皇族を占う 第4控え室

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898名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 09:24:14 ID:???
899名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 10:41:39 ID:???

>喜久子妃は佳子さまを御懐妊されていた紀子妃が
>「東宮家を差し置いて・・・」とか避難されたいた時に

 ↓論より証拠  逆恨み写真
 恐るべし雅子  男子封印 渾身の歯科医師

554 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/06/30(土) 16:08:16 ID:xSknIgKa0
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20060611080921.jpg

この写真ですか…

561 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/06/30(土) 16:12:53 ID:/5iIG7Mc0

皇太子妃があんな顔してあらわれたんじゃあねぇ。
紀子様のバッシングは雅子妃自ら煽動したと言っても過言ではない気がする。
皇室に、しかも皇太子妃として嫁いでおきながら、なんて愚かな態度。
自分は子作りを先延ばしにしてたくせに、そんな態度とれるなんて
雅子妃はまさに人格障害。
皇室には不要どころか害悪しかもたらさない存在。
900名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 10:47:11 ID:???
>>882
>またアンチ雅子のコピペ投下が始まった

そりゃ困るよなあ 何セ
「全部事実の検証」になってしまうんだからw

901名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 11:44:22 ID:???
666 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/06/30(土) 18:17:42 ID:OTacCLE20

紀子妃殿下が佳子内親王を
ご懐妊なさった時、雅子さんが
様々な席で「この度はおめでとうございます。」
と言われて自分ではないと否定するのがつらかった…て、
話しかけた方の主語はぜっっっっっったい
「紀子妃殿下」だよね。
知り合いの義妹が妊娠した聞かされたら、普通の常識人なら
社交辞令のひとつとして「おめでとう。」をいう。
「わたしじゃありません。」って返された方も
「はあ?」目が点だよ。

681 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/06/30(土) 18:36:03 ID:k4Ds4Zsg0
雅子ってまともな親戚付き合いが無いから、
身内が妊娠した時の対応とか、素で分からないのかも知れない。
(それでも常識があれば無難な対応が出来るはずだけどね)
だから「懐妊したのはアテクシじゃないのに、何でみんなアテクシにお祝い言うのよ!?」と
腹立てたんだと思う。

902名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 11:54:37 ID:???
836 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/06/30(土) 21:50:56 ID:BNMplBfF0
>>818
がんだとわかったときに、陛下が今後のことを相談したいから、とおっしゃっても皇太子は行かなかったとアカピ岩井記者の著書で暴露されていましたよね。
こんな皇太子ってあり?
これで陛下は病気と闘おう!このままでは死ねない!と思われたんだと推察してます。
で、想定外に回復された陛下に東宮&外戚があわてたと。

個人的にはポリープが悪性でも自業自得ダロって思ってますよ。
でもここの奥様たちは優しい心根の方が多いから・・・・・。

843 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/06/30(土) 21:59:51 ID:kZuO9MO40
>>837
陛下がお召しになったのに、応じなかった。
けど、その理由が陛下のご病状のご説明だったと知って、ボンクラ夫婦はかなり慌てた。
その後陛下に接見賜ろうとしたけれど、お忙しすぎる陛下のお時間が取れず、叶わなかった。

ここから先はウロなんだけど、雅子は陛下がお会いになるお時間を作ってくださらなかった事に、
腹を立てなかったっけ?確か、そんな記憶がある。
畜生道、まっしぐらだなと。
903名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 11:55:54 ID:???

847 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/06/30(土) 22:09:29 ID:gGjfPaIF0
>お忙しすぎる陛下のお時間が取れず

