では、他力とは一体どんな意味なのかといいますと、
親鸞聖人が、『教行信証』に明示されていますように、阿弥陀仏の本願力のみを他力というのです。
他力の語源は仏教なのですから仏教の意味にしたがわなければなりません。ですから、他力の他は阿弥陀仏のことに限るのです。
それでは阿弥陀仏の本願力とは、どんなお力なのか。
これについても親鸞聖人は『和讃』に「無明長夜の闇を破し、衆生の志願を満てたまう」力であると鮮明に教えていられます。
即ち、阿弥陀仏の本願力とは、我々の暗い心(苦悩のたえない心)を打ち破って日本晴れの大安心にするお力であり、
我々の一切の志願を満たして大満足心で生きぬけるようにして下されるお力であり、それをまた、他力というのです。
世間一般では他力を常識的に解釈して、自分の力以外を総て他力と思って、太陽の働きや、雨や風や空気、その他自然の働きや、
自分以外の人間の力など総てを他力だと心得ていますが、とんでもない他力間違いです。
なぜなら、もし太陽やその他の自然現象を総て他力としますと、
阿弥陀仏が、時によっては干ばつで人間を苦しませることになります。
地震によって我々の生命を奪ったり、台風で人命をおびやかしたり、
財産を失わせたりする呪うべき、ニクムべき、悪魔になることがあるということになります。
これらのことを総て 他力、阿弥陀仏のお力とすることは、
とんでもない大慈大悲の阿弥陀仏に対する濡れ衣であり、大変な冒涜といわねばなりません。
これらは自然の力であり、人間の力と言うべきもので、絶対に他力といってはなりません。
勿論、これら自然の力や人々の協力の恵みに対して感謝の気持ちをもつことは結構なことではありますが、
これを阿弥陀仏のお力と思ってはなりません。
浄土真宗 親鸞会
ttp://www.shinrankai.or.jp/b/shinsyu/infoshinsyu/qa0405.htm