ポルシェ924
どんどん増えてく〜
885
888get!!
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易の本、出ているね.
『易と健康法』上下 (ディーシーエス 2001)
『易学入門』(明徳出版社 昭和35年)も買ってみたけど
こっちは、初学者には抽象的すぎるなぁ。
>>890 安岡先生の易の本読んだけど、まったく役にたたなかった。
訳が、あまりにも、抽象的すぎる。
やはり、実践には、加藤大岳の本のほうが、断然いいし、占例等も載って
いるから、実践家には、安岡先生の本はだめだろうね。
>>891 最近、安岡さんの本って読まれているみたいだなー。
講談社からも新しく、神渡良平さんの概説書が一冊出ていたよ。
すべてには同意できない(特に、トゥインビーを
講話の中でちくちく紐解いたあたり)んだけど、
この人の本は、自分も読んで嘆ずるところがあったから、
思わず買ってしまった。これから読む予定。
うーんとさ、話が途切れていたので、雑談で悪いんだが、
自分は、埼玉にある安岡記念館へ行って、世界観がガラッと変ったよ。
戦後日本の原点にダイレクトに触れたように感じたから。
ここが、自分が生きている、知っている、日本、という
情報空間の始まりだ、
良くも悪くも、ここから始まった「何か」に自分は包まれて、
これまで生きてきたのだ、という強烈なインスパイアを受けたよ。
その後、数日は興奮しまくって、身近な人に、自分の印象を話しつづけていた。
もし行ってない人は、近所なら、話の種にでも行ってみるのが良いかもしれない。
>>892 安岡氏に傾倒している頃
友達と関西師友協会に遊びに行き
「百朝集」と公演のビデオテープを買ったことがありました。
そこにいた白髪の初老の方に
「勉強を大切にな」と言われたのを思い出します。
懐かしい
>>891 あの本読むと戦後日本政治史の裏面が、
ダイナミックにわかる。というか、わかった気がしたYO。
金がドロドロ絡むような、そういう泥臭いじゃ裏面なくて、
戦後の日本が、失ってしまった戦時中の理念を立てなおすために、
どうしようとしていたのか、誰がそれを担っていたのかってことが、
ぼんやりわかった(ような気がした)。
占いとは六★繋がりで関係するだろうから、
興味ある人はぜひ読んで欲しいなぁ。
「老いらくの恋」というタイトルで、出てる。
895
897
総会屋雑誌でも好きな雑誌もあったなあ。
今残ってるのでは創(つくる)とかさ。
あそこも今は独立資本だけど。
噂の真相の編集人だって、もともとは総会屋雑誌の広告取りだよ。
当人に聞いてみてもいいし、創刊した年のバックナンバー見れば事情がわかる。
昔は総会屋オーナーでも金出して口出さない太っ腹のタイプもいたし
そういうレッテル張りで決め付けるもんじゃないよ。
52さんは40代以下でしかもそれなりにマスコミの内部にいないとしたら
総会屋とか総会屋雑誌が、それなりの論壇としての役割を果たしてた
時代の全体像は知らないでしょ。
もちろん企業ゴロの総会屋のほうが多いけどね。
ある意味、普通の雑誌ほかマスコミでも広告スポンサーの悪口とか
は絶対に書けないし、ひもつきには変わりない。
少なくとも元総会屋だったから、その人の批判がすべて間違ってる
ということにはならない。
自分でいろいろ読んで自分なりの意見を持つべきだよ。
>655
安岡正篤さんは、血盟団事件の
井上日昭さんと関わっていることで、
ものすごく著名なはずだ。
占いからたどるルートとしては、
細木数子〜安岡正篤〜井上日昭〜血盟団〜四元義隆〜田中清玄
とか、そういう感じになると思うが。
もう、どーでもいい、子供の遊びは止めましょう。
いろんなものを、自分の知識と見識の範囲で、俯瞰する姿勢を
持てなければ、占いなんてツールを使っている意味なんかなんもないと思う。
900
>>899 彼の人生は日本がどうあるべきかを諭し続けたものだったんじゃないのかなって思います。
時代背景は奔流だったけど道徳に適う人間を育成しようという気魄があったのかなと。
最近講話の文庫化されたものが立て続けに出てますね。下手な啓発書よりずっと価値がある。
安岡正篤という人を巡る人脈が間違いなく昭和期の日本を形作っていたと思う。
当然ですけど、そこにはポジティブな面とネガティブな面があるんですけど、