両陛下のスケジュールは分刻みなのに、雅子さんは遅刻してきて長居する。
どんなに長居されても両陛下はだまって雅子さんにあわしているのに、
雅子さんは今現在まで遅刻癖は治らない。彼女がバカにしきっている
アフリカ諸国の時間感覚と同じだね。あ、もちろん、両陛下とアポをとる
アフリカ諸国の方々は、時間かっきりにお出ましになり、時間かっきりに
退出されます。
904名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 11:56:41 ID:???
850 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/06/30(土) 22:12:01 ID:T18j9cFu0
今、皇后の御養蚕の事が知りたくてWikiを見ていたら、次のような
美智子皇后のお言葉を見つけました。
「皇室の時代による変化の尺度を判断するのは皇位継承に連なる人々であり、
 配偶者や家族であってはならないと思います。」
平成六年、美智子皇后の還暦記者会見でのお言葉だそうです。
当時、皇太子殿下はご結婚されていましたよね。
今読むと、すご〜〜く含蓄のあるお言葉で、当時から何らかの齟齬があった
ことを思わせます。
前後の会見文書を読んでいないので、軽々しくは判断できませんが。

905名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 12:05:26 ID:???
883 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/06/30(土) 22:43:57 ID:xKcbB5l60
>>843
>雅子は陛下がお会いになるお時間を作ってくださらなかった事に、
>腹を立てなかったっけ?

丼のほうで参内したいというから陛下(両陛下?)が
お忙しい中、勿体無くも時間をつくって下さったのに
一時間近くお待たせ(!)した。(多分、理由は大したことでは無いだろう)
陛下は次の御公務がおありだったため、丼に会ってやれなかった
というエピソードがありませんでしたっけ…
906名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 13:15:51 ID:???
おばさん達、くだらないおしゃべりはいいから
占い版に誰か戻して下さいませ。
907名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 13:21:09 ID:???
>>895 さま
894です。調べてくださりありがとうございます。説明不足で非常に申し訳ない。
喜久子妃が紀子妃を励ましたソースを出しているのではありません。

喜久子妃が愛子内親王御誕生に際して寄稿なさっていて、雅子妃がお礼を述べている。
寄稿文の中で、内親王が天皇に御即位遊ばすのは歴史を鑑みても不自然ではないこと、ということも仰っている。
でも、愛子様を喜久子妃に会わせなかった。それは、文中にある
「好もしい出産の順序として,俗に『一姫二太郎』とも申します」
などと、第二子誕生を御希望する文章が書いてあることが、雅子妃には気に入らなかった?と思った次第です。

誤解を招いてしまい失礼致しました。
908名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 13:47:51 ID:???
第3控え室の102=245である、本スレ第十七帖19で皇后陛下祖父のWikiによる粗末なデータ提供をしてしまった者です。
調べてきました。

皇后陛下の祖父
正田貞一郎:明治3年2月28日(1870年3月29日) 横浜生まれ
(ソース:『美智子皇后と雅子妃』 p.91 文春新書 2005年
 西暦の誕生日は、『大正人名辞典U下巻』(「大衆人事録」昭和3年版(帝国秘密探偵社 昭和2年刊)の改題復刻) 日本図書センター 1989年)

2歳の時に父作次郎が亡くなり、妻の幸は、幼い貞一郎をつれて館林に帰り、作次郎の父、文右衛門のもとに寄留した、と書いてあります。
また、ソースの中に

昭和二十五年、日清製粉の五十周年記念式典における談話のなかで、貞一郎は館林出身とされることに抵抗して、「私は上州っ子ではなくて、或る意味からいうとむしろ、浜っ子というべきかもしれないのであります。田舎っ子ではなくて都会っ子なのであります」と語っている。
(『正田貞一郎小伝』)

と引用しています。あまり関係ないも知れませんが、没日は以下の通り。キリスト教形式と分かります。

正田貞一郎:昭和36年(1961年)11月9日 04時51分 文京区小日向台町1ノ22(自宅)
告別式は、13日午前11時〜12時、千代田区紀尾井町 聖イグナチオ教会で
(ソース:朝日新聞 昭和36年11月9日 夕刊)
909908:2007/07/02(月) 14:17:55 ID:???
本スレ第十七帖13の正田富美子さんのデータにソースがなかったので、一応調べてみました。
(ソースがないのに誰もツッこんでないのは、調査済みなのかどうか私には判らなかったので。)
今の所、不明でした。

正田富美子:明治42年 生日生時不明 上海生まれ
(ソース:『美智子皇后と雅子妃』 p.101 文春新書 2005年)

