時代の影の中に消えた名馬列伝

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1こんな名無しでは、どうしようもないよ。
第1回 ミスターボーイ 1982年3月8日誕生 2006年4月28日死亡 戦績 笠松8戦7勝 中央43戦8勝 岩手31戦8勝

オグリキャップよりも早く、笠松から鳴り物入りで中央入りした1頭の馬がいた。
だが、現実は厳しかった。笠松で1度しか負けなかった馬が、中央では実に11連敗。馬券にすら絡めない。
12戦目、900万下で辛うじて勝利を挙げた時には、笠松最後の勝利から16ヶ月の年月が流れていた。

しかし、そこからまさしく馬が変わったように成績が上がった。連勝もした。重賞も勝った。終いには、GTで3着に粘るようにまでなった。
平気で2桁着順に沈んでいた馬が、88年の宝塚記念で11着に沈むまでの約2年間、ただの1度も2桁着順を刻むことがなかったのである。
ニッポーテイオーやサッカーボーイなどには全く歯が立たなかったものの、短距離の、馬場不問の名脇役として、快速馬として鳴らしたのである。
逃げのミスターボーイ、追込のホクトヘリオス、牝馬のダイナアクトレスなど、この時代は短距離の名脇役が多かった。

89年、明け8歳(当時)緒戦のマイラーズCこそ3着だったが、その後は大敗続きだったため岩手競馬に移籍。
ここでもやはりダイコウガルダン、スイフトセイダイ、グレートホープといった強豪には歯が立たなかったが、安定した成績を残した。
91年11月23日、北上川大賞典のレース中に故障を発症して競走中止。幸いにして一命を取り止めたものの、ここで競走生命は断たれてしまった。

旧年齢10歳まで走り続け、通算82戦を戦ったミスターボーイ。オトコとしての天寿を全うし、2006年天国へと旅立った。
近親にロジータなど。ダート路線が整備されていれば運命は変わっただろう、と思わされる過去の名馬は数多いが、彼もまたそんな1頭かもしれない。
2こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/02/21(木) 19:53:18 ID:cejurYCB
>>1
おれってすげー


まで読んだ
3こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/02/21(木) 20:03:19 ID:AHraQ+G/
トーワファルコン、ダイワダグラスなんかもいたな。
この頃のCBC賞が一番好きだ。
4こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/02/23(土) 03:13:01 ID:7XyLz7Oa
age
5こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/02/23(土) 04:12:09 ID:YgUpvrMw
第1回 バイバイマイラブ 2002年4月14日誕生  戦績 中央19戦3勝

ダビスタかなんかで作った馬。
一途に追いかけてた女の子からストーカー扱いされたショックで篭ってた頃に作った馬。
下手にフェアリーSを勝ってしまったばっかりに苦難の道へ。
6こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/02/23(土) 09:46:34 ID:ffMF3Ucr
ナリタハヤブサやカリブソングが今の交流時代で走っていたらな。
ダイカツジョンヌもレマーズガールみたいな存在になっていたのかな。
7こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/02/25(月) 06:42:25 ID:dXOdAnqB
あげ
8こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/02/27(水) 14:07:41 ID:hK9UFLSS
age
9こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/02/27(水) 16:56:05 ID:jKYTHABz
たくさんの期待を背負って、サラブレッドはレースを駆ける。
それは時に、その馬自身にしてみれば全く身に覚えがないような期待――血統背景からくるものだったり、それこそ人間たちの勝手な想いだったりする。
祖父に三冠馬がいるという血統背景の下に生まれたこの牡馬は、その雄大な馬格とキラリと光る能力の故に、常に故障と隣り合わせの競走生活を強いられねばならなかった。

父ミホシンザン、母ファイブソロン。父が言わずと知れた二冠馬ならば、母は82年クイーンCで後のエリザベス女王杯馬ビクトリアクラウンを追い詰めた能力の持ち主。
良血ニッポーグランプリを9馬身ちぎり捨てた折り返しの新馬戦。ナリタタイシンを抑えての2番人気に支持されながら、全く競馬にならずにシンガリに沈んだシンザン記念。
激し過ぎる気性。500キロを超える巨体を支える脚元。彼の中には、常に強さと脆さが同居していた。

彼がその強さを世に知らしめたのは、4ヶ月後のNHK杯だった。
2走前の500万下では良血ケイウーマンをナデ斬っていたのだが、肝心の皐月賞では9着に敗れていたこともあり、単勝人気では4番手にとどまった。
圧倒的な人気を集めていたのは、皐月賞で3強「BMW」の一角を崩したはずが、8着降着の憂き目をみたガレオン。
そのガレオンが、人気の一角・グロリークロスの4角競走中止で場内どよめく中、満を持して先頭に立った・・・と思った次の瞬間、あっという間に。父を髣髴とさせる末脚で。
懸命に追いすがるガレオン、サクラチトセオー、トーヨーリファールを嘲笑うかのように、最後は3馬身半の差をつけ彼はゴールに飛び込んだ。

そしてそれが、彼が見せた生涯最後の「豪脚」となった。

ダービー5着の後の16ヶ月の休養。94年天皇賞・秋の後の10ヶ月の休養。順調に使えない日々。脚元との戦い。それは大型馬の、能力の高い馬の宿命でもあった。
ましてや、彼はただのGU1勝馬ではない。シンザンの孫であり、ミホシンザンの息子。父の産駒成績のこともあり、もしかしたら分不相応なほどの期待が彼の背中には・・・。

95年秋。久々の実戦となった朝日CC。1分58秒0の好タイムで重賞2勝目を挙げた彼は、確実に天皇賞に出るための賞金加算を目論んで、毎日王冠に出ることになった。
しかし、待っていたのは雨の重馬場。5着に敗れた彼は、出走順位20位で天皇賞の週を迎えることになった。

毎日王冠ではサクラチトセオーやジェニュインと差のない競馬はできていた。脚元や年齢のことを考えれば、何としてでも天皇賞に出してやりたい・・・。
すると、まずゴールデンアイが、続いてナイスネイチャが回避。関係者の願いが叶ったかに思われた。枠順発表前の出走馬名表には、確かに彼の名前があった。
・・・だがその直後、またもや脚元の爆弾が爆発した。95年10月29日東京11R、2枠3番、出走取り消し。
ナリタブライアンの騎乗依頼を蹴ってまで彼に賭けていた松永幹夫騎手の落胆は、相当なものであったと言う。

ついにターフへの復帰は叶わなかった彼だったが、まず種牡馬として、そして現在では富士山のふもとで乗馬として余生を送っている。
「シンザンの系譜が途絶えてしまった・・・」というのは、それこそ人間たちの勝手な想いであろう。彼は今、いくつもの束縛から解き放たれて、悠々自適の毎日を送っている。


第2回 マイシンザン 1990年3月7日誕生 戦績 12戦4勝 主な勝ち鞍 NHK杯(GU) 朝日CC(GV)
10こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/02/27(水) 19:04:23 ID:NmpBN+gZ
スーパーシンザン
11こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/02/27(水) 21:42:15 ID:g1lzmbTB
95秋天はサクラチトセオー・ジェニュインで決まっているわけだし・・・
マイシンザンの勇姿を観たかった、観てみたかったよ。。。

そんな私のIDは「GT」
12こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/02/27(水) 21:58:49 ID:oeBlxp+X
>>9
「BNW」だべ
13こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/02/27(水) 22:18:16 ID:hq/4N60U
マイシンザンか・・・
この馬の名前を聞くと何故か思い出すのがナムラコクオー
14こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/02/28(木) 00:30:44 ID:nUsxgaNF
>>12
orz
15こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/03/02(日) 13:20:55 ID:N+LLTf5r
あげ
16こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/03/08(土) 05:56:53 ID:b40A1OoE
ミッキーは男だよな
17こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/03/08(土) 07:30:29 ID:tkzr84h8
オレはツルマルツヨシだね。
シンボリルドルフ産駒で、デビューが遅れて故障がちで順調に使われなかった
けど、あっという間に重賞連覇したが、秋の天皇賞で2番人気にまで祭り上げられて
8着惨敗。単なる上がり馬扱いされたのに有馬記念ではグラスワンダー、スペシャルウイーク
テイエムオペラオーの伝説の3頭の叩き合いからたった半馬身差の4着なのに
全く語られず、その後故障して10か月後復帰戦大敗も2戦目の有馬記念4番人気も
故障競走中止。
本当の強さが実証されないまま、露と消えた。トウカイテイオーと並ぶルドルフの
代表産駒だったはずなんだが。
18こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/03/11(火) 10:41:19 ID:7sXKJS8e
マイシンザンからコクオーを連想する人の感覚は、何となくわかる。
俺の場合、コクオーの同期でもあるスターマンも思い出す。
世代のトップに迫りつつも、故障の為に大きい所をモノに出来なかったってトコが共通するのよな…
19名も無き筆者:2008/03/18(火) 00:54:33 ID:EkI4UMKP
age

ぼちぼち、第3回を書いてみようと思っている。
20こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/03/18(火) 01:38:36 ID:NgSGNnFf
オナラコクオー
21こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/03/18(火) 01:45:49 ID:GSoKNPZl
>>19
待ってる
22こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/04/04(金) 05:24:04 ID:hsHl5NrD
>>19
おまいのために保守
23名も無き筆者:2008/04/07(月) 21:32:15 ID:fV3b/elx
風邪が治ったらまた来ます(´・ω・`)

ゴメンナサイ。。
24こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/04/07(月) 21:46:17 ID:oGwT5O+G
風邪、早く治るといいな
25こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/04/08(火) 06:16:15 ID:CeaI5pnN
船橋からジャパンCに参戦した、ロッキータイガー
26名も無き筆者:2008/04/14(月) 20:00:52 ID:RZO6s5dq
1勝馬が桜花賞を制す――。
しかも重賞未出走の、収得賞金400万の馬が勝った桜花賞。
そう聞いて、パッと勝ち馬の名前が浮かぶ人は、そうそういないだろう。

だが、この馬を追い掛けていた人は、別。
私の知り合いにも1人、そんな人間がいる。
そんな人が、今でもまだ競馬を続けているのであれば・・・
毎年、決まって彼女の名前を思い出すんじゃないだろうか。
そう、関東ではちょうど桜が風に舞う季節、桜の花びら散るたびに・・・。

彼女がもし競走生活を全うしていたならば。
果たして、どれほどの人が彼女のことを思い出してくれただろうか。
けれど、今から10年とちょっと前、雨の中で彼女が放った一瞬の輝きは、本当に鮮烈だった。
今をときめく名手が、初めて立つことを許されたGTの大舞台。
1人の騎手の人生を、大きく変えるきっかけとなった1つのレース。
その2馬身とちょっと前方で、先頭でゴールを駆け抜けた爽やかな桜色の香り。

新馬勝ちと2戦目は、ダートの短距離だった。
3戦目、当時芝の1400mだったアネモネSで、2着に飛び込んで掴んだ桜の切符。
キャリア4戦目。芝での勝利はおろか、マイル戦の経験すら無い1勝馬。
父は無名種牡馬。母は1勝馬。母系に目立った活躍馬は1頭も見当たらない。

色々な要素がピタリと重なり合って、彼女は桜の女王になった。
当時の阪神なら致命的であっただろう18番枠も、京都では背中を押してくれた。
そして何よりも、真ん中に馬群が密集する展開を捌いた、テン乗りのヤネの冴え・・・
田原成貴の好騎乗があった。

彼女が1番人気に支持されたのは、2戦目の寒梅賞ただ1度だけである。
勝った桜花賞は7番人気だったし、ダンスパートナーの3着に食い込んだオークスも同じ人気順だった。
2番人気に推されたのも、新馬戦と、翌96年の京都牝馬特別のたった2回。
オークスの後、3戦走って全て複勝圏外の桜花賞馬。
桜花賞と同じ舞台で、人々は今一度桜の女王の復活を期待した。
そして坂の下り。昨夏の悲劇の追憶覚めやらぬ淀の4コーナー・・・・・・

あの桜花賞から4度目の春。
雨のスプリングSを逃げ切ったのは、彼女の全弟だった。
続く皐月賞を競走除外となった彼は、やがて別の舞台に立ち、最後は姉と同じ道を辿った。
何人かの人々と同じように、私の知り合いにも1人、この姉弟を追い掛けていた男がいた。
彼がぶつけていた様々な想い――期待、興奮、そして言葉では言い尽くせぬ絶望。
今での私の記憶の片隅に、確かにそれは残っている。

時は流れ、時代は移ろい、過ちを犯した者もいれば、悔し涙をバネに自らの手で頂点を掴んだ者もいる。
それでも、あの1995年の桜花賞で、爽やかな桜色の香りに歓喜した人々の記憶が色褪せることは、無い。


第3回 ワンダーパフューム 1992年3月7日誕生 1996年1月28日死亡 戦績 9戦2勝 主な勝ち鞍 桜花賞(GT)
27こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/04/14(月) 20:11:05 ID:tQnEUiGd
ワンダーパヒューム
雨中の京都での桜花賞だったね
現地で見てたよ
28age:2008/04/18(金) 21:57:19 ID:zI8qcbgt
あげ
29こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/04/19(土) 09:57:58 ID:QWQdNZPC
ぼちぼち、第4回を読みたいと思っている。
30名も無き筆者:2008/04/25(金) 00:26:01 ID:srDUB8cn
彼女がGTで後のダービー馬の2着に敗れた時。
「やっぱり早熟短距離馬だな」と私は思った。

彼女が1.1倍の支持に応えてGUを勝った時。
「本番では分が悪いだろうな」と私は思った。

彼女が真夏の復帰戦で馬群に沈んだ時。
「競走馬としてはもう終わりかな」と私は思った。

それだけに、彼女がその次のレースで逃げ切り勝ちを収め、GTを勝った時。
私は言葉を失った。
鞍上に「逃げの名手」を迎えて。
生まれて初めて、スタート直後から先頭に立って。
最後まで、後続に影を踏ませることなく。
「かわいい」と形容されていたその走りが、降りしきる雨の中でひときわ輝いて見えた。
どこか幼さの残るあどけないその顔は、泥を浴びた後続との対比で一層かわいらしく見えた。

ぐちゃぐちゃの不良馬場を、1分9秒4という好タイムで彼女は逃げ切った。
己の持つスピードの全てを、極限まで開放して・・・

その後のことについては、敢えて多くは語るまい。
「スピードがあり過ぎて難しい馬」という武豊のコメントも、今となっては虚しく響くのみである。

2008年4月21日。
稀代の快速牝馬は、本当に、あっという間に天国へと駆け上っていった。

どうか安らかに。


第4回 アストンマーチャン 2004年3月5日誕生 2008年4月21日死亡 戦績 11戦5勝
主な勝ち鞍 スプリンターズS(GT)、フィリーズレビュー(GU)、ファンタジーS、小倉2歳S(以上GV)
31こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/04/25(金) 04:47:09 ID:qJNcLDZz
90年代以降みたいに各路線が充実してれば、80年代以前は今なら名馬って呼ばれるべき馬はいくらでもいたはず
32こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/04/28(月) 01:22:53 ID:27ZqH0kP
age
33こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/04/28(月) 02:19:18 ID:ONukGEEq
面白いな
34こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/04/29(火) 02:32:11 ID:o9VK+m9p
第5回も楽しみだ。
35名も無き筆者:2008/04/30(水) 22:54:54 ID:AoXtPxwj
「パンドラの箱」と俗に呼ばれているギリシャ神話をご存知だろうか。
「箱からあらゆる悪い物が出て行ってしまったが、唯一希望だけは残った」と解釈されることが多い、有名な物語である。

しかし、より原文に忠実に訳してみると、もう少し違う意味が見えてくるという。
箱の中に唯一残った物は「未来を全て知ってしまう能力」、いわば「予兆」であり、
この物語は「未来が全て決まっているなどということはない、だから希望があるんだ」と人々に説いている、というのだ。

彼もまた、多くの人々の希望を背に走り続けた1頭だった。

調教師にしてみれば、あの二冠馬以来、久方ぶりにGTを意識させてくれた存在。

騎手にしてみれば、10年以上にわたる騎手生活の中で、おそらく初めてはっきりとGTを意識した存在。

馬主にしてみれば、昨年限りで引退したあの牝馬や、この冬に非業の死を遂げた牡馬の分まで・・・という期待をかけていた存在。

厩舎スタッフにしてみれば、厩務員にしてみれば、ファンにしてみれば・・・・・・

並べて行けば、キリが無い。
そして、そういった数々の期待をかけられるだけの状態に、彼は近付きつつあった。

3年前も、そして去年も・・・日経賞2着をステップにして、あと少しのところまで追い上げた春の天皇賞。
今年もまた、全く同じステップで、同じ舞台に彼は立つはずだった。
日経賞で千切られた相手は、出て来ない。
昨年の覇者は、未だに長いトンネルの中でもがいている。

今年こそ。

彼に関わる人間の誰もが、期待を胸に臨んだ水曜日の追い切り。
ポリトラックでの調整を終えて、ゆっくりと体を洗い、直前輸送の準備へ・・・
かつて繰り返されてきた光景が、今日もまた待っている。

そのはずだった。

人は、「予兆」をはっきりと知ることはできない。
だからこそ、未来は変えられる。そこに、希望がある。
だけど、こんな未来が待っているのであれば・・・

他の全ての希望を失ってでも、こんな未来だけは防ぎたかったのに。

今はただ、安らかに眠れ・・・


第5回 トウショウナイト 2001年5月29日誕生 2008年4月30日死亡 戦績38戦6勝
主な勝ち鞍 アルゼンチン共和国杯(GU)

36こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/04/30(水) 22:59:00 ID:o6CKEdrw
ウェェン
37こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/05/01(木) 08:03:12 ID:TFhqnszW
良スレage
38こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/05/01(木) 08:26:03 ID:qVFh2Gd5
やっぱり書いてたか・・・

生々しい最近の馬よりもっと昔の馬のを読みたい
39こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/05/01(木) 09:59:03 ID:APFDrc3n
面白かった ありがとう。
40こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/05/08(木) 00:11:47 ID:q9YLz5J6
age
41こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/05/12(月) 22:05:07 ID:8JzhHkvj
最近全然ないね
42名も無き筆者:2008/05/12(月) 23:49:02 ID:nS8/x+2v
時間ができたら、また書きます。
少し前の馬を取り上げてみようかな・・・
43こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/05/13(火) 02:32:56 ID:XneJzXIK
頼みます
44こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/05/15(木) 14:16:34 ID:7I2w4JqA
まだか…
45こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/05/16(金) 11:44:57 ID:PSCyXjE3
渇望
46こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/05/16(金) 13:32:46 ID:WMAaISg7
エルコンドルパサー
47名も無き筆者:2008/05/17(土) 01:14:09 ID:c8ALX9yK
今週末、書けたら書きますね。
48こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/05/17(土) 01:16:58 ID:SBpCS5J2
>>17
ツルマルツヨシは一命はとりとめたものの、自身も現役中苦しめられた血液疾患が遺伝性で、
種牡馬にはなれなかったんだよ。
先日まで京都競馬場で誘導馬やってたけど、有馬の故障の影響もあってか先日引退。
今は宮崎にいるんじゃなかったっけ。
49こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/05/17(土) 08:32:03 ID:wS3fu5Y8
>>47 期待
50こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/05/17(土) 08:42:20 ID:/ldGDLaq
第五回は、最初フサイチパンドラかと思ってしまったw
51こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/05/19(月) 22:10:04 ID:Be1wiVjV
age
52こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/05/24(土) 18:33:36 ID:XkOtn0g4
まだかなぁ…楽しみにしてるんだが。
53名も無き筆者:2008/05/24(土) 22:19:39 ID:T+V/wJad
勝者と敗者とを分かつ境界線は、時として残酷なほど僅かな差である。
その僅かな差が、時として決定的な運命の分かれ道になってしまうことがある。

「一瞬が意味のある時もあるが、十年が何の意味も持たないことがある。歴史とは誠に奇妙なものだ」

かつての総理大臣が遺した言葉である。
競走馬にとって十年というスパンはあまりに長過ぎるが、一瞬の競走の中で最高の結果を残さなければ、それまでの長きにわたる努力が報われないのは事実である。

その一瞬の中で、最高の結果を目前にして、悔し涙にくれた人馬がいた。
騎手は「絶対に負けられない相手」との壮絶な追い比べに敗れ、馬はこの最大の好機を逸したことが、結果としてその後の運命を左右したと言える。

ある年の3月。
その騎手の目の前には、かつて初めてGTを勝たせてくれた馬と、デビュー直後からずっと育ててきた自厩舎の重賞勝ち馬がいた。
そして騎手は、おそらくは自らの意思で後者を選んだ。
すると前者であるGT馬は、やがて別の騎手に乗り替わり、そして2度とその騎手の手元に戻って来なかった。

この時の選択が、7ヵ月後の天皇賞・秋で一つのドラマを生むことになるのだから、「歴史とは誠に奇妙なもの」である。

その年の天皇賞・秋は、現役最強と謳われ、前哨戦を圧勝した1頭の馬の突然の引退によって、混戦ムードが漂っていた。
出走馬は、全部で17頭。その中に、前出の2頭も含まれていた。
あの時、自厩舎の馬である「彼」を選んだ騎手にとって、春に安田記念連覇を別の騎手で達成していた「あの馬」は、絶対に負けられない相手であった。

そして、筋書きのないドラマは、最後の直線の攻防で訪れた。

ハイペースの中、積極策を選択したあの馬は、直線で早々と先頭に立った。
その3頭ほど後ろの位置で4コーナーを回り切った彼と騎手・・・「彼ら」は、外から襲い掛かっていった。
GT2勝と、17戦3勝・GV1勝という2頭のマッチアップ。
常識的に考えれば、前者が圧倒的有利である。
だが、相手は初めての2000m戦で積極策に打って出ている。
他方、こちらは2000mでの重賞勝ちもあるし、何より前哨戦で得た確かな手応えがある。
「いける!」
騎手はそう確信していたに違いない。
後ろからはもう、足音は聞こえてこない。後は、ほんの僅かでも前に出てしまえば・・・

次の瞬間、騎手の手の中に本来無くてはならないはずのものが、スルリとこぼれ落ちた。

激しい「追い比べ」の末に、鼻面を揃えてゴールに飛び込んだ2頭。
しかし、騎手はその瞬間、負けたという確信があったそうである。
レース後の取材に対しても、努めて明るく振る舞ったその騎手は、しかしその直後、舞台裏で悔し涙を流していたと言う。
「JRAのGT勝利」という栄誉を再びその騎手が手にするまでには、さらに14年と言う長い年月を要することになったのだが、それはまた別の話である。

ハナ差で天皇賞というビッグタイトルを逃した彼は、その後も2回GTに挑んだ。
たった2回しか挑めなかった、と言った方がより正確かもしれない。
翌年の東京新聞杯を快勝し、ベストの舞台とも言える安田記念をはっきりと視野に捉えたと思ったその矢先、持病の骨膜炎が再発。
それでも秋には復帰を果たし、天皇賞・秋では前年を上回るタイムで駆け抜けたものの、その1馬身半前には稀代の快速馬・ネーハイシーザーが居た。

26戦を戦い抜き、重賞勝ちを果たしてなお、1度も二桁着順を記録しないという馬は、そうそう居るものではない。
だが、あの天皇賞で、ほんの僅かな差で最高の結果を得られなかったことで、競走馬としての彼の努力は報われなかった。
そう捉えられることが多いのだろう、と思う。

それでも、現在彼が北海道の地で、悠々自適の余生を過ごしている・・・という話を聞いたとき。
それはまぎれもなく、彼が懸命に走り続けたことによって勝ち取った結果であり、GTを勝つことばかりが運命を切り開くとは限らないのだ、と気付かされるのである。


第6回 セキテイリュウオー 1989年4月30日誕生 戦績26戦5勝
主な勝ち鞍 中山金杯、東京新聞杯(以上GV)
54こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/05/25(日) 10:46:31 ID:17N9DLVq
>>1   ミスターボーイ
>>9   マイシンザン
>>26  ワンダーパフューム
>>30  アストンマーチャン
>>35  トウショウナイト
>>53  セキテイリュウオー   熟読玩味しました。
十年経ったら
多分 ドリームパスポート with 高田潤 も語られることになるのでは・・・?

>>3
トーアファルコンを憶えている方がおられて嬉しいです。
55こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/05/25(日) 14:59:03 ID:OwjzZKqq
前哨戦圧勝したのは…メジロマックイーン?

G1 二勝は…はて??
56こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/05/25(日) 18:50:21 ID:6EBCBsFq
ヤマニンゼファ−じゃないかな?
違かったらごめん
57こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/05/25(日) 21:43:11 ID:OwjzZKqq
ああゼファーっぽいね
58名もなき筆者:2008/05/27(火) 21:00:41 ID:VUsdVoOL
「稀有な馬だよ」

有馬記念で三冠馬の2着に入り、ジャパンカップでも2着に突っ込んだとある牝馬が引退した後、管理していた調教師はこう語ったという。

稀有な馬。
今から取り上げようとしている1頭の牡馬も、そう呼んでいいと思う。
皐月賞で初めて掲示板を外し、ダービーでは後の三冠馬に2秒以上ちぎられた彼は、その後5年余にわたる戦いの果てに、ついに1つの頂を見た。

しかし、彼が生涯唯一の勲章を勝ち取ったそのレースが語り草になることは少ない。
実は彼の馬主は、彼とは別の馬で4週間後のジャパンカップを制している。
そのジャパンカップが高い評価を受け、今でも語り草になっているのとは、実に対照的である。
この年のジャパンカップが「光」であるならば、彼が勝ったレースは「影」なのである。

時を遡ることさらに3年、真夏の京都競馬場で、彼と同じように一生消えない影を背負わされてしまった馬がいた。
屈腱炎を乗り越え、当時の日本レコードで駆け抜けて悲願のGTを制したその馬は、その後再び屈腱炎を発症し、ついに復帰は叶わなかった。
その屈腱炎との闘いを克服し、旧年齢8歳でついにGT馬となった彼は、間違いなく勝者であった。
だが、彼を真の勝者として正当に認識した人間は少数であっただろう、と思う。
あの日あの時、東京競馬場の3コーナー、大ケヤキの向こう側で起きたアクシデントの衝撃は、それほどまでに大きかった。
一瞬にして全てを断たれたその馬の管理調教師はその夜馬房で泣き明かし、騎乗していた騎手は限界までワインを煽り続けたという。

あれから10年の月日が流れ、当時やはり彼を「勝者」だと認識できなかった私にも、当時見えていなかったものが色々と見えるようになった。
屈腱炎と闘いながら丸5年間で28戦を走り抜き、掲示板を外したのは僅かに5回、2ケタ着順を刻んだのは最後の有馬記念のみ。
旧8歳にして初めて重賞を制し、そこから一気の3連勝でついには天皇盾を勝ち取った彼の偉大さが、今になってようやく判ってきた気がする。
テン乗りで天皇賞を制し、勝利騎手インタビューで「笑いが止まらない」とコメントした騎手の気持ちも、今ならば推し量ることができる。
その騎手が同じインタビューで言っていた「ちょっと気の毒でしたけど」「大した馬ですね、偉い馬です」という言葉の意味も、今は理解できる。

競走馬は、そして騎手は、死に直結するアクシデントと常に隣り合わせの世界で生きているのだから。

あれから10年。
ちょうど10年前の秋に天皇賞を勝ったあの騎手は、20数年の騎手生活の中で、おそらく初めてハッキリと優勝を意識できる馬でダービーに臨もうとしている。
彼の現在のポジションや年齢を考えれば、最初で最後のダービー制覇のチャンス、と言えるかもしれない。

華々しい檜舞台のその影で今、10年前の天皇賞馬は悠々自適の毎日を送っている。
あの天皇賞から4週間後のジャパンカップを制し、あくる年に世界へと羽ばたいたあの馬よりも、実は彼の方が多く賞金を獲得している。
身を削り、命を懸けて全28戦を走り抜き、彼が1つの頂点を極めたという証しである。


第7回 オフサイドトラップ 1991年4月21日誕生 戦績28戦7勝
主な勝ち鞍 天皇賞・秋(GT) 七夕賞、新潟記念(以上GV)
59こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/05/28(水) 02:55:44 ID:sOabgY/U
>>58
乙。よかったよ、いつでもいいので次も期待している。
あれから10年か、早いなぁ。
60こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/05/28(水) 07:34:37 ID:QzfMTtvs

初めて最初の方で登場馬が全てわかった♪

これ見てオフサイドトラップの見方変わった。タラレバでいうと脚が万全だったらと考えてしまうね。

次回も期待
61こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/05/28(水) 23:25:53 ID:TvtfmrQN
age
62こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/05/29(木) 01:25:10 ID:383/HOs/
>>17
全く語らないどころか藤田が来年は無敗宣言して
完全にネタ馬化したね。っていつのレスだこれは
63こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/05(木) 05:41:48 ID:i02imMf7
まだ?
64名もなき筆者:2008/06/05(木) 23:02:46 ID:HVlyjNiQ
少々おまちください・・・

やっぱり週末にならないときっついorz
65こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/05(木) 23:31:43 ID:6jWGL4Qi
ライフタテヤマ最強
66こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/05(木) 23:49:12 ID:kIAlWtic
>>58は味わい深いね。

次は天皇「楯」にしてほしいな。文字の重みが違う。
67こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/07(土) 12:12:28 ID:dmHgICI9
>>64 がんばれ〜☆
68こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/07(土) 16:14:16 ID:10Ao/ooK
>>31本当にそうだね。ナオキって言う馬がいたね。宝塚記念かったけど。本当はもっと短い距離があってた。天皇賞に出ては敗れ出ては敗れだった。今のように2000の天皇賞があればよかったんだが。
69こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/07(土) 22:36:26 ID:Qclv07Ad
久しぶりに一文字一文字を噛み締めて読んでいます。

カリブソングかカミノクレッセで一筆お願いします。
地方が可能ならオーディンが読みたいです。
70こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/07(土) 22:51:48 ID:bvwQ9hh4
いや〜、あくまで名もなき筆者さんの思い入れでいいと思う。
71こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/08(日) 19:44:52 ID:m/0UDHeK
コレは読み応えがあるなー

続編激しく希望だ
72こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/08(日) 22:10:47 ID:MlczxzOi
(^-^)/
73こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/08(日) 22:22:30 ID:MlczxzOi
は?…たなぼたやんけ。
74名もなき筆者:2008/06/09(月) 01:13:40 ID:btqPgEzp
「時代が求めた名馬」というのは、確実に存在するのだと思う。

18年前の安田記念の映像をたまたま観た。
前年の秋、2度の2着に泣いた府中で、その馬は着差以上の圧勝劇を演じ、そして年末には同じ騎手とのコンビで有終の美を飾ってみせた。
「血の突然変異」。その一言ではとても表現しきれない実力と魅力とを、その馬は兼ね備えていた。

6年後、やはり安田記念を制した1頭の馬がいた。
「地方競馬から中央へ」という構図はあの馬と一緒であった。
だが彼は、いきなりオープンクラスで快進撃を見せたというわけではなく、むしろその反対であった。
浦和競馬では、9戦8勝2着1回というほぼ完璧な成績を残していたものの、旧6歳という年齢や獲得賞金の関係で、900万条件からのスタートであった。
しかも、条件クラスを卒業するまでに5戦を要した上に、旧7歳の札幌記念(当時GV)、函館記念ではともに人気を裏切って惨敗している。

転機となったのは、当時は秋の天皇賞の前日にオープン特別として行なわれていたアイルランドトロフィーであった。
この芝1600メートル戦で、後続をあっさりと3馬身突き放しての快勝を演じたことで、その後、彼が進む道はハッキリと定まったのである。

それから3週間後のマイルチャンピオンシップ。
3連単が導入される前は「10万馬券が飛び出したGT」ということでよく取り上げられていたレースである。
しかし、中団よりも後ろの位置から一瞬で突き抜けて見せた彼は、単勝8.5倍の4番人気という評価を受けていた。
ただ、ヒシアケボノとの2着争いを制したメイショウテゾロが、あまりにも人気が無さ過ぎたのである。
太陽を浴びて光り輝く京都競馬場の芝コースを一番速く駆け抜けた緑色のメンコは、秋晴れの空の下でひときわ輝いて見えた。

晴れてGT馬となった彼に、しかし時代は味方しなかった。
もっと言えば、彼自身の走りとは全く関係の無いところで、騒ぎが起きていた。
そして、人間たちの身勝手によって勃発したその騒動は、やがてあの馬以来6年ぶりの快挙を成し遂げた彼をも飲み込み、生涯消えることの無い「影」を背負わせたのである。

予兆は、マイルチャンピオンシップ以来の実戦となった東京新聞杯で、既に現れていた。
彼を管理する調教師が「名義貸し」に携わったとして調教停止処分を受け、彼は一時的に別の調教師の下で調整され、しかしこのレースを制したのである。
そして、安田記念。マイルGT春秋連覇は2年前にノースフライトが達成していたが、秋春連覇となれば6年ぶりの快挙となる。
17頭中彼を含む8頭がGT馬という豪華メンバーの中、最後の最後まで叩き合いを続けていたヒシアケボノとタイキブリザードの2頭。
そこに外から襲い掛かったのが、例によって中団の後方からレースを進めていた緑色のメンコ・・・彼であった。
まさしくその名の通り、稲妻のような末脚で、彼は6年ぶりの快挙を達成すると同時に、1600メートル戦での生涯成績を8戦8勝としたのである。

そしてこのレースが、中央入り以来ずっと手綱を取ってきた騎手・横山典弘との別れの時となった。

彼の最期がどのようなものであったかについて、正確な情報を得るのは非常に困難であるし、おそらく今後も真実は暗い影の中にとどまり続けるのであろう。
時代が求め、多くの人々に愛された偉大な先輩と同じ快挙を成し得ながらも、彼に携わった人間たちの身勝手な行動によって、彼はひっそりと舞台を降りるしかなかったのである。

この春、彼が残した数少ない産駒の中から、岩手競馬・南関東競馬で一線級の活躍を見せたウツミジョーダンの種牡馬入りが報じられた。
ウツミジョーダンの今後の道程も決して平坦ではないはずである。しかし、ウツミジョーダンの存在によって、彼の名を少しでも多くの人々が思い出してくれれば。
そしてそのことが、15歳という若さで決して幸せではない最期を迎えた彼の魂に、安らぎを与えることができるのであれば・・・今はただ、そう願うばかりである。


第8回 トロットサンダー 1989年5月10日誕生 2004年11月20日頃死亡 戦績 浦和9戦8勝 中央13戦7勝
主な勝ち鞍 マイルCS、安田記念(以上GT) 東京新聞杯(GV)
75こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/09(月) 01:34:38 ID:feDwfOSY
なんという良スレ 涙が止まらない…
76こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/09(月) 02:21:35 ID:/cJ5l0i9
>>75