血盟団事件のようにネガティブではあるが、
未だに強い影響をもたらしつづけている思想的背景を提供していたように、
当事者以外にはあまりにも複雑に絡み合っているようにしか見えなくて、
解はあるはずなんだろうけど、すっと胸オチするように理解できないところが多い。
戦前の思想のわかりにくさは、このまえNHKで深夜にやっていた、
2.26事件の当事者間のやり取りを聞いていても感じた。
「天皇陛下の軍隊」という概念を、上官と下士官がお互い自明の了解事項として、
そこで殺し合いすら辞さない会話が自然に成立していることに違和感があった。
安岡正篤さんは、戦前から戦後にかけて一貫する流れの中心にいる人だから、
米国に占領されてから日本の何が変わったのか、なにが同じなのかを
人を通して知ろうとしたときの、キーマンのひとりだと思う。
彼の人生は日本がどうあるべきかを諭し続けたものだったんじゃないのかなって思います。
時代背景は奔流だったけど道徳に適う人間を育成しようという気魄があったのかなと。
最近講話の文庫化されたものが立て続けに出てますね。下手な啓発書よりずっと価値がある。
「活眼・活學」の一册だけでもいいから読めと。
>>1 >「平成」という元号を提案した
噂です。
あと玉音放送の原稿も書もかいてません。
確かに事実だとすれば、もっと話題になったはず。
この人は、理論家であって、実践家ではない
それも間違った理論w
もともと板違いのトピw
1990年(平成2年)1月、竹下登が講演の際、「平成」は陽明学者の安岡正篤の案であったと述べている。[4]
トピではなくスレか
・「平成」は、安岡 正篤氏 (陽明学者、占い師 細木数子の元夫) が考案し、死後に山本達郎氏(東大名誉教授)が再提出。
・「正化」は、宇野 精一氏(東大名誉教授)が提案。
・「修文」は、目加田 誠氏(九大名誉教授)が提案。
その中で、なぜ「平成」が選ばれた理由には諸説ある。
・安岡 正篤氏が、歴代総理や財界の指南役であったから。
・山本 達郎氏の養父が旧男爵だった。
・山本氏の実父が、貴族院議員で貴族の血を引くから。
・山本氏の義妹が、女官長で皇室と縁が深いから。
など、あるが、
個人的には、
・「修文」「正化」は、ローマ字表記の頭文字が「昭和」と同じ「S」になるから除外された。
年号なんて中国の思想の本から探せば誰でもできるぞw
>>913 そうなんだで終わればいいのに
貴方は年号なんてって言うこと自体、安岡さん嫌いなんだろうね
^▽^
1989年1月7日、新しい元号が決まる小渕恵三官房長官(当時)がおもむろに出てきて、
右手に平成の文字を掲げ「へいせい」と読み上げ新元号「平成」を発表した。「史記」と「経書」を出典とし
「国の内外、天地に平和が達成される」という意味を持つと説明。翌日、新元号は施行された。
平成の元号が国民に定着した(平成七年)十二月、
歴史の新事実として、新聞報道された。
「平成は故安岡氏が考案、山本達郎氏が後に再提出、新元号に決まる」
との大見出しで達郎の顔写真入りで大きく報じられた。
昭和天皇の逝去に伴い改元された現在の元号「平成」は七九年(昭和五十四年)に
陽明学者の故安岡正篤氏が考案し政府に提出したが、安岡氏の死後、山本達郎東大名誉教授が再提出し、
最終的に新元号に決定されたことが三十日、明かになった。と記し関係者証言を束ねる形で構成されている。
証言によると、政府は七九年(昭和五十四年)六月の元号法成立を受けて
安岡氏や宇野清一東大名誉教授ら四人に考案を委嘱。
同年中に安岡氏が「平成」など、宇野氏が「正化」などの案を提出した。
その後、安岡氏が八三年に死去するなど考案者に物故者が相次いだため、
政府は八四年に貝塚京大名誉教授を考案者に追加したが八七年に死去した。そのため政府は内々
1、改元の手続きは正式に天皇の死後の着手が適切
2、国民の印象矢縁起上も問題がある
として、昭和天皇逝去以前に死去した学者の元号案について不採用の立場をとった。
八七年九月の昭和天皇の腸手術を契機に、政府は改元準備を見直し、山本や目加田九大名誉教授らに再び委嘱。
山本が「平成」、目加田が「修文」などを提出し平成が息を吹き返す形となった。
昭和天皇逝去直後に、政府は山本らに電話で正式に委嘱。閣議で「平成」に決定した。
新聞は山本達郎を次のように紹介している。