没日も掲載します。
正田富美子:昭和63年5月28日 23時03分 中央区(聖路加国際病院)

昭和56年に「冨美」から「富美子」と改名。上海生まれ、佐賀県出身。
(ソース:朝日新聞 昭和63年5月29日)

調査不足ですみません。
当初の目的は果たしたのでROMに戻りますが、正田富美子さんの生日が見つからないのが気になるので、何か見つけたら報告いたします。
占いの方、いつも拝見しております。元気にご活躍されますようお祈りいたします。
910名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 14:46:55 ID:???
今度、正田家も占ってみるよ。資料ありがとん。
911名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 18:58:16 ID:???
>>909
いつもありがとうございます。
912909:2007/07/02(月) 19:13:16 ID:???
余談。当時の上海は英国の植民地です。
占いと関係ないですが、正田家と黒田家(紀宮様のご降嫁先)は偶然というかつながりがあるようです。

正田富美子さんの実父 福島綱雄:江商(後の兼松江商、現兼松)の上海支店長
黒田慶樹さんの祖父:上海貿易の会長

福島綱雄氏は佐賀県多久市出身、江頭豊氏も佐賀出身、と書いてありました。
(こちらは個人的にあまり嬉しくない縁ですなぁ。)

(ソース:『美智子皇后と雅子妃』 p.101-102 文春新書 2005年)

ソースになかった黒田慶樹さんの祖父の名は、黒田慶太郎(明治15年生)です。
『系図でみる近現代』HPの 第29回 黒田家 より。
この回の家系図は、週刊新潮11月25日号(2004年か)『祖父が上海の「棉花紳士」だった「黒田家の家柄」』、
文藝春秋2005年1月号、満州人名辞典でまとめられた、と書いてあります。
913912:2007/07/02(月) 19:30:54 ID:???
追記ばかりですみません。もう1つ引用。正田家の家風がよくわかります。

ご成婚に先立ってのインタビューで、正田家について「英国風の質素なご家庭という評判がありますが」という質問に対して富美子は
「主人が派手なことを好みませんし、私が生まれましたのが、当時イギリスの植民地であった上海で、したがって英国風の気風が非常に強いところで育ちました。
小学校のころ英語のおケイコに通いましたのも修道院でございました。大変地味で、きびしい教育で”海外の日本人”という意識も強く、厳格に育てられました」
と答えている(『週間読売』昭和三十三年十二月二十一日号)。

(ソース:『美智子皇后と雅子妃』 p.102 文春新書 2005年)

正田貞一郎氏も倹約家であったようですし、正田家の家風が美智子妃を通じて紀宮様に引き継がれた感が、私としては思います。
いい加減ROMに戻ります。
914名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 19:33:04 ID:???
>>907
げっ、一姫二太郎だなんて、「次は男の子を産むのよ!わかってるわね!」と
言ってるようなものじゃん。雅子さまのお心が傷つくのも無理ないわ。
産後の母親はデリケートだからね…無神経な姑(的存在)から
愛する子供を守りたいと思うのは当然。
915名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 20:08:42 ID:???
皇族といっても、そこらの下世話なおばちゃんと大して変わらないんですね。
気高く繊細な雅子さまが馴染めなかったのも、仕方ないと思います。
916名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 20:15:01 ID:???
>げっ、一姫二太郎だなんて、「次は男の子を産むのよ!わかってるわね!」と
>言ってるようなものじゃん。

実際そういう意味だしw
にもかかわらず、女系推進派はこの発言を指して、皇族の中には女系を
押している人もいるとする根拠にしているのよね。笑止千万w
ただし、喜久子さまが愛子さまの誕生を心からお喜びになり、誕生後すぐに
歌を詠まれたのも事実です。

