1000レスいくと橋口師の心の叫びが聞こえるスレ

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251小田切総統 ◆V02lzJrpCM
(日刊スポーツ)
08年宝塚記念を勝ったエイシンデピュティを野元厩舎で担当していた甲斐純也調教助手(31)が、今年正月に橋口厩舎へ移籍した。
「この世界に入った限り、一度は働きたいと思っていた」
それは彼にとっての念願だった。同厩舎への思いは父への思いと重なる。
父の故正文さんは、橋口師が厩舎開業して以来のスタッフだった。
「人望があり、厩務員のリーダーだった。少年空手の先生もしていたんだ」と橋口師は思い出を語る。
90年には担当馬ツルマルミマタオーで厩舎初のダービー参戦(4着)をもたらした。
当時、小学生だった純也助手は学校を休み、父について東京競馬場に滞在した。
「ホント感激した」
それ以外にも「よく父について厩舎へ行っていた」少年が、同じ世界を目指すのは自然な流れだった。
だが、彼が牧場で修業を積んでいた01年にダイタクリーヴァを担当していた父が食道ガンで倒れた。
入退院を繰り返した末、リーヴァが二度目の京都金杯勝利を果たした直後に他界。47歳だった。
「屈強な男があんなに早く逝くとは思わなかった」
師にとっても痛恨事だった。
今、息子は来週阪神でデビューするリフトザウイングス(牡2)を担当。ハーツクライ産駒の中でもとりわけ評判の馬だ。
「併走したらすごい根性を出す。2歳馬とすれば完成度が高い」と甲斐助手。8日には坂路で4F51秒7をマークした。
「とにかく、あの子は馬が好き。父親はウチの厩舎で初めてダービーへ行ったから、
今度はお前がこの馬で初めてダービーを勝て、と言っているんだ」と師は言う。
父の、そして師の悲願であるダービー制覇を果たすため、甲斐助手はいつも愛馬の体をピカピカに磨きあげている。