何だかもめてる様なので命式出した。
時上傷官だと言い張る方、出生時間間違えてませんか?
徳仁親王妃雅子
1963年12月9日 22:37 東京都港区(虎ノ門病院)
年:癸卯乙 木 正官 印綬 長生 沐浴 辰巳
月:甲子壬 水 偏印 偏官 沐浴 胎 戌亥
日:丙戌戊 金火土 −− 食神 墓 墓 午未
時:庚子癸 水 偏財 正官 死 胎 辰巳
とり急ぎelfin四柱推命命式計算サービスを利用した。
諸派により蔵干の出し方は違うが、干支は同じ。
干合による変化は書いてないので、各自で出して下さい。
>>866 己 丙 甲 癸
亥 戌 子 卯
傷官 偏印 正官
絶 墓 胎 沐浴
戊 辛 壬 甲
食神 正財 偏官 偏印
支合
>>866 おそらく過去において検討された問題とおもわれるが、
自分の計算サービスを使うと、22時34分までが己傷官とでる。
その差、3分。実に微妙。。。
『[ご成婚記念] 皇太子殿下と雅子さま 「結婚の儀」から武蔵野陵参拝まで』
(毎日新聞社)
小和田家のルーツは新潟県村上市。祖先は村上藩内藤家の藩士だったとい
われている。
村上藩六代目村上信敦の家臣として、一七八七(天明七)年に記された「内藤
家分限帳」に小和田新六の名がある。禄高は「弐人扶持三両」。
また、新六という人物については「村上藩武術史」にも記載があり、武術に秀で
ていたらしく、柔術の「村上藩制剛法」印可を受けたとある。
この新六の孫が、雅子さまの曽祖父・金吉氏だというのが有力な説である。ただ
し、小和田氏は下級武士であったためか、金吉氏の父も含めて、金吉氏以前の系
譜ははっきりしない。
871 :
861:2007/07/02(月) 23:38:49 ID:???
雅子さんの命式です。
■蔵干算出法[全て余気〜正気を考慮] 空亡: 午未
年柱 癸 卯 甲 正官 偏印 沐浴
月柱 甲 子 壬 偏印 偏官 胎
日柱 丙 戌 辛 --- 正財 墓
時柱 庚 子 壬 偏財 偏官 胎
松浦平吉=B説こそ2ch発のデマ。
現有田川市の旧清水地区に同和地区は存在しない。
そのことは、既に色んな板で論破されている。
松浦家の真言宗の寺には、代々の過去帳も存在する。
一方、小和田家は金吉以前の系譜は分からない。
菩提寺も村上市の西真寺か新潟の泉性寺なのかも分からない。
江頭家に到っては、雅子妃の高祖父・江頭嘉蔵の生年も没年も、
出自も全く分からない。
江頭家の菩提寺がどこなのかも分かっていない。
出自が怪しいというのなら、間違いなく雅子妃の方だ。
つ都市時差(東京23区内+19分)&均時差(12/9、約+7分)
>>781 ネット上ではそうなのかも知れないが、朝日、読売、毎日の各紙では
杉本嘉吉氏は、元満鉄の技術者で脊椎矯正の器具を発明、特許を
取り指圧療法院を営んでいた、とはっきり書いてある。
肩書きも「元整体士」と書かれている。
川嶋庄一郎の肩書きについては、「学習院の教授と初等科長を兼任した
後、滋賀、奈良、佐賀の師範学校長を務めた後、和歌山県の教育の最高
責任者である視学になった」と説明されている。
それに対して、雅子妃の曽祖父・小和田金吉氏に関しては、私の所蔵する
皇室本では全く経歴が書かれていない。
江頭嘉蔵については「佐賀藩士」の肩書きがつけられているが、江頭嘉蔵が
佐賀藩士だという史料は全く存在しない。
しかも、江頭嘉蔵が旧制佐賀中学の用務員であったことは、どの本にも全く
書かれていない。
一体、どちらの系図が粉飾が多い提灯持ち記事だろうか?
しつこく人様の家系を語ってるのってなぜ?