。・ ゚・。* 。 +゚。・.。* ゚ + 。・゚・(ノД`)
77こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/09(月) 19:04:44 ID:4E7Tk0B3
>>74 ありがとう
『頃死亡』と言うのが何とも言えないね、優秀な競走馬なだっただけに。

マイル戦パーフェクトと言うのは凄いね。恥ずかしながら初めて知ったよ。
サクラバクシンオーのスプリント成績は有名だけど、それに並ぶくらいのことだよね。

18年前の安田記念は…オグリキャップか?
78こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/09(月) 20:11:12 ID:nxfS7nvw
口枷つけられて放置されて餓死だったかな……やりきれない
79こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/10(火) 01:39:48 ID:56gQ/6I/
あくまで噂だからねえ…(ノД`)
一応ちゃんとした所にいても、状況と運次第でつらい死に方する馬もいるからさ…
80番外:2008/06/10(火) 08:59:10 ID:HNAxhgKC
天性のジリ脚だったのか、それとも他馬の先頭に立つのが嫌いな「お馬好し」だったのか。
2歳の札幌でデビューして以来、3歳の秋まで、平地ではついに勝つことはできなかった。
しかし掲示板を外したのも、わずかに2回。一生懸命走っては必ず入着圏内に入ってくる、おそらく真面目な馬だったのだろう。
平地15戦0勝、2着1回、3着3回、4着5回、5着4回。この成績が、彼の性格を物語っているように思える。

3歳の秋に入障。初戦こそ落馬競争中止だったが、3戦めの未勝利を大差で勝つと、明けて4歳、初戦の条件戦をレコード勝ち。晴れてオープン馬となる。
そしてこれからが(美浦から栗東への転厩を挟んで)、善戦マンたる彼の本領発揮だった。

4歳の春から6歳の春まで、9戦して2勝、2着は実に、5戦連続2着を含む7回。
展開のばらける障害戦では非常に珍しい、1馬身以内の負けというのが、実に4回もある。しかも滅多に見られないハナ差負けが2回。
先行したまま、勝つ時は大差。負ける時は競り合いで力及ばず、というのが彼のスタイル。
当時の障害戦は、オキノサキガケ、メジロアンタレス、オンワードボルガ、ハッピールイスといった強者たちが勝ったり負けたりの激闘を繰り広げていたが、そのすぐ後ろには、いつも彼がいた。
そういえば彼には、中山大障害2着4回、という珍記録もある。

7歳春の中山大障害。
彼は惜敗や、返り討ちを幾度も喰らいながら、京都大障害を2度勝ち、いつしか「西の大将」として成長した。
相手は「東の総大将」オンワードボルガ、菊花賞に出走もした「快速馬」カルストンイーデン。
彼は前2走の不振がきらわれたのか、4番人気だった。
レースは…有力馬カルストンイーデンのいきなりの落馬という展開のアヤはあったが、オンワードボルガに8馬身差の逃げきり勝ち。四回めの挑戦にして、初の栄冠を勝ち取った。騎手にとってもデビュー15年めにして初の、嬉しい重賞勝ちだった。

彼自身最後のレースとなった、翌8歳、暮の中山大障害。
1番人気は8戦7連体、春の大障害2着の「新鋭」トウショウドリーム、2番人気は8歳ながら近走好調のシノンシンボリ、3番人気は重賞未勝利も安定感のある地方上がりのミネノカガヤキ。
彼は近走の不調もあって、それに次ぐ4番人気。さらには人気薄ながら往年の名ジャンパー、メジロアンタレスにハッピールイスも参戦していた。好敵手だったオンワードボルガは、前年の大障害で落馬競争中止、既にこの世を去っていた。
レースがはじまった。メジロアンタレスと共に、彼は先行。大竹柵でややバランスを崩すも持ちこたえる。トウショウドリームはペースに付いていけず、少しずつ後退していく。
そして向う正面の、大土塁障害。
先頭に立とうとペースを上げながら障害を越えようとしたその瞬間、彼の後肢に鈍い音が走り、大きくバランスを崩す。骨折したことは誰の目にも明らかだった。
そしてなんと、三本脚のまま、大土塁障害を飛越。当然着地できる筈もなく、もんどりうって倒れる人馬。
その直後、彼は何をしたか。彼は骨折の激痛に耐えながら、前肢を突っ張るようにして、騎手と障害の間に立ちはだかった。そう、自らの躯を盾にして、後続の馬から騎手を守ろうとしたのである。
同じ障害で、1番人気のトウショウドリームもまた、後肢をひっかけ、転倒。粉砕骨折を発症する。この大惨事にもろに影響を受けたメジロアンタレスは後退。代わりに、ずっと彼らの後塵を拝し続けてきたシノンシンボリが先頭に立つ。
中山大障害の栄光のゴールを、まばらに6頭の馬が駆け抜けていく。その時ギャラリーには歓声もなく、完走した馬たちの一頭一頭に、静かな拍手が送られたと聞く。まるでこの凄惨な事故から無事に生還したことを祈るかのように。

彼は、馬運車の到着を待つことなく、ターフで息絶えた。トウショウドリームは、どうしても起き上がらせることができずに、その場で安楽死。吊るされて馬運車に入れられた。
騎手は後に語る。「命を賭けて守ってくれた馬を、ぼくは忘れることができない」と。

ライバコウハク 1979.5.30生 1987.12.26死亡
        平地15戦0勝 障害27戦9勝  中山大障害(春) 京都大障害2回
81こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/10(火) 09:25:01 ID:2V6nP3yV
>>80 おおお…何て悲しすぎる話だ!キーストンの話は知っていたが、これは知らなかった。
本当に素晴らしい馬だね
82こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/10(火) 09:38:41 ID:FWLghSKB
>>80 乙
この頃の大障害は壮絶だったよな。馬券の妙味はない6頭立てぐらいでも見応えがあった。

今は大竹柵の迫り出しの角度も甘くなって、飛越の難易度が落ちた。
そんな大障害を軽々と越えていくのを見て拍手が起こるのを見ると、なんか違和感を覚えるな。
先達が斃た大障害はこんなもんではなかったんだ、と。事故を望むつもりはないけど。
83こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/10(火) 12:06:25 ID:Qjj1qWZn
やり切れない涙と感動の涙。久々に泣いた。
84名もなき筆者:2008/06/10(火) 22:30:00 ID:vpexP5BB
>>80
私も全く知りませんでした。
素晴らしいです。

週末にまた私は書けたら書きたいと思います。
85番外:2008/06/11(水) 13:36:26 ID:Cld7mdDt
ありがとうございます。
筆者さんのフォーマットを参考にして、書いてみました。
読んでいただけて、「書いてよかった」と心底思っています。

今晩にはアップできるかも。
86番外:2008/06/11(水) 19:06:40 ID:Cld7mdDt
「あんちゃん」とは競馬用語で見習い騎手のことで、一種の差別語である。例えば「あんちゃんみたいな競馬してんじゃねえ」というのは、腕が未熟であるという意味の罵声である。
だが、スタッフ、騎手仲間、そしてファンからも敬愛と尊敬をこめて「あんちゃん」と呼ばれた騎手が、かつていた。

トウショウボーイ。ダービー、札幌記念の敗戦により、主戦の池上降板の声がピークに達し、ついに調教師も池上をかばいきれなくなった。有馬記念で乗り役の都合がつかず、あんちゃんに白羽の矢がたった。
だがあんちゃんは断った。中京で自厩舎の条件馬に乗るから、というのが表向きの理由。
事実は違った。「先輩の俺が池上の馬を取り上げちゃいけない」というのが真相だった。現代のフリー全盛、馬優先の考えからしたらおかしな理屈かもしれないが、誰もが「あんちゃんがそう言うなら仕方がない」と納得した。
あんちゃんとはそんな男だった。

そのトウショウボーイの姉を母に持つ馬と、あんちゃんの話。
4歳上の姉、3歳上の兄、さらに3歳下の弟と、オープンで活躍し、G2、G3クラスのレースをたくさん勝った。みんなあんちゃんの所属厩舎で暮らした。
G1ではちょうど掲示板に載るくらいの強さ、という面でも共通していた。

姉はオークスでテンモンの4着。古馬になってミナガワマンナ、モンテプリンス、メジロティターンらに勝った。
兄には少し逸話がある。3歳クラシック。実はこの年、あんちゃんは皐月賞をアズマハンターで勝って、三冠ジョッキーを達成している。ハギノカムイオーとゲイルスポートの壮絶な先頭争いを見ながらの見事な手綱捌きだった。
現代なら、誰もがアズマハンターでダービーを目指すだろう。だが、朝日杯でホクトフラッグの2着だった兄が、大舞台を前に再始動。あんちゃんは迷わず兄に騎乗し、アズマハンターには親友の小島太が乗った。
兄は最後の1ハロンまで逃げ粘り、あわやの6着。1番人気アズマハンターはといえば、スタート時での他馬との接触による出遅れ、度重なる直線での不利がたたって、バンブーアトラスの3着に終った。

弟の彼もまた、兄と同じく、軽快な逃げ馬だった。札幌の新馬戦ダート1000mを、なんと大差勝ち。弥生賞の大敗で皐月賞の権利は取れなかったが、ダービートライアルのNHK杯、府中の2000mをまんまと逃げきり勝ち。めでたくダービーの出走権をもぎ取った。
あんちゃんに癌が宣告されたのは、NHK杯の直後だった、と聞く。肝臓ガン。もう手遅れで、余命は1ヶ月。
あんちゃんはその事実を周囲にも隠しながら、彼とのダービーを生涯最後の騎乗にしよう、と決める。

医者の制止を振り切って乗り続けたとも、ダービー当日は起きあがれないほど衰弱していたとも聞くが、当事者ではないので知る由もない。だからあんちゃんの生涯最後の2レースを書き留めるだけにする。
オークスではナカミアンゼリカ。直線でノアノハコブネと叩き合いの末に、及ばず2着。こうして一枚足りない馬で、見せ場いっぱいの大善戦を演出するのが、あんちゃんの持ち味だった。

そして、ダービー。彼の一世一代の晴れ舞台でもある。あいにくの重馬場で、内は特に荒れがひどい。
スタートはよくなかった。が、あんちゃんは手綱をしごきながら、無理矢理ハナを切ろうとする。
軽快な逃げが彼の武器だったし、あんちゃんの武器でもあった。あるいはハナを切って、荒れた馬場のいいところを通ろうという肚があったのかもしれない。
今ここで脚を使えば、しまい掴まることは判っていただろう。しかしそれでもハナを切る。何か意志を感じさせる、彼とあんちゃんの逃げだった。
奇跡は起きなかった。しまいズブズブの18着。
そしてダービーから16日後、あんちゃんは還らぬ人になった。
近しい人でさえ、あんちゃんの病状を知ったのは、ダービー後だった。小島太は人目をはばからず号泣した。あんちゃん死亡の報を受けた競馬マスコミやファンも、何が起こったのか一瞬判らなかった。

実は、彼に関して語ることは、これ以上はあまり多くない。3歳秋にオープン特別を2連勝した後は並のオープン馬となり、6歳まで走って、種牡馬入り。地方重賞勝ち馬を2頭出した。
ただ、あんちゃんの忘れ形見として記憶に残る、そんな馬がいてもいい、と思う。


トウショウサミット 1982.5.5生 2000年死亡
          24戦5勝  NHK杯
87こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/11(水) 22:42:48 ID:Ve7dm5/V
オフサイドトラップとトロットサンダーの回は泣けた。
ライバコウハクの大障害とトウショウサミットのダービーはぜひ見直したい。

誰かこのスレッドを保存してはくれないものか。
88名もなき筆者:2008/06/13(金) 01:00:29 ID:RMCeKiY2
今日、浮かんできた文章があります。
書き込んでしまおうかとも思いましたが、もう少しだけ練り上げる時間をください。
すみません。
89こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/13(金) 08:20:10 ID:0vEEyovY
>>88
期待してまってますぜー
できたらここじゃなくブログに乗せてもらいたいぐらいだぜ
90こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/13(金) 18:52:53 ID:qhC0veBV
>>88
期待してます
91名もなき筆者:2008/06/13(金) 23:59:01 ID:uc+BULK0
彼が若かった頃のことを、私はよく知らない。

私が競馬を観ていない時期だったし、また、彼が当時注目された期間がほんの一瞬に過ぎなかったからだろう、と思う。
しかし、長い長い年月を経て、彼は再び競走馬として脚光を浴び、そして今、海の向こうの異国の地に居ると伝えられている。

今、彼の居る場所が、望んだものと違っても、間違いじゃない。きっと、答えはひとつじゃない。

そう自分に言い聞かせたい、信じたい私が居る。
20世代連続で重賞勝ち馬を送り出した偉大な父の系譜が途切れようとしているという事実。
5年余の現役生活。実働期間は実質1年半にも満たない。それが彼の残した足跡であり、また事実である。
そういった事実を目の前にして、それでもなお、彼がこの地球上に生きている限り・・・心のどこかでそう思っている私が居る。

ある年の夏。私は彼に出会った。
新潟の条件戦だったと思う。
彼は持ち前のスピードをフルに発揮して、強い勝ち方をした。
確かその時私はたまたま競馬場に居て、彼の走りと緑色のメンコに惹かれて、それから色々調べていくうちに、彼の虜になっていった。

秋になり、福島で連勝を4に伸ばした彼は、天皇賞で2度目のGT挑戦をすることになった。
その舞台である府中は、ちょうど3年前、彼が、後に2冠馬となった同い年の馬を負かし、勇躍GTへと乗り込むきっかけとなった場所。
そしてこの天皇賞には、彼よりも1歳年下の2冠馬が出走しており、私は彼とその2冠馬とが共に好勝負できると信じて疑わなかった。
世の人々もまた、程度の違いこそあれども、この2頭をそれぞれ支持していた。

天皇賞で競馬をさせてもらえず惨敗した彼を待ち受けていたのは、更なる苦難の道だった。
オープンで2勝を挙げ、しかし重賞の壁に跳ね返された直後に、再び脚元の爆弾が炸裂した。
生涯3度目となる、長期の戦線離脱であった。

それでも彼は帰ってきた。
舞台はやはり、夏の新潟。
共に天皇賞で戦ったあの2冠馬は、やはり1年半に及ぶ休養の末、淀の3200mで刀折れ力尽き、既に競走生命を絶たれていた。
しかし彼の方は、この復帰緒戦の重賞で2着に粘り込んでみせた。彼の精神力、そして関係者の忍耐の強さには、本当に頭が下がる思いがした。

彼の最初で最後の重賞勝ちはそれから2ヵ月半後。
舞台はちょうど2年前、全く競馬をさせて貰えなかった府中。
前年のマイルCS2着馬を2馬身突き放す、文字通りの快勝だった。

レースでは、騎手の一瞬の判断が明暗を分ける。
であるならば、安易に騎手を問い詰めるようなことはするべきでない、と私は思う。
それでもなお、彼の3度目のGT挑戦となったあのレースに関しては、できることなら彼の手綱を取った騎手を問い質したい、という思いが今でも残る。
その騎手は、彼の全19戦中17戦の手綱を取った騎手であり、しかもこのGT挑戦が結果として彼の引退レースになってしまったから・・・尚更、その思いが強い。

スピードを活かした積極策で掴み取った、最初で最後の重賞タイトル。
歴史に残る名種牡馬である父のスピードを受け継いだ、自身の名に恥じない勇敢な積極策こそが、彼の持ち味だった。
全19戦中14戦、しかもデビュー以来10戦続けて1番人気だったのは、決して血統背景ばかりが理由ではなかったはずだ。
そして、他のどの騎手よりも彼の長所をよく知っていたのは、その日まで16戦を共に戦ってきた主戦騎手。そのはずだった。
しかし、3度目のGT挑戦を果たしたこの日、ゲートを飛び出してからの「彼ら」の走りは、あたかも蛇に睨まれた蛙のように見えた。

800の標識を過ぎ、レースの流れがはっきり浮かび上がってきたその時。私は観念した。

2ヶ月前の京成杯AH。彼は、勝ち馬と4馬身差の2着だった。
4キロの斤量差のせいだと私は思った。そして、同じ斤量なら・・・と。
だがこの日、あの日と同じ勝ち馬に、同じ斤量でつけられた差は3馬身。そしてそれは、永遠に逆転することのできない3馬身となった。


第9回 クリスザブレイヴ 1994年2月18日誕生 戦績19戦9勝
主な勝ち鞍 富士S(GV)
92番外:2008/06/14(土) 00:25:28 ID:S3qKu8fl
>>91 おお、乙です。
クリスザブレイヴは、クエストフォベストみたいになっちゃうと思ったら、
2年ぶりに復帰してきてびっくり、3連勝でオープンに上がって2度びっくり、
G1に出走して3度びっくり、しまいには重賞勝ってG1もいいとこいって…
と、何度もびっくりさせられた馬でした。

奇しくも、クリスと同様、長期の休養を余儀なくされた馬を準備中です。
クリスもまた、関係者の粘り強さが小さな花を咲かせたんでしょう。
もちろん、いちばん偉いのは馬ですけどね。
93こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/14(土) 07:41:01 ID:lVMzlY2E
>>91 お疲れ そういえばこの馬新潟の印象が強いなぁ
で、今どこにいるんでしょう?繁殖か?それとも乗馬か?
元気にしてるといいね

>>92 いきなり名前書くの勘弁m(__)m
見ちまったら面白さ半減
94こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/14(土) 12:08:29 ID:gpzXuQl4
きれいなお馬さんでしたね。

名もなき筆者さんはMr.Childrenファンと確信しました(^o^)
95こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/14(土) 13:36:16 ID:yAkEiKIQ
これは史上稀に見る良スレ
96こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/14(土) 14:12:40 ID:ZShIuyO0
>>94
Anyの歌詞が入ってるね
97番外:前編:2008/06/14(土) 19:05:50 ID:S3qKu8fl

父は大柄な馬だった。引退レースの有馬記念で、あっと驚く大穴を開けた時、530kgもあった。そしてその仔達も大柄な馬が多く、余計なことに、よく穴を開けるとこまで似ていた。
「血のロマン」てやつを信じていた頃があった。親子三代天皇賞勝利、ダービー馬はダービー馬から。
現実はきびしい。かつて隆盛を誇ったチャイナロック、ヒンドスタンのサイアーラインは絶えてしまい、世界的に貴重なバイアリータークの父系血脈もまた、消滅の危機に晒されている。

彼にもまた、夢を託していた時期があった。持ち前の成長力でいつか、舞台は府中の2000m、秋の盾、相手は同い年の二冠馬、稀代のアイドルホースをゴール前の強襲で差し切る場面を思い描いていた。
3歳、皐月賞と同日にデビュー。ダート1200mの泥んこ馬場を大差勝ち。以後、休み休みながら出走を続ける。
3歳時、ダートのみ3戦3勝。4歳時、やはりダートの900万平場を3戦2勝。
これが、彼の前半生のすべてである。500kgを超える大柄な馬体に、脚が悲鳴をあげていた。二冠馬に挑戦はおろか、芝のレースを使うことさえできなかった。
2年間の休養の後、ホッカイドウ競馬に転厩。その時すでに6歳。件のアイドルホースは、感動的な復活劇の後、再び脚部不安が生じ、惜しまれながら引退を決めていた。

彼のキャリアは、ここでほぼ終わりを告げたものだと思っていた。当時、「都落ち」した馬たちの末路は、だいたい決まっていた。しかも6歳という高齢。
復活を果たした稀有な成功例は、4歳に笠松に転厩したフェートノーザンしか知らなかった。そしてフェートノーザンでさえ、あのような悲しい結末を迎えたのだった…
まさか、この6年後、それからさらに7年もたって、彼の嬉しいニュースを耳にすることがあろうとは、夢にも思わなかった。

彼の転厩時には、まだ道営競馬というネーミングが一般的だった。中央地方の交流重賞は、大井の帝王賞と東京大賞典、札幌のブリーダーズGC、そして中央のオールカマ−くらいだった。いわゆる「交流元年」の前夜だった。
その頃道営は、4歳のササノコバンが日の出の勢いだった。先日のブリーダーズGCでは逃げた勝ち馬カリブソングに3/4馬身まで迫り、これからどれだけ強くなるのか、充分期待を抱かせる内容だった。
その後ササノコバンは、道営の最高峰レース道営記念を2連覇。しかしやはり深刻な慢性の脚部不安に勝てず、一度も北海道を出ることなく、6歳で引退した。

そして彼の第二のキャリアが、ここから始まる。
6歳秋、再始動。2戦2勝。
休養を挟んで7歳、3戦1勝。
8歳時は頑張った。6戦3勝。赤レンガ記念を勝ち、8歳にして重賞を初制覇。道営記念に出走も果たし、ヤマノセイコーの5着。
そして9歳の春、瑞穂賞。距離短縮が幸いし、ササノコバン無き後の道営トップ、ヤマノセイコーに快勝。
この年、出走回数はさらに増えて、7戦3勝。ステイヤーズC、赤レンガ記念に勝利。ブリーダーズGCはデュークグランプリに千切られるも3着に入線する。

当時、道営競馬には定年があって、それは数えで10歳(つまり現在の9歳)だった。しかし関係者やファンの尽力や、道営在籍馬の絶対数が不足していたこともあり、いわば彼のために定年枠が撤廃され、現役続行。
いわば彼の第三のキャリア、である。
10歳。8戦も走って瑞穂賞、ステイヤーズC連覇の2勝。この年、中央の平安Sに初遠征(エムアイブランの15着)。正直、出走表で彼の名を見つけた時の衝撃は忘れられない。
ただシーズン終盤でさすがに疲れたか、赤レンガ記念、道営記念と連続でシンガリ負けを喫した。
11歳は5戦1勝だが、その1勝が、値千金の瑞穂賞3連覇。
98番外:後編:2008/06/14(土) 19:07:00 ID:S3qKu8fl

明けて12歳。初戦の瑞穂賞、8番人気の低評価を覆し、なんと同一重賞4連覇。しかも9歳から12歳にかけての勝利で、こんな馬ほんとに見たことない。
そして2戦め。6月15日、北海道スプリントC(G3、D1000m)。実は彼、これが4回めの同レースへの挑戦であり、過去7、6、4着という成績。
1番人気は大井の快速馬、一昨年の覇者で、このコースのレコードホルダーでもあるカガヤキローマン。2番人気は中央のフラワータテヤマ。彼はといえば、12頭立ての10番人気。人気者なのに、道営のファンはシビアである。
好スタートだった。カガヤキローマンらと共に先行集団を形成。4角で勝負の綾があったらしく、巧くコーナーを回った彼が先頭に立つ。そしてゴール。レコードにコンマ0.1秒の好タイム。
12歳にして、初のグレードレース制覇。後にカラジが12歳で中山GJを勝つが、彼の方が4日だけ年長で、この記録はまだ破られていない。
この年はエルムSにも挑戦。シンコウスプレンダに差のない7着と、見せ場を作る。6戦2勝、1競争中止。
そして13歳。瑞穂賞5連覇はならなかった(4着)が、重賞のエトワール賞、馬っけを出しながらも、逃げるメイショウヒダカを差して、重賞10勝めを果たす。5戦1勝。

ただ、この頃には、脚部不安はすでに屈腱炎へと発展していて、毎回が出走に漕ぎ着けるまでの闘いだったらしい。13歳の道営記念(13着、シンガリ負け)を最後に、引退。
10歳を越えてからは、走る気のない時はいつも後方まま、忘れた頃に激走して穴を開ける、何とも買いにくい馬だったらしい。それでも引退直前まで道営の一線級で活躍した。
調教師が彼を語る時、「特別なことは何もしませんでした。馬がよかったんです」と言うらしい。ただ彼と、彼を巡るスタッフの長年の苦闘があったことは、想像に難くないと。

と、彼についての話は普通はここで終わるはずだが、実は昨年、懐かしい彼の名前を耳にした。彼の産駒が旭川で初勝利をあげた、というニュースである。
引退後、やはりと言うべきか受入先がなく、調教師が東奔西走して探したそうである。めでたく受け入れてくれる牧場が見つかり、種牡馬入り。1頭だけ仔が産まれた。そのたった1頭の仔が勝った、というのだ。
実はこの仔は4歳の現役馬で、笠松で元気に走っている。道営では1勝しか出来なかったが、転厩して勝ち星を重ね、現在30戦7勝、2着6回。近走は一昨日の6月12日で、9頭立ての2着だった。

彼の現在であるが、種牡馬登録はまだあるものの事実上の引退で、今はアテ馬をやっている。普通はアテ馬は小柄な馬がやると相場が決まってるのだが、きっと頭も気性もいいんだろう。
年に合わず若い牝馬が大好き、だそうである。


オースミダイナー 1988.4.17生
         中央8戦5勝 地方40戦16勝
         北海道スプリントC 瑞穂賞4回 赤レンガ記念2回
         ステイヤーズC2回 エトワール賞
99こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/14(土) 20:00:47 ID:b1cQxIV6
久しぶりの良スレ
100こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/14(土) 23:00:02 ID:kf6sEUEZ
totoBIGが当たったら、ウツミジョーダン産駒買って、水沢から中央(マイル戦)挑戦させてみる。
101こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/15(日) 17:14:31 ID:Snq84/fM
本当の良スレ!
102こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/16(月) 23:46:22 ID:oiLnha1c
良スレage。

やまさき拓味の優駿たちの蹄跡
を思い出した。
103こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/18(水) 00:05:06 ID:/R9XfZ4S
あげざるをえん
104番外:前編:2008/06/18(水) 22:36:54 ID:tTYSk0qq

4角に差しかかるところだった。圧倒的な1番人気だった彼は、外から3番手まで捲り、先頭を窺うところまで上がってきた。彼がどのように勝ちを収めるのか、観客の興味はそこだけに集約されていた。
次の瞬間、彼の躯がガクンと前に折れ、なおも走ろうとする彼を騎手が止める。左前肢骨折。明らかに重症だった。
3年間ずっと彼に付き添ってきた厩務員は、その場でわっと泣き崩れた。調教師は唇を噛みながら、じっとその光景を見つめていた。

42年にも渡る騎手生活に別れを告げた7100勝騎手が思い出の馬を語る時、いの一番に名前の挙がる馬がいる。昭和60年代、1歳年下の東京王冠馬と、やはり1歳年下の岩手チャンピオンとの壮絶な抗争を繰り広げた、あの馬である。
勝利者はいなかった。三頭が三頭とも、一時代を築いた名馬である。中央への殴り込みを図ったが、5歳時には髪の毛一本の差でジャパンCへの出走を逃した。ファンはJCに出られたら最低3着はあった、と噂した。
6歳のオールカマ−は3着と健闘したが、その前には芝適性に優れ、中央の二冠馬とも互角に渡り合った笠松の白馬がいた。7歳のオールカマ−も敗退。ついにJC出走はかなわなかった。
騎手のお手馬のなかで、あの馬に匹敵する能力を持った、あるいはそれ以上ではなかったかとファンの間で伝えられるのが、彼であった。

もともと脚元に不安のある馬だったのだろう。デビュー前の調教で大怪我を負う。
左前肢関節の損傷。関節包内の滑液がなくなってしまった、というのだから、尋常ではない。
滑液は、関節を動かす際の潤滑油の役割を果たす。それがないということは、走る度に前肢の骨と骨がぶつかり、激痛を伴う。当然のように球節炎や脱臼、骨折の原因にもなる。デビューできるかさえ危ぶまれるほどの怪我であった。

故障は残念ながら完治することなく、遅れに遅れて3歳7月にデビュー。鞍上は1ヶ月前にデビューしたばかりの新人ジョッキーだったが、能力試験はD1000mを持ったままで25馬身ぶっちぎり。
その後も、ろくな調教が出来ないにもかかわらず、新人ジョッキーを背に楽勝が続く。道中は馬なりのまま、直線でゴーサインを出すだけで、追うこともしなかった、いや出来なかった。
レースの後は、故障した左前肢が必ず腫れ上がり、動くこともできず、肢を地面に着けることさえままならなかったという。常に脚元と相談しながらの発走だった。
休み休み使いながら、3歳4歳を4戦づつ、8戦8勝。見た目には馬なりの圧勝の連続だった。この頃から期待の素質馬として、彼の名が知られるようになっていく。
105番外:後編:2008/06/18(水) 22:38:31 ID:tTYSk0qq

先述の騎手に乗り替ったのは、5歳になってから。そして10戦め、その年の金盃、初の重賞挑戦。相手は、1歳下の、「快速の逃げ」南関二冠馬と、東京ダービー馬ら。彼はそれでも、単勝1番人気に推された。
レースは直線やや競り合うものの、やはり持ったままで二冠馬を3/4馬身交わし、重賞初制覇。51kgの軽ハンデながら、当時の時計のかかる大井のコースを、2000m2分4秒台で走ったのは、彼だけであった。
ただし、このレース後、彼は6ヶ月の休養に入ることになる。

そして11戦め、アフター5スター賞は、彼の生涯最高のレースと言われている。
絶好調の上がり馬と、JCに飽くなき挑戦を続けた「大井の将軍」を、直線気合をつけただけで3馬身突き放す。11連勝。デビューからの11連勝は、南関東タイ記録であった。
しかしやはり名だたるオープン馬との競り合いは彼の肢に多大な負担を来したようで、左前肢の状態は、今までにも増してひどいことになっていたらしい。腫れで肢を地面に着けることができない。
南関新記録、そして中央挑戦への期待と、ヒートアップするマスコミやファンの裏側で、必死の看病が続いた。
そして2ヶ月後。冒頭のレース、グランドチャンピオン2000へと、彼は出走していく…

誰も彼を殺そうとしてレースに送りだしたりはしない。むしろスタッフと彼自身の辛抱と情熱があってはじめて、いつ能力喪失してもおかしくない状態のなか、ここまでの戦績をあげることができたのだ、とは思う。
しかし。彼の最期のレースの出走時すでに、肢の状態が思わしくないことを、実は噂されていたのだ。
せめてもう少し脚元がよくなるまで、長期の休養はかなわなかったのか。あるいはアエロプラーヌなど実績のある笠松や道営、岩手の「名人」たちに、その手を委ねる勇気はなかったのだろうか。

当時の南関はレベルの地盤沈下が激しく、中央で好走できる馬がほとんどいなくなり、そんな中で久しぶりに誕生したスターホースが、彼であった。「プライドの大井」とも揶揄される主催者の思惑が絡んだ可能性は否定できない。
あまりにも生き急いだ彼のことを思うと、今でも口惜しくてならない。

彼が死んだ年に、同い年の浦和所属馬がひっそりと中央に転厩、翌年のマイルCSと、翌々年の安田記念を勝った。安田記念は、彼の中央参戦の最終目標として、秘かに狙っていたレースだった、という噂がある。


ツキノイチバン  1989.3.8生 1994.10.27死亡
         12戦11勝1競争中止
         金盃  アフター5スター賞
106こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/18(水) 23:18:28 ID:K9XI7Xtx
>>104-105>>74と併せて読むと、味わい深いね。
107こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/19(木) 14:26:18 ID:gQd2YwCJ
嫌な過去を思い出させてくれやがって…
 
…ありがとう、>>104-105
108こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/19(木) 20:12:45 ID:THYEKj0w
昔の心の傷に電気ショックを自分でかけて、自分でなぐさめるような、そんなスレですね。

酒とたばこがひどくまずかったのとか、夕焼けの具合やら競馬場の匂いのドキドキまで思い出す
109名もなき筆者:2008/06/19(木) 23:35:31 ID:lGNHV0tu
ヘンなヤツだった。

手綱を取った騎手は10人。
1年に20勝できるかできないかの調教師。
地味どころか、無名と呼んでも良いような母系。

中央に入厩し、中央で走り、中央のみで引退したのが不思議なくらいの血統。
年間数千頭生産されるサラブレッドの「その他大勢」に分類されても、何の不思議も無い。

今回、彼を取り上げる理由はただ一つ。
10年、いや100年に1度現れるかどうか・・・
それくらい彼がヘンなヤツだったから。その1点に尽きる。

遅生まれの彼のデビューは、旧4歳の正月競馬。
芝、ダート、マイル、中距離、長距離・・・8戦して3着2回。
初勝利は夏競馬が始まった6月末。夏の福島だった。
下されていた評価は単勝16.7倍、6番人気。でも結果は7馬身差の圧勝。

2週間後の特別戦。
前回同様、マクリ気味に進出。
最後の直線は叩き合いになった。あっぷあっぷの2勝目だった。

そして、彼はパタリと勝てなくなった。
何のことは無い。単純に能力が足りなかったのだ。
ドロンコ馬場のセントライト記念6着が善戦なら、続く京都新聞杯は大健闘、菊花賞は至極当然の結果と言えた。

2勝目を挙げてから丸1年。
また夏が来て、その他大勢の馬と共に彼も降級の恩恵を受けた。
平場の500万下。圧勝だった。これは計算通りだったかもしれない。
2週間後の特別戦。最後の直線は叩き合い。あっぷあっぷの4勝目。いつか観た光景。

「その他大勢」。連闘で重賞に出てきた彼に下された評価。跨っていたのは障害メインの騎手。至極当然のことと言えた。

彼が何故、その重賞に出てきたのか。
彼がその競馬場で4勝全てを挙げていたから。
彼が出た重賞が、たまたまその競馬場に振り替えられていたから。
彼が1ヶ月に3戦を戦えるだけの頑丈さを持っていたから・・・

最後の直線は叩き合いだった。あっぷあっぷだった。
だが、舞台は条件戦じゃない。別定の重賞。直線は、理屈を超えた世界だった。

圧倒的1番人気が沈没。1頭競走中止。1頭失格。波乱の福島芝1700mを締め括ったのは、7日前にやっとやっと900万特別を勝った彼だった。

生涯戦績29戦5勝。
福島に限れば5戦5勝。
そして福島は改装に入り、彼は以前の彼に戻った。

生涯を通して、1つの競馬場でしか勝てなかった重賞勝ち馬。
理屈を飛び超えていたヘンなヤツ。
夏の福島競馬が始まる前に、かつてそんな馬がいたよなあ、と思い出すのも、悪くは無いじゃあないか。


第10回 フェスティブキング 1991年5月29日誕生 戦績29戦5勝
主な勝ち鞍 関屋記念(GV)
110番外:2008/06/20(金) 01:45:12 ID:I5d1+lay
どこにすっ飛んでいくか判らないような気っぷのいい逃げが、彼の持ち味だった。
気性難と慢性の蹄の疾患のため、デビューは2歳の冬だった。3歳クラシックには何とか間に合い、羽田盃14着、東京ダービー10着と逃げつぶれたが、それもまた彼の持ち味だった。信用はなかったが、人気はあった。