雅子さまに男子誕生を期待するのは、皇統の維持という点から当然のことでしょう。
喜久子さまのお母さんは有栖川宮の姫だしね。
女帝を認めている各国王室においても、いざというときのことを考えて
皇太子妃は最低2人子供を産むのは義務ですから(実際、現在の各国王室を
見渡しても、子供を1人しか産んでいないのは雅子さんだけ)雅子さんは
世襲制の皇室に嫁ぎ子供を生むことが求められて当然の結婚をしたという
ことを忘れるべきではない。
917名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 20:43:43 ID:???
鬼女板で相手にされないからって何もこんなとこまで来なくてもいいのに
162 可愛い奥様 sage 2007/07/02(月) 17:34:52 ID:VIjERFflO
アエラ外出だったらスマソ
川島侍従長のことがあったので
・5・15事件で曾祖父の犬飼毅が暗殺されたことから、戦前の軍国主義への嫌悪感があった
・皇室外交を政治的転換に使うべきではないが持論だが、日本や皇室の存在感を外交で印象づけたい
・バルト三国欧州訪問の絵を書いたのは川島氏
・最初はスウェーデンとイギリスのみが訪問目的だったが、間にみっちりリトアニア、エストニア、ラトビアを詰め込んだ
・外交的には対ロ牽制として外務省関係者には評価高し
・7月のモンゴル訪問も絵図面ひいたのは川島氏
・御所側から雅子批判が出るのを止めるのが川島氏の課題

モンゴル行く気満々だったんだわ〜丼www
しかし露骨だよねぇ
バルトであれだけギッチリ癌で闘病中の陛下にスケジュール組んどいて
丼参加予定だったモンゴルのスカッスカなこと(笑
川島体制が誰のために動いてるかわかりすぎるほどわかるわ
918名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 20:58:55 ID:???
ここは何のスレですか。
コピペばかり、いい加減にしてください。
919名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 21:43:30 ID:???
雅子さまは苦しむ人、傷ついた人の気持ちがわかる素晴らしい皇后陛下に
なられるでしょうね。歴史に残る、いや史上最高の賢く美しい皇后陛下を
戴くことのできる私たちは本当に幸せだと思います。
920名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 21:50:47 ID:???
919
イヤミもそこまで言うと・・・
それともどこかナナメ読みすんの?
921名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 21:54:52 ID:???
>919
頭縦読みで「まな板だ?」
とやってしまった自分アホス。「さ」が挟まって成立しなかった。
922名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 22:07:39 ID:???
本スレに今日来ている四柱推命はおかしいのが混じってますね・・・
923名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 22:24:29 ID:???
>>919
雅子さまは、人には無神経ですよ。
924名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 22:51:56 ID:???
>>922
頑張って勉強したつもりが
生半可で論破されまくり。
しかし単なる馬鹿嵐よりはましだと思う。
次回、ガンガレ。
925名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 23:17:26 ID:???
◆このスレのルール◆
・アンチ・マンセーの感情で占断や占い師を理不尽に攻撃しないこと
926名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 23:31:01 ID:???
皇太子一家の悪く言うために占ってる鬼女スレ
927908:2007/07/02(月) 23:32:23 ID:???
もう一度確認のために貼ります

第3控え室の102=245である、本スレ第十七帖19で皇后陛下祖父のWikiによる粗末なデータ提供をしてしまった者です。
調べてきました。

皇后陛下の祖父
正田貞一郎:明治3年2月28日(1870年3月29日) 横浜生まれ
(ソース:『美智子皇后と雅子妃』 p.91 文春新書 2005年
 西暦の誕生日は、『大正人名辞典U下巻』(「大衆人事録」昭和3年版(帝国秘密探偵社 昭和2年刊)の改題復刻) 日本図書センター 1989年)

2歳の時に父作次郎が亡くなり、妻の幸は、幼い貞一郎をつれて館林に帰り、作次郎の父、文右衛門のもとに寄留した、と書いてあります。
また、ソースの中に

昭和二十五年、日清製粉の五十周年記念式典における談話のなかで、貞一郎は館林出身とされることに抵抗して、「私は上州っ子ではなくて、或る意味からいうとむしろ、浜っ子というべきかもしれないのであります。田舎っ子ではなくて都会っ子なのであります」と語っている。
(『正田貞一郎小伝』)

