日記観察 その陸

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830名無しさん@お腹いっぱい。
大韓列島(The Islands of Great Korea)

三韓時代に、百済王族が始めて国家を建設した列島。
7世紀後半には、百済本国が新羅による韓半島統一のあおりを受け、滅亡するが、
列島に残った百済王族は残り、列島に「倭国」統一王朝を形成するに至る。
8世紀には、「社禝」を意味するnaraを建設。これが、後世の「奈良」の地名の起こりとなる。
12世紀には、表面上、百済王家の力は弱まるが、武官級の王族が権力を握ることにより、
実質的には、百済王家の支配は継続して続いた。
ただ、15世紀中期には、今まで家畜扱いされてきた現地の倭奴が内乱を起こし、
従来、平和だった倭国に戦乱が続くようになった。
この時、倭奴出身の有力者・豊臣秀吉が、不法にも韓半島内に攻め入る事態が生じた(倭乱)。
ただ、この倭奴出身の無法者が死ぬと、再び王制回帰への流れが起き、
百済王族の一派(既に、姓は倭化して「徳川」を名乗っていたが)が内乱を収めて平和な統治を回復した。
だが、失われた韓文化は倭国内では、もはや回復できず、
この百済王族の懇請によって実現したのが「朝鮮通信使」である。
この、よみがえった韓文化により、倭国は長い平和の世を謳歌したのである。

だが、19世紀後半、この百済王朝が滅亡すると、再び倭奴の謀略が始まった。
周辺諸国の了解を取り付けるため、形式上、百済日王家(天皇家)を復活させたが、
その実態は、再び、倭奴・豊臣秀吉の方針に立ち返った、侵略的なもので、
この時、既に国際的に認知されていた「大韓列島」の名称を否定し、「日本列島」という偽称を唱えるに至った。
そして、「大日本帝国」という偽国家を建設し、無法にも、韓半島に攻め込み、「主人の国」を侵したのだ。

だが、国際社会は、この人間に劣る倭奴の暴虐を看過せず、1945年、この偽国家は解体した。
そして、それ以後は、再び「大韓列島」の名称が国際的に認知されるに至った。
ただ、1952年に再び形成された偽国家・「日本」は、「日本列島」の偽称復活の策謀をめぐらしており、
油断は出来ない。
尚、1945年以来、大韓民国は大韓列島を領有し、国際的にも認知されているが、
武力を捨てた筈の偽国家・「日本国」による不法占拠状態が、今まで継続している。