アジア史学の長老で日本学士院会員、文化功労者。著書に、日本ベトナム史研究の代表作とされる「安南史研究」がある。
漢学や国史の学者が中心の元号考案委嘱者の中では、この人も異色の存在。養父は旧男爵、
父が貴族院議員で貴族の血を引き、女官長を義理の妹に持つなど皇室と縁が深い。
アンコールワット修復を図る「アンコール遺跡救済委員会」などを通じて社会活動にも参加してきた。
外務審議官も努めた福田博最高裁判事の義父に当たる。
(原文のまま)養父とは山本達雄であり、父は松村真一郎である。松村は達雄の娘の嫁ぎ先きである
平成4年、父親「山本達雄生誕之地」記念碑が海添保育園の右手に建立されたが、建立までには数年かかっている。
そもそも記念碑建立の話は平成元年、達郎が臼杵に帰り宝蓮寺住職に自分が責任をもって実現したいとの決意を話して始まった。
達郎は平成の新しい元号と共に、何か心に記する思いがあったのではないだろうか。
提出した元号「平成」の詳しい経過については、口を閉ざしている。
尚、山本は今年度の文化勲章を受賞した。臼杵人としては野上弥生子につづいて2人目である。
安岡正篤 名言
最後まであきらめなかった人間が、
成功しているのである。
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どこが名言なんだかwww
愚言だという事、説明しなくてもわかるよねw
明治31年大阪に生まれる。東京帝国大学法学部政治学科卒業。
若くして『王陽明研究』『日本精神の研究』等の著作で世に知られる。
大正末期、東京小石川に「東洋思想研究所」を、次いで昭和2年「金鶏学院」を創設。
昭和6年「日本農士学校」を埼玉県菅谷の地(現嵐山町)に開校。
その狙いは、浮薄な都市文明を離れ、大地に足を着けて東洋の古典・哲学を学び、
己を修めて国家社会の為に真に役立つ人材の育成であった。
戦後は「師友会」(後に「全国師友協会」に改称)に拠り、「照心講座(月例)」「教学研修大会」等、
全国各地での教化活動に尽瘁、一燈照隅行(いっとうしょうぐうぎょう)を展開し、
各地に大きな教化活動の足跡を印している。
昭和45年、「財団法人郷学(きょうがく)研修所」を創設して郷学の振興に努めると共に、
道を求める人や有縁の人に古聖先賢からの道を伝えることに尽力。政財界リーダーの啓発・教化・指導に当たり、
真正の指導者養成を目指す。昭和全期を通じて一世の師表、天下の木澤(ぼくたく)と仰がれた。
その言動は戦前戦中戦後を通じて首尾一貫しており、些かのぶれもない。
本物の学問を究めた人の、時代を見通す眼と、何物にも拘束されぬ真の強さを、ここに見るのである。
現在は著書・講演録も多く出版され、政治も経済も、そして人心も混迷の度を深める時代にあって、
その教えは世代を超えた人々の拠り所となり、人間として、また国家としてのあるべき姿を求める人々に、
深い感動と人生の指針を与えている。
昭和58年12月逝去。享年86。
安岡
940
大澤
まみこ
キャンディキャンディの作画やった
こわいよー
945
田中清玄氏は、昭和天皇と植物園(偶然に)であってから、天皇シンパに変わったみたいです。
仕事としては、土建業をやったあとで、アラブ関係の人脈を作って、
日本の石油フィクサーと呼ばれる立場になった人みたいですね。
難癖うんぬんは、いまのところよくわからないので、なにか信頼すべき資料があったら教えてください。
文献で知る限りの田中清玄氏は、ハイエクと交流があったり、
山口組の三代目と親交があったり、とにかく人間関係の幅が広い人みたいです。
世代が違うので残念ながら本人を直接知りませんが、異彩を放っていて魅力的な人だと思いました。
>山口組の三代目と親交があったり
田岡との親交はないぞ。
彼の人生は日本がどうあるべきかを諭し続けたものだったんじゃないのかなって思います。
時代背景は奔流だったけど道徳に適う人間を育成しようという気魄があったのかなと。
最近講話の文庫化されたものが立て続けに出てますね。下手な啓発書よりずっと価値がある。
20 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2008/12/03(水) 21:04:54 ID:vGeCeAJM0
来年あたり、いよいよ改元か?