と引用しています。あまり関係ないも知れませんが、没日は以下の通り。キリスト教形式と分かります。

正田貞一郎:昭和36年(1961年)11月9日 04時51分 文京区小日向台町1ノ22(自宅)
告別式は、13日午前11時〜12時、千代田区紀尾井町 聖イグナチオ教会で
(ソース:朝日新聞 昭和36年11月9日 夕刊)
928908:2007/07/02(月) 23:33:01 ID:???
本スレ第十七帖13の正田富美子さんのデータにソースがなかったので、一応調べてみました。
(ソースがないのに誰もツッこんでないのは、調査済みなのかどうか私には判らなかったので。)
今の所、不明でした。

正田富美子:明治42年 生日生時不明 上海生まれ
(ソース:『美智子皇后と雅子妃』 p.101 文春新書 2005年)

没日も掲載します。
正田富美子:昭和63年5月28日 23時03分 中央区(聖路加国際病院)

昭和56年に「冨美」から「富美子」と改名。上海生まれ、佐賀県出身。
(ソース:朝日新聞 昭和63年5月29日)

調査不足ですみません。
当初の目的は果たしたのでROMに戻りますが、正田富美子さんの生日が見つからないのが気になるので、何か見つけたら報告いたします。
占いの方、いつも薄笑いして拝見しております。元気にご活躍されますようお祈りいたします。
929908:2007/07/02(月) 23:33:36 ID:???
余談。当時の上海は英国の植民地です。
占いと関係ないですが、正田家と黒田家(紀宮様のご降嫁先)は偶然というかつながりがあるようです。

正田富美子さんの実父 福島綱雄:江商(後の兼松江商、現兼松)の上海支店長
黒田慶樹さんの祖父:上海貿易の会長

福島綱雄氏は佐賀県多久市出身、江頭豊氏も佐賀出身、と書いてありました。
(こちらは個人的にあまり嬉しくない縁ですなぁ。)

(ソース:『美智子皇后と雅子妃』 p.101-102 文春新書 2005年)

ソースになかった黒田慶樹さんの祖父の名は、黒田慶太郎(明治15年生)です。
『系図でみる近現代』HPの 第29回 黒田家 より。
この回の家系図は、週刊新潮11月25日号(2004年か)『祖父が上海の「棉花紳士」だった「黒田家の家柄」』、
文藝春秋2005年1月号、満州人名辞典でまとめられた、と書いてあります。
930908:2007/07/02(月) 23:34:19 ID:???
追記ばかりですみません。もう1つ引用。正田家の家風がよくわかります。

ご成婚に先立ってのインタビューで、正田家について「英国風の質素なご家庭という評判がありますが」という質問に対して富美子は
「主人が派手なことを好みませんし、私が生まれましたのが、当時イギリスの植民地であった上海で、したがって英国風の気風が非常に強いところで育ちました。
小学校のころ英語のおケイコに通いましたのも修道院でございました。大変地味で、きびしい教育で”海外の日本人”という意識も強く、厳格に育てられました」
と答えている(『週間読売』昭和三十三年十二月二十一日号)。

(ソース:『美智子皇后と雅子妃』 p.102 文春新書 2005年)

正田貞一郎氏も倹約家であったようですし、正田家の家風が美智子妃を通じて紀宮様に引き継がれた感が、私としては思います。
また再び貼って申し訳ありません。
931908:2007/07/02(月) 23:35:18 ID:???
もう一度確認のために貼ります

第3控え室の102=245である、本スレ第十七帖19で皇后陛下祖父のWikiによる粗末なデータ提供をしてしまった者です。
調べてきました。

皇后陛下の祖父
正田貞一郎:明治3年2月28日(1870年3月29日) 横浜生まれ
(ソース:『美智子皇后と雅子妃』 p.91 文春新書 2005年
 西暦の誕生日は、『大正人名辞典U下巻』(「大衆人事録」昭和3年版(帝国秘密探偵社 昭和2年刊)の改題復刻) 日本図書センター 1989年)