生まれながらの皇族からしたら平民も部落民も一緒だろうに。
家系拘りバカは巣へ帰れ
つまり、小和田家は金吉の父の名も分からない。
母方の江頭家は、高祖父の出自も分からないってことですね。
紀子妃の方の系図は、偽りのない経歴を載せているけど、
雅子妃の高祖父は経歴が判然としない。
母方の高祖父である江頭嘉蔵については、中学の用務員である
ことを載せずに「佐賀藩士」だとチョーチン記事を書いていると。。
小和田家の先祖話はもうおなか一杯。
金吉さんの父親がわかっていたとしても、所詮は下横目クラスの下級武士
だったわけでしょ。
下級武士なんて侍とは言えない身分じゃないw
山屋も江頭も小和田も、よく言えば貧しい暮らしの中頑張って這い上がって
きた立身出世の人。悪く言えば成り上がり。
これは間違いないでしょ。
今日の荒らしは他のスレにも迷惑かけに行ってる。
四柱推命・総合スレッドに全部コピペしてる。
自分が占いできないからってよそのスレに迷惑かけるなんてあきれる。
いい加減スレ違いやめてくれ
>昭和62年11月に毅夫氏、恒氏の両夫妻が墓参に訪れたときに対面した細工町の
>小和田豊春さんが、「私のところは道助の兄弟の勝治から分家している」と説
>明したところ、毅夫氏も、「うちも道助から出ているんです」と語ったという。
細工町っていうのは、村上市では士族の住む地域じゃないんだよ。
文字通り職人の住む地域。
小和田豊春さんは大工。その弟の昭三さんは左官。
しかし、彼らはマスコミには一切登場しなかった。
皇太子妃の親戚が、大工と左官ではマズイという判断だったのだろうか?
紀子妃の高祖父の実家・松浦家が頻繁にマスコミで紹介されたのとは、対照的だ。
一体どちらの系図が粉飾、誤魔化しが多かったのだろう?
>>875 美智子さんの結婚については、
皇族が庶民と結婚するというのは、そのころでは、
庶民が、被差別部落の人と結婚する、というのと
同じくらいの、まぁ殆どあり得ない、というものだったと、
聞いたことがあります。
>>874 唯一川口素生が『小和田家の歴史』の中で江頭嘉蔵が、中学校の小使いである
と述べているよ。
死ねよ
出自より出生時間
すげー荒らし
どんだけ〜
>>878 下横目って長州藩の中間の出の山縣有朋が、16歳のときに初めて就いた役目なんだよね。
山縣の伝記本では、「下横目というのは市中の見回りをする微賎な役目」だったと説明さ
れている。
川口素生『小和田家の歴史』
さて、江頭豊氏の祖父・嘉蔵氏は明治維新までは肥前佐賀藩主・鍋島家の家臣
であったといわれる。ところが、明治初年の二種類の佐賀藩 侍着到(註=現代の
出勤簿に相当)には嘉蔵氏の名が見えない。これについて、豊氏の甥(優美子さん
のいとこ)にあたる作家の江藤淳(本名江頭淳夫)氏は、嘉蔵氏は佐賀藩の「手明
鑓」と呼ばれるクラスの藩士ではなかったかと推測している。「手明槍」は平時は無
役だが、戦時には槍や具足を携えて戦場に赴く者たちを指す。江戸時代中期以降
は無役だった「手明鑓」も藩の役職に採用されたし、幕末維新期には多くが鉄砲を
担当して活躍したといわれる。ただ、嘉蔵氏以前の系図や史料が現存していないた
め、嘉蔵氏が「手明鑓」か否かを含めて、ルーツや俸禄などはまったくわからない。
明治維新前後、嘉蔵氏は家族とともに肥前佐賀郡北川副村木原(現=佐賀市北川
副町木原)に移り住んだ。
( 中 略 )
範貞少年、安太郎少年が学齢期を迎えた頃、父・嘉蔵氏は旧制県立佐賀中学校
(現=佐賀県立佐賀西高等学校)に子使として勤務していた。
嘉蔵氏の生年はわからないが、安太郎少年が生まれた頃、すでに四十数歳であっ
たといわれる。
>>888 私の持っている皇室本では、どれも「佐賀藩士」だと書かれているぞ。
紀子妃の曽祖父・川嶋庄一郎は、学習院の「教授を務めた後に、各地の師範学校長に就き
和歌山県の視学。
雅子妃の曽祖父・小和田金吉の経歴は?
ご成婚当時の新聞や雑誌にも紹介されなかったけど。
>>890 私の持っている、毎日新聞のご成婚記念写真集記載の「小和田家系図」にも、
小和田金吉の経歴は全く記されていない。
金吉から上の系図の記載も無し。
892 :
名無しさん@占い修業中:2007/07/03(火) 00:41:21 ID:7hxCLUYQ
電波入ってるし、高度な議論なのでレスしにくいが、
国境なき医師団になるには、医師の資格が必要だよね。
すまん、スレ違い。
結局こういうスレチなレス見てると占いより皇室そのものに執着してるアンチのバトルなんだよね
>>891 曽祖父の素性もハッキリしないんだよ。
ある本では税務署の職員とあるのに、別の本では盲学校の教師だった
と書いてある。
新聞等に載った家系図では、小和田金吉の経歴の記載は一切無し。
895 :
名無しさん@占い修業中:2007/07/03(火) 00:51:05 ID:7hxCLUYQ
脊椎矯正、か・・・・
おばさん早くマンコ洗って寝ろよ
川口素生『小和田家の歴史』
江頭嘉蔵氏の次男・安太郎氏が雅子妃殿下の曽祖父にあたる。江藤淳氏が『一
族再会』〔第一部〕(講談社)に引用しているが、当時の生徒(のち代議士)の回顧
録のなかに「木原村出身の人で親切な小使」として嘉蔵氏が登場するという。やが
て、安太郎少年は父が小使としてつとめているこの佐賀中学校の門をくぐることに
なる。この頃の佐賀中学校には授業料の減免制度や教科書の貸与制度などがあ
った。いずれも余裕のない家庭の生徒をおもんぱかっての制度であるが、在学中に
父・嘉蔵氏が物故(明治十二年=一八七九年十月二日)した安太郎少年も、当然、
この制度の恩恵を受けたものと思われる。
スレチ話延々する人や嵐ってどんな人たち?
