■松村潔について■part24

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12仏学徒一回生

「他力本願の本当の意味はどんなことなのか 」

Q 僕は、仏教は大切なものだとは思っていますが、他力の仏教はきらいです。
他の力にすがらなければ生きてゆけないような無気力な宗教は、我々青年の意気をそ ぐものではないでしょうか。
しかし、親鸞聖人のたくましい一生を聞くと、他力とはどんなものか分からなくなってしまいます。
他力本願の本当の意味はどんなことでしょうか。



A 君のようなことを思って、真実の仏法(他力)を誤解している人は非常に多いと思います。
余りにも君のような質問を多く受けるからです。
みんな他力というと「他人のふんどしで相撲をとる」ことのように考えたり「他人の提灯で明かりを求める」ことのように思っています。
力のない人間が力のある人間に助けを求める依存心だと思っているのでしょう。
新聞などにも堂々と「他力本願ではいけない、自力更生でなければならぬ」と書きたてていますのも
その証拠ですし、また、そのような記事を読んでもなんの不審も疑惑も感じる人のいないのも、その証拠です。
13仏学徒一回生:2008/09/10(水) 17:10:59 ID:zA2M4JzX

では、他力とは一体どんな意味なのかといいますと、
親鸞聖人が、『教行信証』に明示されていますように、阿弥陀仏の本願力のみを他力というのです。
他力の語源は仏教なのですから仏教の意味にしたがわなければなりません。ですから、他力の他は阿弥陀仏のことに限るのです。

それでは阿弥陀仏の本願力とは、どんなお力なのか。
これについても親鸞聖人は『和讃』に「無明長夜の闇を破し、衆生の志願を満てたまう」力であると鮮明に教えていられます。
即ち、阿弥陀仏の本願力とは、我々の暗い心(苦悩のたえない心)を打ち破って日本晴れの大安心にするお力であり、
我々の一切の志願を満たして大満足心で生きぬけるようにして下されるお力であり、それをまた、他力というのです。

世間一般では他力を常識的に解釈して、自分の力以外を総て他力と思って、太陽の働きや、雨や風や空気、その他自然の働きや、
自分以外の人間の力など総てを他力だと心得ていますが、とんでもない他力間違いです。

なぜなら、もし太陽やその他の自然現象を総て他力としますと、
阿弥陀仏が、時によっては干ばつで人間を苦しませることになります。
地震によって我々の生命を奪ったり、台風で人命をおびやかしたり、
財産を失わせたりする呪うべき、ニクムべき、悪魔になることがあるということになります。

これらのことを総て 他力、阿弥陀仏のお力とすることは、
とんでもない大慈大悲の阿弥陀仏に対する濡れ衣であり、大変な冒涜といわねばなりません。
これらは自然の力であり、人間の力と言うべきもので、絶対に他力といってはなりません。
勿論、これら自然の力や人々の協力の恵みに対して感謝の気持ちをもつことは結構なことではありますが、
これを阿弥陀仏のお力と思ってはなりません。


浄土真宗 親鸞会
ttp://www.shinrankai.or.jp/b/shinsyu/infoshinsyu/qa0405.htm
14名無しさん@占い修業中:2008/09/10(水) 17:15:00 ID:w7G6x2SC
とまあ、インドの仏教とは似ても似つかないへんーな仏教を信仰してるのがへんーな国ニッポン
15名無しさん@占い修業中:2008/09/10(水) 17:24:55 ID:0hl5ciLt
>>14
オイオイ原理主義か
16仏学徒一回生:2008/09/10(水) 18:22:12 ID:zA2M4JzX
他人まかせ、成り行きまかせ、という意味での使用は、
「他力本願」本来の意味の誤用から転じ、一般化したものです。
他力とは阿弥陀仏の働きの(力)を指しています。
敬虔な浄土教の門徒の人々は、このように誤用され一般化された表現を嫌います。


仏教は釈迦が経典を残さなかったことから、弟子たちによって広められた宗教です。
ブッダの出発点は「人生の苦をどうすれば解決することができるのか」という問いにあった。
ブッダ入滅後、保守派「上座部」と進歩派「大衆部」に根本分裂し、さらにその後も分裂は続く。
「大衆部」は、後の「大乗仏教」の萌芽とされている。(日本はこれ)

平安末期から鎌倉時代にかけて戦乱が続き、人々は末法到来の思いを深め宗教に救いを求めた。
この時代に大乗仏教に改良を加えたものが出てきます。
支配階層のためのものだった仏教が、鎌倉新仏教の担い手たちによって、
一般大衆に受け入れられ日本に根付いていった。日本史上仏教が最も繁栄した時代。

鎌倉新仏教開拓者の法然は、大衆に受け入れられ「浄土宗」を急速に発展させた。
法然の弟子の親鸞は「浄土真宗」を、一遍は親鸞の教えをさらにすすめ「時宗」を独立。
他、「日蓮宗」、座禅を中心とする「臨済宗」や「曹洞宗」などがある。

そうなんです。実は日本の仏教は釈迦の教えとは、なんか違っているんです。
でも、禅宗の教えは釈迦の教えに近いとはいわれているようです。