>>192 >基準は日本の明治維新レベルの改革はok
明治維新を美化してるな
明治維新は日本人の心の崩壊の序曲だった
http://blog.goo.ne.jp/kintaro-chance/e/e1ea6a8b26bdb94e4084308d48a82c97 ただし、いちばん大きな壁は、西洋文明の背後にあるキリスト教の存在だった。
蘭学、儒学、国学を捨てることはできても、キリスト教文化をそのまま導入するのは容易ではない。
そこで、明治政府が行なったのは、キリスト教文化の代わりに「万継一世の天皇制」を思想文化に充てることだった。
具体的には、神仏習合の結びつきをといて「神」と「仏」をバラバラに分離し、“神社の統廃合”を行なった。
聖徳太子の手による神と仏の習合は、ここでついにエンドとなる。
これに伴い、各地にあった多くの神社が壊され、大きな神社などに統合されていった。
しかし、生活のごく身近にあった神社が姿を消すとなると、住人にとっては一大事である。
それまで神社は地域のコミュニティーとして機能しており、村の文化の拠点となっていた。
村人たちは何かというとそこで寄り合い、子供が生まれれば神主さんに頼んで子供の命名もしてもらえた。
つまり、近くにあるだけで安心を得られる「心のより所」が地域の神社だったのだ。
その場所が突然なくなってしまえばどうなるか?
精神的支柱がいきなりそがれてしまうわけで、その喪失感は計り知れない。
喪失したのはそれだけではない。
神社は村の水田にとって“鎮守の森”としての役割を果たし、災害から守ってくれる神様として存在していた。
その森が壊されれば、“生態系破壊”という悪循環が起こってしまう。
森の木々を伐採することで自然のリズムが乱されてしまったわけだ。
神社の統廃合は、単に神社という形がなくなるだけではなく、「人心破壊」と「生態系破壊」という、多大な損害をもたらした。
心と環境の破壊が同時に行なわれたのだ。
博物学、生物学者として知られる南方熊楠は、いち早く鎮守の森を破壊することの危険性を指摘したが、
当時の官僚にはエコロジーなどという概念はなく、聞き入れられなかったという。
小さなコミュニティーの崩壊、さらには「廃藩置県」による藩という最大のコミュニティーの破壊は、
人々の心に大打撃を与えたはずである。しかも……。
神仏分離の結果、神道はその後“政治的祭祀”として用いられるようになり、仏教は“葬式仏教”となり、徐々に形骸化していく。
神仏がバラバラになり、日本人の心から離れていった。
さらに、家庭の弱体化が追い討ちをかける。
神仏が心から離れ、儒教という世俗的道徳が消え、神社や藩というコミュニティーが消え、
頼みの綱の家庭という居場所まで壊れていけばどうなるか。
明治維新の功罪を考えたとき、決して肯定も否定もできないが、精神性の堕落の根本的な原因はやはりここにある。
富国強兵策が精神性の退化のスピードを早めてしまったことは確かなのである。
神社雑感
http://www.mumyouan.com/k/?T3031 神社についての雑談
http://www.mumyouan.com/k/?S32 例えば廃仏毀釈一つを取ってみても、その弊害たるや想像を絶する規模だ
それでも総計的に利益があればOKか?