剣女王R 融通が利かない、強情(やめろといっても聞かない) 人を批判して人も自分も傷つける
金貨10 安定した生活 贈与、金品の贈り物 それなりの暮らしをしているか、金もらってやってるか。
悪魔 悪意のある言動をする 金銭・物質に執着する 乱れた異性関係
どんな目的でやってるの?
杯2 共感する つい話題にのってしまう
棒王R 衝動的 独善的・横暴 自分の気に食わない話題・占断にむかついて荒らす。
剣5 人を傷つける 元々荒らす目的。
複数対象だから、どれかに(もしくは複数項目)当てはまる、という感じ。
まんますぎて笑った。
まとめて透明あぼーんにするとさっぱりするわ。
>木原村出身の人で親切な小使
親切な小使いかぁ。。
家系図話は興味深いけどここではすれ違いなので、
鬼女板にでも移動してくれないかな。
>>900 それか日本史板あたり
家系図とか古文書に詳しい人がぞろぞろいて
検証してくれるんじゃないかな
>>898 杯2と金貨10は、いいカードだな。
でも、スレ違いはよくないってことで、面白かった。
903 :
名無しさん@占い修業中:2007/07/03(火) 01:08:43 ID:xbiibSo5
試験管親王ヒサヒトの占いマダー?
やっぱり無理やり作られてるから一生人にいいように
操られちゃう運命な希ガス
904 :
名無しさん@占い修業中:2007/07/03(火) 01:18:54 ID:sPNdLX9/
電波入ってるし、高度な議論なのでレスしにくいが、
付属池田小学校乱入無差別殺傷事件の犯人・宅間守は、
元小学校の小使いだよね。
すまん、スレ違い。
やはり皇太子妃の高祖父が中学の小使いであるのはマズイ、という
マスコミの自主規制だったのかな?
衝動性の強い人間は、操りやすいな。
反省しつつ。
河原敏明『皇太子妃雅子さま』
訪れたのは小和田豊春氏。市内には小和田姓は三軒あるが、一軒は旧藩と関係
なく戦後移住してきた人。あと一軒は豊春氏の弟だが、昨年大晦日に他界している。
豊春氏は市内の細工町に住むが、本籍は村上市本町三八〇。雅子さんの父恒氏も
また三八〇番地なのである。
六十一年に恒氏夫妻が両親とこの村上に来たとき、豊春氏は亡弟の昭三氏ととも
に旅館を訪ねている。
「道助の子孫です……」
と名乗ると、恒氏も、
「うちもそうです」
と初対面の挨拶を交わした。そして、
「東京に来たら寄ってください」
と外務省の名刺の裏に、目黒区の自宅の住所を書いてくれた。
「だからって、行けやしないですよ。行ったら追っ払われちゃうよ、ハハハハッ」
と豊春氏は大きな腹をゆすった。大工の豊春氏と左官の昭三氏は、相手が偉すぎて
気おくれがし、ろくに口もきけずに終わったという。
>>906 川口素生も古文書に残る小和田姓を無理やり繋ぎつけて家系図らしき
ものを作成したけど、江頭に関する史料は全く無い。
コジつけの家系図すら作れないんだよ。
>>874 >江頭嘉蔵については「佐賀藩士」の肩書きがつけられているが
藩士の肩書きがあれば警察官とか郵便関係にはなっていると思うんだけどね。
それが用務員でしょ???なんか変。
さて、占いの話をしようよ
福迫女史、退職らしいね
タロットで「辞めるんじゃ?」って読んでた人いたよね
どこに出てたかな〜。
検証ヨロ。
愛ちゃんが心配だ。
なんのかんの言われてはいても福迫さんは愛ちゃんの心の母。
福迫さん退職で愛ちゃんの精神状態になにか悪い影響がなければいいんだが。