脚元がパンとして、3歳の秋にようやく彼本来の力を発揮した。戸塚記念では太め残りながら、東京ダービー馬と、7戦7勝の上がり馬を完封。
続く東京王冠賞では、やはりハナを奪われることなく、件の上がり馬と、世代ナンバー1の呼び声も高かった羽田盃馬を、それぞれ2馬身、6馬身と千切り捨てた。
その後であるが、羽田盃馬は中央に転厩するも思うような戦績があげられず、南関に戻って2年2ヶ月ぶりに重賞を勝った。上がり馬は地方在籍のまま中央馬たちと全国の競馬場で激闘を繰り広げ、常に惜敗し続けた。

そして3歳の年末、東京大賞典。交流レースになるのは来年からで、距離もD2800mだった。
1番人気。現在の同レースから考えると、メンバーの手薄感は否めない。古馬のエースがアラブの怪物に負けてしまう時代だった。彗星のように現れた真のエースは、2ヶ月前の重賞で無念の死を遂げていた。
それにしても彼のレース内容が圧巻だった。スタート後、いつものように大逃げ。10馬身、15馬身と後続を引き離していく。
2周めの向こう正面で手応えがあやしくなり、ペースダウン。古馬たちに並びかけられそうになる。距離がもたなかったのか、誰もが思った。
その直後、二の脚を使って、再び後続を突き放しにかかる。そして1馬身半差、競り掛けられることなく、ゴールイン。東京大賞典、14年ぶりの逃げきり勝ち。
この3連勝で彼は、世代ナンバー1の座と、来年の中央挑戦のチケットを、この手に掴んだ。

さて。「気性難」と一言でまとめてしまった。彼のことを書こうと思うにあたり、資料を集めてみたら、信じられないようなエピソードの数々がこれでもかと記されていた。
まず彼は中央でデビューするはずだった。2歳春、実際に美浦に入厩している。ところが人を振り落としてばかりで、ケガ人をふたり出すにあたって、わずか2週間で登録抹消されたこと。
牧場に戻されても馴致がまったくできず、川崎の厩舎に引き取られる時は、去勢される直前であったこと。
引き取られても厩舎に直行できず、近くの乗馬クラブで、厩務員との命がけの馴致が繰り広げられたこと。
入厩してからも気性の激しさは治まらず、彼が調教に現れると、調教していた他馬はとばっちりを怖れて、調教場から引き揚げてしまう、ということ。
暴走して厩務員を乗せたまま車道に逸走、通りがかった大型トラックの前で横転し柵に激突、九死に一生を得たこと。
ゲート練習で、十人がかりでゲートに押し込んだら暴れて、ゲートごとぶち壊して飛び出してきたこと、などなど…
いや、畏れ入った。よくまあこんな馬を、諦めずにデビューまで持っていけたものだ、と思う。関係者の苦労と執念が偲ばれる。

明けて4歳。彼には産経大坂杯から天皇賞への挑戦、のプランが組まれていたという。しかし右前副管骨骨折。長い休養期間に入る。
こうなると激しすぎる気性は、デメリットにしかならない。受入先がないため、休養も、引退さえもままならない。大手術の後、装蹄師の元での治療。復帰に2年もの歳月を費やす。

復帰戦は、5歳冬の浦和記念だった。交流重賞のこのレースは、9頭立てながら、超豪華メンバーが揃った。
圧勝を続ける砂の女王、彼女をもう少しまで追い詰める歴戦のステイヤー、昨年のあっと驚く東京大賞典馬、転厩初戦となるジャパンC勝ち馬、羽田盃馬に東京ダービー馬、そして昔のライバルだった例の上がり馬と、多士済々。
彼自身のレースは、あっけなかった。スタートで躓き、骨折、競争中止。予後不良となる。

彼がもし無事に競争生活を送れたとして、どのような結果を出したであろうか。芝適性は未知数であるし、血統的にもスタミナの勝った血脈ではなく、中央の壁は厚かったかもしれない。
(ちなみにこの年の大坂杯勝ち馬はインターマイウェイ、天皇賞はライスシャワー)
ただ、これだけは想像がつく。気性的にハナを奪うしかなかった彼が、そのあり余るパワーとスピードで、半ば無理矢理手綱をしごきながら、向う正面、単騎で駆けていくその姿は。
そのまま逃げ切るか、捕まってしまうか。その後の姿は、各々の想像に任されるのみである。


ドルフィンボーイ  1991.2.19生 1996.12.4死亡
          12戦7勝1競争中止  東京大賞典 東京王冠賞 戸塚記念
111こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/20(金) 13:39:54 ID:ix6AqA80
ホクトベガの時代か〜
懐かしいなぁ…
112こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/20(金) 19:02:12 ID:1Ipf5buk
安芸
113こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/20(金) 21:13:14 ID:8rm4WMDt
読んでるうちに自分も書きたくなった。
名も無き筆者さんや番外さんのように上手くはいかないだろうけど、読んでもらえれば幸い。

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TTG、平成三強、覇王に挑み続けた怒涛。
いかに時代が移り変わろうと変わることの無いライバル対決は、古今東西多くの競馬ファンを魅了し続けてきた。
「例えレースに敗れようとも、ヤツだけには絶対負けられない」
己の矜持を賭けて戦い続ける彼らに観客は一喜一憂し、それぞれのファンに分かれて熱狂的な応援を捧げる。

そんな競馬の歴史の中で、今回取り上げる彼とライバルとが繰り広げてきた激闘は、それらビッグネームの頂上決戦とは比較にならぬほどささやかな物である。
幻のダービー馬。ダートの頂点に君臨した馬。覇王を破り世代交代を突きつけた馬。流転を余儀なくされた悲運のGT馬。
殊更輝く星が多かったこの世代において、小さな星同士の2頭の対決が注目を集めることはそう多くは無かったのだけれど。
それでも彼等は互いの矜持を賭け、常に全力を尽くし戦い続けていた。

事の起こりはほんの些細な偶然からであった。
2歳時4戦1勝、前走でようやく未勝利を勝ちあがったばかりの彼が無謀にも3歳の初戦に重賞への挑戦を選んでいなければ、
恐らく運命の出会いはあり得なかっただろう。
単勝52倍、16頭立て14番人気。大方の予想通りまるで期待されぬ数字。
しかし好位からレースを進めた彼は直線に入っても脚色衰えず、驚きの重賞初制覇を果たす。
そしてこの時追い込んで2着に入った7番人気の馬が後に生涯のライバル……そして生涯の戦友となるとは、
恐らく誰一人として予想だにしていなかっただろう。

賞金と実績を積んだ彼は勇躍、生涯一度の晴れ舞台、クラシックへと歩み出していく。
その過程で意外に早く訪れた、2度目の対決。
伸びを欠いて6着に終わった彼に対し、前のレースで負かしたはずの馬は3つ前の場所にいた。
いきなり借りを返された形になった彼だったが、彼にも先勝した意地がある。
本番のクラシックでは皐月賞5着、ダービー7着と上々の成績でまとめ、11着、9着に留まったライバルに重賞馬の貫禄を見せ付ける。
最下位に沈んだ菊花賞では13着のライバルに先着されるも、トータルでは3勝2敗と勝ち越して3歳を終えた。

3歳にしてGTを5戦する苛酷なスケジュールが祟ったのか、4歳になった彼は勝ちに見離される。
重賞で時たま好走を見せる一方で、自己条件に戻っても勝てない。
最も勝ちに近付いた秋の重賞でも最速の末脚及ばず2着。勝利の女神に嫌われる日々が続く。
それでも同じ路線を歩むライバルとの対決では燃えた。年初めのGVを勝ったライバルに重賞ウィナーの肩書きでは並ばれたが、
直接対決は4戦して2勝2敗と全くの五分。
2度の勝利ではいずれも馬券に絡み、例え調子が冴えなくとも一歩も退く事は無かった。

5歳の春。未だ不振の続く彼は2度目の挑戦へと乗り出した。
それまで戦ってきたマイル路線を捨て、中長距離路線への転向を果たしたのである。
シーズン序盤こそ結果は伴わなかったものの、やはり同じように中距離路線に矛先を向けてきたライバルに2勝1敗として徐々に弾みを付けると、
新潟の地で遂に久々の勝利、そして2つ目の重賞制覇を遂げる。
114こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/20(金) 21:17:56 ID:8rm4WMDt
ライバルの背中に再び差を付ける貴重な一勝を挙げた彼は、その後中距離の名脇役としての地位を確立していく。
春秋天皇賞・宝塚記念・ジャパンカップ・有馬記念と、俗に古馬王道路線と呼ばれる5つのレースを5歳から6歳にかけて皆勤。
クラシック3冠と古馬王道路線の合わせて8レース全てに出走を果たしたのは、彼以前にはたった5頭しかいない快挙である。
さりとて勝ち目のない賑やかしで出走していた訳でもなく、皆勤の最中に行われたGUでは強豪相手に3度3着に入り実力をアピール。
馬券の人気では見劣りしても、ファンからの歓声では決して負けなかった。

しかし王道路線への挑戦は同時に、底なしの不振に陥ったライバルとの対決の機会を失う事でもあった。
「俺は俺なりに頑張ってるぞ。だからお前も早く戻って来い。」
彼も心の中では、きっとライバルとの13度目の対決を待ち詫びていたのだろう。
あの熱きクラシック戦線のように、もう一度GTの舞台で戦える日を望んでいたのだろう。

だがその夏、遠征先の北海道で彼に待っていた運命は、神を信じられなくなる程に悪戯が過ぎる結末であった。
真剣勝負の中で起こってしまった不幸な事故。
デビュー以来この年まで一度も放牧に出る事のなかった丈夫な彼に始めて襲い掛かった致命的な故障。
その結果もたらされた「予後不良」の4文字によって、彼の未来は永遠に断ち切られた。
ライバルとの対戦成績は7勝5敗。それは悲しい「勝ち逃げ」であった。

秋の王道路線。GT3連勝を達成した2歳下の名馬の誕生に競馬界が沸く中、本来あるべきだった彼の名前はどこにも無い。
それでも時間は確実に流れ、彼の足跡を塗り潰すように新たな歴史が紡がれていく。
このまま漫然と歴史が続いたならば、彼の名は多くの星の中に埋もれていただろう。
しかし翌年、彼は思わぬ形で再び人々の記憶に上る事となる。

王道路線の幕開けを告げる春の天皇賞。
多士済々のメンバーが出走したこのレース、13番人気の勝利により3連単の配当が193万という大波乱となったのだが、
そのもう一つの要因となったのが、3年半振りにGTへと戻ってきた彼のライバルの激走であった。
昨年までの不振が嘘のように年明けからオープン特別で2連勝。かつて無いほどの勢いに乗っていたライバルは、
14番人気の低評価をあざ笑うかのように直線を先頭で迎え、そして最後の最後まで粘り通し2着を死守した。
「彼が天国からそっと後押しをしてたから、最後まで頑張れたのかもしれないなぁ。」
彼のファンだった人々は口々にライバルの健闘を称え、そして彼のあまりに早すぎる死を惜しんだのだった。

遠い空からレースを見守る彼が、10歳にして今なお地方で現役を続けるライバルと再戦するには、もう十数年の月日が必要かもしれない。
輝く星達の産駒が快進撃を続ける中、産駒を残せぬまま逝った彼の名は、その頃には今よりずっと薄れているかもしれない。
しかし遠い未来、彼が来世でライバルと再会する日が来たならば。
きっとその時は、同じ時代に輝いたどの星よりも熱い勝負を見せてくれる事だろう。

ダービーレグノ 1998.4.7〜2004.8.22
        43戦3勝 主な勝ち鞍:シンザン記念 新潟記念(共にGV)

115こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/21(土) 00:20:57 ID:rAy3Pm/C
ビッグゴールドか
116こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/21(土) 09:32:16 ID:U7Q73L8a
職人さんがいっぱいで嬉しいな。
自分は初心者でわからない馬も多いけど、いろんなレース見たくなってきた。
楽しみにしてるよ。ありがとう。
117名もなき筆者:2008/06/21(土) 15:03:22 ID:mWZ1tFMO
次は宝塚の前には書きたいと思っています。

というか、宝塚の前に出しておきたい文章。
118こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/21(土) 15:29:55 ID:I0OlUBLm
ライスシャワーかダンツフレーム期待age
119こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/21(土) 16:29:27 ID:KHWiREo7
ライアn…

やっぱり黙って待ってよう
期待してます
120こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/21(土) 20:29:34 ID:jhzpE6nq
ハマノパレードなのだろうか・・・。
121こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/21(土) 21:02:06 ID:FHwssaRC
シーザーかナオキ希望
122こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/21(土) 21:12:22 ID:DQ7GeqLB
123稚文ながら思い出話を:2008/06/22(日) 03:47:32 ID:hn6Wj9mY
現役時代、俺ははっきり言って「アイツ」が嫌いだった。
理由は簡単。応援してる「あの馬」をことごとく打ち負かしてくれたからだ。
「新聞を読む馬」という言葉は死語になりつつあるが、アイツはその称号が当てはまると思う。
通産で5勝しているのだが、1番人気で勝利したのは新馬戦のみなのだ。

俺がそんなアイツと初めて会ったのは競馬ファンになってから2年目になる春の仁川。
2番人気とはいえ、騎手が地味な上にG1馬になるべき馬の風格みたいなものも感じなかった。
当時バリバリのミーハーだった俺は、武豊を背にした一番人気の「あの馬」に釘付けだった。
終わってみると、「アイツ」の完勝。「あの馬」は3着。1着付けの馬単を流していただけの俺は、あえなく撃沈。
帰りの電車代だけが入ったサイフを見つめて「次はあの馬の母が勝ったオークスだ、次はこうはいかないぞ。」と負け犬の遠吠えのように呟いた。

1ヵ月後のオークス。俺はまたも一番人気に支持されたあの馬の単勝馬券をにぎりしめ、ウィンズのテレビを自信満々に眺めていた。
結果は・・・またしてもアイツの勝利。俺はあの馬が勝っていれば悠々と入っていたであろう居酒屋を横目に、
とぼとぼと家路につくハメになるのだった。

秋。ローズSはあの馬が勝ってくれた。アイツはそのローズSでは5着である。京都競馬場にいる俺は、自身に溢れていた。
何が牝馬三冠だ、長い牝馬クラシックの歴史で1頭しか出ていないその快挙を、アイツが成し遂げるわけがない、と。
しかしそんな快挙を、アイツはあっさりと達成してくれた。周りが歓声で湧き上がっている中、俺は呆然とするしかなかった。

そんなアイツの第一子が誕生したという知らせを聞いた時、
俺は「よしよし、わかった。過去は水に流そう。お前の子供まで目の仇にしようとは思わんよ。」と、自分勝手な妄想で祝福した。
「アイツ」の仔と「あの馬」の仔、どちらを応援しようかなんて考えていたその年の夏、アイツはなんとも突然にこの世を去った。
その知らせを聞いた時、俺は生まれて初めて馬の冥福というものを祈った。

来年、「アイツ」の子供が競馬場に現れる。「あの馬」の子供も。両方とも牡馬である。
ダービーで闘う二頭の子供の姿を想像しながら、早く来年にならないかな、なんて考えているのである。

スティルインラヴ 2000年5月2日生 2007年8月2日没
父サンデーサイレンス 母プラマダンテ 生涯成績16戦5勝
主な勝ち鞍:牝馬三冠

アドマイヤグルーヴ 2000年4月30日生
父サンデーサイレンス 母エアグルーヴ 生涯成績21戦8勝
主な勝ち鞍:エリザベス女王杯(G1)2回、阪神牝馬S(G2)、ローズS(G2)、マーメイドS(G3)
124見よう見まねで:2008/06/22(日) 12:26:56 ID:xRrv+Fak
彼はデビュー前から大きな期待をかけられていた。
垢抜けした馬体や血統もさることながら、2年連続でダービーを制覇した辣腕オーナーとその生産牧場の言わば秘蔵っ子的存在だった。
偉大な先輩たちがいずれもお馴染みの冠号をつけていたのに、彼だけはいたってシンプルな馬名。
オーナーが本気で彼による世界制覇を視野に入れているのではとまで噂された。

新馬戦を勝ち、2戦目のオープンは3着に敗れたものの、一息入れた3戦目の特別戦を快勝。
このレースで完封した後のライバルがトライアルの第1戦を勝ったことで、いやが上にも彼の評価は高まった。
そして今度は彼自身のトライアル挑戦。ここでまさかの出負け。しかも4コーナーを回って直線を向いてもまだ最後方のまま。
しかし残り1ハロンを切ってから、皆が信じがたい光景を目撃することになる。
前を行く11頭を次々と交わして上がっていくまさにゴボウ抜きの勝利。
勝利騎手インタビューで、普段沈着冷静で定評のある名手がやはり追い込みで鳴らしたかつての三冠馬の名前を引き合いに出すほど興奮していた。

晴れの皐月賞。当然の如く彼は1番人気に支持される。
トライアル同様に後方待機から、直線に入って豪快に追い込んできた。
しかし道中での不利もあって、惜しくも届かずの3着止まり。

本来人気馬や期待馬ではリスクの少ない好位抜け出しをモットーとしていた当代随一の名手が、これほど追い込み策にこだわったのは訳があった。
彼自身の気性面の問題もあったが、主として母方の血統から来るクラシックディスタンスへの一抹の不安があったのだ。
好位でレースを進めると終いが甘くなる危険性があるから、前半は脚を溜めて直線での爆発的瞬発力に賭けた。
でもそんな事情を知る由もないファンやマスコミは勝手なものだ。
曰く「あと400m距離が延びるダービーならあの豪脚が間違いなく届く」
曰く「中山であの脚が使えるのなら、直線の長い東京では更に有利になる」
おまけに皐月賞を勝ったあのライバルは骨折して戦線離脱してしまった。
ダービーでも何の疑いもなく人々は彼を1番人気に支持し、単枠指定にまで祭り上げられた。

そのダービー、名手は多頭数を意識して中団で折り合いをつけることに専念した。
さあ直線を向いて追い出しにかかったが、彼は全然反応しない。
恐れていた一抹の不安が現実のものになったのだ。
そのまま馬群に沈み、24頭立ての18着。生涯初めて掲示板を外すという屈辱を味わった。

このショックから立ち直れなかったのか、その後彼は長いスランプに陥ってしまう。
半ば無理を承知で挑んだ菊花賞も13着と大敗し、骨折から奇跡の復活を遂げて勝ったあのライバルとは決定的な差がついてしまった。
いつしか名手は彼のもとを離れていき、他の騎手の手綱を転々とする日々。
5歳時にはG3で一度2着には入ったものの、どこにでもいるような平凡なオープン馬の戦績だった。
秋の天皇賞、有馬記念と挑戦はしてみたが、人気にも話題にもなることもなく、伝説の芦毛決戦を遥か後方からぼんやりと眺めているしかなかった。

そんな彼も、6歳の夏になってようやく復活の気配を見せてきた。
遅まきながらマイル路線に転換してきたのが良かったんだろう。
ローカルで力を蓄えて戻ってきた秋の中山で、久々にあの名手とのコンビも復活した。

そのレースでいきなりスタンドが沸いた。
何と彼は先頭から2番手につけて走っている。
あの豪快な追い込みを忘れてはいないファンにはある意味衝撃的な展開だった。
そして直線に入り、きっちりと逃げ馬を捕らえての実に2年6ヶ月ぶりの栄光のゴール。
G3とは思えない大歓声にスタンドが包まれ、あのクールな名手が珍しくガッツポーズで応えた。
そのわずか数秒後によもやの悲劇が待っていた。
名手が異常を感じて下馬し、歓声はざわめきと悲鳴に変わった。

彼の生涯はここで終わった。
期待されたG1制覇も海外挑戦も叶うことはなかった。
でも最後のレースを劇的勝利で飾れたこと。あのライバルは彼よりも1年9ヶ月も前に同じ場所で生涯を閉じていたことを思えば、決して不幸なだけの馬ではなかったと思う。
何よりあの名手の気を再三狂わせた?という意味で、間違いなく記録より記録に残る馬だった。

マティリアル
1984年4月4日生まれ 19戦4勝
主な勝ち鞍 フジテレビ賞スプリングS(G2)、京王杯オータムH(G3)

125こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/22(日) 19:09:31 ID:4xyhup0C
そして2度と岡部騎手は馬上でガッツポーズをすることはなかった
126こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/22(日) 19:25:46 ID:bmLgx4jN
>>125
92年のJCと、95年の皐月賞でしてる。
127こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/24(火) 03:11:37 ID:xarUxtE3
128こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/24(火) 10:16:03 ID:tktHJ48T
マテリアルとサクラスターオーに触れるなら、ゴールドシチーについても書き込まな!
129こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/24(火) 10:41:39 ID:ut9Sh65/
それは武にも言える 菊花賞をダンスで勝って以来ガッツポーズは見ないな 手を上げるくらいはよくするが
130こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/24(火) 11:06:28 ID:+8doCyHA
スペのダービーの時にめちゃくちゃガッツポーズしてたから…きっと幸四郎のことなんですね

矢沢わかります
131こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/24(火) 12:28:17 ID:ut9Sh65/
あ〜あやってたやってたムチ落としてたな
132こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/24(火) 22:48:29 ID:0tnekGg8
>>128
ならお前が書けよ
マティリアルの馬名すら間違えてるくせにしゃしゃり出てくるな
133こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/25(水) 02:22:11 ID:0nGxz3tk
>>132
せっかくの良スレで喧嘩やめよ
134こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/25(水) 04:42:36 ID:GJV7bTo6
良スレです。感動しました、ありがとう〜
135こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/25(水) 05:24:51 ID:hhor0efr
>>124
記録より記憶じゃないの?

読ませる文章ってのは伝わってくるけど
こういう文章で締めの箇所の誤字は致命的

やっぱ名も無き筆者さんのが一番だね…。
136ぽん:2008/06/25(水) 15:08:12 ID:GVozwLa7
彼は日本有数の馬産地、浦河にある信岡牧場でうまれた。
この信岡牧場は彼の物語が始まるほんの少し前に2頭の重賞勝ち馬を輩出している。
桜花賞を勝ったワンダーパヒュームそして、その全弟でスプリングS勝ちのワンダーファングである。
しかし、いずれも進退の際、予後不良で落命してしまったのだ。
二度あることは三度ある……そう彼もまた、この姉弟から続く悲運の連鎖の中にいたのである。

血統背景は母父サンキリコ、零細に強い父ブライアンズタイムズ。
母方はけして良血とはいえない血統。そして、クラシックへの道を生まれる前から
閉ざされたかのような色濃いマイラーの血筋。
しかしながら、信岡牧場にとっては脈々とつないできた母系であり精一杯の期待の良血であった。
志半ば散っていったパヒューム、ファングの影を払拭してくれ、その願いむなしく
生まれてきた彼、インターピレネーの10はいかにもずぶそうな見てくれの悪い馬であった。
「牛みたいな馬だった」
それが悲運のグランプリホースの生い立ちである。
137ぽん:2008/06/25(水) 15:09:02 ID:GVozwLa7
その見た目のせいで彼に対する調教師の評価はけして高くは無かった。
新馬戦が6月のダート1000mという条件の時点でそれはうかがい知れるだろう。
クラシックを視界に入れてなかったのだ。それもそのはず母父サンキリコは
2歳時(旧3歳)にしか勝ち星を挙げられなかった超早熟でもあったのだ。
新馬戦こそ敗れたものの、その後3連勝を果たした彼は早々に休養に入ってしまう。
賞金を稼ぎながら、重賞に登録せずに彼の2歳はくれていった。
早熟の血をもちながら勝っても勝っても師の評価は覆らなかった。
しかし、彼は一生懸命走り続けることで師の考えを変えていった。「強いかも」「早熟ではないかも」
皐月賞を前についに、彼はクラシックホースとしての信頼を自らの力で勝ち取ったのである。
しかし、別の問題が立ちはだかる「魔の中山コース」とにかく、当年の中山の馬場は厳しく
前年タガノテイオーの命を奪い、アグネスタキオン、ツルマルツヨシ、アグネスゴールドら
素質馬の競争生命をたつことになるほど荒れていた。加えて主戦の武豊にも騎乗を断られていた。
しかし、皐月を回避すると次のクラシックはマイラーには途方も無い2400mのダービーである。
自らクラシックへの道を閉ざしNHKマイルカップからマイル路線へ行くこともできる。
しかし、魔力に負けた。ホースマンの夢に負けた。
陣営が選択したのは主戦を欠いての「三冠」への険しい道であった。

単勝1860円。
それが、皐月賞当日の彼への評価だった。しかしながら3番人気である。
そう、今年のクラシックはすでに上位数頭が傑出しているという評価が競馬ファンに下されていた。
天才アグネスタキオンが三冠へ向けてまず一冠。それがこの皐月賞で競馬ファンの多くが描いたシナリオだったのだ。
1番人気のアグネスタキオンは1つ上にダービー馬の全兄をもつという掛け値なしの超良血で見栄えのする栗毛のグッドルッキングホース。
牧童にすら「牛」と評された彼とは生まれも育ちも違った。
すでに3戦をいずれも圧巻の内容で勝ってきたアグネスタキオンに勝負をしかけるなら自身のベストを尽くさねば
ならない、その思いとは裏腹に彼は1コーナーで他馬と接触し、いきなり躓いてしまう。
しかし、この不利が逆に彼らの腹をくくらせた。
すでに前目につけているタキオンを外をまわして差し脚を伸ばして王者のレースで勝ちきる。
「元々そういうレースではなかったのか」鞍上の藤田はタキオンに勝てば勝てるレースと踏んでいた。
タキオンはなぜか調教を嫌い万全ではない、ここが千載一遇。差して勝つ。
あせらずじっくりとタキオンをみながら進出していく。ついに最終コーナーでタキオンの後ろについた。
しかし、あまりにもぴったりと後ろにつきすぎた。両脇を藤田と同じ思惑ではしっていた馬が固める。
「外にも内にも出せない」ようやく末脚を発揮できるようになったのはタキオンが加速し前があいた後であった。
決着寸前になってまたも不利、ミス…
さらにタキオンに2番人気で豪脚自慢のジャングルポケットが眼前で競りかけていった。
すでに距離的に未知の領域を走っている彼ではあったが、ここで必死にジャングルポケットを差し返す。その姿はもはやマイラーではない……
狙うはもうタキオンの首のみ…しかし、差しきるはずの相手は、皐月賞のタイトルは、徐々にその差を開けて彼の目前から逃げていった……
あの日最後の直線で縮まらなかった1馬身、今となってはそれが彼の馬生を暗示していたようでならない。

三冠の夢が断たれた。

しかし、山内師はもう迷わなかった。皐月の走りで悔いた。彼への扱いを悔いた。
「次はダービーだ」
NHKマイルカップには行かない。
ここにいるのは「早熟馬」でも「マイラー」でもない。ましてや牛でもない。
クラシック候補のサラブレッド「ダンツフレーム」だ。縛られるのをやめた。
138ぽん:2008/06/25(水) 15:09:53 ID:GVozwLa7
しかし、なんということだ。肝心のダービーでフレームに乗る騎手がいない。
皐月賞2着馬に乗るジョッキーがいないのだ。
主戦の武、皐月で乗った藤田も他馬に乗ることになった。
白羽の矢がたったのはなんと皐月でアグネスタキオンに騎乗していた河内であった。
運命の巡り会わせか、神の悪戯なのか、最大のライバルの故障により鞍上に前年のダービージョッキーを迎えて
ダービーにのぞむこととなった。

「重」の表示がその日変わることは無かった。肝心のダービーになって彼にとって初の重馬場である。
距離、馬場、騎手すべてが未知の領域に達していた。
そんな中スタートした第68回日本ダービーは波乱の展開になった。
これまでになく絶好のスタートを切ったダンツフレームだったが
それまで大逃げを打たなかったテイエムサウスポーが破格の大逃げを打ったのである。
一向に緩まることの無い和田とサウスポーの単騎逃げ。
能力的にもペース的にも持ちはしない、だが、捕らえなくてはならない。
そのジレンマに各馬がプレッシャーを感じずにはいられない。やがてぱらぱらと追走する馬が出てくる。
彼は距離への不安もある。しかし、河内は抑えた。豪脚自慢のクロフネ、ジャングルポケットの
後方からチャンスをじっと待ったのである。相手に巻き込まれるのが一番いけないことを
百戦錬磨の河内は知っていた。

ハイペースで逃げ、ダービーの最短距離を目指した馬たちが失速してくる。当然彼は内を使えない。
しかし、元々河内には重い内は荒れて馬場が死んでいると読んでいた。
距離損も計算のうち。ペースを乱すことなく最後の直線に向いたまさに万全だ。
直線を追い出すと早くもクロフネ、ジャングルポケット、ダンツフレームの3頭の競馬になった。
が、失速していく。
3強を演じるはずの、マル外の怪物と恐れられた「黒船」が沈んでいく…
NHKマイルカップを制した「マイラー」が、彼の横をずるずると後退していく中
ダンツフレームは贖った。その血の運命と戦うように必死で前を行く
府中巧者といわれるトニービン産駒ジャングルポケットを追った。

しかし、無情にもその差は皐月賞のタキオンを追った時と同様に開いていった……

139ぽん:2008/06/25(水) 15:10:41 ID:GVozwLa7
その後は不振が続いた。
秋シーズンは太めに見せる馬体がさらに太って見えた。
それでも掲示板には載り続けた。
安田記念2着の後、運命の4歳春の宝塚記念を迎える。

このレースは有力馬がことごとく回避し、なんとGI勝利馬がエアシャカールのみという事態であった。
そのエアシャカールも3歳を除いて勝利すらないという勝ちきれない王者で
しかも12頭立てという稀に見る寂しいメンバーとなった。

レースは果敢に逃げた3歳馬ローエングリンが終盤まで単騎逃げをキープするという展開になった。
しかし、ハイペースにはならない。後ろの馬が遅い。
ダンツフレームは終始エアシャカールを少し下げてマークする展開となる。
やがてローエングリンと後続との差が4コーナーを前に徐々に詰まっていき……
ここまでは普通ペースの逃げとしては予想通りの展開となった。が、ここからが違った。

準三冠馬のエアシャカールが3歳馬ローエングリンを抜けない。後続一団となってじわじわとつめていた
筈の差が逆に開いていく。馬群に消えるはずの馬が消えない。前のエアシャカールが苦しくなった。
それにつられるようにダンツフレームもじりじりと後退してしまう。
ようやく、前を裁いてローエングリンにつけた時はゴール手前だった。
皐月、ダービーの悪夢がよぎる。
粘るローエングリンに競りかけるダンツフレームであったが
元々ペースがけして速くないレース。後ろからツルマルボーイが一世一代の脚で突っ込んできた。
脚色はツルマルボーイ。しかし、最後の最後、それに呼応するようにぐんとダンツフレームが脚を伸ばした。
あの日のタキオン、ジャングルポケットのように最後に後続を突き放して勝った。
ついにダンツフレームはGIを制したのである。

この時点で、ダンツフレームは明らかに目減りしていた。
しかし、馬産地からの種牡馬として彼を望む声は無かった。
見栄えも悪く、肝心の宝塚記念の相手関係が薄かったダンツフレームはその競争成績より低く見積もられたのである。
「あと1つタイトルを。」陣営は願った。
ここから、彼は転がり落ちていく……

ようやく次を勝ったのは実に59キロを背負った新潟大賞典であった。宝塚から約1年の月日が流れていた。
しかし、その後も惨敗を喫した。
同期の兵といわれたアグネスタキオン、クロフネ、ジャングルポケットらがそうであったように
彼の脚もここにきて限界を超えていた。競走馬としての再起が不可能といわれるほどの
重度の屈腱炎を発症し、ターフに別れを告げた。もはや満身創痍だった。

宝塚記念優勝、ダービーはジャングルポケットの2着、皐月賞はアグネスタキオンの2着、
安田記念ではアドマイヤコジーンの2着という実績を引き下げての登録抹消。
生まれてくる時代が違えばクラシックもとれたかもしれない。

彼の競走馬としての熱い戦いは終わった、そして次のステージの戦いへのぞむはずだった。
140ぽん:2008/06/25(水) 15:11:06 ID:GVozwLa7
しかし、時代と人は彼の安息を許さなかったのである。

自ら払拭したはずのマイラー、早熟の母系の血が低く評価され、条件が折り合わず
ついに交配することなくまた1年が過ぎた。
「ダンツフレーム復帰」
再起不可能の爆弾を抱えたはずの彼が、種牡馬となったはずのグランプリホースが
競馬場に帰ってきた。競馬ファンは驚きを隠せなかった。
ただし、そこは賞金数十万の九州は熊本の荒尾競馬場であった…むろんダンツフレームほどの馬が
荒尾競馬で走ることが未曾有の事態である。
中央引退馬がもう一度中央でいきなり走ることは現行の制度では不可能であった。
荒尾競馬から南関東競馬入りをし、勝って地方所属として再び中央へ、そこで実績を残して
今度こそ種牡馬に……満身創痍の体に鞭打ち、再び彼は走り出した。

しかし、ダンツフレームにそんな力は残されていなかった。
結果的にこの前進が彼にとっての致命傷となった。
ハイレベルなダート馬がそろう南関競馬は、彼の稼いできた実績を背負って走ることを許さなかった。
まるでレースにならない。大敗を繰り返した。
もう完全に行き場をなくしていた。
この地方での戦いをもってわずかにのこされていた韓国での種牡馬入りもたち消えた。
その後ダンツフレームは訓練のための乗馬として引き取られた地方競馬教養センターですぐに肺炎を患い
高熱を発しながらその名のとおり、灰となって燃え尽きた。

マイナーのマイラー血統にありながらクラシック路線を掲示板をはずすことなく好走し
天皇賞(春)や菊花賞でも掲示板にのることは凡馬にできることではない。
そういう意味ではダンツフレームは5年に一度、いや10年に一度出るかどうかの風雲児であった。
自らの存在をかけて戦い抜いた彼の戦いが報われることはなかった。
パヒューム、ファングの姉弟にみた信岡牧場の悲願もはかなく消えた。
アグネスタキオン、ジャングルポケット、クロフネ、マンハッタンカフェ。
ダンツフレームより早く病に屈した同期のライバルたちはすでに種牡馬として好績を修めている。
そのたびに彼にあった可能性に思いをはせる。
せめて安くても生きて種牡馬になっていてくれれば……


あとにのこされたのは地方競馬教養センターにある小さな墓標だけであった。

ダンツフレーム
1998年4月19日生まれ 中央22戦6勝 地方4戦0勝
主な勝ち鞍 宝塚記念(G1)、アーリントンC(G3)、新潟大賞典(G3)
141こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/25(水) 17:49:28 ID:plDMhoZQ
ギムをみるに、種牡馬ならなかったのは惜しいけど、この時点ではブライアンズタイム後継といればナリタブライアンの大失敗のイメージの方が強かったのかな。
142番外:2008/06/26(木) 22:31:21 ID:yNdWWBEb
遅レス失礼。
>>109 「福島の帝王」ミスターブランディてのもいましたね。
確か新潟と福島でしか勝ってないはず。
福島で走る時だけ人気になってて、大笑いしました。