ところでお前ら
平成の「平」の字を上に頂く元号が、「平治」の乱以降
850年も封印されてたこと知ってるか?
そして南北朝時代の「正平」を最後に、
平の字の元号使用は途絶した。
それを再開したから時代が混乱するのだ、というのは
改元数年後の朝日新聞のコラムなり
24 名前:20[] 投稿日:2008/12/03(水) 21:09:47 ID:JUhFmkFK0
日本史板の住人として補足しておくが
平治の乱というのは源頼朝の父・義朝の起こした反乱で
これを機に朝廷は権力を失い、武家の時代となる。
だから朝廷はあれほど好んだ平の字を封印してしまった。
それを復活させたいという野心で平成持ち出したのが安岡正篤で
それを採用したのがDAIGOの祖父・竹下登で
安岡の内縁だったのが占い師の細木数子
道器の論、というものがございまして、これはやはり道を学ぶ上に
おいては一つの問題であると思うのです。器、というのはよく平然と
言われるのですけれども、分かりやすく言うと、器がどれだけ大きい
か、小さいか、という問題。勿論器にしたって歪つでは何にもならん。
整っている方が良い、という問題もある。大きさだけで言うとヒトラー
であるとか、毛沢東であるとかもでかいのですけれども、型にはまら
ないのですけれども、やはり一部凡庸な所があったと見えて大失敗を
犯すことがある。又、名という問題。名が大きければ、有名であれば
その人物はそれだけ偉いのか、という問題。これはもう孔子が答えて
いる所で、それは関係がない。というよりも出来ることなら無名で
有能な、立志ある人物になった方が実際良いのであります。
人間というのは恩義というものを案外に忘れ易いもので、特に歴史
の人物達の恩恵というのは存外忘れられているんじゃないだろうか?
今の豊かな生活も明治の精神ある人物の功業のお陰なのでもあるが、
奢る平氏は久しからずで、日本も今のままだと直ぐに文明中毒で病み
衰えると思う。
経済力的にはまず中国・インドが台頭してきて、どう考えたって人口
も国土もあるこの二国の方が財政的なポテンシャルが高い。職にしたって
その内みんなチャイナに行っちゃいなで、どんどん中国にとられるので
はないだろうか?
