日記観察 その陸

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819名無しさん@お腹いっぱい。

東洋最古の天文台「瞻星台」は、西暦647年に新羅の首都慶州に建てられた。日本はこれに倣って
28年後の675年に占星台を建てた。百済の青銅鋳造技術と建築技術は日本の寺院や王宮を建てる
土台になったし、新羅の医学は日本医学の基礎になった。

科学技術史を専攻して日本で在日韓国人教育を担当している著者は、我が国が日本に伝えた科学
技術を具体的な事例をもって集中的に照明する。金属活字、陶磁器、衣服、造船や製鉄技術などの
朝鮮半島の科学技術は、日本の文明を作り上げた。「ハイテク」は現代用語だが、過去でも技術革新
が世の中を変えたことは現在と特に違わない。

日本語にまだ残っている韓国語の跡は、古代の先端科学技術が朝鮮半島から日本に伝えられたこと
を証明する。古代日本語でガラスを「るり」と言う(訳注:韓国語でガラスは「ユリ」。漢字で書くと「琉璃」)。
日本が誇る正倉院のガラス瓶は、新羅古墳で出土したガラス瓶とまったく同じ模様をしている。土器を
焼く「カマ」を日本でも「かま」と呼ぶ。日本の関西地方では、炭火を使う大きな火ばちを「くど」と言うが、
これは韓国語の「煙突(クールットゥッ)」から始まった。韓国語の「モンミョン」(訳注:漢字で書くと「木棉」)
は「もめん」に変わった。

食べ物と衣服の文化も我が国から日本にたくさん伝わった。日本の「どぶろく」のルーツは朝鮮半島
南部から伝来したマッコリだ。日本で昔の味噌は「こまびしお(高麗醤)」という。日本式の茶道文化は、
高麗で盛んだったな茶礼が伝わったものだ。絹や木綿など織物技術も朝鮮半島から伝来した。万葉集
では、愛する恋人に「からころも(韓衣)」を着せてやりたいと言うほどだ。

歴史的な話を盛り込んでいるが、随筆のように易しく読ませる。家と建築、土器と磁器、農耕と釀造、
薬物と医学、印刷技術、武器と火薬などにテーマを分けて100項目を盛りこんており、各項目あたり
3ページを超えておらず退屈ではない。青少年たちには、我が国の歴史に対する愛情を土台として、
前向きな未来展望を設計することができるようにする。もちろん過去に我が国が日本に及ぼした影響を
自慢で思うことだけが能ではないだろう。韓国刊行物倫理委員会の青少年推薦図書に選定された。