>>122 ウィキペディアは今イチ書き方が判らんのですが…
もしアレでしたら、雛形を作って、まずはこのスレにアップしてみますわ。
書きたい馬が他に何頭かいるので、しばしお待ちを。
143名もなき筆者:2008/06/26(木) 23:47:49 ID:2lgjmvn2
「かわいそうな馬が2頭いたレースだった」

このフレーズを聞いて、あなたはいつのレースを思い浮かべるだろうか。

今回の主役は、2頭いる。
2頭は全く別の道を歩み、たった1度だけ出会い、そして2度と交錯することは無かった。
もっと言えば、本来ならその舞台で彼らが、いやこのレースの全ての出走馬が、この場所に立つはずでは無かった。

1頭は黒鹿毛、そしてもう1頭は鹿毛だった。
彼らは別々の国で生を受け、黒鹿毛の方が1年と少し早く誕生した。
だから、まずは黒鹿毛の彼のことから話そう。


黒鹿毛の彼は、小柄だった。
だけど、細く見えるくらいの時の方が走った。
大物食い。ナタの斬れ味。刺客。そんな形容詞がピッタリだった。
同期の2冠馬を食ったあの日から、苦難と背中合わせの栄光の日々が始まった。

そもそも彼は、旧7歳まで走らなくても良いはずだった。
GTを2つ勝った馬に、種牡馬としての引き合いが無いはずがなかった。
しかし夏が過ぎ、秋が来て、彼の成績が振るわなくなると、その話は立ち消えになっていた。

彼はきっと、気持ちで走る馬だったのだろう。
長距離砲でありながら、休み明けのレースで惨敗したことは無かった。
2歳下の3冠馬が圧勝した有馬記念では、3着に飛び込んで関東馬の意地を見せた。


デビュー前から、黒鹿毛の彼以上に大きな期待をかけられていたのが、今回のもう1頭の主役。
生まれはアメリカ。調教師が惚れ込んだ種牡馬の仔。やや大きめの、垢抜けた鹿毛の馬体。
目立った弱点と言えば、脚元のモヤモヤくらい。しかし、その弱点と大きめの馬体が彼を苦しめた。

新馬からの2連勝は、いずれもダートだった。
朝日杯に出そうと思えば出せる時期だった。
だが、彼の脚元はまだまだ固まっていなかった。

復帰したのは、夏、というよりは残暑の新潟。
レース当日、9月の日本海を台風が縦断した。
新潟は早々に月曜順延が決定。強行した函館は暴風雨に見舞われた。

1ヶ月に1走のペースで、復帰後7戦3勝。
オープンでのメドが立ったその矢先、また脚元が悲鳴を上げた。
重症だった。先の見えない日々。それでも調教師は、スタッフは諦めなかった。


そして、2頭は年を越した。
半月後、大地が裂けた。大きく裂けた。
戦後最大級の被害。あまりにも多くの傷跡が残った。

阪神競馬場で6月に行なわれるはずだったグランプリは「震災復興支援競走」と銘打たれ、京都競馬場で行なわれることになった。
144名もなき筆者:2008/06/26(木) 23:53:46 ID:2lgjmvn2
2ヵ月後。鹿毛馬は13ヶ月ぶりのレースを楽勝してみせた。
鞍上には関西のいぶし銀・村本善之がいた。
戦前は半信半疑だったというテン乗りの村本。この勝利で村本の中に芽生えた「もしかしたら」という思い。

村本は、どちらかと言えば地味な騎手であった。
その確かな腕前は誰もが認めていたが、無口で朴訥とした男だった。
20数年の騎手生活の末に訪れた出会い。村本の中で、何かが変わろうとしていた。

1ヵ月後。黒鹿毛馬は勝った。
彼にとって、2年越しの天皇楯。3つめのGT。京都長距離3戦3勝。
過去のレースとの決定的な違い・・・それは「自分との戦い」だったこと。死力を尽くした3角先頭の奇襲。

3000m以上の平地GTが行なわれるのは、日本では京都競馬場のみ。
彼が3つのGT勝ち全てを京都で挙げているという事実。彼は生粋のステイヤーだった。
ところが、それ故に彼は走り続けるしかなかった。天皇賞2勝目を挙げてもなお、彼に吉報は届かなかった。

3週間後。あの鹿毛馬は初めて重賞を勝った。
復帰から1ヵ月半、この日が早4走目。使い詰めだった。
だが、それは彼の脚元の具合が落ち着いていて、ようやく能力を出せる状態になったということの証明でもあった。

京都で行なわれるグランプリまで、あと3週間。


人馬ともに自信を持っていたのは、鹿毛馬の方だった。
無口な村本が「負ける気がしない」と言い切ったとまで伝えられている。
強行軍は百も承知だった。だが、何よりも初重賞制覇の完璧な内容が、大きな自信となっていた。

一方、黒鹿毛馬の陣営は悩んでいた。
死に物狂いでもぎ取った天皇楯、しかしその代償は大きかった。
気持ちで走るはずの彼の背中が、凋んで見えた。しかし、いくつもの事実が陣営の背中を押した。

ファン投票1位。
京都の2200mという条件。
スピード偏重とも言える時流の中で、彼がスピードへの適応力を示せていない、という声、声、声。

そして、第36回グランプリの日がやって来た。


栗毛の弾丸を倒して掴んだ王座。
芦毛の名優を倒して掴んだ栄光。
数え切れぬほどの苦難。全てを共に味わってきた騎手・的場均は、パドックで跨った次の瞬間、とある覚悟を決めた。

村本の自信と、的場の不安。
2人の騎手の思いはそのまま、レース展開となって現れた。
淀み無いペースの中、スイスイと3番手を追走する鹿毛馬。一方、いつもより後ろでの追走となった黒鹿毛馬。

3コーナーの坂の上り。
次々と駆け抜けていく17頭。
そして、坂の下り・・・
145名もなき筆者:2008/06/26(木) 23:54:51 ID:2lgjmvn2
冒頭のフレーズは、こんなふうに続いている。

「かわいそうな馬が2頭いたレースだった
 1頭は ライスシャワー
 (中略)
 もう1頭は ダンツシアトル
 屈腱炎を乗り越えて やっとGTを勝ったのに
 あのレースは
 “ライスシャワーが死んだ宝塚記念”
 として 語り継がれてしまう
 それも また 運命だろうか」

的場は、なきがらが納められた馬運車を敬礼で見送った。
あまりにも衝撃的なシーンを目の当たりにした人々は、JRAに抗議した。
雨上がりの芝でマークされた日本レコード。類稀なる超高速馬場。人々は、悲劇の原因をそこに求めたのである。

そして、2分10秒2でグランプリを制したのが、あの鹿毛馬・・・ダンツシアトルだった。


2頭にとって、何より不幸だったこと。
それは、ライスシャワーのみならず、ダンツシアトルもその後2度とレースに出られなくなってしまったこと。
最大の目標と位置付けていたジャパンカップはおろか、自らの走りで「影」を振り払う機会は、ついに巡って来なかったのである。

「秋の大きいところは全部獲れる、と思った」
ダンツシアトル故障の知らせを聞き、調教師に食い下がったという村本善之は、後にこう振り返ってみせたという。
敢えて最後に1つだけ付け加えるならば、現在もダンツシアトルは、九州の地で幸せに暮らしている。それ以上の言葉は、要らないと思う。


第11回 ライスシャワー&ダンツシアトル
ライスシャワー 1989年3月5日誕生 1995年6月4日死亡 戦績25戦6勝 主な勝ち鞍:菊花賞、天皇賞・春2回(以上GT) 日経賞(GU)
ダンツシアトル 1990年5月13日誕生             戦績14戦8勝 主な勝ち鞍:宝塚記念(GT) 京阪杯(GV)
146こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/27(金) 00:22:50 ID:qrYCJg46
1の人、もしかしたらミクシィの日記でこうゆうの書いてませんでしたか?
文章とか、文中じゃ当事馬の馬名を出さないとことか、共通点もあるし。
147こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/27(金) 12:20:15 ID:rAl67Jul
>>145
ダンツを選ぶ所が渋すぎる・・・(;´Д`)スバラシス
148こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/27(金) 13:15:39 ID:4ksY2FJE
>>145
「かわいそうな馬が2頭いたレースだった
 1頭は ライスシャワー
 (中略)
 もう1頭は ダンツシアトル
 屈腱炎を乗り越えて やっとGTを勝ったのに
 あのレースは
 “ライスシャワーが死んだ宝塚記念”
 として 語り継がれてしまう
 それも また 運命だろうか」
オフサイドトラップにそのまま流用できるな
149名もなき筆者:2008/06/28(土) 12:50:19 ID:fqXcsdpS
>>146
うーん、mixiやってるのは確かなんですが、あっちではほとんど書いてないはず・・・
少なくとも最近は。

第11回(>>143-145)はちょっと長くなり過ぎたかもしれませんね。
150こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/06/29(日) 22:28:23 ID:leV+T6GC
宝塚age
151駄文ライター:2008/06/30(月) 20:19:28 ID:oFRsrc8j
煤けた労働者の街の場内は煮込みの匂いが染込み、昼間からワンカップをあおり
煙草の煙と怒号が男達をまた其処に集わせる。

ここは、お洒落なカジノではない。鉄火場だ。
不思議なもので鉄火場には幾千もの男達を魅了してならない女が現れるものだ。
そう、砂の王国で散った女王が第2の馬生を始めたのもここだった。

彼女の話を始めよう。
非常に発達したトモにより、彼女が最初に馬場に現れた時の事を
調教師は「カンガルーのように跳ねていた」と述べている。
事実、狭い馬房は彼女が蹴っても大丈夫なように、天井にまでゴム板が敷詰められていた。

5月生まれに父はミルジョージ。10月にデビューした3歳の成績は4戦2勝である。
しかし明け4歳になり連勝を始めると、陣営は躊躇わずに牡馬三冠に挑戦させたのである。

三冠の1つ目羽田盃を1番人気で、東京ダービーも1番人気で快勝する。
オールスターCで2着に敗れるものの陣営の次のレースに選択したのは
中央のオールカマーである。
当時は中央と地方が交流する事は殆ど無かった。

ダートしか走った事のない馬

4歳の牝馬

それでも彼女は3番人気に押されたのである。
レースはレコードで決着する。
1着は地方から転厩していた芦毛の怪物であった。

地元に戻った彼女は最後の1冠さえも難なく勝つと
JCに登場するのである。
ここで彼女は15着と惨敗する。勝った馬とは4.7秒差決定的な差であった。
勝った馬は、異国から来た女傑であり、2着は例の芦毛の馬だった。
陣営はここで引退を決断したと伝えられている。

もし、今のように交流戦が活発なら
もし、今のように牝馬古馬の重賞が充実していたら

きっと彼女は違う道を進んだのかも知れない。

152駄文ライター:2008/06/30(月) 20:20:07 ID:oFRsrc8j
暮れの東京大賞典を0.7秒差で勝つと、彼女の引退レースが設定された。
その日、川崎は異常な熱気に包まれていた。
朝から鉄火場に人が集まりだした。
引退の記念用に作られたテレホンカードが欲しくて、大の大人が何度も何度も入場券を購入していた。
驚くべきはその単勝である。
朝から1.0倍で動かないのだ。
更に、2番人気で万馬券なのだ。
ゲートが開く。
軽く先団に取りつくと3コーナー手前から加速し3番手以下を引き離す。
短い川崎の直線に入った時だろうか。
場内の視線は1頭に集中し、全員が彼女の名前を叫んでいたように思った。
1.6秒差・・・実は彼女が10勝した中でつけた着差で最大である。

先日、川崎競馬場が久しぶりに賑わった。
真っ白な牝馬が重賞を制覇したのだ。
中央のトップジョッキーが跨り、競馬場にはカップルも増えた。
町にはお洒落な商業ビルが出来、公害の街、労働者の街という記憶は人々には無いように思える。

その日街で酒を飲んでいたら、ツナギを着たおやじ達がホッピーを飲みながら
「でもよ、ロジータにはかなわねぇべ」
そう言って楽しそうに話していたのだった。

ロジータ 15戦10勝(うち中央2戦0勝)
産駒 シスターソノ・イブキガバメント・カネツフルーブ・オースミサンデー他
153番外:2008/06/30(月) 23:04:51 ID:rPYhZ9Ro
>>151-152 乙です。カネツフルー「ヴ」ですね。
2002年の帝王賞。
ロジータの仔のカネツフルーヴ、マックスフリートの仔のミラクルオペラのワンツー。
中央馬にしてやられたはずなのに、なぜか心は晴れていた。
154名もなき筆者:2008/06/30(月) 23:57:33 ID:Ntz7UnoB
ある年の暮れ。
彼は、砂嵐の中に消えた。

壮絶な逃げで魅せたドルフィンボーイ。
彼はしかし、偉大な先輩とは対照的に、迫力溢れる末脚で人々を魅了した。

地方所属と中央所属という違いこそあれど、舞台は同じ砂の上。
歓喜の瞬間からちょうど12年。オーナーはどんな思いで彼を送り出したのだろうか。

充実の秋が待っているはずだった。
6歳にして能力満開。重賞を2勝。賞金の心配をしなくてよくなったのだから。

37戦目で初めて脚を踏み入れたダートの聖地・大井。
ちょうど12年前、同じオーナーの下で、偉大な先輩が制した舞台。

4コーナーに差し掛かった時。
豪華メンバーの中で、彼の前に居たのはたった1頭だけ。

「もしかしたら」

数十秒後。
夢は幻と消えた。

遡ること10年前、浦和競馬場。
ドルフィンボーイに訪れた悲劇について、ここで改めて書こうとは思わない。

ただ、ドルフィンボーイに魅せられたオーナー。
そのオーナーが馬たちに注ぐ愛情の深さに思いを馳せた時・・・

何ともやり切れない感情が湧き上がってくる。

2006年の暮れ。
彼は、砂嵐の中に消えた。


第12回 ハードクリスタル 2000年4月27日誕生 2006年12月29日死亡
戦績 37戦9勝 主な勝ち鞍 東海S、ブリーダーズGC(以上GU)
155こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/07/01(火) 09:02:35 ID:Whwu5unJ
>>151

ちょっと待て、おまい。

ロジータが「影の中に消えた」って・・・・・・・。

それじゃなんでもかんでも影になっちまうぞ。
156駄文ライター:2008/07/01(火) 12:30:37 ID:/gEaAQrb
番外さん
ヴですね。OTLへたこいた。

>>155さん
確かにロジータは川崎市民の私には今でも輝いているんですよ。
だけど、今の若い競馬ファンの人と話していると、知らない人もいるのです。
文章の中では抑えて書きましたが
今のように交流戦が活発だったら、ダート路線が充実していたら、
古馬牝馬の重賞が充実していたら・・・
と考えるとね。
「時代の影」なのかとも思うんです。
157こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/07/01(火) 23:50:49 ID:YPFt3BOW
誰かエリモダンディーを…
158こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/07/02(水) 00:06:16 ID:hGDZyyg6
名も無き筆者さんのだけでいいよ

その他の人って文章や馬のチョイスがイマイチ
159こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/07/02(水) 00:50:43 ID:gdg3roEX
ローゼンクロイツお願いします
160こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/07/02(水) 12:05:03 ID:yHJlsZTW
>>158
それを君が言う権利は無いよ
文章力はともかく、馬のチョイスなんて人それぞれだろ
161こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/07/02(水) 13:22:46 ID:XJ4MDAh4
>>154
乙。
オーナーの無念さもさながら、
ハードクリスタルの死で騎手の藤岡も変わったと思う。
タイトルにふさわしい馬だね。
162こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/07/02(水) 16:20:46 ID:A1AeuvX5
カイソウ
163こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/07/05(土) 15:56:14 ID:HZVoOLqq
>>143 牝特のキシューローレル、イットーかと思ったわ。(笑)
164こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/07/09(水) 14:55:35 ID:VWQ3XyIG
ほす
165こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/07/09(水) 14:59:36 ID:TmdOcsFb
スダホーク
166名もなき筆者:2008/07/10(木) 00:21:45 ID:/GJfSNpk
勢いが全てを凌駕することがある。

何年か競馬を観ていると、たまにそういう場面に遭遇する。
最近では・・・パッと浮かんだのはアロンダイトのジャパンカップダート。
あのレース、小さな画面の前で私は言葉を失った。

だが、今回の執筆の動機は全く別のところにある。
もっと言えば、ほんの数時間前までは全く取り上げるつもりが無かった馬。
それが、今回の主役。

9年前の暮れ。小さな受話器の前で私は言葉を失っていた。

あの日、私の頭の中に居たのはただ1頭、初めて中央と地方との壁に大きな風穴を開けた岩手の雄。
一部では「軍神」とまで呼ばれていた岩手の雄は、しかし、4コーナーを待たずして馬群に沈んでいった。
替わって最後の直線で先頭に立ったのは、「風神」の名を持つかつてのダービー馬の娘。目の前には誰も居ない。

「勝った」――そう思ったであろう横山典弘の視界に飛び込んできたのは、1頭の芦毛馬。

呆然と受話器を握っていた私の耳に、かすかに聞こえて来た彼の名前。
5ヶ月の休み明けから、5連勝でのGT戴冠。その全てが、1馬身差以内での勝利。
文字通り、「破竹の勢い」での東京大賞典優勝である。彼がもっとも輝いた瞬間であった。

翌年の春、彼はドバイの地に居た。
一度は諦めかけた招待状を手にした彼は、6番目にゴールを駆け抜けた。
帰国後、待ち受けていたのは骨膜炎。持ち前の闘志を失った彼は、やがて居場所を失った。

父は無名種牡馬。母の近親に活躍馬は皆無。重賞勝ちは統一GTのみ。
彼は走り続けるしかなかった。自らが生き続けるために。その道を自ら切り拓くために。

ダートの聖地・大井で頂点を極め、ドバイの地で戦ってからちょうど4年。
彼は、長い長い戦いの末に、九州は荒尾競馬の頂点に立った。
そして、彼はここで真っ白に燃え尽きた。殿追走・殿負けのデビュー戦から、6年以上の月日が流れていた。

彼は今、信州佐久の地で、メジロデュレンらオグリワンたちと一緒に暮らしている。

彼が生まれてから10年後。
母ケイシュウハーブは、栗毛の牡馬を産み落とした。
遡ること4時間前、2008年のジャパンダートダービーにおいて、最後までサクセスブロッケンに食い下がったスマートファルコンが、それである。

事実上の「繁殖牝馬失格」の烙印を1度は押されたケイシュウハーブ。
芦毛の孝行息子の活躍が無ければ、彼女が岡田繁幸の弟に見出されることも、10歳下の弟が誕生することもなかったであろう。

サラブレッドが背負っている「経済動物」という影。
その事実と向き合って、それでもなお、私はこう思う。

競馬とは、やはり血のドラマなんだ、と。


第13回 ワールドクリーク 1995年4月25日誕生
戦績 中央36戦8勝 地方14戦6勝 主な勝ち鞍 東京大賞典(GT)
167こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/07/10(木) 06:16:45 ID:y6lDMMSt
>>166
皐月賞どん尻負けのスマートファルコンを
父ゴールドアリュール半兄ワールドクリークの血統から拾いました。
168こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/07/17(木) 00:25:46 ID:cltRVDCn
あげ
169こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/07/21(月) 06:50:03 ID:PITWscNZ
hoge
170こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/07/24(木) 12:22:49 ID:cYjwpW+U
名も無き筆者さん、ネタが尽きちゃったのかな?
結構楽しみにしてるんだけど…
171名もなき筆者:2008/07/27(日) 23:13:31 ID:bTc/DVma
>>170
ネタは私が名前を知っている馬の数だけある。

・・・というのは流石に風呂敷広げ過ぎですが。
ちょっと余裕が無いのです。
実生活でも駆け出しの身なもので・・・。


もう少しお待ちいただければ幸いです。。。
172こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/07/27(日) 23:20:04 ID:+wGzC+AM
サクラスターオー期待
173こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/07/28(月) 00:23:13 ID:IjqPPZ1S
>>171
とりあえず生きていてくれたことに感謝
よっしゃ、新作が出来るまでまったり保守するぜ
174つなぎ:2008/07/30(水) 18:06:29 ID:ht3SNzKW
『オールラウンダー』
この言葉を聞いて、何を連想するだろうか。
何でも器用にこなす優等生。あるいは、全てが中途半端なイマイチ君か。人それぞれだろう。


その馬は、四歳の夏に力をつけはじめた。
札幌の準オープンのエルムSを勝ち、果敢に札幌記念に挑戦し低評価を覆し、3着に入る。
札幌記念の悔しさを晴らすかの様に、ダートのタイムス杯,シーサイドSを連勝。

そして、初の大舞台を踏む。雨が降りしきる府中。秋・天皇賞。
不良の馬場を先頭でゴールしたのは、メジロマックイーン。その馬は、4番手での入線。
マックが18着降着になり、3着となったが、実際は1秒以上離された。影すら踏めない。完全な力負けだった。

年明けの日経新春杯を快勝後、阪神大賞典に挑む。
出走は僅かに6頭。その中には、あのマックがいる。事実上の一騎打ちだ。
雨が降る深いモヤの中、ゲートが開く。
マックは3番手を追走し、その馬はマックを完全にマークしていた。
4コーナー手前で楽に先頭に立つマック。後続を楽に突き放す。
マックのスパートについていけない。直線半ばで勝負はついた。0.8秒差の2着。

舞台を京都に移す。春・天皇賞。
無敗の帝王と最強ステイヤーの一騎打ちと、世間は騒ぐ。
その馬の、専門紙の評価は△か無印ばかり。
マックは、二周目の坂の頂上で一気に捲っていく。春の楯で、横綱相撲を見せつける。
対して、テイオーの反応は鈍い。伸びない。
どよめきの中、その馬は地肌が剥き出しの淀の芝を、激しい鞭に耐えて懸命に走った。
マックイーンには敵わなかったが、トウカイテイオーには一泡吹かせた。
前走とは違う、価値のある2着だろう。

3週後、東上して安田記念に。
長距離馬がマイルで通用するのかと、評価は5番人気。
ここでも、その馬は善戦して2着に入る。
4歳春までは一介のダート条件馬が、あともう少しで芝のG1勝ちという所まで成長した。

そして、宝塚記念を迎える。そこには、最強ステイヤーも帝王もいない。
初の大輪を咲かせる時かと、期待せずにはいられない。
しかし、神は無情だった。
稀代の気まぐれの逃亡者、メジロパーマーに栄冠を授けた。
秋以降のG1で、絶対勝つはずだ…。自信の無い根拠を確信する私がいた。悔しさを打ち消す様に。

しかし、その馬は力尽きたか秋も休養し、93年に復帰して4戦するが、去年までの雄姿は無かった。
そして、アルゼンチン共和国杯を最後に引退する。


『専業化』が進む今の時代、ダート・芝の中,長距離と、重賞レベルで何でもこなす、この様な馬は中々出て来ないだろう。
ビッグタイトルこそないが、G1で2着3回、3着1回。
ダートのレース体系が整っている今の時代で走っていれば、いくつかはダート重賞のタイトルを獲っているだろう。
そして、芝路線のG1には参戦しなかったのかもしれない。
派手ではないこの戦績でも、私はその馬に対して『優等生』と言い切りたい。



カミノクレッセ 1987年5月30日誕生 戦績30戦8勝
主な勝ち鞍 日経新春杯(G2)
175名もなき筆者:2008/07/30(水) 22:28:15 ID:lJl4aRuy
>>174
記録よりも記憶に残る馬だった、という印象が強いです。
こういう「時代に恵まれなかった馬」は何頭もいます。
GT級の能力を持ちながら、引退後はひっそりと忘れ去られていった・・・

近々書こうと思っている文章の中に、カミノクレッセと同じお父さんを持つ馬が出てくる・・・かもしれません。
176こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/07/30(水) 22:43:30 ID:DkK6GAMG
>『専業化』が進む今の時代

これは錯覚だよ
177こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/07/30(水) 23:48:51 ID:/t/RA68r
カミノクレッセは、天皇賞の前にブリーダーズGCもしっかり勝ってるんですよね〜
178こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/07/31(木) 06:56:43 ID:jskH33OU
本当、ダートがもっと早く整備されていたら……
って馬、過去に多いよね。
179こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/07/31(木) 08:35:31 ID:J4BSqrq/
ダートといえば、ホクトベガ・・・
地方では物凄い勢いだったが、中央ではダートが少なかったからね。
180こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/07/31(木) 19:46:54 ID:s8/3ufSa
地方交流がなければさっさと引退して繁殖入りしてたんじゃないの?
GTエリザベス女王杯勝ち馬なんだし
181こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/07/31(木) 22:42:57 ID:8fK13kCn
>>180
ダート本格参戦までの迷走振りを見る限り、さっさと引退の線はないかと。
182こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/07/31(木) 23:31:33 ID:mLM/tUC/
障害入りの話もあったもんな
183こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/08/01(金) 22:49:19 ID:4DFC1ADC
障害の練習して腰がしっかりして勝ちだしたという説があったね。
目白パーマーも同じような話しあった。
184こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/08/01(金) 22:58:21 ID:/8eLwdFP
障害走りたくないから真面目に走ったとか
185こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/08/03(日) 17:52:52 ID:OO/S24jU
>>174を書いた『つなぎ』です。このスレを見て、頼りない記憶で書いてみました。
ツッコミどころが沢山有りすぎましたね・・・・。
名もなき筆者さんに期待しております。
186こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/08/03(日) 21:33:42 ID:Cl8LB3+a
良スレですね。リクエストはダメですかね・・・
187こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/08/04(月) 00:54:14 ID:qT45Ky4i
>>186
書いておかないよりは良いんジャマイカ
書かれたリクエストに即反応しちゃうとキリ無くなりそうだから筆者さん自重してるんだと思うけれど。
188こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/08/04(月) 23:38:34 ID:tYPByWZ8
ではお言葉に甘えて・・・ストロングブラッドを。余裕があればお願いしたいです。
189こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/08/07(木) 09:35:05 ID:3ASinSyU
リクエストってのも野暮な話だと思うがね

筆者さんのチョイスを楽しみつつ読み進めて
最後に馬名と戦跡がスッと挙げられるスタイルがいいと思う

リクエストだと最初からわかってるから
先入観も入っちゃうし興ざめもいいとこだろ…
190こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/08/11(月) 00:59:43 ID:zqFyo5RF
「日本競馬史上最強牝馬」

このフレーズを聞いて、あなたはどの馬の名前を思い浮かべるだろうか。

所謂「最強馬論争」ほどバカらしいものは無い。そう思っている。
けれども「エアグルーヴ」と答える人が多いに違いない。そうも思っている。

エアグルーヴよりも高い評価を受けていた牝馬がいた。
エアグルーヴよりも高いパフォーマンスを見せていた牝馬がいた。
エアグルーヴと同期で、エアグルーヴより強いと言われていた牝馬がいた。

私はただ、少しでもそのことを後世に伝えたいのである。


「馬っぷりが良かったから」

彼女を日本へ連れて来た男は、そう述懐した。
良血ではあるが、全く無名の父。およそ日本向けのスピードなど期待できなさそうな母。
実際、その男は「繁殖牝馬としてはもちろん、競走馬としても”そこそこ”の期待はかけていた」と続けた。
彼女が日本に来たのが旧3歳の初夏であった、という事実も、大きな期待がかけられていなかったことの裏付けになるかもしれない。

1年後。
彼女は堂々の1番人気に推されて、新設GTの舞台に立った。
3ヶ月前のデビューから、全く危なげのない3連勝を飾ってのGT挑戦。
しかも前走では、前年の朝日杯3歳S2着馬を完封して、初重賞制覇を果たしていた。
締め切り時点での単勝オッズは2.3倍。一本被り。スタートも決めた。いつも通りの先行策。

前半800mの通過が45秒1。彼女はこの流れをまともに追い掛けていた。4コーナーを回り切るよりも早く、手綱を取っていた漢は観念した。


初の挫折を味わった彼女は、憔悴し切っていたという。
秋の新設GTへ向けて、秋口のレースを使って本番へ・・・
そんな青写真は、しかし修正を余儀なくされた。
トライアルをパスしてでも、本番一本に絞ってじっくりと調整しよう・・・
結果的にこの判断が、彼女の能力を最大限発揮させることに繋がったのである。

エリザベス女王杯の古馬開放に伴い、4歳(当時)牝馬限定GTとして新設された秋華賞。
圧倒的な支持を集めたのは、春のオークスを圧勝したエアグルーヴ。単勝1倍台。彼女の10倍以上の支持を集めていた。
実は、エアグルーヴと彼女には「春以来の実戦」という共通項があった。安定したレース運びでオークスを制した馬と、暴走気味に沈没して春を終えた馬。
しかも、2000mという距離を考慮すれば、この評価の差は当然と言えた。だが、いざフタを開けてみると、自分を見失っていたのはエアグルーヴの方であった。

「距離の心配はありました。でも、調教では落ち着いていたので巧くいかないかな、と思いました」
この秋華賞で初めて彼女の手綱を取った松永幹夫の、レース後のコメントである。
1000m通過58秒7という速い流れの中で、彼女は春のように自分を見失うようなことはなかった。
レース前からの度重なるアクシデントに泣いたエアグルーヴ以下を退け、1分58秒1で彼女は初代女王に輝いた。

第1回秋華賞のこのレコードタイムは、今日に至るまで破られていない。
しかもこの年の京都の芝コースは、秋華賞が行なわれた3週目の時点で既に内が悪くなっていた。
そして何よりも、最後の600mのラップタイムが12秒1−12秒2−11秒9。最後まで全く脚色が衰えていなかった。
レース後にエアグルーヴの骨折が判明したが、「ファビラスラフイン強し!」「松永幹夫奇跡の復活!」そんな文字が新聞に躍っていた。
191名もなき筆者:2008/08/11(月) 01:00:44 ID:zqFyo5RF
5週間後。彼女は東京競馬場にいた。
ローテーションが詰まることを嫌ったのであろうか、陣営はエリザベス女王杯ではなくジャパンカップ参戦を選択したのである。
「超強力」と呼ぶに相応しい外国馬たち。同期の天皇賞馬・バブルガムフェロー。春、後塵を拝したタイキフォーチュン。男勝り・ダンスパートナー・・・
彼女に与えられた評価は彼らの次、単勝7番人気。相手関係や距離延長への不安、そして何よりも「牝馬」であるということが、この評価に落ち着いた要因であった。

スタンド前でのスタートから、まず出を伺ったのは黒に近い芦毛の彼女であった。
これを外から交わしてカネツクロスがハナを切って1コーナー、2番手の内に彼女、その外にピッタリと凱旋門賞馬Helissio。
その2馬身から3馬身後ろにバブルガムフェロー。2コーナーを回って向こう流しに入っても、馬順替わらず。淡々と流れているように見えた。

真っ先に動いたのはHelissioだった。
強気の攻め。大ケヤキの向こうでは単独2番手。こうなると人々の目はバブルガムフェローの動向に向けられる。
府中の大舞台で、天皇賞馬と凱旋門賞馬が・・・だが次の瞬間、人々は異変に気付く。Helissioの内を追走している彼女の方が、遥かに手応えが良い。
残り600の標識を過ぎ、松永幹夫の手が動き始めたその頃には、バブルガムフェローは早くも後退し始めていた。それを尻目にHelissioが、Strategic Choiceが・・・

最後の直線、カネツクロスが早々に一杯になると替わって外からHelissioとStrategic Choice、間を割ってSingspiel、その内に彼女。様相が一変した。
4頭が広がっての激しい叩き合い。外の2頭がジリジリと遅れ始める。内々を突いてAwadが来たが、前を行く彼女とSingspielを脅かすような脚色ではない。
坂を上り切り、200の標識を通過した時、彼女の隣にはSingspielただ1頭しかいなかった。マッチレース。火の出るような叩き合い。
一瞬、ほんの一瞬、彼女が前に出たように見えた。4歳の牝馬が、ジャパンカップを制してしまうのか・・・?人々は、目の前で繰り広げられている光景に、目を疑った。

2分23秒8。2頭は並んだままゴール板を通過した。次の瞬間、何度も何度も拳を天に突き上げたのは、Singspiel鞍上のL.デットーリであった。


数十センチの差で大金星を逃した彼女。
だが、このジャパンカップを終えた時点では、彼女は間違いなくエアグルーヴ以上のパフォーマンスを見せていた。
秋華賞とジャパンカップの内容が認められ、エアグルーヴを抑えて最優秀4歳牝馬に輝いたのは、彼女であった。

今にして思えば、彼女は一生懸命にレースをする馬だったのだろうと思う。
ジャパンカップで燃え尽きた彼女は、有馬記念に出走した後に故障。復帰を目指したが、ちょうどエアグルーヴが秋の天皇賞を制したその頃に、ひっそりと登録を抹消した。
直後のジャパンカップで2着に入り、繁殖としてもGT馬を輩出し、名実ともに歴代の名牝と肩を並べる存在となったエアグルーヴ。
だが、そのエアグルーヴを超え、鎬を削るだけの資質を持った1頭の牝馬が確かに居た。彼女が「最強牝馬」の1頭に数えられる可能性は低いだろうけれど。
それでも、なお・・・。



第14回 ファビラスラフイン 1993年4月13日誕生
戦績 7戦4勝 主な勝ち鞍 秋華賞(GT)、NZT4歳S(GU)
192こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/08/11(月) 01:05:56 ID:Coj3hODu
>>190-191
リアルタイムで乙

今でもあの秋華とJCの時の衝撃は鮮明に覚えてるなあ
「if」は厳禁だけど、もしシングスピールの騎手がデットーリじゃなかったら・・・
歴史は大きく変わっていたかもしれないね
193こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/08/13(水) 15:46:00 ID:tFLzXGwq
>>190-191
更新乙です。
でも今回は馬のチョイスも文章もなんか「らしくない」ような…?
194名もなき筆者:2008/08/13(水) 18:56:37 ID:sHp2FD7q
第14回あとがき


普段、「あとがき」などというものは書きません。
書き込む前に極力文章を練り上げるとか、余計なものを削ぎ落とすとか・・・
そういった作業を、一気に文章を書き上げた後で行なってから、ここに投稿する。
それが、いつものやり方です。

今回はなかなか思うように言葉が浮かんでこなかったし、練り上げる時間も足りませんでした。
けれども、経験則から言えば、間に一晩挟んでしまうと、ほとんどの場合もう書けなくなっているんですね。
まず一気に書き上げてしまうだけの「勢い」と、ちょっと時間をかけて練り上げる「仕上げ」。
この2つが大きなポイントだと思っています。

「書き切れなかった」「納得できなかった」そういう思いが残っていたので、今回はこういう形を取りました。

今回の主役である彼女の話は、もしかした秋まで暖めておいた方が良かったかもしれません。
あれから時は流れ、彼女もライバルたちも母親になりました。ふと気が付けば、彼女の孫がもうすぐデビューしようとしています。
同期のオークス馬を退けて最優秀4歳牝馬のタイトルを得た彼女でしたが、
そのライバルのその後の活躍があまりにも鮮烈過ぎて、そして何よりも彼女自身が僅か7戦で、ひっそりと現役を去ってしまった。