後、技術流出も昨今激しい。日本の技術はというけど、ある程度まで
技術が模倣されてしまうと、先端で何をやっても、もう日本は用無しに
なりかねない。プラス輸入大国で農業が廃れて、食糧自給率が低い。
ちょっとしたセーフガードで直ぐにアウトになりかねない、熟れ柿の皮
のような脆弱な状況に立たされている。
典拠・故実に由来する反対意見に以下のようなものがある。
典拠として史記を書経よりも重視するのはおかしい。
書経のみを以て典拠とするべきである。
書経の当該部分は、清代中国における研究によって偽書(偽古文尚書)である事が確定したものであり、典拠として書経をあげるべきではない。
「平」「成」の文字の中に「干(=楯)」「戈(=鉾)」があり「干戈(戦争を意味する)」に通じる。
平治以来「平」ではじまる元号がないのは、
平治が戦役によって混乱した時代であったためであり、
「平」ではじまる元号はこれを避けるのが故実である。
ちなみに元号に「成」が付くのは初めてである。
>安岡の内縁だったのが占い師の細木数子
それはないだろ
>>953 さて、多少調べてみたんだが、大川周明、北一輝、というのは所謂国家主義
者と呼ばれる人たちであるが、人格は多少激烈な所もあったろうが、彼らは
彼らで成程どこか純真な所がある。
大川周明、という人は当時列強支配下にあったインド独立の支援をしていた
という徹底したアジア主義者だったから中々凄い人物であると思う。実行の
思想家、といった所か。日中戦争には反対だったから獄に入れられてるけれど
も、人格としては矢張り常人の度し難い所がある。軍部に接近したと言われて
いるけれども、直接的に何かを為した訳ではないから、時の思想との反発
の為にああいう風に獄に入れられたりしたんだと思う。しかし漢詩を読む
風情はあったそうだ。これは東条さんとか鈴木貫太郎さんとかにもそういう
所がある。
>>955 明治維新なり大東亜戦争なり、きっかけになるテキストというものがある。
それが頼山陽の日本外史であり、浅見絅斎の靖献遺言である。
だから、戦後、GHQは絶版にした。相手側に立てば当然の方策であろうが、
我々にとっては子供だましの方策である。
読んでみると滅茶苦茶面白いからな。元気でるw
今の若者がどうしたらいいかわからない、とかホザくのは古典を読んでいないからだと
有名な経営者が言ってるけど、同意できたな。元気の出る本は読ませない、という相手の
主張がまかり通っているのは絶版処置があるからなのかね。
とにかく俺は知ることができてよかった。今は古本でしか手に入らないっぽい。
安岡正篤の世界で易といっても
易経とか五行易とは全く関係ないよ
占いとか理論とかは関係ない
安岡正篤の名言とか言ってるけど
名言でもなんでもない。
名誉が欲しかったというか
言うほどたいした人間ではない。
>>958 一般に肉体年齢と精神年齢は比例します。
しかし、高齢でも精神的未熟な人がいますし、
若者でも年齢不相応な高尚な人格をもってる人もいます。
安岡氏も一人の人間であり、完全な人間、特別な人間などいません。氏も然り。
適度な距離感を持ちながら、読む姿勢が良いと思います。
昔も今だって変わらない。いつの時代でも刹那的生き方を好む人がいますから。
ただ現代人は、人間が本来持つ感性や情操に情愛などが、希薄になりつつあると感じます。
一燈を掲げて、一隅を照らしていきましょう。ハフハフ
960
安岡氏が大きな郵便局になっていると言えるんじゃないかな。大川周明もにたように書いているが、重要だ。
無数の手紙が届いている。
どこに届くべきかわからない手紙たちが。僕たちはどこからか届けられたかわからない手紙たちに偶然のように出会い、読み、もしかしたら書くのかもしれません。そして、つぶやく。
>>961 もう少し、最新の幕末・維新の専門書を読んでみてはどうでしょうか?
江戸の蓄積が、維新へ結びついているなどという簡単な議論な史実では
ありません。それから、安岡氏の陽明学の学問的な評価は研究者の間では、
0です。彼の著作は、一口に言えば、漢籍でこういうことが書かれています。
それをこういう風にあなたの生活に活かしなさいと分かり易く書いているだけの
人です。歴代首相の指南役なんていってますが、漢文が読めた岸信介は、
安岡なんて相手にしてませんよ。(弟の佐藤栄作は、漢文が読めなく安岡に
色々聞いていたようですがね)
てst
私自身は安岡にあまり魅かれません。というより、所謂右翼とか民族派保守にも魅かれなくなってきました。
天皇に対する崇敬、靖国神社に祀られている「英霊」に対する尊崇の念もなくなりました。
今、『天皇と日本のナショナリズム_神保・宮台マル激トーク・オン・デマンドIV』を読み終わったところです。
この本の中で宮台氏は「国民統合のシンボル」として天皇が機能しなくなってきた、天皇なしのナショナリズムなど考えられない、
というようなことを言っています。「天皇制」がなくなってしまえば、日本は大混乱に陥るらしいです。
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15
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おはいいう
970
夏菜
松島奈々子
妖怪ベム
┐( ̄ヘ ̄)┌
975
クヨプニダ
あにょはしぇほ
くろーん
とんぎゃんご
ぷんぬげ
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