内藤文穏先生についてpart2

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391名無しさん@占い修業中
内藤さんがちはらで遁甲風水術秘伝を出した昭和54年の暮頃だったと思うけど
高島さんのお弟子さんから内藤さんのは気学の挨星卦だということは聞いた。
ということは高島さんはこの時点ですでに内藤さんの挨星卦と同じものを知って
いたことになる。

そしてそれはおそらくもう少し前のことだろう。
内藤さんが本を出してすぐに自分が知ってる気学の挨星卦だということは考え
られない。
内藤さんは表にしか出しておらず、その易卦の象意も自分なりの言葉に変えて
書いてるので一見しただけでそれが気学の挨星卦と気付くには高島さんがマスター
している必然性があるので少なくとも昭和54年以前に高島さんは気学の挨星卦
を知っていたのだろう。
日本の気学家の中でこれを編み出した人かどうかは別にして知っていた人は
他にいただろうから昭和50年頃には高島さんは知っていたと考えるほうが自然。

内藤さんが出版前に高島さんのを知っていたかどうかはわからないけど、前の
レスにある符使式遁甲(原書のもの)時に知ってたとあるからその前の気学
を習っていた十年にそこで習ったものというのがほぼ間違いないということ
だろう。

中国の古典に高島さんと同じ気学の挨星卦が記載されてるものはないだろう
から内藤さんのやりかたはちょっと問題といえると思う。