「光と影と表と裏」という詩があります。
私から見ると、彼女の「影」の部分が表ならば、彼女の「光」の部分、光り輝いていた部分は影。そうなってしまっている。そう見えるのです。

あの秋華賞からジャパンカップまでの、たった1ヶ月あまりの間に彼女が見せた底知れぬ可能性。
語り草になることは少ないですが、そういう牝馬が現実に存在していて、その息子が、そして孫が競馬場を駆けている。
2歳馬たちが続々と登場してくるこの時期に、そのことを少しでも心に留めてもらえたらなあ、と思います。


>>175で少しだけ触れた文章を、今ふくらませている最中です。
少しでも良い文章に仕上げた上でここに書ければ・・・と思っています。
195こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/08/16(土) 21:21:13 ID:TkjwUk2B
期待age
196こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/08/16(土) 21:25:09 ID:kmSk2l7E
>>17
その半馬身差が果てしなく大きい
197こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/08/16(土) 21:51:13 ID:fIgzNQsD
鼻差は大差の世界だから
198こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/08/16(土) 22:17:26 ID:mF05tj8w
エイシンワシントンの鼻差もでかかったな。
199こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/08/17(日) 01:30:15 ID:YkaexMzr
カミノクレッセは、ゲームのギャロップレーサーで初期で使ってた覚えがあるなぁ。
追い込みで使いやすかった記憶が。
200こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/08/17(日) 01:49:34 ID:MIE90SYZ
高崎の夢 カツノコバン
201こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/08/18(月) 21:55:34 ID:wSyIuUo7
>>199
それは恐らく別の馬
202こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/08/18(月) 23:50:40 ID:uKbqGp4c
>>200
高崎はタマルファイターだよ。
203こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/08/22(金) 23:43:12 ID:wcDEado6
保守
204こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/08/25(月) 17:32:59 ID:1Qy0vRF+
保守
205こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/08/29(金) 21:33:30 ID:ZwNJqqKc
筆者さん、忙しいのかな?
206こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/04(木) 04:14:17 ID:UvmCnSxg
良スレ保守
207こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/04(木) 07:52:18 ID:7YLoVSQT
そろそろロイスアンドロイスを期待
208こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/04(木) 22:37:08 ID:SeCLs2Jy
夏。
北海道シリーズが始まると競馬に関わる者の目は皆、2歳戦に集まる。幾多の試練を乗り越えて、遂に迎えた若駒の晴れ舞台。新馬勝ちでもしようものなら、関係者の思いは早くも翌春へと膨らんでゆく。

けれど、北海道シリーズを晴れ舞台にするのは、若駒だけではない。

いや、なかったと言うべきか。
たとえメインレースになれないとしても、年にたった2度の重賞を織り込む北海道シリーズ。
古馬オープンがローカル開催に押しやられ、存在そのものも消されようとしていた晩年の中央アングロアラブにとって、札幌は、函館は、まさしく晴れ舞台だった。

そんな日陰のアラブに、金字塔を打ち立てた快速馬がいた。
ただ速いだけではない、ただ強いだけでもない。勝ち続けたが故に、背負う重量は増え続けた。デビューの年から58kgを課せられた。それにも耐え、勝ち続けた。レコード勝ちした後輩が現れれば、すぐさま直接対決で叩きのめした。
70kgを克服したとき、とうとう中央のアラブで戦うことをやめた。

晩年は苦闘の連続としか言いようがない。中央ではサラブレッドに挑み、もがき続けた。敵地では、砂にまみれた。
地方のファンには彼の敗退に快哉を上げる者もいた。「所詮、中央のアラブは弱い」と。
そうだろうか。ローゼンホーマの去ったこの時代に、中央のサラブレッドオープン馬を相手に、芝で小差の惜敗を繰り返すことのできたアングロアラブが、果たしてどれほどいたものか。

JRAレコード勝ち8回は、おそらく不滅の記録となろう。日本のあらゆる競馬場からアングロアラブが消ようとする今もなお、この事実を葬り去ることなど誰にもできない。


アキヒロホマレ 1985.4.8生 アラブ血量 26.62%
戦績 29戦18勝 主な勝ち鞍 セイユウ記念2回、タマツバキ記念
209こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/04(木) 23:28:51 ID:+5ndMPb0
すげぇ渋い馬が来ましたね。
210名もなき筆者:2008/09/05(金) 00:06:11 ID:N/I1cdU6
繁殖牝馬4頭。
零細牧場は、ありったけの期待を込めた。
授かったのは、生まれつき脚の曲がった1頭の牡馬。
牧場長は、頭を抱えた。

裸一貫。
アメリカの歴史的名馬の資質を見抜いた慧眼。
己の目を頑なに信じ、一代で日本屈指のホースマンにのし上がった1人の男。
とある夏の2歳(当時)馬セール。彼は脚の曲がった1頭の牡馬に惚れ込んだ。

安馬で頂点を―。
栗東でも指折りの調教師は、そんな理念を持っていた。
日本屈指の慧眼の持ち主とその調教師は、ある年の菊花賞を境に疎遠になっていた。
そんな2人を再び結びつけたのは、脚の曲がった1頭の牡馬だった。

その牡馬に与えられた名前。
彼に注がれた期待の大きさは、その名を見れば一目瞭然。
そして何よりも、彼はその大きな大きな期待に応えてみせた。
折り返しの新馬戦を勝ち、GVを勝ち、ついには3連勝でGUを勝った。

暮れのGT。
彼の背中には、3着に敗れたデビュー戦以来の相棒がいた。
未だGTのタイトルとは無縁のその騎手には、どうしてもこの日のGTを勝ちたい理由があった。
最終コーナーで起きた「激突」。脚が壊れた馬もいた。しかし、その壁をぶち破った次の瞬間・・・時流は彼らに味方した。

脚の曲がった1頭の牡馬が命懸けで掴み取った勲章。
一瞬で零細牧場に舞い降りた、夢のような時間。
馬主と調教師の溝を消し去った、鮮やかな勝利。
だが、他の誰よりも幸せに包まれていたのは「初めて他人のために勝ちたいと思った」と語った騎手―彼は翌日に挙式を控えていた。

冬が過ぎ去り、春が訪れ、夢はそこで潰えた。
「あの頃の体調には、二度と戻らなかった」
それでも彼は頑健に闘い続けた。
クラシック制覇の夢は叶わなかったけれど、7歳でもう一度重賞を勝ってみせた。

彼に携わった全ての人間が、最大限に喜びを爆発させたあの日から12年。
彼を見出し、彼に夢を託した馬主のその膝元で、彼は天へと駆け上った。
サラブレッドは、駆けることを宿命付けられてこの世に生を受ける。
サラブレッドが最期の瞬間まで幸せを享受できるとは限らない。むしろ、不可能に近い。であるならば、彼は本当に稀有な、幸せなサラブレッドだったんじゃないだろうか。


第15回 マイネルマックス 1994年4月13日誕生 2008年8月25日死亡
戦績 40戦6勝 主な勝ち鞍 朝日杯3歳S(GT)、京成杯3歳S、マイラーズC(以上GU)、函館3歳S(GV)
211こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/05(金) 00:10:29 ID:5FsWRAOc
>翌日に挙式を控えていた。 
知らなかった・・・。かっこいいなおい・・・
212こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/05(金) 00:38:05 ID:nn0HO9Zt
>>208
忘れられた同一重賞3連覇馬のシゲホーかと思ったら、アキヒロホマレでしたか。
東スポ杯での矢野さんの「アキヒロホマレが未だ頑張っている」とか「アキヒロホマレは大健闘の6着でした!」
と言う実況が耳に残ってます。
213玉藻沙歩音 ◆U0XCey/J32 :2008/09/05(金) 06:51:57 ID:I/0ANB4d
>>208
小生が驚いたのがサッカーボーイが勝った函館記念の前日のオープン戦、
彼の強さに恐れをなしたか出走頭数は4頭だけ。
芝2000m2.00.5の勝ち時計は「サラブレッド並みじゃん」と思った
ものでした。もっとも翌日のサッカーボーイはとんでもない時計でしたが。

小倉3歳Sが初のサラブレッド挑戦でしたが、勝ったポットナポレオンから
3秒差の殿負けでしたね。
214208:2008/09/05(金) 07:31:26 ID:0o7ZZFLR
真打ち・名もなき筆者さんを前に、お目汚し失礼しました。
スレタイから、どうしても入れておきたい馬だったんです。



>>212
シゲルホームランは中央出身で地方で成功した数少ないアングロアラブですね。種牡馬入りできるとは思いませんでした。時代の流れに乗ったんですね。
私は1年半ぶりにサラブレッドと走った小倉大賞典が印象的です。ラジオたんぱの藤田アナがアキヒロホマレにかなり注目していました。


>>213
小倉3歳Sのポットナポレオンの時計は、アキヒロホマレの2勝目(300万下)と同タイムでしたね。挑戦自体は無意味ではなかった。
函館記念に出ていたら、59秒台で走れたのかもな、と思えてきます。
215こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/06(土) 23:40:53 ID:sqLyP7RT
>>214さん
貴重なお話ありがとうございます。感動しました。
自分は競馬始めたのがアングロアラブ競馬が終わるぎりぎりの頃だったので、
アングロアラブの馬の思い出はあまり多くありませんが、
小倉大賞典でサラ挑戦といえばワカサルーチェーを思い出しました。
また、お話を聞かせて下さい。
216こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/07(日) 01:58:51 ID:kYl6LXJr
俺はムーンリットガールだな
スプリンターズSでのなけなしの単勝1万も今ではいい思い出かな
217208:2008/09/07(日) 09:35:07 ID:hM3a2zPs
>>215さん
ワカサルーチェーは確か園田の楠賞にも挑戦したと思うんですが、成績を見直してみるとダートで未勝利なんですね。意外でした。
アラブ戦ではアキヒロホマレより小さな身体で65kg前後背負わされてたんだな。同厩でGT3着、重賞2勝のミスタースペインに先着したんだから立派です。

>>216さん
最後のアラブ大賞典・2500mからの連闘でしたね。ムーンリットガールに負けた2頭はそのまま引退していきましたね。恥だとでも思ったんでしょうか(>_<)
私はTV東京賞で坂下までトップを守ったアフェクトダンサーが印象深いです。母としても優秀でした。
218こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/07(日) 16:31:52 ID:kFO3jtYy
てっちゃんがマイネルマックスで朝日杯勝ったとき
武に怒られてましたね

懐かしい
219名もなき筆者:2008/09/07(日) 23:28:46 ID:LDfiw0NM
>>218
あの4角の攻防が文字通り「勝負を分ける」結果になりましたからね。
究極の消耗戦と言える展開でしたから、尚更。


来週から秋競馬が始まりますね。
少し前に予告?した物も含めて、また書きたいと思いますので少しお時間をください。
220こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/08(月) 01:03:28 ID:Eb0iW/0W
>>219
それは「カミノクレッセと同じお父さんを持つ馬」ですか?
いろいろ期待
これからもマイペースで頑張ってください
221こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/09(火) 03:03:40 ID:lpFEVCCr
名もなき筆者さん、
あんたこれ金取れるレベルだぞw
222こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/11(木) 17:56:09 ID:EmlRaBjk
アラブなんてまさに「時代の影に消えた」ですよね…
223名もなき筆者:2008/09/21(日) 23:56:49 ID:Kv/0Tbut
今から14年前。
デビュー3年目の彼は、とある2頭の4歳馬(当時)の主戦騎手だった。

一方の馬は、前年の暮れの重賞を人気薄で勝つと、返す刀で年明けの重賞で7馬身差のぶっちぎり。
もちろん、いずれも手綱を取っていたのは彼だった。
皐月賞は無念の出走回避となったものの、別の騎手でダービートライアルを制したその馬は、彼の手綱でダービーへ。2番人気に支持された。

もう一方の馬。
デビューから3連勝で一気に重賞勝ちまで辿り着いた、彼の自厩舎の馬。
2番人気でダービーに挑んだあの馬と同様、大きな可能性を感じさせたこの馬で、しかし彼は1つも重賞を勝つことはできなかった。

骨折明けで臨んだNZT4歳S。
5ヶ月前、同じ舞台で負かした牝馬に、それも別の騎手の手綱で負かした牝馬の前に、彼らは屈した。

必勝を期して挑んだ中日スポーツ賞4歳S。
中京の短い直線で、しかしアッと言う間に差し切られての2着。
これが、1600mを超える距離を走った最初で最後のレースになった。

暮れのスプリンターズS。
サクラバクシンオーの2着に食い込んだこのレースの歓声を、彼は遠く阪神競馬場で耳にしていた。

年が明け、2度目の骨折から復帰して3戦目の阪急杯。
NZTでの敗戦から数えて5度目のチャンスが、彼に与えられた。
レースでは普段通りの後方待機。しかし、これが仇となる。1番人気を大きく裏切る12着。
4角で起きた事故の影響があったのかどうか・・・。しかし、同じような位置に居た他馬が勝ち馬と僅差の4着まで来ている以上、責任は鞍上の彼が背負うしかなかった。

そう考えるべきなのだろう。

その年の秋。
他の騎手に乗り替わったその馬はセントウルSを快勝する。
そして暮れのスプリンターズSでは、100kg以上の体重差がある勝ち馬と接触しながらも、2年連続の2着。
さらに半年後の高松宮杯では、やはり勝ち馬には歯が立たなかったもの、これまた2着に入ってみせた。

そして同じ年の12月、3度目のスプリンターズS出走。
2走前のスワンSでの日本レコードタイの2着のせいか、2年連続銀メダルのせいか。前走マイルCSでの大敗にもかかわらず2番人気になっていた。
11頭立ての2枠2番。ゲートも出た。飛ばしていく逃げ馬も居る。道中は中団のインコース。絶好のポジションだった。関係者は「3度目の正直」を信じていた。

「悪夢だ・・・」

そう信じたかった。4コーナーに到達したその瞬間、目の前の馬の姿勢が崩れた。中山の短い直線に向いた時、彼らの周りには誰も居なかった。

この日彼が、最初は手綱を取っていたあの騎手がJRAで騎乗していたという記録は残っていない。
彼が一体どこでこのレースを観ていたのか、どのような思いを抱いていたのか・・・それを知るのは困難である。

また年が明け、4ヶ月が経過した後のシルクロードS。
約2年ぶりに、彼らはコンビを組んだ。結果は、日本レコードから遅れること4馬身差の2着。
しばらくして、3度目の骨折。その馬の脚は、もはや限界を超えていた。

時は流れ、北海道は静内の地で、その馬は平穏な日々を送っている。
一方で騎手の方はというと、目の手術と言う大きな苦難を乗り越え、かつて新人王を獲得し複数の有力馬に乗っていた頃の冴えを取り戻しつつある。

2008年夏。栗東のとある有力調教師の信頼を得た彼は、10年ぶりの重賞制覇を成し遂げ、今、そのパートナーと共にスプリンターズSに挑もうとしている。
かつて、GTを意識したあの馬で果たせなかったGT制覇という夢を、果たして彼は掴み取ることができるのだろうか。

騎手生活17年目。夢はもう、手の届くところにある。


第16回 ビコーペガサス 1991年2月8日誕生
戦績27戦4勝 主な勝ち鞍 京成杯、セントウルS(以上GV)
224こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/22(月) 01:37:50 ID:SDhrE327
>>223
更新乙です!
「彼」を思って、目から汗が…
225こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/22(月) 01:52:11 ID:GEVF6nsS
すげー
「名もなき」でとどめておくのはもったいない。
ブログとかやろうよ。
DAT落ちで消えるなんて耐えられない。
226こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/22(月) 02:16:51 ID:46mSp6wy
スリープレスナイト全力買い!!
227こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/22(月) 02:24:23 ID:K8CCjHgT
サンエイサンキューを俺以上に語れる奴いるか?
228こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/22(月) 02:40:21 ID:0DSAS6Z2
一年間に重賞3勝したゴーゴーゼットでしょう
229こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/22(月) 14:18:23 ID:TwaV5bLn
いつも楽しみにしております。

>>223
指示語が多いと、文章は読みづらくなります。
今回は、ナムラコクオーの名前は出してよかったのではないでしょうか。
ビコーペガサスがぼけてしまった感じで、惜しまれます。

でも、文章の流れはさすがですね。
こんなのを読んだら、スリープレスナイトを買わずにはいられなくなります(ノ_・。)
上村、頑張れ。
230こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/22(月) 22:10:19 ID:OCABVPc7
>>223
時代が時代ならカネを稼げる文章だな。
今は馬券本しか出ないご時世だから需要はないんだろうけどな。。
将来的にブログかなんかで目を付けられることを祈るよ。
前世紀の競馬読本の連中の中でもトップクラスになれるよあんた。

しかしこうゆうの読むと、最近の味も素っ気も無い乗り替わり(強奪)は、
競馬をつまらなくしているはっきりとした要因だよな。
高田とドリームパスポートくらいしか思いつかないもんな。
231こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/22(月) 23:39:22 ID:I2Jl2P55
>>229 ナムラコクオーは語らない方がよかったと思う。
人を語りたいのか馬を語りたいのか、ぼやけてしまう。
232こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/23(火) 00:12:18 ID:7Y8ns4dH
>>227
なら書いてみたらどうだ?
233こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/23(火) 00:14:06 ID:ca5trKYA
>>230
前世紀→全盛期ね
スレ汚しすまん。
234こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/23(火) 15:56:54 ID:liFgAbi+
優駿たちの蹄跡

とかも、おんなじスタイルだな・・・。でも、あっちは、光があたってたから・・・。
235こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/27(土) 23:22:14 ID:Dz5faGNr
名もなき筆者とかの文章を見てると、山田雅人臭がしてくるよ〜
美句を並べ立てても、その臭いは消えないの、いかんともしがたい〜〜
236こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/27(土) 23:53:35 ID:k3MiezbL
ミクシィで書いてた作品も、埋もれさすにはもったいないですよね
237こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/28(日) 00:13:58 ID:f7BXt/DF
このスレ馴れ合いマンセー過ぎて気持ち悪いな。
この程度の文章で金が取れるなら、まともな文章書ける奴は皆作家になれる。
238こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/28(日) 06:41:27 ID:4khPwPD1
ID切り替わるのわざわざ待ってる奴の方がキモチワルイよね〜。
読みたくなきゃ読まなきゃ良いのにw
あぁ、あんたは「この程度の文章」すら書けないから嫉妬してんのかw
239こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/28(日) 11:52:36 ID:FS0Oxv1E
>>238
気持ちは分かるが自重してくれ
せっかくの良スレ、荒らすにはあまりにもったいない
240こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/10/03(金) 11:47:34 ID:LVLacV2g
スリープレスナイト全力買い、上村!!
241こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/10/04(土) 16:03:31 ID:pUyQKuB1
このスレ読んでたら涙が出てきたwww
年取ると涙もろくなるねえw
242こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/10/05(日) 15:46:18 ID:9coDyJPd
うえむらぁぁぁぁぁ
243こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/10/05(日) 15:57:57 ID:Swcf21iw
このスレ読んでたお陰で感動できた。
244こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/10/05(日) 17:02:23 ID:osroq+Ko
おめでとう、上村騎手。
ありがとう、名も無き筆者さん。
245こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/10/05(日) 18:49:40 ID:06Xp934T
>>223
> 騎手生活17年目。夢はもう、手の届くところにある

コクオーから長かったからなぁ・・・
橋口さんと検量室での小牧との抱擁は泣けた
246こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/10/06(月) 00:37:39 ID:w0K00kCq
age
247こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/10/06(月) 00:52:02 ID:ziycDedz
上村騎手、おめでとう。
248名もなき筆者:2008/10/09(木) 23:16:29 ID:OHdBFtKu
今週は毎日王冠と京都大賞典。

ネタはあるんですが、時間取れるかな・・・。
249こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/10/15(水) 22:24:48 ID:7W6u7TA+
保守
250こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/10/19(日) 22:59:04 ID:mwCMRVyu
保守
251こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/10/22(水) 22:34:04 ID:QUdVjfQO
保守
252こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/10/24(金) 00:05:27 ID:ETIS2ZUU
あげようか
253こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/10/27(月) 21:55:53 ID:jzrEfpZa
ミクシィの方も復活されてますね

254こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/10/28(火) 20:40:50 ID:tnPiy+Ha
保守
255名もなき筆者:2008/10/29(水) 00:00:18 ID:5Qkt7k2Y
>>253
ようやくどの方のことを指しておられるのか、わかりました。
ですが、私はあの方ではないです(更新のたびに読ませていただいてる1人ですが・・・現役馬について書いたことは私はほとんどんないですし)

近いうちにまた書きます。
256こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/11/01(土) 15:48:04 ID:QhtcRaC7
>>255
そうなんですか
競馬知識といい、いろいろと共通点もあったので、てっきりそうなんだと思いこんでました
257名もなき筆者:2008/11/01(土) 15:54:45 ID:uGFOVYdo
「10年先も 20年先も 君と生きれたらいいな」

もしかすると、1人の人間に対してそう望むよりも、
1頭の馬を相手にそう望む方が、現実的かもしれない。

その馬が、元気でさえ居てくれれば。
その馬が、魅力に溢れる存在であればあるほど。


「偶然の産物」
14年前の春、本来ならば、別の遺伝子を持った馬がこの世に生を受けるはずだった。
いくつかの偶然と、いくつかの思惑が折り重なって、翌年の5月の最初の日に生まれた栗毛。
それが、彼だった。

人間が大好き。
走ることが大好き。
「走るのが仕事」という宿命を背負っているサラブレッド。
その全てが人間を好み、また走ることを好むかと言えば、そうではない。
けれども、本当に人懐っこくて、そして心底楽しそうに駆けている、明るい栗毛。
それが、彼だった。


「僕にとっても特別な思い出があった馬」
デビュー戦に跨り、6戦目まで騎乗した騎手の言葉。
涙のGT初制覇は、このコメントからちょうど1ヶ月後のことだが、それはまた別のお話。
デビュー戦を終えた段階でGTを意識させるだけの存在。
それくらい速くて、魅力溢れる存在。
それが、彼だった。


1度きりの海外遠征。
まだ重賞を勝ったことがない馬に届いた1枚の切符。
その切符がまた偶然を生んだ。
前出の騎手が降板を告げられ、前走・前々走で彼に乗っていた騎手は、日本でのGT騎乗を優先した。
かくしてこの日、異国の地で彼の背に跨ったのは、日本を代表する1人の男だった。
5着に敗れたのに、「バケモノだ」とその男に予感させた存在。
それが、彼だった。
258名もなき筆者:2008/11/01(土) 15:55:37 ID:uGFOVYdo
翌年、このコンビは6戦5勝の快進撃。ただの1度も、1着以外の着順でゴール板を駆け抜けたことはなかった。


ハイライトは、初夏のGU。
ゴールインの前から拍手に包まれるGUなんて、10年競馬を観ているけれど記憶にない。
5連勝で昇竜の勢いだったミッドナイトベットに付けた「大差」、およそ11馬身差。
その走りだけで、冴えない高校生も、ピチピチのギャルも競馬に引き込んでしまう速さ、そしてわかりやすい強さ。
それが、彼だった。


真夏のグランプリを制して迎えた、充実の秋。
休み明けの毎日王冠で後輩たちを一蹴した彼は、ベスト条件と言われていたGTの舞台へ。
あの初夏のGUと同じ左回りの、府中の2000m。しかも、逃げ馬にとっては絶好の1枠1番。

「11月1日、1枠1番、1番人気、1着」

2000mを1分58秒前半で駆けたことがあるのは、彼自身と、同型のサイレントハンターだけ。
負けるわけがない。誰もがそう思っていた。
彼を「バケモノ」と呼んだ騎手も、それは一緒。
「今度こそこの馬でGTを」という思いを胸に秘めて・・・。


「10年先も、20年先も・・・」
あの瞬間までは、彼に魅せられた誰もが、そんな未来を信じていた。
彼はもう、元気な姿を見せてくれはしないけれど。
彼は今でも、たくさんの人間の心を捉えたままの存在で。
それでも、元気で居てくれれば、何年かに1度であっても会いに行けるのにって思いがあって。

それだけ魅力溢れる存在。
もうこの世にいなくたって。
それが、彼。

あの11月1日から、ちょうど10年。
今年も府中の大ケヤキは見つめている。
2度とあんな悲しい出来事が起きないように。
願わくば、10年先も、20年先も、人間と馬が笑顔で過ごしていけるように。



第17回 サイレンススズカ 1994年5月1日誕生 1998年11月1日死亡
戦績15戦9勝 主な勝ち鞍 宝塚記念(GT)、中山記念、金鯱賞、毎日王冠(GU)、小倉大賞典(GV)
259こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/11/01(土) 16:12:01 ID:7vIpSy2E
乙、もう10年経つのか
260こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/11/01(土) 21:00:49 ID:rQnbFarq
DISCOVERYはいいね。
ラララ、終わりなき旅、Imageの並びが好きだ。
261こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/11/04(火) 03:14:19 ID:Ra0iUwKt
短パン
262こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/11/05(水) 02:14:28 ID:YPUVgjIS
コテと歌詞からしてMr.Childrenファンだなw
simple良い詩やな
263こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/11/05(水) 04:21:24 ID:qgmAvSJg
>>262
今更www
264こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/11/05(水) 05:46:46 ID:Dp83A+1j
名もなき筆者さん


実に興味深く読ませて貰いました。
次回作楽しみにしてます
265こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/11/05(水) 06:53:35 ID:xMZoQrFI
>>166
一昨日のJBCで母ケイシュウハーブの名前を見て、ずっとモヤモヤしていましたが、ようやく謎が解けました。
いいスレですね、ここ。

急にこのような書きこみをして、申し訳ありません。
266こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/11/05(水) 08:31:58 ID:EhtIZ2I+
ハードバージ、オンスロート

スレチか?
267こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/11/05(水) 10:25:40 ID:DHGGTOHk
最初から読んでみたが素晴らしい良スレだ

たくさん泣けたゾ

268こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/11/05(水) 12:21:13 ID:YPUVgjIS
>>236
いちいち絡むなw
269こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/11/06(木) 23:30:40 ID:wcUR1Z+f
保守
270こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/11/09(日) 00:44:05 ID:JmFWpDTC
揚げ
271こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/11/10(月) 22:49:35 ID:ix5YEHS2
なんか自演臭いスレやなw
272こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/11/21(金) 01:45:22 ID:3DTbrFE8
あげ
273こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/11/23(日) 10:27:12 ID:rE7XVwWX
筆者氏飽きたのか?
274名もなき筆者:2008/11/24(月) 22:22:12 ID:oUmXSJsa
>>273
ちょっと多忙でして・・・
ネタはいくつも浮かんでは消え、また浮かび、という感じなのです。
275こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/12/01(月) 08:23:41 ID:5X8wyGEk
保守
276こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/12/03(水) 01:48:48 ID:+NzyrV/W
あせって駄作出さなくていいよ。
マイペースで名作だけ頼む。
277こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/12/03(水) 06:28:03 ID:4EKRRcXT
ホクトヘリオスは名脇役だったのに今ではほとんど語らないのが残念
ノリはライアン、勝春はセキテイ、善臣といえばホクトヘリオスだった
278こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/12/09(火) 00:16:46 ID:baQdWbiY
名も無き筆者殿、いつも拝見しております。
このスレのために、保守しておきます。
279こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/12/12(金) 22:36:26 ID:9IzDLUCw
ダイタクヘリオスが……。
280こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/12/15(月) 17:25:29 ID:rDjeSyQT
保守
281こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/12/16(火) 01:22:49 ID:/6FDEfy9
師走だしいそがしいんだろーな。
とにかく納得がいく物だけ載せたらいい。
クオリティ保つってクリエイターとしてスゲー大切だと思う
282こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/12/22(月) 02:00:21 ID:66B26+Ll
保守
283こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/12/25(木) 22:40:33 ID:dvSR931z
保守
284名もなき筆者:2008/12/29(月) 11:38:37 ID:Je+06Ff9
ごぶさたしております。

今から大井に行ってまいります。
新幹線大混乱のようですが、上りはそうでもない・・・かな。
直前の速いヤツに皆さん乗り込んだのか、私が乗ってるのはガラガラです。

年末年始に一本は書き上げるのを目標に・・・
285こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/12/29(月) 13:01:38 ID:awH6h5O/
名もなき筆者さんお久しぶりです
大井…東京大賞典ですね
>>166の弟にも是非出てほしかったな〜
286こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/12/30(火) 01:08:26 ID:XK9zHRv/
大賞典は、トウホウエンペラー産駒が親子制覇に挑みましたが、分厚い壁に跳ね返されました。
それにしても、カネヒキリ強すぎ。
287こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/01/01(木) 00:55:55 ID:QoSQquDf
新年初の、保守。
288名もなき筆者:2009/01/05(月) 02:30:01 ID:0CWfR9sP
1200mの間に、10馬身とちょっと。
後の菊花賞馬の1秒7も前でゴールしたデビュー戦。

ゴールまでの400mの間に、後続を7馬身突き放した前哨戦。

改装される前の阪神の1マイルで、大外枠から4馬身ちぎった雨中の桜花賞。

京都の1600mで、800mを44秒6で通過して、それでも2着に踏ん張ったマイルCS・・・

並の牝馬であれば、この時点で燃え尽きてしまっていても何ら不思議は無い。
もし、仮にそうなってしまったとしても、誰も彼女を責めはしまい。

実際、翌年の彼女は何かがおかしかった。
5回走ったうち、ただの一度として着順が人気を上回ることは無かった。
勝って当たり前の相手にコロリと負け、好勝負できるはずの条件で馬群に沈んでいった。

年が明け、1月に行なわれたフェブラリーS。
競馬を観始めて日が浅かった私は、ここで初めて彼女の存在を、ハッキリと認識した。
とは言え、このレースで私の心をガッチリと掴んだのは、2番人気という不当な評価をぶち破った岩手の雄・メイセイオペラだったのだけれど。

後で聞いた話だが、彼女は長距離輸送が好きではなかったらしく、関東のレースに出走すると出遅れるのがお約束だったという。
しかし、この日は比較的スムーズにハナを奪うと、直線でもかつての走りを思い出したかのように、粘り腰を発揮してみせた。
最後まで決して投げ出さない走りと、美しいピンク色のメンコ。記憶の片隅に残った2つのイメージ。

その後に彼女が駆けた3つのレース。
その度ごとに、私はどんどん彼女が大好きになっていった。

56.5キロを背負いながらも、1年7ヶ月ぶりの勝利を重賞勝ちで飾った彼女は、その次のGTで壮絶な走りを見せた。
2コーナーからスタートし、3コーナー手前が上り坂になっている中京の1200mで、前半600m32秒6という殺人的ラップでハナを切ったのである。
こんなペースで、しかも絡んできた牡馬を振り切りながら押し切れるほどGTは甘くなかった・・・それでも彼女は粘りに粘り、1馬身半差の4着でゴールに入った。
あくまでもハナにこだわった騎手の判断に疑問を感じつつも、およそ牝馬とは思えぬ彼女の粘り腰に、私はただただ感心するほかなかった。

あれからちょうど10年が経とうとしている。
生きていれば、彼女は15歳。もっと多くの息子や娘を残せたかもしれないのに・・・
そんな思いにかられることがある。

9年前の今日。
57キロを背負って、京都金杯に出走する彼女の姿があった。
ロードアヘッドの逃げを2番手で追走し、4コーナーを下って最後の直線コース。
ピンク色のメンコをまとった雄大な馬体が躍動した。みるみるうちに後続の姿が遠のいていった。

このレースの最後の2ハロンが11秒9−11秒6。
57キロを背負っていても、最後までほとんど脚色は鈍らなかった。
圧倒的1番人気のアドマイヤカイザーを寄せ付けることなく、その5馬身前方で彼女はゴールに駆け込んでいた。

3年前の桜花賞を勝った馬が、重賞勝ちを果たす・・・
70年余に及ぶ所謂中央競馬の歴史において、彼女が初めて打ち立てた金字塔であった。


第18回 キョウエイマーチ 1994年4月19日誕生 2007年5月9日死亡
戦績28戦8勝 主な勝ち鞍 桜花賞(GT) 4歳牝馬特別、ローズS(以上GU) 阪急杯、京都金杯(以上GV)
289こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/01/05(月) 07:51:48 ID:cGJ8ws2j
更新ktkr
290こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/01/05(月) 12:12:45 ID:6Q5MBCM9
名もなきさんあけおめです。
マーチっていつのまにか亡くなってたんですね
291こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/01/05(月) 13:27:52 ID:NTrFd7UL
>>288
あなた人の心をつかむのがうまいね(^O^)
プロのライターですか?
292こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/01/06(火) 18:38:07 ID:blq5AOh7
キョウエイマーチか・・・ドーベルに勝った桜花のときにマキバオー役の犬山イヌコが
予想してたのを思い出すなぁ。
293こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/01/06(火) 19:43:55 ID:Sa/jOh50
大好きだったわ〜 キョウエイマーチ
294こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/01/06(火) 22:43:11 ID:rmCqC03p
あの京都金杯は確かにスゲーって思ったけど、そんな記録があったのは初めて知りました

早逝が悔やまれます

せめて一頭でも、シャトルとの仔が見たかったな…
295こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/01/08(木) 01:22:06 ID:QH8Iyetx
4歳牝馬特別の勝ちっぷりは爆笑ものだった。
シーズプリンセス相手に7馬身差ってどんだけw
296こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/01/08(木) 15:57:43 ID:MAwiXDwD
良スレ発見!