2歳の時に父作次郎が亡くなり、妻の幸は、幼い貞一郎をつれて館林に帰り、作次郎の父、文右衛門のもとに寄留した、と書いてあります。
また、ソースの中に

昭和二十五年、日清製粉の五十周年記念式典における談話のなかで、貞一郎は館林出身とされることに抵抗して、「私は上州っ子ではなくて、或る意味からいうとむしろ、浜っ子というべきかもしれないのであります。田舎っ子ではなくて都会っ子なのであります」と語っている。
(『正田貞一郎小伝』)

と引用しています。あまり関係ないも知れませんが、没日は以下の通り。キリスト教形式と分かります。

正田貞一郎:昭和36年(1961年)11月9日 04時51分 文京区小日向台町1ノ22(自宅)
告別式は、13日午前11時〜12時、千代田区紀尾井町 聖イグナチオ教会で
(ソース:朝日新聞 昭和36年11月9日 夕刊)
932908:2007/07/02(月) 23:35:57 ID:???
本スレ第十七帖13の正田富美子さんのデータにソースがなかったので、一応調べてみました。
(ソースがないのに誰もツッこんでないのは、調査済みなのかどうか私には判らなかったので。)
今の所、不明でした。

正田富美子:明治42年 生日生時不明 上海生まれ
(ソース:『美智子皇后と雅子妃』 p.101 文春新書 2005年)

没日も掲載します。
正田富美子:昭和63年5月28日 23時03分 中央区(聖路加国際病院)

昭和56年に「冨美」から「富美子」と改名。上海生まれ、佐賀県出身。
(ソース:朝日新聞 昭和63年5月29日)

調査不足ですみません。
当初の目的は果たしたのでROMに戻りますが、正田富美子さんの生日が見つからないのが気になるので、何か見つけたら報告いたします。
占いの方、いつも大笑いして拝見しております。元気にご活躍されますようお祈りいたします。
933908:2007/07/02(月) 23:36:54 ID:???
余談。当時の上海は英国の植民地です。
占いと関係ないですが、正田家と黒田家(紀宮様のご降嫁先)は偶然というかつながりがあるようです。

正田富美子さんの実父 福島綱雄:江商(後の兼松江商、現兼松)の上海支店長
黒田慶樹さんの祖父:上海貿易の会長

福島綱雄氏は佐賀県多久市出身、江頭豊氏も佐賀出身、と書いてありました。
(こちらは個人的にあまり嬉しくない縁ですなぁ。)

(ソース:『美智子皇后と雅子妃』 p.101-102 文春新書 2005年)

ソースになかった黒田慶樹さんの祖父の名は、黒田慶太郎(明治15年生)です。
『系図でみる近現代』HPの 第29回 黒田家 より。
この回の家系図は、週刊新潮1月25日号(2004年か)『祖父が上海の「棉花紳士」だった「黒田家の家柄」』、
文藝春秋2005年1月号、満州人名辞典でまとめられた、と書いてあります。
934908:2007/07/02(月) 23:37:35 ID:???
追記ばかりですみません。もう1つ引用。正田家の家風がよくわかります。

ご成婚に先立ってのインタビューで、正田家について「英国風の質素なご家庭という評判がありますが」という質問に対して富美子は
「主人が派手なことを好みませんし、私が生まれましたのが、当時イギリスの植民地であった上海で、したがって英国風の気風が非常に強いところで育ちました。
小学校のころ英語のおケイコに通いましたのも修道院でございました。大変地味で、きびしい教育で”海外の日本人”という意識も強く、厳格に育てられました」
と答えている(『週間読売』昭和三十三年十二月二十一日号)。

(ソース:『美智子皇后と雅子妃』 p.102 文春新書 2005年)

正田貞一郎氏も倹約家であったようですし、正田家の家風が美智子妃を通じて紀宮様に引き継がれた感が、私としては思います。
繰り返し貼って返す言葉もありません。
935名無しさん@占い修業中:2007/07/02(月) 23:44:51 ID:???
908さんとは別人ですね・・・
936名無しさん@占い修業中:2007/07/03(火) 00:11:28 ID:???
皇后陛下のご母堂、冨美子さんは『副島綱雄』氏のご息女です。
副島綱雄氏の誕生はまだ調べていませんが、亡くなった時の記事はメモしてあります。
1941年11月27日21:45、淀橋区戸塚 享年61歳
ソース「新聞に見る人物大事典」毎日新聞社
937名無しさん@占い修業中:2007/07/03(火) 01:10:13 ID:???
疑われているのでもう一度確認のために貼ります

