行なわれるのですが、根本の精神は武道大会に両方の選士が出て来て一生懸命にやるのと同じことであります。
人類文明の帰着点は、われわれが全能力を発揮して正しく堂々と争うことによって、
神の審判を受けるのです。
東洋人、特に日本人としては絶えずこの気持を正しく持ち、
いやしくも敵を侮辱するとか、敵を憎むとかいうことは絶対にやるべからざることで、
敵を十分に尊敬し敬意を持って堂々と戦わなけれはなりません。
ある人がこう言うのです。
君の言うことは本当らしい、本当らしいから余り言いふらすな、
向こうが準備するからコッソリやれと。
これでは東亜の男子、日本男子ではない。
東方道義ではない。
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