シンザン記念のパドックで二本足で歩いていたマイシンザンを思い出した。。。
297こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/01/08(木) 20:16:37 ID:Oi8TlnC0
古馬になってからは抑えてレースする事がよくあったけど、
ぶっ飛ばした時の方が結果的に良い方向に向く事の方が多かった気が。
298こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/01/13(火) 19:29:10 ID:6YLM33hf
すげー練られてる。
待ったかいあったよ。
てめーでてめーの品質管理が出来ている。
相当デキルお方とお見受けいたします。
299こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/01/13(火) 23:46:45 ID:dQg6mvRA
筆者さんGJ
PCで競走履歴を見つつ読むのが楽しいよ。
300こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/01/15(木) 09:50:58 ID:7OZt7eLy
保守
301ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/01/17(土) 23:41:36 ID:zQK8fOX5
凄い良スレですね。見つけることができてよかった。

>>86  超亀レスですみませんが・・・。

オークスで劇的勝利を飾った関西の音無騎手に
関東の騎手たちは誰も声などかけなかったそうです。
そんなときに2着に負けて一番悔しいはずの「あんちゃん」が
「G1初勝利おめでとう。きょうはおれが一席設けるから皆で飲もう」と声をかけたらしい。
いかにも人望の高かった「あんちゃん」らしいエピソード。。。
音無と「あんちゃん」は夏の北海道シリーズでの再会を約束したのですが・・・・。
それが実現することはなかった。
「あんちゃん」がもう1シーズン生きていられたら、
彼は牝馬の三冠も取っていたに違いありません。

「あんちゃん」が亡くなったときはぼくは大学生でした。
あまりにも、あまりにも急な出来事で新聞が信じられませんでした。
そのときの記事はいまでも保存してあります。

「中島啓之、天駆ける」という見出しでした。


302こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/01/18(日) 09:35:23 ID:oM32UYSc
>>301
良スレにふさわしい良レスですね
303こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/01/19(月) 16:54:15 ID:Hy2jTCKw
あんちゃん相当体悪かったのに、飲み会の設定までやってたのかい・・・。
304名もなき筆者:2009/01/19(月) 20:11:49 ID:q9hibP/2
昨日の中山11レース。
不幸にも、1頭の馬がレース中に故障を発症。
「予後不良」・・・四本の脚ですっくと立てぬ馬が全快する可能性は、限りなくゼロに等しい。
かつてテンポイントやサクラスターオーらが遺した「教訓」。サンライズキールには安楽死の処置が施された。

同じ日の深夜。
私は、たまたま1頭の馬の名前を思い出した。
20年近く前。私が年端も行かぬ子どもだった頃。
僅か8ヶ月の競走生活で見せた、常識外れの快走。
その直後に訪れた、暮れの中山の11レースで彼を襲った忌まわしい悲劇。
この2つのレースだけで、彼の名は多くの人々の記憶に刻み込まれたのである。

10月末、京都競馬場。
秋の天皇賞の前日だった。
現在と違い、当時の京都の芝は決して高速コースではなかったと言う。
たとえば、芝1600mのレコードなどは、14年も前のタイムが未だに生きていた。
1分33秒3という新たなレコードタイムをダイタクヘリオスが記録するのは、この1年後のこと。

そのヘリオスの息子がやがて、かつて悲劇の舞台となったレースを最低人気で逃げ切るのであるが・・・
ここでは、単勝25750円の大波乱を演出したこの騎手が、秋の天皇賞で栄光と屈辱を同時に味わった、とだけ書いておく。

閑話休題。
オープンクラスでも、1マイル1分34秒台が出れば上々。
そんな時代に、彼がこの日、1400mで叩き出したタイムは・・・1分20秒6。
夏はまだ900万下に居た馬が、GT馬5頭を向こうに回し、春のマイルチャンピオンを差し切ったのである。
もっとも、彼はその夏の札幌で、500万下でレコードを記録し、900万下で後続を9馬身千切り捨てていたのだけれど。

札幌で圧勝した時も、きっとそれなりに騒がれたはず。
しかし、この日は条件戦ではなくGU、しかも別定戦である。
一躍、彼の名前は全国区となった。また、血統も当時としては珍しかった。
「Mr. Prospectorの直系」という存在は、当時の日本では希少価値が高かった。今では到底信じられないような話であるが・・・。

昨夜、彼について調べていくうちに、わかったことがある。
彼の馬主の所有馬たち。中央競馬でその存在を確認できるのは、10年前が最後。
そればかりではない。彼の馬主にとって、最初で最後の重賞勝利が、このレース・・・スワンS。
膨らんだ夢。大きな期待。そこから訪れた最悪の結果。彼の馬主は、どう受け止め、どう乗り越えたのだろう。
そして今、当時と変わらない冠名で、公営高知で馬主を続けているその人の脳裏に、彼の記憶はどんなふうに残っているのだろう。

「ああっとケイエスミラクル故障か!ケイエスミラクル故障か!さあ先頭は、先頭はここで替わった替わった完全に替わったダイイチルビー・・・!」

競馬に故障は付き物である。
だが、競馬の中にギャンブル以外の要素を見出そうとする時。
目を背けたくなるような現実を乗り越えなければならぬ時が、いつか必ず訪れる。

1991年12月15日、中山11レース。
4歳未出走戦でのデビューから、239日目。
7枠13番、単勝オッズ2.2倍、堂々の1番人気。
ケイエスミラクル、競走中止、予後不良。安楽死となる。


第19回 ケイエスミラクル 1988年3月16日誕生 1991年12月15日死亡
戦績 10戦5勝 主な勝ち鞍 スワンS(GU)
305こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/01/19(月) 20:45:19 ID:ZyoTjxxO
>>304
素晴らしいお話をありがとうございます。
今は法人名義で持たれていますね。
306こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/01/19(月) 20:50:46 ID:hbSF0Tq8
1991年12月15日  第25回スプリンターズS
ダイイチルビー−ケイエスミラクルで鉄板だと思いながら、
ナルシスノワール−ダイイチルビー
ナルシスノワール−ケイエスミラクル の馬券も持っていたなァ〜

これ当てて、その脚で阪神競馬場から大阪城ホールへ行き、
岡村孝子のコンサートへ行ったなァ〜
(別に岡村孝子のファンでもなかったが、兄夫婦に誘われて・・・)

10月26日  第34回スワンS
その前日までケイエスミラクルの単勝だと考えていたのに、
何故か心変わりして、ダイイチルビーの単勝を買っていた。
※ちなみに翌日の天皇賞/秋 これも心変わりして、馬券外した・・・orz
307こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/01/19(月) 21:01:41 ID:hbSF0Tq8
1991年12月15日  第25回スプリンターズS

今でもこのレースの直線は脳裏にしっかり残っている。
逃げまくるトモエリージェント
(この姿を憶えていたから、翌年の泥んこ馬場のダービー卿CTで同馬の単勝が買えた)
一瞬先頭に立ちかけてズルズル後退するケイエスミラクル
それを鮮やかに交わし去るダイイチルビー
ゴール前インで粘るナルシスノワールにもの凄い脚を見せたリンドホシ
強くなるであろうと想像しながらも、ここはまだ家賃が高いと切ったヤマニンゼファー

他にも
テレビ東京賞三歳牝馬Sで二着失格を喰らったトーワディステニーとか、
テンポイントゆかりの血を引くキオイドリームとか、
想い出深い馬が名を連ねている。
308こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/01/19(月) 21:18:44 ID:WBMS5HxD
>>304
当時9歳の僕がトウカイテイオーの次に惚れ、初めて競馬の残酷さを教わったのが、ケイエスミラクルでした

あの時は一晩中泣いたなぁ…

そういえばこないだヘリオスも…
309こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/01/19(月) 21:39:18 ID:8pKtmtNy
確かこの年のスプリンターズSは、フジテレビの生中継がなく(駅伝か何かで夕方に録画)、
関西でKBSが関東U局のワイド中継をネットしていた。

レース直後の長岡一也氏の「ケイエスミラクルは…どうやらパンクしたようです」の一言が強烈に耳に残っている。
310こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/01/20(火) 13:38:48 ID:bNJIbjpo
条件特別で単枠指定ってこの馬以外にいましたっけ。
311こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/01/20(火) 15:13:18 ID:YN8J667t
ミスターアダムス、ミスターヤマノ、メジロマーシャスあたり
312玉藻沙歩音 ◆U0XCey/J32 :2009/01/20(火) 15:35:57 ID:eIrR4oMK
>>310
ヘブンリーギフトが記憶にあります。
313こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/01/20(火) 22:30:46 ID:6ZkF5Lxo
馬名と騎手が思い出せないが、暮れの阪神のWSJSで1頭単枠指定された馬がいた記憶がある。
314こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/01/26(月) 22:32:34 ID:hqSsRgOb
神のいるスレだから保守しますw
315ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/01/28(水) 01:04:18 ID:eGZXx9q/
>>304
ケイエスミラクルはデビュー前に脳炎や脚部の故障を克服してデビューしたんですよね。
馬名はその奇跡にちなんでつけられたと聞きます。
でも、3度目の奇跡はおこらなかった。

たけど、どうでしょう。
彼が放った一瞬の輝きは多くの競馬ファンの脳裏に焼き付いて離れない。
サラブレッドという不幸な生き物のなかでは彼は幸せ者だったのかもしれないですね。
316こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/01/30(金) 10:20:49 ID:vPMSgVeK
保守
317こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/02/03(火) 09:35:16 ID:geW5+DaY
318こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/02/08(日) 21:49:47 ID:xyfcMLmK
保守
319こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/02/10(火) 17:09:49 ID:ejaZHDT+
保守
320こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/02/10(火) 17:17:50 ID:90fU4rdv
フェートノーザン
321こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/02/10(火) 18:26:27 ID:FcK3bDWM
忘れもしない悪夢の有馬記念。
メリーナイス
サクラスターオーで勝負
スタート後
メリーナイス落馬
4角でサクラスターオー故障、今でも忘れない
322こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/02/10(火) 19:43:12 ID:/r6HmJ5K
ゴールドマウンテンは昨年亡くなったなあ・・・
323こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/02/15(日) 18:43:01 ID:0rJ3zILH
リョウスレ発見
番外さんにもまた書いてほしいな
324こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/02/17(火) 13:12:15 ID:9nMGiCZF
hossyu
325ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/02/17(火) 23:49:35 ID:xivYUjMT
ビンゴカンタあたりどうですか?
326名もなき筆者:2009/02/18(水) 01:02:19 ID:3YteOEF9
>>315
>>325
ケイエスミラクルのサイドストーリー、知りませんでした。
何せ不勉強な若造でして・・・

文章を書き上げるのには、勢いとかエネルギーとかが必要不可欠。
近々また書けるよう、心がけます。
327こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/02/19(木) 23:59:54 ID:CPNys2Rz
保守
328ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/02/20(金) 00:28:34 ID:s74jv553
>>326
このスレを知ってから熱心に読ませてもらってますよ。
こちらが熱心になるのは「名もなき筆者」さんの競馬への情熱が伝わってくるからです。
いつも感動をありがとうございます。

むかし、ニフティサーブの掲示板で書き込みしてたころに
ホクトベガがドバイで亡くなる、という不幸な出来事がありました。
悲しんだ私は「ホクトベガの名を冠した記念レースを作って欲しい」という
中身の書き込みをしました。
彼女はたんに「砂の女王」だったというより
中央・地方の交流戦の可能性を広げた功績が大きかったと思ってたからです。

掲示板での反応は冷ややかで「死んだ馬の冠レースなんて馬券買う気なくなるよ」
といったレスがついたりもしました。
(もちろん競馬専門の掲示板ではなかったのですが・・・)
「私はおセンチ馬鹿のかな・・・」なんてことも思ったりしましたね。
でも、私は競馬におセンチになれる自分が嫌いではありせまん(笑)
329こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/02/20(金) 21:08:41 ID:n5rkSrpL
競馬はギャンブル、馬はカードと言い切る人がいますよね。
きっと勝った馬券のことしか覚えてないんだろうな。
330こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/02/20(金) 21:52:06 ID:dXzQXggm
競馬って、人と馬という違う生き物同士が共に戦うんだよな。
お互いに何を話しているか言葉は通じないけれど、心は通じてると思う。

ましてや競走馬は人間の為に命を捧げているようなもんだ。
経済動物だろうが何だろうが見下しては失礼極まりないだろう。
食用にされる牛や豚や鶏には、食事前に誰でも「いただきます」と言うだろう。
捧げてくれた命への感謝の言葉だ。
思い出をくれた馬に感謝の気持ちを持っても、非業の死を遂げた馬に涙しても何も後ろめたいことはないと思う。
もちろんギャンブルだから成績が残せずに廃用にされる馬がたくさんいるのも知ってる。
だから頑張っている馬が背中に負っているものは、とても重いと思う。

競馬を馬券でしか考えない人は、賭ける対象が競輪でも競艇でも別にいいんだろう。
きっと単なるギャンブルとしてしか見ていないだろうからね。
予後不良になった馬を駄馬だと笑うのも同じタイプの人だと思う。

自分が馬券を買うのは競馬の売り上げが減って不幸になる馬が、ほんの僅かでも少なくなるように…と思ってるから。


チラ裏スマソ
でも、どうしても言いたかったんだ…
331こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/02/20(金) 22:36:33 ID:WkLMJs3I
>326
え、若造なの??
ならなおさら応援するよ!
未来はオマエに託すぜ!
332こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/02/21(土) 01:40:00 ID:hTWl88N7
>>328
ニアークティックさん達の熱意、伝わったんですね。
「ホクトベガメモリアル スパーキングレディーカップ」
夏が来れば、砂の女王の事を思い出します。

筆者さんの文章、いつも楽しみにしています。
少し前に、一頭の元競走馬と出会いました。
現在の彼と接しながら、過去の記憶と記録を辿るうちに、
競走馬一頭一頭の紡ぎ出す物語に対する想いがより強くなりました。
いつでもいいので、またお話を聞かせてください。応援しています。
333ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/02/21(土) 01:52:42 ID:0UsEtt6N
>>330
私は競輪や競艇やオートレースに金を使う気はおきないですね。
それらには寺山修司氏の言う「自分を買う」という要素がないからなのかな、
って思ったりします。

ただ、ひたむきに走っている競走馬たちの思い出で泣ける自分って
幸せ者なんだなと思いますよ(笑)

私はカラオケで唯一歌う演歌は「さらばハイセイコー」です。
3番まで歌詞を暗記しているのでオケなしでも歌えるのですが・・・・

いや、泣けてしまってとても最後まで歌えない(苦笑)
334こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/02/21(土) 03:35:31 ID:eQ3fg6Y2
気持ち悪いんですけど
335ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/02/21(土) 10:19:11 ID:0UsEtt6N
はい、すみません。
336こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/02/21(土) 20:44:04 ID:5IlRN6Tb
>333
そんなオマエがちょっと気に入った
337こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/02/22(日) 01:51:14 ID:ci1tOqIC
>>333
まだ機会は無いですが、競輪、競艇、オートならお金賭けてもいいかな、と思います。
そこには人間のドラマがあるから。
競馬は、馬のドラマ、騎手のドラマ、関係者のドラマが複雑に絡み合う分、さらに面白いと思います。
うーん、パチはやっぱり無理だなあ…「対店主」っつーのは辛いw
338こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/02/22(日) 13:59:30 ID:w2ZZScad
保守
339こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/02/24(火) 18:41:17 ID:PxyqBo+x
読み応えがあって良スレだけど、泣き虫には辛いスレじゃw
先日東京競馬場に行ったらスズカのポスターが目に入って
目から汗が出たww
340こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/03/02(月) 22:43:30 ID:32CTeEuq
保守
341こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/03/03(火) 23:28:57 ID:8qC4Nlqx
こんなスレがあったんだね。
自分の中の名馬といえば、ライスシャワーですね。
マヤノペトリュースを差し返したダービーでファンになりました。
そして、ミホノブルボンを破った菊花賞。鳥肌が立った。
ラジオたんぱアナが興奮気味に言った『ライスシャワーがかわした!』の一言が、
今でも鮮明に覚えている。
大幅な馬体重減で臨んだ天皇賞春も忘れ難い。
この2戦は、一生忘れる事が出来ませんね。
342名もなき筆者:2009/03/03(火) 23:39:52 ID:EmHDootW
今、このタイミングで書いておきたい1頭がいるのですが・・・
エネルギーと時間次第で。。
343こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/03/04(水) 00:07:21 ID:teZq8d0y
メリーナイスか…
344こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/03/04(水) 10:47:37 ID:IbY0lxwn
メリーナイス、まだ佐久にいるのかな・・・
345こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/03/04(水) 16:00:45 ID:DuS5a5to
同期のライバル達が早くしてこの世を去っていく中、よく25歳まで生きていてくれたよね

お疲れ様、オラシオン
346こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/03/04(水) 19:58:55 ID:IbY0lxwn
北海道に帰ってたんだね。メリーナイス
347こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/03/04(水) 20:07:21 ID:mZ0Hm9ai
ライスやらメリーナイスやら全然このスレにあってなくね?
348名もなき筆者:2009/03/04(水) 20:53:10 ID:xzvMYA1L
「最近亡くなった馬ではない」
と・・・予告っぽくなっちゃいますがこれだけ書いときます。

焦らすようで申し訳ない。余裕が無くて・・・。
349こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/03/04(水) 21:01:32 ID:oigCJUQJ
ゆっくりマッタリで。

にしても、稀に見る良スレ。
350こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/03/04(水) 21:05:29 ID:gxA947oH
ゴーゴーゼットでしょう
彼が活躍しなければナリタトップロードもヒシミラクルも存在しなかった
サッカーボーイ産駒が短距離馬ではなく中長距離馬を証明した
351こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/03/04(水) 21:42:19 ID:mZ0Hm9ai
>>348
ホクトヘリオスとかサクラロータリー、イイデライナーあたりメリーナイス繋がりで書いてくれないかな
まぁマッタリまってます
352ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/03/04(水) 23:50:28 ID:Pmme7a0U
>>341
ライスシャワーが2度めの春天を勝ったときの向こう正面での杉本清アナの実況、
「ミホノブルボンもメジロマックイーンも応援していることでしょう」
この一言は素晴らしかった!
まるで彼が勝つことを予定した実況だったのか?

彼が3たびの栄光を獲得した京都コースで命を落とすことになるとは
なんとも皮肉すぎる出来事でした・・・。

私は東京の人間ですが京都競馬場の彼の墓には2度行きました。
あの時代、関東の馬で関西勢に対抗しえたのは彼くらいだったんですよね。
353こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/03/05(木) 00:25:36 ID:VjOvqFr+
>>352
93年の天皇賞以来、勝ち星から遠ざかっていたので、2度目の春天皇賞勝利は
嬉しかったですね。
あの宝塚記念の日は本当にショックでしたよ・・・。
好きな馬がいなくなってしまったショックと、仕事が忙しくなったのと転勤も重なり、
2005年まで競馬から遠ざかっていました。
ですので、テイエムオペラオーやナリタトップロードなどの事も詳しくわかりません。
若い人たちだと、この世代の馬に思い入れがあるんでしょうね。
今の時代に、昔のダイタクヘリオスやメジロパーマーみたいな個性派が
出てきてほしいと願うばかりです。
354こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/03/06(金) 00:14:27 ID:755DaqAR
「淀に舞い、淀に散った史上最強のステイヤー」

誰かがそう呼んでいたのが、とても印象に残ってます…


って、このスレはライスシャワーについて語るスレじゃないか
355こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/03/06(金) 20:21:35 ID:XblZpXyq
>>352
私は杉本アナが言った、「やっぱりこの馬は強いのかー」が
今でも印象に残ってますね。

あと「次はどのレースに出るべきでしょう?」という問いに
大川さんが「来年の天皇賞です」と言ったこと。
356こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/03/15(日) 00:39:13 ID:PJkd/S3D
保守。
357こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/03/16(月) 23:38:09 ID:YXix4hxP
ほしゅ
358ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/03/18(水) 00:26:53 ID:SNWegBPR
単純に「保守」するのもなんなので・・・駄文を一言。

昔の関西競馬四季報の特集のタイトルでこんなのがありました。
「孤高を駆け抜けたハギノカムイオー」
彼はたしか15戦して8勝、しかし残る7レースは5着以内もない惨敗ばかり。
気持ちよく逃げればワンサイド勝ち。絡まれれば馬群にズブズブと沈没。

他馬とはマトモに競馬をしない、まさに「孤高」なレースっぷりでした。

父はテスコボーイ、母はイットー、姉はハギノトップレディ。
超良血でしたが種牡馬としては成功しませんでした。
それがかえって彼らしかったのかもしれませんね。

宝塚記念の2分12秒2はダンツシアトルに破られましたが
ぼくの心のなかには永遠に刻み込まれている勝ち時計です。
359こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/03/21(土) 21:21:02 ID:MlxrOkxs
干す
360こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/03/25(水) 13:29:24 ID:lswC2w6d
保守
361こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/03/27(金) 00:27:02 ID:6Nyfy3Pc
保守
362こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/03/29(日) 10:37:04 ID:JQuqu2Eo
保守
363こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/04/01(水) 18:13:59 ID:LzEmjsl5
保守
364こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/04/07(火) 00:34:57 ID:ovqGX59W
保守
365こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/04/11(土) 00:35:46 ID:mEbdiwOg
366こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/04/12(日) 20:14:15 ID:/udnnbPi
保守
367こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/04/12(日) 21:01:48 ID:VSHhdOSD
アスコットエイトなんか典型的だよな
368こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/04/15(水) 04:14:54 ID:31cloNHY
ほしゅ
369こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/04/15(水) 21:29:57 ID:d/0txHwl
フイニイのスレはここですか?
370こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/04/15(水) 21:52:47 ID:owDpaiyc
ある意味ミスターシービーなんかも。
371ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/04/15(水) 22:36:21 ID:xymblN1S
>>367
>>370
今となっては評価が一番低い三冠馬になってしまったけども
アスコットエイトが大逃げうって垂れてしまった菊花賞の二周目の坂で
ミスターシービーがぐんぐんと馬群の外を上がっていった場面はスリルがありましたね。

吉永騎手が近くを走っていた菅原騎手に「シービーが行きたがってる。どうすればいい?」と訊き
それに菅原騎手が「もう、ここからいっていい」とアドバイスしたらしいです。

シンザンが三冠取った年に生まれたぼく。
19歳の秋のことでした。
372こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/04/16(木) 13:03:52 ID:4af6oLcH
スレ主が消えた
373こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/04/16(木) 20:06:36 ID:fBho+8E5
保守
374こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/04/18(土) 10:45:43 ID:I8mJ8oOu
干す
375名もなき筆者:2009/04/19(日) 11:43:00 ID:7REAQxW4
捕手

短編を挟もうかな・・・すみません。。。
376こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/04/19(日) 18:16:35 ID:63m4HIW3
>>288
マーチの生まれた日に息子が活躍しましたね。
出遅れて最後方から、よく伸びてきました。
まだ成長の余地がありそうだから、今後が楽しみですね。
377こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/04/20(月) 12:50:47 ID:RsTAeXJ/
>>375
筆者殿、あまり無理をなさらぬよう。応援を続けておりますので。
378こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/04/21(火) 00:13:19 ID:ZUUz+rBh
名馬といっていいのか分からないが、ロイスアンドロイスが記憶に残っているね。
青葉賞で3着後に、次走は未勝利戦で勝利。
500万下を2戦連続2着後、セントライト記念でまた2着。
結局3勝しか出来なかったけど、俺にとっては愛すべき善戦マンでしたね。
379こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/04/21(火) 19:05:42 ID:XH817Pul
名馬・・・というより珍馬に入るのかもwそれでも秋天、JCでの頑張りは見事だった。
380こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/04/21(火) 19:57:54 ID:d9+fpmtt
あげ
381こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/04/21(火) 21:43:00 ID:SiARglKV
ロイロイには青葉賞で2着に入って、ダービーに出て欲しかったよなw
あれ?未勝利でも権利取れば出られたんだっけか?
382こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/04/21(火) 21:48:04 ID:XH817Pul
>>381
未勝利馬だと2着ではダメだったと思う。
383こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/04/21(火) 21:56:42 ID:SiARglKV
>>382
やっぱそうだったか。thx.
384こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/04/21(火) 22:30:22 ID:VKeFtiR7
しかしOP特別時代の話とは言え、よく未勝利の身で青葉賞に出られたもんだ。
今は500万下の馬で抽選になるのが標準レベルだもんな。
385こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/04/21(火) 22:57:19 ID:XH817Pul
ごく稀に未勝利馬でも登録している時があるけどね。ただ未勝利馬の出走はロイスが最後だったかな・・・
386ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/04/21(火) 23:59:45 ID:HcrGnda4
ジュネーブシンボリも未勝利だったよね。
ロイスアンドロイスとどっちが古いのかはもうわかんないです。
387こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/04/22(水) 01:22:19 ID:a2/la7pU
>>386
ジュネーブシンボリは1988年、ロイスアンドロイスは1993年ですね。
ジュネーブシンボリは未出走ながら、鞍上岡部+モガミ産駒の大物との評判で、1番人気に支持されてました。結局4着に負けてしまうのですが、2戦目も未勝利の身で500万下特別を使い、そこで初勝利となりました。
秋にも500万下特別を勝ったので、旧4歳馬が1年の間に、500万下レースを2勝するという珍記録も残っています。

388こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/04/23(木) 21:47:14 ID:4cLZ2iNg
そうそう。デビューが青葉賞だったな。
改めて見てみたら、この馬未勝利戦に出たことないのな。
389こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/04/23(木) 22:37:47 ID:0ifAMjQQ
保守
390こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/04/27(月) 21:47:46 ID:FBfkbW3o
先週土曜の道悪競馬を見ていて、なぜかメジロマックイーンを思い出した。
不良馬場の天皇賞秋での圧倒的な差を着けての先頭ゴール。
しかし、まさかの1着失格・・・。
産駒のヤマニンメルベイユは、福島牝馬Sで3着。今週は、ホクトスルタンが天皇賞春に出走予定。
マックイーン産駒に天皇賞春を勝ってほしい。
是非、父子4代盾制覇を成しとげてほしい。
どういう結果になるのだろうか…。
391こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/02(土) 06:10:13 ID:kOTUhUxf
保守
392こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/06(水) 19:59:22 ID:G8Y4HEqm
393こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/06(水) 20:36:28 ID:caWHH4D2
カネヒキリ骨折・・・・
394こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/06(水) 22:25:12 ID:raLFHKYo
ヤマトダマシイ
395名もなき筆者:2009/05/07(木) 23:06:13 ID:hkBA8G2V
今週末、書ければ・・・

何とかもう一度。
396ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/05/07(木) 23:42:18 ID:1ACx3m7e
>>393
治るの待って現役続行なんだってさ・・・・。
金子オーナーに「もう、いいじゃねぇか。上げてやれよ」と言ってやりたいよ。

此所に書いてもラチあかないんで金子さんとこの会社のHPにでも書くか。
397こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/08(金) 17:32:17 ID:1lrN/3c9
保守
398こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/10(日) 09:10:54 ID:l976Kdrt
>>395
楽しみ
399こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/10(日) 22:15:53 ID:dK+s5vYW
>>395
また書く書く詐欺?
400名もなき筆者:2009/05/11(月) 00:02:54 ID:7QFU09G5
「白石」と聞いて、あなたなら何を思い浮かべるだろうか。

皐月賞。
スタート直後、隣の1番人気の馬と接触。
その馬は2着に惜敗。彼自身は後方侭だった。

ダービー。
皐月賞大敗、NHK杯惜敗と来て、12番人気。
NHK杯組を蹴散らし3着に飛び込んだものの、3馬身前には皐月賞で涙の銀メダルだったあの馬が居た。

セントライト記念。
「力が違う!」と言わんばかりの切れ味。
4馬身差。待望の2勝目。本格化を予感させた。

菊花賞。
最後の直線の末脚は、際立っていた。
しかし、1馬身と少し前に居た1頭の馬・・・今思えば、相手が悪過ぎた。

ジャパンカップ。
中2週の強行軍・・・というのは流石に言い過ぎか。
4着にとどまったとは言え、南半球を代表する名馬とわずか0.2秒差だった。

そして有馬記念。
この2勝馬を、人々は最も支持していた。
天皇賞馬の突然の放馬。中山競馬場はどこか異様な雰囲気に包まれた。
そしてそれは、ある1頭の馬の優勝によって、一気に爆発した。
1番人気3着。彼にも勝てるチャンスはあった。だがこの日この時、この有馬記念の主役は、彼ではなかった。

この頃から彼は、感情を素直に表に出すようになった。
たとえば歓声や周囲の異変に対して、敏感に反応してしまうのである。
より速く走ることを宿命付けられているサラブレッドにとって、それは能力の発揮を阻害してしまうことを意味していた。

4歳秋の走りに魅せられたファン。
彼の美しい馬体に魅せられたファン。
彼の父に、あるいはかつての名馬に彼の姿を重ね合わせたファン・・・

彼には、本当にたくさんのファンが居た。
401こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/11(月) 00:04:09 ID:7QFU09G5
5歳緒戦の産経大阪杯を制したのを最後に、彼は期待外れの走りを繰り返した。
それでもこの芦毛の3勝馬には、本当に多くのファンが居た。
菊花賞で後塵を拝した、当時現役最強として君臨していたあの馬よりも。
・・・そう、馬券的な意味合いを除けば。

だから7歳の1月、みぞれ舞う中山でAJCCを逃げ切って4勝目を挙げた時。
中山競馬場のスタンドは、とても盛り上がっていた。
そして後のジャパンカップ優勝馬を完封してみせたこのレースが、彼の最後の勝利となった。

8歳の秋。
現役続行を断念した彼に、シンジケートのオファーが舞い込んだ。

これについては、いろんな見方ができると思う。
生産者たちも彼を愛していたのかもしれないし、同じ父を持つ偉大な先輩の存在が大きかったのかもしれない。
40株のシンジケートが組まれ、彼が初めて種付けをした春・・・
クラシックを席巻したのは、あのサンデーサイレンスの仔どもたちであった。

それから3年後。
手術のかいなく、彼はこの世を去った。
神経質な性質であったためか、複数の内臓疾患を抱えていたという。
特に直接の死因となった小腸は、ほぼ100%塞がっている状態であったと伝えられている。

一部の人々の間では、彼は「白石」と呼ばれていたそうである。
「白い稲妻」という横断幕もあったそうだけれど・・・
繊細で、それでいて多くの人々に愛された彼にはやはり「白い宝石」、「白石」の呼び名の方がしっくり来る。

今でも彼の墓前には、多くの花が手向けられているという。
とにかくタレント揃いだった1987年生まれの世代。
彼もまた、その一角を占める存在であったことは間違いない。


第20回 ホワイトストーン 1987年4月2日誕生 1998年2月4日死亡
戦績 32戦4勝 主な勝ち鞍 セントライト記念、産経大阪杯、AJCC(以上GU)
402こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/11(月) 00:57:52 ID:xFPmt45v
なぜかこの年は弥生賞組が好きだったなぁ。

ダービーの時は「5連単があればなぁ」と話すくらい弥生賞組が上位独占したからよく覚えている。

筆者さん、いい話をどうもありがとう。
403こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/11(月) 07:36:34 ID:dV1TJY48
筆者さん、更新乙です。
奇しくも昨日、ホワイトストーンの主戦だった田面木騎手が今年初勝利を決めたのを、現地で生観戦しておりました。
404こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/11(月) 10:48:16 ID:Rzy399cZ
俺が競馬を始めたのは、ホワイトストーンがイマイチになった頃だったな。
当時は、何故あんなに人気があるかわからなかったよ。
405ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/05/11(月) 23:27:19 ID:w7tyCI1s
>>401
産経大阪杯。

ホワイトストーンの影で散っていったメルシーアトラ・・・。
勝った馬にはG2とは思えないほどの拍手が湧き。
故障した馬には信じられない、という絶句の津波が起きた。

競馬界にはつきものの栄光と挫折・・・。

文字通り命を賭けて走っている馬たちよ。
406こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/12(火) 18:29:17 ID:ZjKP4aU8
>>400-401
乙です。ヘビメタバンドに似た名前だったので何となく覚えてます。
母父で血がつながるといいんだけど、厳しそうだなあ。
407こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/13(水) 15:54:30 ID:q6AxjEZN
>>405
「絶句の津波」って何?
それと「文字通り」って何?
イミワカンネ
だいたいメルシーアトラってそんな人気馬だったか?
408こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/13(水) 19:59:15 ID:+lVt5PRD
>>407
マイナー人気してたよ。関西の秘密兵器みたいな感じで。
409玉藻沙歩音 ◆U0XCey/J32 :2009/05/13(水) 20:26:19 ID:d1Nirrz1
ホワイトストーンもメラノーマ持ちだったはずですね。
祖父フォルティノも父シービークロスも死因はメラノーマでしたね。
410こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/13(水) 20:31:14 ID:+lVt5PRD
>>409
一瞬、「なんでドラクエの呪文で?」と思ってしまった。
411こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/16(土) 01:40:11 ID:xFLPEWkT
>>405
メルシーアトラ…
競馬に興味を持ち始めたばっかの頃で、故障した馬の運命を親から聞いたのもこの時だったなあ。
レースの後で、テンポイントの話とかいろいろ聞いたのを思い出した。
弟のメルシーステージも応援していたなあ…
412こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/22(金) 18:21:59 ID:dxQTq0nN
保守
413こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/22(金) 18:27:36 ID:bsAobVkP
ケイエスミラクルの話が聞きたい
414こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/22(金) 23:00:46 ID:eQ4D54TU
>>410
確かに俺もそう見えたw
415こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/23(土) 05:57:43 ID:KeLfnyYR
メルシーアトラ
旧四歳時 函館D1700mシーサイドS(1990年08月26日)で逃げる同じ旧四歳のニホンピロタローをあっさり捉えて、三馬身ぶっち切った。
この日 JRA展をしていた京都の高島屋へ行き、
いつもと違ってウインズ京都で馬券を買っていたので、非常に印象深く残っている。

ニホンピロタロー共々 無事だったら、ダート戦線でも大活躍していたでしょう。
416こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/23(土) 17:06:56 ID:n94ZE52s
>>415
どうだろう…無事に行ってればアトラはダート路線行ってた可能性低そう。
芝で早々と頭打ちになってればダートへ行ったんだろうけど。
あの時代の馬はよほど芝ダメな馬でなきゃダート戦線に行ってはくれなかった印象。
カミノクレッセとかカリブソングとか、今世紀に活躍してればどんだけ名馬だったかと。
417こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/23(土) 19:06:01 ID:Fw1IYFn1
>>416
それにダート戦線と言えるだけのレースもなかったよね。中央でGVが2つだけ、しかも一つはハンデ戦やったし・・・
そう思うとナリタハヤブサやメイショウホムラも、生まれた時代が悪かったんだろうなぁ。
418こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/24(日) 10:46:07 ID:kBCL1wup
419こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/24(日) 10:47:23 ID:kBCL1wup
ダイナレターなんかも今だったら地方荒らしまくってドバイ遠征とかしてそう
420こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/24(日) 18:53:01 ID:DQVsPjus
ライフタテヤマなら交流重賞を2ケタは勝っていたな。
421こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/24(日) 19:18:54 ID:c34Vb2CL
ハイセイコーは有馬記念から東京大賞典へ連闘してたろうな
422こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/25(月) 20:28:48 ID:mxzUiWan
保守
423こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/26(火) 07:24:58 ID:72xoHmHc
ダービー近いし、ガレオン希望します
424こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/26(火) 13:08:32 ID:xb1iQbY2
>>417
たしかにダート路線が
確立されていればなぁと思わせた名馬はたくさんいたが、馬券的妙味では3歳でダート連勝→芝で頭打ち→夏の札幌で水を得た魚のようにダートで活躍してっていうのが一番美味しかった
425こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/28(木) 19:52:07 ID:KOMBVQcn
ほす
426こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/28(木) 20:17:18 ID:x2xgKgEM
>>424
昔ほどではないけど、今でも美味しい馬券になるね。斤量も軽いし。
まぁ今はダート路線も充実してきたけど、逆に敢えて芝の重賞へ挑戦する馬は減ったよね。ライブリマウントが京都4歳特別に出てた時代もあったんだよな・・・
427こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/05/31(日) 08:54:10 ID:p8GDVJfm
ユーワアトラスは間違えなく芝でもやれただろうな
全兄弟が芝で活躍してたし
428こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/06/01(月) 22:40:29 ID:UO+1Q+yf
ほす
429こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/06/09(火) 17:48:25 ID:udnbCa1C

430こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/06/11(木) 22:14:23 ID:1FJYN/qf
ほしゅ
431こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/06/15(月) 15:38:19 ID:YbnRTqqE
マンデームスメ

ビリーヴ、スリープレスナイト、アストンマーチャン・・・
芝1200mで頂点を極めた牝馬たちである。しかしそんな彼女等と互角の才能を
もった牝馬を知っているだろうか。もっとも、それはある舞台においてのみだが。

その馬の名はマンデームスメ。3歳夏の小倉。1800mの未勝利戦2連敗で小倉を迎えた彼女の初戦は
1200m戦。ハナをきるとそのまま2着を4馬身離して、1分7秒9という未勝利戦では破格の
時計をマークして圧勝。そして中1週で500万特別の有田特別へ。ここでも
サイキョウサンデーの全弟で新馬勝ちから8ヵ月
ぶりで2番人気となった馬の後方からの猛追を逃げて2馬身寄せ付けず快勝。
その2着馬の名は、デュランダルである。

そして彼女は最終週1000万下の西日本スポーツ杯へ。しかし、台風で土曜の
この競走は延期。月曜に行われることになったのである。
こうなればしめたもの、などとベタなことは書かないが、
単勝オッズ1.4倍の圧倒的な支持に応え、ここも2着に3・1/2馬身の差をつけ
圧勝したのである。
432こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/06/15(月) 15:54:05 ID:JLOIcI1S
マンデームスメってwまだ函館記念専用エリモハリアーのほうが納得もいくが。
433こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/06/15(月) 16:04:17 ID:gdeLSEL/
マンデームスメは芦毛のムスメを二頭生んでるね
去年今年は子供生まれたのかな?
続きキボンヌ
434こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/06/15(月) 16:15:31 ID:YbnRTqqE
こうして秋には京都で1600万下を勝ちオープン入り。
しかしそこから中京芝1200m戦を中心にまったく歯が立たず5連敗を喫してしまったのだ。
そのまま準オープンクラスに降級することとなった。

降級初戦の舞台は小倉芝1200mの佐世保ステークス。ウインズ佐世保創立に伴い
設立された競走で、その前年第1回目を制したのがビリーヴだ。ビリーヴは
このレースの勝利を皮ぎりに4連勝で一気にスプリンターズステークスを制し、
スプリント界の頂点まで上り詰めた。
そんなこのレースを1.4倍の圧倒的な支持に応え、3・1/2馬身差をつけ
昨年の小倉での3戦と同様に軽々と圧勝してみせた。
そして、オープンの北九州短距離ステークスへ。アグネスワールドを初め
数々の名スプリンターが制したこの競走はこの年は
雨で重馬場でのレースに。しかしそれは彼女には全く関係なし。スターエルドラードを3馬身離して
楽々と逃げ切ってしまった。

その勢いに乗ってスプリンターズステークスも・・・
といこうとした矢先、故障を発生。残念ながら長期休養を余儀なくされた。
1年の時がすぎ、2004年夏。小倉の短距離戦々はゴールデンキャストを中心に
回っていたころ、スポーツ紙にそのゴールデンキャストらが
出走を予定した北九州短距離ステークスでのマンデームスメの丁度
1年ぶりの復帰の文字が浮かんだ。しかし、結局出走は叶わず引退。ちなみに
1倍台のゴールデンキャストが前が詰まって惨敗したレースである。

結局2003年の北九州短距離ステークスがこの馬の最後のレースとなってしまった。
小倉芝1200mを5戦5勝。そのどれもが圧勝で2着につけた着差は計16馬身。
小倉芝1200mを駆け、その後G1を制したビリーヴやアグネスワールド
らに見劣らない走りをみせた。
2006年にサマースプリントシリーズの設立に伴い
北九州記念が1200mのG3となった。早速2008年
にすぐスプリンターズステークスを制するスリープレスナイトが勝つなど
レベルの高いレースとなっている。
そして今年、マンデームスメの父にキングカメハメハをもつ
芦毛の仔がデビューする。母のスピードを受け継ぎ
母の果たせなかった夢をもしかすると
中京改修工事で小倉でG1が行われこの馬が・・・
という形で果たすかもしれない。
435こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/06/15(月) 16:49:08 ID:WczIyVC3
死んでないからアウト
436こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/06/15(月) 20:37:52 ID:h1K2Wt+n
>>435
死んでない馬もおるがなw
437こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/06/18(木) 04:18:59 ID:S758UoHn
是非サクラバクシンオーとの交配を!
438こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/06/19(金) 01:19:02 ID:EUl8/CBo
彼女の母親の大ファンだった。
ひと昔前の古めかしいヨーロッパ血統、シンプルな馬名、華奢な馬体。
それでいて直線では鋭い末脚で突っ込んできては、強いライバルたちに引けを
取らなかった。
善戦まではいくがあと一、二歩届かないところも胸を締め付けられた。

その娘が母譲りの、いや母を上回る末脚を武器に、さらなるドラマを演じるこ
とになる。

桜花賞TR、フィリーズレビュー。最後の直線で、ロバみたいに小っこいのが
外からすっ飛んできて差し切った。青毛の馬体はさながら、しずかに突き進む
瀟洒な軽自動車のようだった。豪脚や鬼脚とはかけ離れた、それこそ母を思い
出すような、切れ味抜群でありながら、どこか儚げな末脚。彼女だった。
この重賞勝ちで一躍桜花賞戦線の有力馬として躍り出た彼女だったが、母と同
じく熱発で、桜花賞は無念の回避。
復帰初戦のオークスTR、フローラSでは最後方から最速の上がりをたたき出
し、3着に入る。

そしてオークス。府中の長い直線と脚質との相性が評価されて、彼女は4番人
気。道中、彼女は最後尾グループの中を進み、4角10番手からゴーサインを
掛ける。粘るテイエムオーシャンを競り落として一時は先頭に立つも、坂を越
えたあたりでさらに後方から仕掛けを遅らせたレディパステルが襲いかかり、
首差だけ差されたところで、ゴール。
早仕掛けとかそういうものではなく、彼女の実力は出し切っているだろう。坂
を越えてからも3着馬との差は広がっているのだから。勝ち馬の仕掛けが見事
にハマったと言うべきだろうと思う。

休養を挟んだ秋のクラシック初戦、ローズS。1番人気に推された彼女は、上
がり最速ながら、前が止まらずに2着。まことに追い込み馬らしい「取りこぼ
し」だった。
秋華賞。彼女はオークス馬を抑えて2番人気。スタートでいきなり出遅れる。
道中は内に寄り、最後方からじわじわと押し上げ、なんと他馬より1秒近くも
速い上がりで追い込んでいく。無情にも、勝ち馬に4分の3馬身まで詰め寄っ
たところで、ゴール。1着テイエムオーシャン、3着レディパステルと、オー
クスの1〜3着馬が上位を占めた。「出遅れなきゃ…」「前が詰まる不利がな
ければ…」は、追い込み馬には常套句である。
439こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/06/19(金) 01:21:35 ID:EUl8/CBo
続くエリザベス女王杯は名勝負と言って過言ではないだろう。2番人気の彼女
は、もはや定位置となった最後方を追走。ヤマカツスズランが1000m58秒のハ
イペースで引っ張り、直線に向ってからは、先行のテイエムオーシャン、中段
から伸びてきたティコティコタック、レディパステル、トゥザビクトリーの4
頭が横一線となって、叩き合う。
そして、残り1ハロンを切ったあたりから、大外からとんでもない勢いで、彼
女が追い込んでくる。一完歩ごとに差を詰めていき、4頭をまとめて差し切ろ
うとする。勝ち馬に並びかけようかというところで、ゴール。5着までハナ、
ハナ、クビ、クビ差の激戦。彼女はG1を3戦連続2着という成績を残し、そ
のシーズンを終えた。

古馬になってからの彼女は、相変わらず鋭い末脚を繰り出すものの、よくて3
着。不発も目立つようになった。
久しぶりの、そして最後の勝利は、マーメイドS。鞍上は久しぶりの、ともに
G1クラシック戦線を闘った騎手。苦手なはずの重馬場で、いつもより少し早
仕掛け気味に、先行馬に並びかけていく。
一頭だけ脚色が違った。粘るテイエムオーシャンを苦もなく交わし、どんどん
差を広げていく。快勝だった。実に2年4か月ぶりの美酒であった。

騎手は今年、めでたくダービージョッキーとなった。筆者は買ってもいないの
に思わず直線で「そのまま、そのまま」と叫んでいた。彼もまた、悔しいG1
の2着が多い騎手である。彼のダービー勝利を素直に喜ぶと同時に、ツルマル
ボーイ(乗替わって安田記念を勝ったが)や、彼女のことを、ふと思い出した。

ローズバド
  父 サンデーサイレンス  母 ロゼカラー
  26戦3勝  フィリーズレビュー(G2) マーメイドS(G3)
         優駿牝馬2着、秋華賞2着、エリザベス女王杯2着(G1)
440ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/06/19(金) 23:09:57 ID:j+1gQxLD
ローズバドって「社交界にデビューする娘」って意味ですね。洒落てます。
バラ一族はロゼカラーの強烈な追い込みに魅せられてから応援してますが
どうにも馬券の買い方が下手で儲かりません。

あと関係ないけどロゼカラー、キャッチミーって中山美穂の歌のタイトルですよね。
441こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/06/23(火) 00:16:45 ID:ylMmt2XG
タキオン…
442名もなき筆者:2009/06/23(火) 07:55:21 ID:3+xOukUr
捉え切れない存在。

その名にふさわしい馬だった。


新馬戦。
ダービー馬の弟が2頭いた。
そのうちの1頭が、彼だった。
稀代の名牝の息子がいた。
人気は彼らに譲った。

ゲートが開き、向こう正面を過ぎ・・・
その後は、彼の独壇場。
文字通り、大楽勝だった。


2戦目。
下馬評は「3強」。
1番人気は、1頭の芦毛馬に譲った。
重賞ウィナーと差の無い、というよりも僅かに上回る2番人気。
私の目は、その重賞ウィナーの方に向けられていた。

ゲートが開き、向こう正面を過ぎ・・・
新馬戦と同じ舞台。レース振りもそっくり。
終わってみれば、彼の独壇場。
4角で置かれた重賞ウィナーが追撃して来たが、遠く及ばなかった。


余計なレースを使う必要が無くなった。
トライアルヘの直行。
雨は上がっていた。
けど、不良馬場だった。
それでも、単勝オッズ1.2倍・・・
新馬戦で人気を譲ったあの馬を大きく引き離す、圧倒的1番人気。

ゲートが開き、向こう正面を過ぎ、最終コーナー。
2番人気のあの馬のすぐ後ろに、ピッタリ付けて立ち回る。
最後の直線。今度も独壇場になった。
5馬身差。
「母仔2代クラシック制覇へ」「兄弟ダービー馬誕生間違い無し」「三冠確実」・・・
本番まで1ヶ月以上あるのに、こんな台詞があちらこちらで聞かれるようになっていた。
443名もなき筆者:2009/06/23(火) 07:58:08 ID:3+xOukUr


迎えた皐月賞。
彼の単勝オッズは、1.3倍。

ゲートが開いた。
最大のライバルと目されていた馬・・・2走前、彼が2着に退けた相手が出遅れた。
彼では無く、そちらの方に注目していた私は頭を抱えた。
向こう正面を過ぎ、3角から4角へ・・・
この日ばかりは、彼の独壇場とは行かなかった。
外からオレンジの帽子、連れて出遅れたあの白い帽子が追い上げて来た。
それでも、まだ彼には余裕があった。

他馬が捉え切れない存在。
底の見えない、どう捉えれば良いのか未だ判然としない強さ。
4戦4勝。無傷の皐月賞馬が誕生した。


数日後。
唐突に。あまりにも早く。
夢は潰えた。


彼は種牡馬になった。
初年度からいきなりGT馬を出した。
2年目には、どこか彼を髣髴とさせるような、捉えようの無い強さを身にまとった牝馬を出した。


彼女の引退もまた、唐突だった。早かった。
それから約4ヵ月後・・・


彼は逝った。
あまりにも早く。あまりにも唐突に。
捉え切ることのできない、速い存在。
その名にふさわしい存在であった彼らしい最期。


どうか安らかに。


第21回 アグネスタキオン 1998年4月13日誕生 2009年6月22日死亡
戦績 4戦4勝 主な勝ち鞍 皐月賞(GT)、弥生賞(GU)、ラジオたんぱ杯3歳S(当時・GV)
444こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/06/23(火) 15:36:39 ID:n1FT6Syj
「ジャングルポケットがゴールした瞬間に、2馬身先にアグネスタキオンが走っている姿が見えた」
解説者の言葉が忘れられません。

サンデーサイレンスの一番の後継者は結局のところどの馬なんだろう?
445こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/06/23(火) 17:26:45 ID:CSJSpe/4
久々に見たけどまた復活しててよかったよかった

アグネスタキオンは通常の3倍速ぐらいで生きて逝って
しまったみたいな感じだな。
446ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/06/23(火) 22:51:51 ID:5DVXFdtq
>>444
ネオユニヴァースでしょう。
447名もなき筆者:2009/06/26(金) 06:14:10 ID:GOgUQaSe
>>445
時間が取れなくて申し訳ありません。
今回は、訃報の第一報を知ったのが前夜。
一眠りした後、マスコミが報じているのを確認した時に、どうしても書いておきたくなりました。
今度はじっくり練って書けるようにしたいです。
448こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/06/26(金) 08:03:34 ID:QQx/i8vI
あげ
449こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/06/26(金) 19:23:53 ID:9k6qgxHd
JRA-VAN(PC版)で過去の宝塚記念の結果を見ていたら、オースミロッチの名前が。
確か、93年の宝塚では全馬が外を回る中、ただ1頭だけ最内を回っていたよね。
2着のイクノディクタスの末脚も良かったなあ。
高齢牝馬だったのに、見事だった。
450こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/06/26(金) 19:35:59 ID:E82HcQ9v
>>449
2007年の英国エクリプスSのノットナウケイトを見て、オースミロッチを思い出しました。
451こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/06/26(金) 23:10:42 ID:ejrfo+oV
大川慶二郎氏が、松本騎手の最内べったり作戦を評価してましたね。
452こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/06/26(金) 23:47:18 ID:j0MVHhKU
オースミロッチは京都専用のイメージがありますが、宝塚記念と有馬記念は二桁人気ながら掲示板に乗る活躍でした。その頃には松本達也騎手が主戦だったのですが、人馬一体という表現がピタリはまるイメージがありましたね。
ちなみにデビューから数戦は若き日の武豊が乗ってました。
メジロマックイーンが勝った菊花賞、この時もオースミロッチの背中には武豊がいました。
453こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/06/27(土) 05:52:40 ID:A9osXwaX
オースミロッチは勝ち星が淀に集中していました。極度の車酔い体質で、輸送に向かないと聞いたことがあります。
もし、そうでなかったらどれほど勝っていたのかと思います。
454こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/02(木) 15:21:38 ID:LWFTL/1o
あげ
455こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/07(火) 22:57:04 ID:l2zEGwcg
あげ
456名もなき筆者:2009/07/08(水) 07:41:33 ID:EbTabZtS
「競馬の面白さを教えてくれた」
「嫌な事があっても、彼のレースで癒されている」
「彼の4コーナーは、いつも希望に満ち溢れている」

現役を退いて、10年余の月日が流れた今。
それでもなお、彼の名は競馬ファンの中に確かに息衝いている。
「ブラッド・スポーツ」としての競馬を超えた競馬の姿が、そこには在るように感じられるのだ。

1993年の七夕賞。
最初の600mが33秒9、1000m通過は57秒4。
2000mの日本レコードタイムが1分56秒台、などという事実を持ち出すまでもなく、「暴走」である。

だが、彼は2着アイルトンシンボリに4馬身の差をつけて圧勝した。
現役屈指のスタミナ自慢を寄せ付けることなく。

続くオールカマーで、彼はまたもや壊走、いや快走を見せる。
最初の1000mは59秒5。だが、七夕賞と違って3コーナーに入ってもペースが落ちない。
200m毎に12秒弱・・・速いラップを刻み続けている。

4コーナーをカーブしてもなお、2番手のホワイトストーンは遥か後方。
人気のライスシャワーは更にその後ろ。中山が揺れた。

最後の坂。小柄な彼の身体に中舘のムチが飛ぶ。
的場文男の妙技に応えてハシルショウグンが迫る。最後の200mは13秒0。

しかし、彼がゴール板を通過したその刹那。
2頭の間にはまだ5馬身の差があった。

そして、これが現役最後の勝利になった。

勝てなくなってからも、彼は逃げ続けた。
4コーナーで大差を保てなくなってからも、3コーナー手前までは誰にも先頭を譲ることなく。
 
公営・上山に移籍し、宮城県で種牡馬入りし、どマイナー血統でありながらもいくばくかの後継を残した生粋の逃亡者。

ライラリッジ産駒のGV3勝馬。
そんな字面の事実では到底語り尽くせない魅力を持った、まさに20世紀が遺した名馬だった。


第22回 ツインターボ 1988年4月13日誕生 1998年1月15日死亡
戦績 中央23戦5勝 地方12戦1勝(交流2戦0勝) 主な勝ち鞍 ラジオたんぱ賞、七夕賞(以上GV)、オールカマー(当時GV)

※今回の文章は、以前別の場所にて執筆したものに一部修正を施しました。
457こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/08(水) 12:33:28 ID:Rx3qF8jG
更新乙です!
影に消えていくGTホースもいるなかで、どんなに衰えても彼は常に輝きを放ち続けていましたよね…
458こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/08(水) 17:45:21 ID:SZM+gyJT
やっぱり、オールカマーの一戦が印象に残るよな。
オールカマーではライスシャワーの単勝を買っていて外れたけど、
これで楽しみな1頭が増えたと思ったんだけどね・・・・。
459こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/08(水) 21:20:54 ID:Ka10APHm
ケイエスミラクル
460こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/08(水) 22:05:57 ID:E4cIYE6i
七夕賞の実況が好き
途中 
「ターボエンジン全開で!!」
ゴール前
「これがツインターボ!!!全開だターボエンジン逃げ切った!!!」
461ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/07/08(水) 23:53:01 ID:birn/UkT
おれは中舘英二が大好きだ。

「時代の影に消えた騎手列伝」もあるといいね。


第1回は岸滋彦で。
462こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/09(木) 07:51:35 ID:DSyYCnj/
>>461
第二回は内田浩一で

>>459
>>304
463こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/09(木) 19:59:22 ID:eRUiqg5w
>>462
内田浩一氏は現在、清水出美厩舎の調教助手です。
栗東トレセンで
通常は日曜日
GT施行週は土曜日に各々開催されている施設見学会に頻繁に顔を出されて、
ジョッキー経験者からのお話をなされています。
失礼を承知で、あの乗り替わりの件を訊きましたが、
非常に恬淡と語って頂き、達観した人の清々しさを感じました。
早く調教師試験に合格して欲しいものです。

464こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/09(木) 23:51:19 ID:ljUgX8j1
>>461 清水英次なんかどうだろう。
晩年はほんとに体がボロボロになって辞めていったんだよね。
まっすぐ歩くのさえつらかった、という噂を聞いたことがある。
465こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/10(金) 00:04:04 ID:ljUgX8j1
もっともタイトルにふさわしい騎手を思い出した。
道川満彦だ。
今の時代だったら、アンカツや岩田、内田とリーディング争いをしてた可能性もあった。
466ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/07/10(金) 00:23:18 ID:yGNZmNCy
内田浩一、清水英次、道川満彦。いい並びですね。

あとは・・・、
「大きすぎた代償・丸山勝秀」
「パーマーの強さを知っていた男・山田泰誠」
「逃げて男になった奴・木藤隆行」
単独スレあるけど「君の笑顔を忘れない・岡潤一郎」とかね。
467こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/10(金) 00:50:06 ID:5//sY3fN
き…きそう
468こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/10(金) 01:27:19 ID:2kvtTrht
>>466
塩村克己も忘れないで、
ネーハイシーザーの菊花賞、大きく遅れての最後の直線で沸き起こった拍手と
ファンへの布施正調教師の感謝のコメントが忘れられん
469こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/10(金) 02:32:39 ID:idSOEhMy
フルゲートの中山グランドジャンプ。いいメンバーが揃った。
圧倒的な1番人気は、目下3連勝中、当るところ敵なしの勢いで臨む、昨年の中山大障害勝ち馬。
次いで、連覇を狙ってオーストラリアから遠征してきた、昨年の中山GJ勝ち馬。
3番人気は、前走の阪神JSを勝った、平地重賞勝ちもある古豪。
彼は今シーズン、1か月に1走のペースで使われて、3戦2勝、3着1回。
順調さを買われて、前述の3頭とはやや離れた4番人気だった。

水壕、大竹柵、大生け垣障害を飛越し、16頭がスタンド前を通りすぎていく。
1頭の落伍者も出さなかったことに、スタンドからささやかな拍手が湧き上がった。
上位人気の3頭はじりじりと順位をあげ、スタンド前では先頭集団を形成。
向こう正面では縦長の展開となり、3頭による決着を誰もが予測した。

最後のコーナーを曲がり直線に向かうところで、彼が差し脚を伸ばしていく。
最終障害、そして直線で、1頭、2頭とかわしていき、ついに最後の1頭を捉える。
圧倒的な1番人気馬を、1と1/2馬身突き放したところで、ゴール。レコードタイム。
彼の一世一代の激走だった。

1頭も落馬することなく、フルゲート16頭、全頭が完走した。いい勝負だった。
偉大な種牡馬だったノーザンテーストの、久々のG1勝ちだった。
そして、われわれが少なからぬ勇気をもらった騎手の、記念すべきG1勝利だった。


96年デビュー。のちに「花の12期生」と呼ばれる世代である。
乗れる騎手だった。デビュー5か月で12勝をあげた。
しかし、その年に落馬事故。脳挫傷で意識不明の重体となる。
意識不明の間も、競馬中継に体が反応したらしい。
意識を取り戻した第一声が「いつ馬に乗れますか」だったらしい。
落馬から半年後、奇跡的な復活を遂げた騎手は、重賞1勝を含む23勝をあげる。

その後、騎手は障害レースにも騎乗するようになる。
言うまでもないが、障害レースは平地に比べ、はるかに落馬事故の危険が高い。
意識不明になるほどの大事故を経験し、後遺症もまだ癒えないというのに。
そんな騎手の勇気ある選択に、関係者からもファンからも惜しみない応援の声が送られた。
所属厩舎期待の、クラシック戦線でも勝負になるような、いい牝馬にも巡り合えた。
そんな中での、G1レース勝利だった。

しかしその翌年。再び騎手は、落馬。障害レースだった。
脳挫傷、外傷性くも膜下出血、頭蓋内血腫で、意識不明の重体。
意識の回復に1か月を費やす。
それでも騎手はあきらめず、復活のためのリハビリに励むが、ついにドクターストップ。
引退を決意する。2度目の落馬事故から、2年半が経っていた。

通常、騎手の引退は、よほどの活躍や功労がないかぎり、ひっそりと行われるのが常である。
が、彼の場合は違った。わずか通算82勝の騎手の、引退式が開催された。
「花の12期生」と呼ばれる同期の福永、和田らの呼びかけによるものだった。
和田が涙で声を詰まらせながら、騎手のプロフィールを読み上げる。
武豊も出席し、花束を贈呈する。
「生きることは素晴らしい」と、騎手は感謝のことばを告げた。
彼の周囲には必ず人がいた。そして有形無形のエールが絶えず送られた。
その才能に比して、あまり恵まれた騎手生活は過ごせなかった彼であったが、
彼の人生そのものは、けして不遇なものにはならないだろうと、強く予感する。

ビッグテースト 1998.3.9生
平地7戦1勝 障害18戦5勝
中山グランドジャンプ(JG1)

常石勝義 1503戦82勝(うち障害181戦15勝)
重賞3勝(小倉3歳S、中山GJ、関屋記念)
470こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/10(金) 06:40:39 ID:LQcSHNMM
>>464
清水英次というと、
普通は トウメイなんだろうけど、
おれはディクターランド=菅谷正己を想い出してしまう。

471こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/10(金) 13:27:44 ID:sHEZ7xXd
>>470
清水英次と言えば、ラジオたんぱ杯の時にナリタタイシンに乗って勝ってましたね。
472玉藻沙歩音 ◆U0XCey/J32 :2009/07/10(金) 14:53:29 ID:DjGQ9VEy
>>466
故・坂本敏美元騎手もどうでしょうか。
473こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/10(金) 20:07:50 ID:A70yN1CK
清水英次は実際には自殺じゃないの?
世間体が悪いから怪我が元で亡くなったとかにしたらしい
474こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/10(金) 23:26:53 ID:+pvQGFZg
>>469
最後の直線、「常キター!」と叫んだのを思い出します。
475こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/11(土) 02:41:08 ID:3cLiblnO
栗毛の大柄な馬体だった。
重戦車のような差し脚で、一完歩づつ確実に、最後の直線を追い込んでいった。
無骨で不器用な、愚直とも言える追い込みで、稀代のスターホースに戦いを挑んでいった。

彼のこの戦法は、一朝一夕で培われたものではない。
ある騎手の「脚決め」と俗に言われる、職人芸により確立されたものだった。
デビューから7戦(3勝)は、別の騎手が乗って、先行または中段からの差し。
使われていたのがダートの短距離、次いで芝1400だったので、仕方のないところではある。
騎手に乗り替わった初戦のシンザン記念は、後方からのまくりで勝った。
これが「脚決め」の第一歩だった。

脚決め。聞きなれない言葉だが、これは実戦で競馬をしながら、
その馬に合った脚質、戦法を教え込んでいく、ジョッキーにしかできない一種の調教である。
騎手は、その道の名手で、関係者からの評価も高かった。
きさらぎ賞、スプリングSと、後方一気の追い込みを叩き込まれ、
彼の「脚決め」はクラシック本番直前に完成した。
そしてその末脚が、クラシックで炸裂する。

皐月賞。どろどろの不良馬場、直線で追い抜かれたスターホースを必死に追いかけた。
栗毛と黒鹿毛のコントラストが、泥に汚れて競り合う。半馬身及ばなかった。

ダービー。良馬場なら逆転も可能、と思われていた。堂々の2番人気だった。
向こう正面では後方ながら、スターホースの前に位置取った。スターホースは最後方。
3角でスターホースが常識破りのまくりを打つ。後方一気の彼は動くことができない。
府中の長い直線。スターホースの影を捉えようと地鳴りを震わせ、スパートをかける。
1と3/4馬身差まで詰め寄るも届かず、2着。完敗だった。
476こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/11(土) 02:42:44 ID:3cLiblnO

菊花賞。長距離血統の彼にとって、菊花賞こそが件のスターホースを逆転できる、最大のチャンスだった。
スターホースはスピード血統。末脚の鈍ったところを、ズドンと差す。
そんな期待を抱かせるに充分な魅力が、当時の彼にはあった。
しかし。
菊花賞に彼はいなかった。
神戸新聞杯3着ののち、指骨骨折が判明。長い休養に入った。

いったん故障すると、大柄な馬体は不利に働く。体のあちこちが悲鳴をあげた。
1年に2〜3走するのが精一杯だった。
2年後の天皇賞(春)、スターホースと再戦。1歳下の「皇帝」の5着、9着に敗れる。
次走の高松宮杯では追い込み戦法を捨て、中段差しで鼻差競り落とす。
かつての輝きは失われていたが、ぼろぼろの体であげた勝利を、誰もが讃えた。


昭和は過ぎ、平成の世になり、騎手もまた、かつての輝きは失われていたが、
「脚決め」の技術は健在であった。
ラジオたんぱ杯3歳S(当時)。2走前より乗り替わっていた騎手は、
先行で末脚を失っていたその馬を、まずは中段からの競馬を教え込み、
そしてこのレースでは、最後方からのまくりと追い込みで、見事に低評価を覆した。
馬にとっては初重賞勝ち、騎手にとっても久々の重賞勝ちであったが、
これは何よりも、その馬の後方一気の「脚決め」が完成した瞬間であった。

その馬は翌年、武豊に乗り替わり、後方一気の追い込みで皐月賞を勝つ。
実況アナは「武マジック!」と叫んだが、それは誤りであり、
騎手の「脚決め」の仕事が炸裂したのだ、と固く信じている。


メジロモンスニー    1980.4.14生 (95年種牡馬引退)
            21戦6勝
            高松宮杯(G2)、シンザン記念(G3)
            皐月賞2着、東京優駿2着

清水英次(1947-2005) 5569戦550勝
            重賞23勝
            天皇賞(秋)2勝(トウメイ、テンメイ)
            有馬記念(トウメイ)
            桜花賞(リーゼングロス)
477こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/11(土) 08:19:02 ID:rk35h933
ティターンやアサマは余生を送れたが
モンスニーは屠殺か・・・
478こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/11(土) 11:30:06 ID:SXtayzWz
種牡馬にはなったが>メジロモンスニー
479こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/11(土) 22:06:00 ID:rk35h933
>>478
種牡馬引退後のこと
480こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/11(土) 22:20:45 ID:3cLiblnO
ぼくの調べた範囲では、
モンスニーは種牡馬引退後、消息不明で、お墓もわからないです。
481こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/12(日) 10:58:29 ID:2gW3qWRl
メジロモンスニー
宮杯で初めて万馬券を獲らせてくれた・・・決して忘れないが(´・ω・`)(´・ω・`)

482クラシック ◆lm3GWAqDMA :2009/07/13(月) 16:48:23 ID:RxhJYaHu
懐かしい。
483こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/14(火) 13:38:30 ID:+PtFzkqU
日本ダービー。有力馬の一角を担っていた彼に跨っていたのは、デビュー3年目にして弱冠20歳、ダービー初騎乗のN騎手だった。
返し馬を終えてスタート地点に戻ってきたN騎手は、慌てて担当厩務員のSに告げる。
「Sさん、大変だよ、大変だよ、跛行してるよ…」
美浦でも腕利きで通っているS厩務員が答える。
「ビビるな、跛行なんかいま始まったことじゃないだろうが…落ち着け」

大型馬特有の慢性の脚部不安に、悩まされ続けていた。
重度のソエがどんどん悪化し、ダービーの時にはすでに重度の繋靭帯炎に侵されていた。
デビュー以来、まともな脚の状態で出走できたことは、一度もなかったという。
S厩務員の努力と執念で、なんとか脚を持たせて使っていた。

期待の一頭であった。未勝利、条件戦を連勝し、クラシック戦線に名乗りをあげる。
迎えた弥生賞では、2歳チャンピオンをはじめとした重賞実績馬をおさえ、1番人気。
ところが、痛恨の出遅れ。3角から早めのまくりを入れるも前を捉えられず4着。
皐月賞。1000m60.2秒とやや速いペースのなか、好位を追走。脚を溜めていた2頭が直線を抜け出し、6馬身離されて3着。
NHK杯。中段からの差しを図るも、前には届かず後ろから差されるの最悪の結果で3着。

この段になって周囲からはN騎手に対するバッシングが激しくなる。
なぜあんな若造を乗せるんだ、もっと巧い騎手を乗せろ。
だが、師匠でもあるK調教師は、N騎手を庇いつづけ、続投を決意した。
弟子の成長を促す目論見もあっただろう。
しかも、当時のフィルムを観るかぎりでは、N騎手に明らかな乗り間違いはないのである。
弥生賞以外のスタートは問題なし。道中もスムースに上がっていけてる。
キレる脚がないうえに脚元が弱く、強く追えないから、早めに仕掛ける。
スタミナは抜群なので、長いスパートに期待する。事実直線は伸びてるし、すべて理にかなっている。
だが、それでも負けるのが競馬。勝ったやつが巧く乗って、負けたやつは下手くそ。
当時のN騎手に対する評価は、そんな感じだった。

そして、日本ダービー。彼とN騎手は、いつもよりスタートよく好位置につけることに成功。
3、4角で外に持ち出し、直線の入り口では先頭に立つ。積極策だ。
内のほぼ同じ位置に、大流星のデカい顔の馬がいた。内と外、離れての叩き合いに負ける。3着。

その後。秋緒戦のセントライト記念を2着し、本番の菊花賞は脚部不安で回避。
484こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/14(火) 13:39:32 ID:+PtFzkqU
翌年。復帰戦の条件戦、鞍上はN騎手。天皇賞に出走するため、勝って賞金加算が絶対に必要であった。
が。好位から前を捉えられず、まさかの2着。
また勝てなかった。レース直後のN騎手は顔面蒼白だったという。
「競馬は結果がすべて」。N騎手は「当然の」降板。
さらに、しばらく自厩舎の有力馬には乗せてもらえなかった。

その1ヵ月後。なんとか出走できた春の天皇賞、このレースが彼にとって最大かつ最後のチャンスであった。
脚元は相変わらず悪く、この頃にはすでに屈腱炎を発症していた。
道中、中段より少し前、歴史的名馬の最高傑作と言われた1歳上の二冠馬をぴたりとマーク。
その馬のエンジンのかかりが悪いと見るや、外から徐々に上がっていき、関西の大将格の後ろにつける。
そしてスパート。いつになく伸び脚がいい。
内に持ち出した二冠馬、前を行く関西馬、そして彼の三つ巴の決戦となる。
外からなおも並びかけようとするその時、関西馬が彼の邪魔をするように大きく外に斜行する。
騎手が立ち上がるほどの不利に、これ以上の脚は残されてなかった。
関西馬は失格。彼は繰り上がりの口惜しい2着。
きっちり追えていても、差していたかどうかは分からないが、ツキもなかった。
そして復活はかなわなかった。1年後の天皇賞を13着。引退。

以下は、天皇賞勝ち馬の鞍上だったS騎手のオフレコ。
勝ち馬と彼とは、恰好も勝負服もよく似ていた。
関西馬に乗っていたT騎手は、彼が外からやって来た時、勝ち馬と勘違いしたんじゃないか、と。
後ろにいたSは、二頭が必要以上に外に膨れたので、咄嗟に内に入って、それでハナ差だけ勝てた、という話。
まあT騎手はその件に関しては絶対に話さないだろうから、真相は闇のなか、である。