第3控え室の102=245である、本スレ第十七帖19で皇后陛下祖父のWikiによる粗末なデータ提供をしてしまった者です。
調べてきました。

皇后陛下の祖父
正田貞一郎:明治3年2月28日(1870年3月29日) 横浜生まれ
(ソース:『美智子皇后と雅子妃』 p.91 文春新書 2005年
 西暦の誕生日は、『大正人名辞典U下巻』(「大衆人事録」昭和3年版(帝国秘密探偵社 昭和2年刊)の改題復刻) 日本図書センター 1989年)

2歳の時に父作次郎が亡くなり、妻の幸は、幼い貞一郎をつれて館林に帰り、作次郎の父、文右衛門のもとに寄留した、と書いてあります。
また、ソースの中に

昭和二十五年、日清製粉の五十周年記念式典における談話のなかで、貞一郎は館林出身とされることに抵抗して、「私は上州っ子ではなくて、或る意味からいうとむしろ、浜っ子というべきかもしれないのであります。田舎っ子ではなくて都会っ子なのであります」と語っている。
(『正田貞一郎小伝』)

と引用しています。あまり関係ないも知れませんが、没日は以下の通り。キリスト教形式と分かります。

正田貞一郎:昭和36年(1961年)11月9日 04時51分 文京区小日向台町1ノ22(自宅)
告別式は、13日午前11時〜12時、千代田区紀尾井町 聖イグナチオ教会で
(ソース:朝日新聞 昭和36年11月9日 夕刊)
938908:2007/07/03(火) 01:11:04 ID:???
本スレ第十七帖13の正田富美子さんのデータにソースがなかったので、一応調べてみました。
(ソースがないのに誰もツッこんでないのは、調査済みなのかどうか私には判らなかったので。)
今の所、不明でした。

正田富美子:明治42年 生日生時不明 上海生まれ
(ソース:『美智子皇后と雅子妃』 p.101 文春新書 2005年)

没日も掲載します。
正田富美子:昭和63年5月28日 23時03分 中央区(聖路加国際病院)

昭和56年に「冨美」から「富美子」と改名。上海生まれ、佐賀県出身。
(ソース:朝日新聞 昭和63年5月29日)

調査不足ですみません。
当初の目的は果たしたのでROMに戻りますが、正田富美子さんの生日が見つからないのが気になるので、何か見つけたら報告いたします。
占いの方、いつも失笑して拝見しております。元気にご活躍されますようお祈りいたします。
939908:2007/07/03(火) 01:11:48 ID:???
余談。当時の上海は英国の植民地です。
占いと関係ないですが、正田家と黒田家(紀宮様のご降嫁先)は偶然というかつながりがあるようです。

正田富美子さんの実父 福島綱雄:江商(後の兼松江商、現兼松)の上海支店長
黒田慶樹さんの祖父:上海貿易の会長

福島綱雄氏は佐賀県多久市出身、江頭豊氏も佐賀出身、と書いてありました。
(こちらは個人的にあまり嬉しくない縁ですなぁ。)

(ソース:『美智子皇后と雅子妃』 p.101-102 文春新書 2005年)

ソースになかった黒田慶樹さんの祖父の名は、黒田慶太郎(明治15年生)です。
『系図でみる近現代』HPの 第29回 黒田家 より。
この回の家系図は、週刊新潮1月25日号(2004年か)『祖父が上海の「棉花紳士」だった「黒田家の家柄」』、
文藝春秋2005年1月号、満州人名辞典でまとめられた、と書いてあります。
940908:2007/07/03(火) 01:12:22 ID:???
追記ばかりですみません。もう1つ引用。正田家の家風がよくわかります。

