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江原氏の正体:
◆◆◆週刊文春◆◆◆
江原氏が経営する「スピリチュアリズム研究所」で、かつてスタッフとして働いていたA子さんが語る。
「今まで江原さんの言は話したことがありません、なぜなら思い出すだけでもあの頃の精神的肉体的な
苦痛が甦ってきて、トラウマになっているからです。本当は胸にずっとしまっておくつもりでした。
ただ、最近江原さんがテレビや雑誌などで道徳を説いているのを見て、彼の本当の姿を伝えなければと思いました。
「江原さんは暴力的傾向がとても強い方で、常に私達スタッフを怒鳴り散らし、怒ってモノを投げたり、
手で思いきり叩いたり、胸を突き飛ばしたり、足で蹴飛ばしたり、ひどい暴行を繰り返していたんです」
現在40代のA子さんが江原氏と知り合ったのは二十年ほど前。
江原氏が和光大学を中退し心霊研究に没頭していた頃で、江原氏の引越しを手伝ったのがきっかけだった。
当時江原氏は、多摩センターの「三光苑」なる心霊相談所で霊能者をやっていた。
そこにA子さんが相談者として通ううち、江原氏から頼まれボランティアを始めたという。
その後いったん途絶えたものの、87年に自宅アパートで心霊相談を始めると、再び
奉仕するようになった。A子さんは語る「その頃私は昼の仕事をしてたのですが、
仕事が終わった後、江原さんのところに通ってました。最初はお茶だしだけの手伝いという
ことだったのですが、だんだん事務的な仕事もやらされ、最終的には研修会というイベントの
仕切り役をさせられました。仕事が増えていったんです」。
仕事は5時半くらいから遅い時は終電までで、深夜タクシーで帰る事もたびたびあったとか。
1万数千円のタクシー代は自腹だった。仕事内容は、事務全般の他に
炊事、洗濯、掃除や風呂焚き、猫の世話など江原氏の私生活の雑用も主な日課だった。
土日は終日、平日もほぼ毎日通った。
「7年間続けました。無報酬でした。お金の話をすると彼は怒ります。給料をくださいと
言える雰囲気ではありませんでした。トイレットペーパー、ティッシュ、ボールペン、コピー紙、
惣菜などを買っていくと、江原さんは「その費用は計上してないから払えない」と
突き返しました。結局全額持ち出しになってました」。
週刊文春 3月2日号より