577 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :
2005/05/08(日) 11:19:57 「ペリリューの複雑極まる防備に打ち克つには、米国の歴史における他のどんな上陸作戦にも見られなかった最高の戦闘損害比率(約四〇 パーセント〉を甘受しなければならなかった。既に制海権制空権を持っていた米軍が、死傷者あわせて一万人を超える犠牲者を出して、 この島を占領したことは、今もって疑問である」 というほどの激しい戦闘にかかわらず現地住民はひとりも死んではいないのです。ペリリュー島には、それまで現地住民が住んでいまし た。日本軍としては、住民を戦火に巻き込んではならないという配慮から、船舶の乏しい中、空襲を避けつつ夜間を利用して全員をパラ オ本島に退避させました。 だから最大激戦地で島民の方は一人も死んでいないのです。 そして昭和五十七年五月には、「青年神職南洋群島慰霊巡拝団」によるペリリュー神社を創建しました。御祭神は天照大神と戦死者一 万余名の「護国の英霊」です。現在、神社前の左の掲示板には、ペリリュー島のイサオ・シゲオ尊長(そんちょう)によってこの趣旨が 書かれています。そして右の掲示板には、戦闘の経過が要約され、米国公刊戦史に載っているとして、次の詩的な一文で結ばれています 。
578 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/05/08(日) 11:20:26
「この島を訪れる、もろもろの国の旅人たちよ。あなたが日本の国を通過することあらば伝えてほしい。此の島を死んで守った日本軍守 備隊の勇気と祖国を憶うその心根を……」 原文は Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island. ペリュリュ−島にある慰霊碑には 「諸国から訪れる旅人たちよ この島を守る為に日本軍人が いかに勇敢な愛国心を持って戦い 玉砕したかをつたえられよ。」 米大平洋艦隊司令長官 C.ニミッツ と記されています。 この詩を作ったのは何と敵であった米大平洋艦隊司令長官のニミッツ提督です。 この詩は、戦終ればかつて敵であった日本軍の忠勇武烈ぶりを、このように讃えております。そしてこの島を訪れる旅人に、その勇戦 ぶりを伝えてくれ、と戦死者に代って願っているのです。
579 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/05/08(日) 11:21:08
ましてや、パラオの国定教科書には462ページのうち36ページも「日の丸の旗のもとに」と題されて日本統治時代の事にさかれてい るそうです。日本がパラオを支配するようになった経緯だけでなく、日本の行った学校教育、産業・経済活動等についても詳しく述べら れています。 そして、クニオ・ナカムラ前大統領は、「新しい歴史教科書をつくる会」に賛同する署名もしていて、大統領専用の便箋に記された署名 文書には、心に迫るコメントが添えられています。 <<日本国民と日本人が「どの民族も例外なく持っている自国の正史を回復すべく」努力している活動を支持する。この活動が実を結ぶこ とは、日本の未来の世代をして、偉大なる自国の歴史、伝統、文化に目を見開かせることに積極的な貢献をなすだろう>>