ご成婚に先立ってのインタビューで、正田家について「英国風の質素なご家庭という評判がありますが」という質問に対して富美子は
「主人が派手なことを好みませんし、私が生まれましたのが、当時イギリスの植民地であった上海で、したがって英国風の気風が非常に強いところで育ちました。
小学校のころ英語のおケイコに通いましたのも修道院でございました。大変地味で、きびしい教育で”海外の日本人”という意識も強く、厳格に育てられました」
と答えている(『週間読売』昭和三十三年十二月二十一日号)。

(ソース:『美智子皇后と雅子妃』 p.102 文春新書 2005年)

正田貞一郎氏も倹約家であったようですし、正田家の家風が美智子妃を通じて紀宮様に引き継がれた感が、私としては思います。
信頼されなくて悲しく返す言葉もありません。
941名無しさん@占い修業中:2007/07/03(火) 07:03:37 ID:???
こういう風に嵐に利用されてしまうから、スレ違い長文引用もほどほどにね。
942名無しさん@占い修業中:2007/07/03(火) 08:41:23 ID:???
376 名前: 本当にあった怖い名無し [sage] 投稿日: 2007/07/02(月) 15:16:24 ID:DE79e33i0
自分は器のない者は即位できないというオカルトを信じる。
資格のない者に親王は授からないというオカルトも同様。

384 名前: 本当にあった怖い名無し [sage] 投稿日: 2007/07/02(月) 15:50:23 ID:DE79e33i0
このスレでは御所車炎上中ということになっているけど
私はそうは思わない。
全然燃えてなんかいないし、それどころか皇太子は既に
乗り込み完了していると思う。
早くて年内、遅くても二年以内に、はっきりした形で
それが公になると思う。
943名無しさん@占い修業中:2007/07/03(火) 08:56:39 ID:???
その人はなんか見えてるんじゃなくって
自分はそう思うーーーと妄想を開陳してるだけみたいだよ。
944名無しさん@占い修業中:2007/07/03(火) 09:19:33 ID:???
>>943
んだね。

占い板が占いと現実をすりあわせていくように、
オカルト板は現実をオカルトとすりあわせるものなので、
942の中身がはっきりと現実になった時点でID:DE79e33i0は
伝説のオカルトさんになれると思う。
今はまだ願望書いてみましたって域に止まってるね。
945名無しさん@占い修業中:2007/07/03(火) 09:27:39 ID:???
さて、占いの話をしようよ
946名無しさん@占い修業中:2007/07/03(火) 09:51:59 ID:???
マサコさんの天王星にt木星がトラインになるときに、いい変化をおこせ
ないものだろうか。
1室天王星→現状を変える必要もないのに自分からその種をつくりやすい
または、「まわりをふりまわす」。そういう自覚は、本人は多分ほとんど
もっていないだろうけど。
いい意味で変化をおこせるチャンスだと思う。今の流れをばっさりかえら
れるかもしれない。
947名無しさん@占い修業中
雅子様はリゲルサインがメインだけどこのサインの人は自分の考えにとらわれすぎる傾向があって
それで一番大事な時に、自らチャンスとか可能性をつぶす場合があるんだよね。でもリゲルをはさんでいる前後のサインはプライドの高さと名誉や名声を得ることができるサインなので
華やかな世界で成功する可能性は高い星なんだよな。
だから紀子様みたいに雅子様もなじんで、国民から愛される皇后になれる可能性もないわけじゃない。
だけど、リゲルサインの人はかなり切磋琢磨しないと成功しないんだよな。
自堕落してるとだめなんだよ。
最近、タロットの占い師達が不倫疑惑があるっていってるのも理解できるし、あたってるかもね。
リゲルサインはミザールの影響も受けるんだけど、ミザールサインの影響がある女性は
天王星や冥王星の影響下にあるときは、不倫とか三角関係に陥りやすいんだよね。
天王星や冥王星の星からのエネルギーで女の性としての衝動が倍増されるからなんだけど
去年の2月頃から天王星がサインに影響与えてるから
だから慎重さと堅実な努力が必要なんだよね。
自分を律して戒めることができれば大成する星なんだけどな。