ニャース・ML キテガイリスト 21人目

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24名無しさん@お腹いっぱい。
日本人が知らない“在日韓国・朝鮮人の優遇制度”
●五箇条の御誓文
簡単に言うと、在日朝鮮人で商売をしている人は自分達で作っている商工会で、税金関係の問題を処理していいということであり経費の認定も自分達で勝手にできる。
国税庁ノータッチ。つまり脱税し放題。だからこそ商売人には金持ちが多く、それを北に送金して貧乏な北朝鮮がミサイルを開発できたのである。

●在日韓国朝鮮人の就業率と生活保護
日本に永住する在日韓国・朝鮮人の実に約64万人中、約46万人が無職である。
生活保護を受けているのはおよそ14万2千人。
約18人に1人は生活保護受給者であり彼らの生活費は日本人の税金によって賄われている。
彼らは被差別者どころか日本人とは比べ物にならないほど恵まれた特権階級である。
帰化申請を嫌がるのは帰化してしまうと既得権(五箇条御誓文・生活保護等)を全て失うからである。

彼らが外国人参政権を求めているのは、
特権階級としての既得権を失わないまま日本に内政干渉することである。
http://www.geocities.com/hinomarukimigayo2004/

在日が要求し実現したもの、まだしていないもの
25名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/24(日) 01:58:21
1890年(明治23年)9月16日、トルコ皇帝ハミル2世が日本に派遣した特使一行を乗せたエルトゥール号が、帰路、暴風雨に遭い、和歌山県串本町沖合で岩礁に衝突し遭難するという事故が起きた。
 この事故で、特使を含む518名は死亡したが、死を免れた69名は、地元民の手厚い救護により、一命を取り留めた。この時村人たちは、台風により漁ができなく、自分たちの食べるものさえ無くなって
しまうという状況にあったにもかかわらず、非常時のために飼っていた、最後に残ったにわとりまでも、トルコ人に食べさせ介護したのだった。また、遭難者の遺体を引き上げ、丁重に葬った。
 この話は、和歌山県知事から明治天皇に伝えられた。その後遭難者たちは明治天皇の命により軍艦2隻でトルコに送り届けられた。このことは、日本中に大きな衝撃を与えた。
 この話に同情した「山田寅次郎」なる人物が、一民間人として新聞社などの協力を得ながら全国を歩いて義捐金を集め、それを携えてトルコに渡った。 1892年4月4日、イスタンブールに
上陸した山田は、外務大臣サイド・パシャに義捐金を手渡し、皇帝アビドゥル・ハミト2世に拝謁した。山田寅次郎はトルコ側の要請で、そのままトルコに留まり、日本語を教えるとともに、
日本とトルコの友好親善に尽くした。この時の教え子の中に、後にトルコ共和国初代大統領となる、ケマル・パシャ(アタチュルク)がいた。
26名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/24(日) 01:59:10
 時代は下って、イラン・イラク戦争が始まった、1985年3月17日、イラクのサ
ダム・フセインが「今から40時間後に、イランの上空を飛ぶ飛行機を打ち落と
す」ということを世界に向かって発信した。イランに住んでいた日本人は、慌
ててテヘラン空港に向かったが、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。
世界各国は自国民の救出をするために救援機を出したが、日本政府はすばやい
決定ができなかった。空港にいた日本人は、パニックに陥った。 そこに1機の
トルコ航空の飛行機が到着した。トルコ航空の飛行機は日本人216名全員を乗せ
て、成田に向かって飛び立った。タイムリミットの、1時間15分前であった。な
ぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかった。こ
の時、元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。
「エルトゥール号の事故に際して、日本人がなしてくださった献身的な救助活
動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、歴史教科書で
学びました。トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥール号の事を知っていま
す。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を
助けようと、トルコ航空機が飛んだのです」