アサヒエンペラー   1983.4.3生 (97年種牡馬引退、乗馬、功労馬施設)
           11戦2勝
           天皇賞(春)2着、東京優駿3着、皐月賞3着、
           セントライト記念2着、NHK杯3着
485こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/14(火) 13:59:38 ID:Sm/w2xAk
胡散臭くなるから実名の方が・・・
486こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/14(火) 14:17:15 ID:+PtFzkqU
そですね。以降気をつけます。
騎手はN=中舘、S=柴田政人、T=田原。
厩務員Sは佐川、調教師Kは加藤修甫です。
487こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/14(火) 19:26:59 ID:hCree9SH
>>486
ああ、約1名…乙です。
488ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/07/15(水) 00:41:13 ID:0zQNVOPi
>>184
中舘騎手の話、ありがとうございました。
彼がダービー後の検量室で悔しがってゴーグルを叩き付ける姿が目に浮かびました。

アサヒエンペラーは史上(私情?)最強の2勝馬の一頭だと思います。
489こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/17(金) 21:56:08 ID:+QOm/z6Z
その外を衝いてアサヒエンペラー
490こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/17(金) 21:57:07 ID:+QOm/z6Z
タマナーは故障がち
491こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/17(金) 22:26:33 ID:j2AaZKI0
アサヒエンペラー、実は惜しい3着てのはひとつもなくて、
皐月賞は6馬身ちぎられてるし、ダービーもきっちり競り負けてるんですよね。
やっとこさ3着確保、てのが実情でした。
ものすごいジリ脚だったのかもしらん。

ただ天皇賞の末脚だけはすごい伸びてます。
ニシノライデンもすごい脚を使ってたので差せたかどうかは微妙ですが。
成長分なのか、あるいは蛯沢が巧く乗ったのか。

中舘にしたって、よくこんな難しい馬を壊さずに乗ってたもんですわ。
弥生賞、皐月賞、NHK杯、ダービーのハードローテーション。
しかもきっちりと着は拾ってる。実は中舘、巧かったんじゃないのかw
492ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/07/17(金) 23:41:34 ID:Cc8zP9u6
>>491
下手で1500は勝てないでしょうよ。
493こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/18(土) 01:08:28 ID:JS4G7WKE
いやいや、「当時の」中舘のことですよ。
アサヒエンペラーにしたって、けして下手な乗り方はしていない。
でもあんなバッシング受けると、やなプレッシャーはかかってただろうな。
494こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/19(日) 14:06:52 ID:hPpcSbeN
でも、当時の中館があったから、ヒシアマゾンでうまくやれたんだろうなと思う。
アマゾンが今の時代に生まれていたら、念願のクラシックも夢ではなかっただろうに……
495ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/07/20(月) 00:46:52 ID:c2nlut0a
「笑顔の美しい若者だった」

馬上で笑っている顔などは、嬉しくてたまらないような表情をしていた。
騎手が天職のように思えるほど、素晴らしいレースをした。
酒場で逢って、応援してるよと声をかけると、頬を赤くして、嬉しいっすと笑ってくれた。

初めて重賞レースを制した秋、胸のポケットから愛馬をカードを出して、私にくれた。
ふたまわりも歳下の若者の好意に、私は熱くなった。

今年の春、北海道にある彼の墓参へ、兄弟子や同期の騎手たちが出かけた。報告があった。
「海が見えて綺麗なところでした・・・」
兄弟子が静かに言った。静かさゆえにせつなさがひろがった。
その夜、私は酒を飲んだ。苦い酒だった。

二度目の秋が来た。私は机の中からあのカードを出した。

「O君、君に逢えて嬉しかったよ。ずっと忘れないよ。」

忘れないことが男の友情だから・・・。
今年もまた競馬場は人でふくらむ。

***********

これは伊集院静がサントリーの新聞広告のために書いた文章です。
もう、あれから何年が経つのでしょうかね。
勿論「O君」とは岡潤一郎のことで間違いないと思われます。
ぽくもジュンペーの笑顔がいまでも忘れられない男の一人です・・・。



496こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/21(火) 20:05:21 ID:KhopcFsb
村山明で何か一つ欲しいなあ…
497こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/22(水) 07:16:39 ID:eOL0Be9L
ビワハヤヒデを巡る人間模様を是非に
角度を変えて熊澤にスポット当てれば更に良し
498ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/07/23(木) 22:21:44 ID:fErWon4C
>>497
「牝馬の岸」岸滋彦はビワハヤヒデを降ろされたあたりから下降していきましたね。

優駿のインタビューで亡くなった岡くんの話になり
「今の自分の成績では天国のジュンペーに叱られるよ」と言ってました。
でも、彼には挽回のチャンスが廻ってこなかったなぁ・・・。
499こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/27(月) 11:58:25 ID:my8YJ8RE
サンドピアリスを思い出した…
500こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/28(火) 15:33:43 ID:tw650TuW
500
501こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/28(火) 16:56:47 ID:Kd9FNAJs
93年の中山記念
シスタートウショウが久しぶりの勝利かと思わせたところを
大外から岸のムービースターが豪快に差し切ったレースが印象深い

前週のウイニングチケットの弥生賞を彷彿とさせるレース振りだった
502ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/07/31(金) 23:57:58 ID:3KXmp6IP
あげとくね。
503こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/08/05(水) 23:39:23 ID:WpOQaqE2
岸というと、ダイタクヘリオスが真っ先に思い浮かぶ。
平成4年の読売マイラーズカップが印象に残る。
60キロを背負って、あの強さ。驚いた。
人気になるとコケて、人気を落とすと好走していたね。
出走回数も多い、タフな馬だった気がする。
504こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/08/06(木) 00:40:59 ID:ZlaAyuxx
初代ウオッカ
名前だけ
505こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/08/06(木) 08:19:00 ID:NzD8Z7fA
保守
506ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/08/06(木) 22:03:33 ID:YIs6tjHQ
>>503
秋の天皇賞に出てきたダイタクヘリオス。
おれはトウカイテイオーを負かしてお父さんの仇を取る彼の姿を夢見て、
家内と一歳の娘をつれて府中に駆け付けたものでしたが・・・・、

結果は共倒れ、しかも秋雨が降ってくるというあいにくの一日になってしまいました。

嗚呼、レッツゴーターキン、ムービースター。社台のワンツー。
507こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/08/10(月) 12:21:11 ID:oChtREN+
ハシルショウグン
508こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/08/10(月) 22:14:52 ID:ADT/8R/r
アルクショウグン
509こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/08/10(月) 23:08:10 ID:jwnUteQc
サガルショウグン
シズムショウグン
キエルショウグン

みん〜なみん〜なショウ〜グン
ショウ〜グンのレ・エ・ス
510こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/08/11(火) 03:40:50 ID:aqAdSee1
よしだみほのネタであったな
511あぼーん:あぼーん
あぼーん
512こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/08/19(水) 20:38:23 ID:1Vqg9Lx+
保守
513こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/08/28(金) 22:54:33 ID:dczuwy2L
保守
514ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/09/02(水) 23:49:47 ID:r1xffTBB
むかし、酒井法子?が雑誌「優駿」に
「ビンゴユメタと夢冒険」ってタイトルのイラスト投稿してたんだけど
あれ、本人だったのかなぁ?
515こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/09/03(木) 00:41:06 ID:YL1I9kGY
>>503
あの中山記念は何度見てもいいですね。ツインターボが逃げて
516こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/09/03(木) 00:42:20 ID:YL1I9kGY
岸とゴールドマウンテン
517ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/09/13(日) 23:30:21 ID:wbRrIY+y
保守。

きのうキャプテントゥーレが、今日アルティマトゥーレが重賞勝ちました。
同一週での姉弟重賞勝ちって珍しいですよね?
518こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/09/14(月) 00:26:46 ID:oMFGuL7m
中舘とかは実名でいいじゃん。田原はTでいいけどさ。(逮捕されたしね)
個人的にはハシルショウグンとかが印象に残ってるわ・・・。オースミタイクーンとかさ。
519こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/09/14(月) 00:38:57 ID:iKaE+Eoe
>>517
ビワハヤヒデ(1994/2/13京都記念)ナリタブライアン(1994/2/14共同通信杯4歳S)が
他のスレでも話題になってるみたいですね。
1週違いは結構あるけど…
520こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/09/14(月) 19:35:17 ID:r6aC7lM8
2週違いならタマモクロスとミヤマポピー
521こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/09/14(月) 19:41:17 ID:wtsitq5D
サクラの兄妹もなかったっけ?
522こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/09/14(月) 20:48:51 ID:4q4LlWlD
サクラ兄妹は1週違いのGI。秋天とエリ女
523ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/09/14(月) 20:54:34 ID:mpS0BH0G
菊ダンスインザダークとエリ女ダンスパートナーが1週違いのG1では。

ナリタブライアンの共同通信杯は降雪で1日開催が延期になったのかな?

タマモクロス、ミヤマポピーのときは大川慶次郎先生の予想が凄かった。
「先生、ミヤマポピー本命の理由は?」
「タマモクロスの妹だから」
524名もなき筆者:2009/09/14(月) 23:57:57 ID:P/jwEq0a
お久しぶりです。

また、書きにきます。。
525こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/09/15(火) 01:08:23 ID:8QWhCocf
>>524
おお!お久しぶりです!!
またよろしくお願いします。のんびり待ってます。
526こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/09/15(火) 23:16:42 ID:zFAjfqes
アドマイヤキッス
ツルマルシスター
アストンマーチャン

俺は君たちを忘れない。
527ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/09/19(土) 22:55:02 ID:OS8ZFWZV
エルプスが死んだ。
おれにとっては心の中を一生一緒に走ってくれる存在だった。
函館、テレビ東京、報知杯を勝って臨んだ桜花賞。
おれは彼女のスピードをずっと信じていた。

按上は木藤騎手。関西の騎手には「あんな馬出遅れたらおわりやないけ」
と言われたそうな・・・。
とにかく思いきり乗ってほしい。関西に敵はいないんだから。
恐いのはタカラスチールだと思っていた。あとはミスタテガミ。
勝ったのは逃げ切ったエルプスだった。
嬉しかった、関西の奴ら、ざまぁみろと思った。

おれのメールアドレスはelps1964です。
エルプスはいまでもおれの心の先を逃げ捲っている。
忘れない、忘れられない・・・。

さよなら。ご苦労さまでした・・・。


528こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/09/20(日) 12:16:24 ID:nAvOoBZr
安芸
529こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/09/20(日) 13:44:02 ID:31vxoTnQ
>>528
アンジェラ?
530こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/09/22(火) 20:45:05 ID:h34FxOmo
>>529
違うだろ。相撲の安芸島だろ。
531こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/09/25(金) 15:48:40 ID:4ac7voUU
>>527
スレタイ読める?
532ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/09/25(金) 19:12:05 ID:SJllQmtm
>>531
すみません!!保守がわりです。
533こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/09/25(金) 19:43:02 ID:dM1nYflP
このスレ要するにマイナーな馬が好きなんでしょ(笑)
534こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/02(金) 00:10:29 ID:8r88wmUd
その年の帝王賞は、やや小粒ではあったが、面白いメンバーが揃った。
1番人気の昨年の年度代表馬ダイコウガルダン、
2番人気の当時売出し中だったハシルショウグンが、中央からの3頭を迎え撃つ図式だった。
当時の連勝記録を持っていた上山チャンピオン、スルガスペインにも期待が寄せられていた。

人気がなかったとはいえ、中央の3頭もなかなかの面子だった。
重賞勝ちを含む3連勝中の上り馬、ラシアンゴールド。
昨年5歳になり本格化し、渋い走りを見せるマンジュデンカブト。
そして、彼。
彼らはウィンターS、フェブラリーHと、近走の重賞でともに1〜3着を分けあった。
現在、ダートでいちばんよく走る3頭が出走したことになる。

レースは、2番手に積極策のスルガスペイン、ダイコウガルダンは3、4番手。
中段やや前の好位にラシアンゴールド、そのやや後方にハシルショウグン。
彼は道中、後ろから3頭めだった。
直線に入ってすっと抜けだしたのはスルガスペイン。
満を持して追いだしたラシアンゴールドが競りかける。
残り1ハロンを切ろうかという時に、大外を強襲してきたのが、彼だった。
信じられないような末脚で差を詰めていく。
内と外、並びかけたところでゴール。なんと史上初の同着。
「中央馬2頭がダート日本一の座に躍り出ました」とアナウンスは告げた。
そう、当時の帝王賞は、ダート日本一の座を賭けて争うにふさわしいレースだった。


生産者は「まず芝向きだと思っていた」と語る。バランスのいい、垢ぬけた馬体。
ただこの馬、蹄がとんでもなく脆くて、良馬場では思ったように走れなかった。
蹄鉄の釘さえまともに打つことができなかった。
芝での良績は蹄に負担のかからない湿った馬場の時に限られた。
そして彼はダート戦線へ駒を進めることになる。

逃げ、先行馬が比較的有利なダート戦で、彼は後方強襲の戦法を貫いた。
とても届かないような位置から、毎回差しこんできた。惚れ惚れするスピードだった。
ダート初戦のウィンターSで当時のダート横綱カリブソングを抑え込む。
帝王賞を含む重賞4勝、レコード勝ちが実に4回。
東京1600mダートのレコードは、なんと斤量60.5kgを背負ってのものである。
このレコードは9年後クロフネに破られるが、その時のクロフネの斤量は57kg。
一概に比較などできないが、隠れた大記録だと思う。
コースレコードから彼の名前が消えた時、言いようのない寂しさが訪れた。

6歳まで中央で走り、新潟へ転厩。そこでもかなりの人気を博したらしい。
そして種牡馬に。産駒は少ないながら、中央で3勝したファルコンシチーなど出した。

さて。余談であるが彼の勝った帝王賞をビデオで観て、少し疑問に感じたことがある。
こんなこと言うのは失礼だが、ラシアンゴールドがやや残ってるような気がするのだ。
観る角度で印象が異なるのは承知のうえだが、どうも彼のほうが体勢は不利っぽい。
と言っても、同着にしてもいいような、数mm程度の差をそう感じたのかもしれない。
あるいは、大井のレース裁定委員もまた、彼の末脚に魅了された一人であったのかもしれない。


ナリタハヤブサ  1987.4.28生 2003.2.27死亡(事故による骨折、安楽死)
         41戦9勝 (中央33戦5勝、地方8戦4勝)
         帝王賞、ウィンターS連覇(G3)、フェブラリーH(G3)
535こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/02(金) 22:38:11 ID:yTgRQj05
>>534
乙です。
彼やライフタテヤマは、もし今の整備されたダート戦線で走らせればG1二桁勝利も決して夢ではなかったと思います。
536こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/03(土) 05:33:21 ID:YUUtptp3
>>535
整備されてても二桁はないかと…
いや、批判するわけじゃなくて、当時の層の厚さを考えたら結構勝ち馬バラけてそうかなと
537こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/03(土) 06:45:49 ID:Ai0JlU/u
うん。
ライフタテヤマん時は地方勢がすごいからね。
ロッキータイガー、テツノカチドキ、カウンテスアップにグレートローマン。
ハヤブサの時も、ダイナレターはともかく
カリブソングは多分ダートにいただろうし、ロジータだって黙っちゃいなかったろう。
538こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/03(土) 06:59:45 ID:Ai0JlU/u
…あ。
というより今の装蹄技術なら、ハヤブサはクラシックで活躍してた可能性があるわ。
当時ハヤブサの装蹄師だった人が「今の俺の技術だったらもっと走らせられたのに」
と言ってたらしい。
539こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/08(木) 23:16:54 ID:JBn2OQ1p
保守
540こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/12(月) 10:27:54 ID:vTAdk+50
歳を取って競馬熱が醒めたのか、思い入れの出来る馬が一頭しかいない。
マツリダゴッホだけ。
中山以外で良績を残せなくても、中山での走りだけで充分。
マツリダ以上の成績の馬なら、他にも何頭もいる。
負ける時は惨めな位な負け方。だけど、勝つ時は圧勝。
こういう個性のある馬が増えて欲しい。
今でも居るんだろうけど、俺が気付かないだけなのかな…。
541こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/12(月) 17:09:42 ID:Et9TOYgm
>>540
オープンガーデンとか、マルカラスカルとかはいいよ!

おすすめ。
542こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/12(月) 18:44:56 ID:N+7ce3SX
>>540
ウォータクティクスなんてどうでしょう?
543こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/12(月) 19:00:41 ID:bbhBZv1G
スタビライザーはどうかなぁ
544こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/12(月) 23:00:56 ID:pei/jHSx
>>540
文男専用機ボンネ
545こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/12(月) 23:49:14 ID:JWjl+81Z
>>491
アサヒエンペラーのいる一族はほぼ全て加藤修の所にいて
かつては中舘が主戦でのってたね

アサヒライジングも中舘乗せてたら面白かったのかな
546こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/13(火) 13:15:33 ID:02+Qvhae
相性の良し悪しってあるよねー
547ニアークティック ◆labBenQKzA :2009/10/16(金) 00:26:19 ID:58ZqaxDt
ウオッカとダイワスカーレットという本当に希代の名牝が見れてるんだもの、
それをライブで見れる幸せをかみしめなきゃいけないっすよ。
548こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/16(金) 00:40:45 ID:UF+bXRyd
サクラバクシンオーの新馬戦を直に見て、強いなぁと感じたが、
まさかあれだけの成績を残す馬になるとは思っていなかったので
今思うと、新馬戦を見れたのは本当によかったと思いますね。
549こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/16(金) 07:48:30 ID:9lbmaggx
競馬場で見て驚いた馬は菊花賞のサクラホクトオーだな。ゴール前で見ていたから、ラチ沿いにぶっ飛んだことを知らなかった。ホントにびっくりしたよアレは。
550こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/16(金) 08:11:38 ID:2noWc/4c
>>549
俺もゴール前最前列にいてマジびびった
551こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/16(金) 21:22:57 ID:c26zHnsl
名馬(?)パリスペンベについて。
552こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/16(金) 22:30:57 ID:c26zHnsl
ヘイセイシルバー

(1)安藤騎手とのコンビで有名だった。引退後種牡馬に。
(2)ばんえいのアイドル、フクイズミの母。

553ダルモーガン ◆.9kiPUYEKQ :2009/10/17(土) 14:17:20 ID:7KjWemu/
>>551
「いてまえ」
554こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/17(土) 16:46:59 ID:sns1Xjaj
春の天皇賞。6歳になった彼の、最初で最後のG1レース。
出走にあたって、彼の所属厩舎だった田中清隆師の残した談話が今でも忘れられない。
調子がどうの、勝ち負けがどうの、という話ではなかった。
「ようやくここまで来ることができたよ。」という、感慨にも似た言葉であった。
何ということはない言葉だが、彼への愛が充ち溢れているかのように思えた。
ホッカイルソー、シンコウウィンディ、グルメフロンティア、そして彼。
いずれも同時期に活躍した、田中師の育てた馬たちである。
活躍の場は少しづつ違ったが、共通してるのは、とても良血とはいえない血統で、
大切に使われながら、高齢になっても「あっ」といわせる走りを見せたところだろう。

話は戻して、春の天皇賞。追い込み一辺倒だった彼が珍しく先行している。
このレースの有力馬であった、シルクジャスティス、メジロブライト。
彼らが切れる脚を持ってるだけに、いつもの後方一気では届かない、と判断したのか。
勝負師の加藤和宏騎手が勝ちに行く競馬をしている、と筆者は感じた。
6着。
末は失わなかったが、伸びもしなかった。
それでも勝ち馬とは0秒6差、4着シルクジャスティスとはわずか1馬身差。
健闘の部類には入るが、年齢を考えると、これが彼の最後の大舞台になるのだろうなと思われた。
それでも、その後も黙々と走りつづけた。

重賞は勝てなかったが、2着はいくつもある。実に5回。
ステーヤーズS。サージュウェルズに追い込んでクビ差届かず。
大種牡馬サドラーズウェルズ産駒の、日本での初重賞勝ちであり、新人だった和田竜二騎手の初重賞勝ちでもあった。
ローゼンカバリーにアタマ差まで迫ったAJC杯。
脚色がまったく違っていただけにほんとに惜しかったが、きっちり差していなかった。
障害帰りのテンジンショウグンに激走を許した日経賞。
最後方からの上がり最速の追い込みも、届かず。超万馬券となった。
7歳にしてはじめての単勝1番人気で臨んだ、七夕賞。
サンデーセイラにまんまと逃げきられる。個性派ジョッキー菅谷正巳の唯一の重賞勝ち。
彼はやはり最後方から猛然と追い込むも、ハナ差届かなかった。
こうしてみると、印象的な負けがいくつもある馬だった。

4歳秋にオープン入りし、8歳の春まで、おもに中長距離の重賞を走りつづけた。
道営に転厩したが、ダートが合わなかったのか、復活はかなわなかった。

と、ここまで彼のことを調べてきて、面白いものを見つけた。
彼のぬいぐるみが発売されていたのだ。
黒鹿毛のデフォルメされた馬体に、「サンシャインS」のタスキが掛っている。
彼の4歳秋、最後の勝利となった、なんと準オープン戦である。
いや、愛された馬だったんだな、と苦笑まじりに懐かしく思った。


シグナスヒーロー 1992.3.24生 現在消息不明
中央 48戦4勝  地方 14戦0勝
AJC杯2着、日経賞2着(以上G2)、
ステイヤーズS2着、エプソムC2着、七夕賞2着(以上G3)
555こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/17(土) 19:43:41 ID:1Pm8+OZd
>>554
イナリワンの代表産駒として、今でも強く印象に残っているよ

そういえば、ストラップもあったなぁ
556こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/18(日) 04:15:10 ID:qKkuHDcB
ワカサバロン
557こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/18(日) 04:28:46 ID:qKkuHDcB
オナニースレか
558こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/19(月) 12:00:41 ID:XItU+Oh+
だれかまとめサイト作ってくれ!
559こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/19(月) 14:40:22 ID:2hXmH2M3
もうある
560こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/21(水) 06:59:24 ID:sjZ4xeAC
561558:2009/10/22(木) 14:30:00 ID:KYyqBo5c
>>560
マジであるとは!
ありがとう!
562こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/30(金) 00:12:36 ID:P5Is+QBd
天皇賞秋というと、思い出すのはプレクラスニーかな・・・。
563こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/10/30(金) 10:13:49 ID:zrP7vfDF
この時期になると、スワンSで復活を遂げたコスモサンビームを思い出すな…
564名もなき筆者:2009/11/03(火) 01:27:08 ID:LcFiexDf
「落ちこぼれ」が頂点に立った瞬間だった。


1頭の馬の衝撃的な死が、彼の名を完全に人々の記憶から吹き飛ばした。
だがその6年前、同じ11月1日。彼の名は、確かに人々の記憶に刻み込まれていた。

血統背景は、一本筋が通っている。
ところが、育成牧場で付いたあだ名が「落ちこぼれ」。
しょっちゅう牧場長を振り落とし、トレセンでは坂路から突如逃亡したこともあった。

この11月1日もそうだった。
ゲートに身体を半分収めたかと思いきや・・・
次の瞬間、彼が騎手を振り落とす姿がテレビに大映しになっていた。

関係者の思いも様々だった。
振り落とされた騎手は、密かに自信を持っていた。
一方、調教師は・・・半信半疑。「乗り役の進言で出走を決めた」と言うくらい。

レースは凄まじい展開になった。
猛烈な逃げ争いを演じる2頭に、外枠から掛かり気味に追走する大本命馬・・・
彼らは皆、GT馬。追走する後続のペースも釣り上がり、1000m通過は57秒5。

3コーナーを回る頃には、早くも1頭脱落。
18万近い大観衆がどよめき始めた4コーナー。
1400m通過は、1分20秒8。それでも切れ目の無い馬群。「狂気の沙汰」である。
565名もなき筆者:2009/11/03(火) 01:28:24 ID:LcFiexDf
当時の府中は、直線500m。
残り400m過ぎには、坂が待ち構えている。
なだらかな登り坂・・・だが、時としてこの坂がくっきりと明暗を分ける。

まさに、この日がそうだった。
何とか踏ん張ろうとする先行勢の脚色が鈍り、そして止まった。
異変に気付き、悲鳴のような叫びに包まれた人々の目は、やがて大外の2頭に注がれた。

矢のような伸びで追い込んでくる栗毛の馬体。
しかしその内から、まるで何かに弾かれたような勢いで彼は先頭に踊り出た。
彼がひとたびリードを奪うと、他の17頭にも、そして彼自身にも脚は残っていなかった。

1分58秒6。
上がり3ハロン37秒8。
1馬身半のリードを保って、彼は先頭でゴールに飛び込んだ。

「醜いアヒルの子が、実は白鳥だった。そんな感じかな」
現在では「名伯楽」と呼ばれて久しい調教師は、初GT制覇となったこのレースを後にこう振り返ったという。
心ならずも落ち目になっていた騎手と、成績が落ちていた「落ちこぼれ」がもたらしたのは、最高の結果だった。

だが、彼のGT戴冠に最も狂喜乱舞したのは・・・育成牧場の面々。
その日の夜は、牧場総出でビールかけを敢行して祝杯を挙げた、という逸話が残っている。
彼らもまた、「落ちこぼれ」が頂点に立ったことで、他の何物にも変え難い財産を得たのだろう。


その11月1日から、17年。
彼は今、北海道は幕別の地で悠々自適の生活を送っている。
走る仔には恵まれなかったが、彼を愛する人々に囲まれ、2003年までは種付けをしていたそうである。

当時の映像を観返してみると、直線に向いた直後、外に持ち出された辺り。
この時点では、すぐ外にいる栗毛馬の方に勢いがあり、彼はややモタついているようにも見える。
「隣の騎手のムチが当たったから、彼は本気を出した」という怪しげな噂を聞いたことがあるのだが・・・

素直じゃ無い彼のことだから、聞いても答えてはくれないだろうな。


第23回 レッツゴーターキン 1987年4月26日誕生
戦績 33戦7勝 主な勝ち鞍 天皇賞・秋(GT)、小倉大賞典、中京記念(以上GV)
566こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/11/03(火) 05:52:28 ID:iTHeWeYh
>>565
乙です。
最初から読み返してたら、夜が明けてしまった…。
567こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/11/03(火) 20:19:21 ID:KBhrZyYb
568こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/11/04(水) 23:46:46 ID:DGreWEyX
>>564-565
前走は1着とはいえ、福島の9頭立てのOP特別。
重賞2勝はローカル。
まさか勝つとは思っていませんでしたね。
当時の馬柱を見ると、同じ馬に同じ騎手が乗り続けている時代でしたね。
上手な騎手に乗り替わるのもいいけど、それが頻繁だと興醒めしてしまいますね。

569こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/11/06(金) 01:43:07 ID:bMrLvZ2D
>>564>>565乙です。


あの年の天皇賞は密かにヤマニングローバルからの馬券を握りしめてた。理由は単純で左回りの方が力を出せると関係者のコメントを見たのとあまりにも人気薄だったので

残り100いや、50まではもらったと思いました。レース終わった後はやけに疲れてたのを覚えてます。色んな意味で心に残る天皇賞でした。
570こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/11/08(日) 03:22:27 ID:7Lh4kFKg
捕手
571こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/11/08(日) 19:34:12 ID:CA/8NNqK
皐月賞馬だった4歳年長の叔父を彷彿とさせる、小柄な馬体。
叔父のトレードマークでもあった、勝負服とお揃いのカッコいいメンコ。
遠くからでも、ひと目で彼だとわかった。
パドックで首を弓なりに下げて、チャカチャカ落ち着かないのも、いつもの彼だった。
返し馬では綺麗なキャンターで駆け抜けていくのも、また彼だった。

クラシック戦線の準主役級として、古馬になってからは中距離重賞の常連として走り続けた。
2、3歳前半には、カミソリのような切れ味鋭い競馬をした。
古馬になってからは、ジリ脚と称されたが、それでも手堅く掲示板内に食い込んできた。
ファンに愛され、いつも上位人気を背負っていた。
そして、負け続けた。

2歳の条件戦をレコード勝ち。続くオープン平場を後方2頭めから一気の差し切り。
1200m芝を2馬身差勝ち。彼の素質の高さを証明する競馬だった。
そして、2歳11月のこのレースが、彼の最後の勝利となる。
それから3年9ヵ月の間、じつに20連敗。ついに重賞は勝てなかった。

皐月賞。1番人気だった朝日杯を6着と裏切った彼は、弥生賞もぱっとせず、10番人気。
不良馬場で泥んこになりながら、低評価を覆す差し脚をみせる。4着。
ダービー、府中の長い直線。馬群のなかから力強く抜け出した、彼の姿があった。
が、彼の前には、大胆な捲りで先頭に立った勝ち馬がすでにいた。
大外から重戦車のように追い込んできた黒鹿毛の巨体馬にも差される。3着。
菊花賞。本命馬の三冠がかかったこのレース、彼は3番人気だった。
いつもより前めの中段待機。本命馬が3角手前で、常識外れのスパートをかける。
大外から追いかけるも、差をわずかに縮めるのみに終わった。3馬身差。2着。

強すぎる個性を持った、強すぎる馬と、クラシック戦線を走り続けた。
それからの彼は、時には本命を背負い、時には有力馬として、負け続けた。
大敗ならまだしも、次走に期待を抱かせるような脚はきっちり見せるので、始末に悪かった。
時には先行して直線少しだけ伸び、時には後方から直線少しだけ伸びた。
6歳になり、条件戦を走るようになっても、そのレース振りは変わることがなかった。

そして6歳の夏、新潟記念。差のない5番人気。
前走の七夕賞、関屋記念を5着、4着と手堅く収めた彼は、相変らず有力馬の一頭だった。
第3コーナーで骨折、競走中止。彼のレースはそこで終わってしまう。
叔父の時のような奇跡は起きなかった。
叔父は有馬記念で競走中止、予後不良級の骨折から奇跡の生還を成し遂げたのであったが。
2歳から6歳まで、ささやかながらも息長く、競馬史の一コマに彩りを添えていた名脇役。
そんな彼の最終舞台は、こうして幕を閉じた。


ビンゴカンタ   1980.4.5生  1986.8.24死亡
         26戦3勝
         菊花賞2着、東京優駿3着、皐月賞4着
572こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/11/09(月) 23:44:32 ID:ipeBag2C
乙です
知らない馬ですが中々涙が止まらなくて困ります
573こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/11/10(火) 15:57:17 ID:5e4RWJov
>>571
乙でした。


ビンゴカンタ…ほんとにヤキモキさせる馬だったが憎めない馬でした。


この頃はこういう味のある馬や個性的な馬や騎手が多くて競馬が楽しかった時代であったと思います。
574こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/11/20(金) 01:47:52 ID:bEpndRQR
保守
575こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/11/21(土) 16:36:08 ID:A4C03R8v

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576こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/11/23(月) 23:42:25 ID:fvOqD1XB
中山大障害が春,秋と年2回あった頃,中山大障害を3連覇したポレール。
4連覇をかけたが,当時は1勝するたびに2キロ斤量が増えて,
65キロを背負っていたポレールは惜しくも2着で4連覇ならず。
ポレールが直線で抜かれたときの,スタンドの失望のような声は今も覚えている。

その後,中山大障害は中山GJと中山大障害に改編されたが,
ポレールの全盛時には間に合わなかった。

保守age
577こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/11/24(火) 23:00:29 ID:jZ7buECO
>>576
WINS後楽園でも、全体的にため息というか、「やっぱりダメか〜」という声がしてました。

単勝オッズはポレールが1番人気も、枠連はケイティタイガーから売れているという感じでしたね。
578こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/11/26(木) 14:30:16 ID:zBFbK+ox
WINS後楽園で遭遇した「やっぱりダメか〜」はシャコーグレイドの頭差2着です。

まだ競馬初心者だった自分には
ゴール前での他場との盛り上がりの違いが1オクターブは違って聞こえました。
「やっぱりダメか〜」の後の、安堵にも似たみんなの笑顔と笑い声がWINS後楽園の全フロアをつつみこみ
負けたのに笑顔になれる競馬の奥深さに感心したものです。
579オグリ友の会 ◆lm3GWAqDMA :2009/12/02(水) 22:43:09 ID:LFNu5bFB
>>571 メジロモンスニーは黒鹿毛やなくて栗毛やったハズ?
ビンゴカンタ・・・弟のビンゴユメタの絵画を優駿に投稿していたアイドルが居たな。
「ユメタと夢冒険!」って。
580こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/12/02(水) 22:54:31 ID:KlEGnju1
次回作に期待しつつ保守あげ
581こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/12/03(木) 02:59:54 ID:pnFprgXu
>>579
おっとレアすぎるな
582こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/12/03(木) 23:58:08 ID:JlYN6/xY
自分が競馬を始めたころは、障害にいい馬が沢山いたと感じる。
パンフレット、シンボリクリエンス、シンボリモントルー、
メジログッテン、ディビーグローなど。
あとはオープン平場しか勝利がないけど、ハーバーシャンティ。
落馬競走中止して抹消になってしまったが、順調なら中山大障害を
勝てた馬だったかもしれない。
583こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/12/04(金) 01:52:27 ID:WZARrNjG
>>579
そんなアイドルいたなんて
マンモスびっくり
584こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/12/04(金) 05:57:51 ID:45zwlwmt
>>582
平地力で重賞を勝ったメジロワースやシンホリスキーがいた一方で
(ナムラモノノフは嫌いじゃなかった)
巧みな飛越センスで大障害を沸かせた名優たちですね。
シンボリモントルーの最終障害落馬は今も衝撃です。

田中良師の障害馬育成の結晶ともいえる、パンフレット嘉堂コンビが好きでした。
ずっと63kgでね、大障害勝ちだから当然かもしれないけどかわいそうでした。
ハーバーシャンティ、いましたね。
関西にいたので馬柱でしか見たことのない名前なのが残念です。
585こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/12/10(木) 10:53:13 ID:VgQIaK8e
障害レースはなくしてほしくないですね。
見ごたえあるし。
586こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/12/15(火) 07:12:19 ID:GoupBRpp
そう言えば、
平地のGTdayに障害レースを施行しなくなって久しいですねェ・・・

1987年 メジロデュレン−ユーワジェームスの有馬記念の日/中山
1Rで20頭立ての芝2000mの三歳未勝利戦(当時/勝ったのは関西馬のマイネルフリッセ)、
障害もやっていたのを何となく想い出した。

587こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/12/16(水) 00:27:48 ID:glOLnOKH
>>178
ダート整備された現代でもブルコンは種牡馬入りできなかっただろ。
肩書上はG1馬で偉そうになるかも知れんが,基本的に芝で勝たないと評価が上がらないのは
今も昔も一緒だよ。
588こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/12/16(水) 22:33:51 ID:oIhbUT9h
ブルコンは父フサイチコンコルドというのが嫌われた原因だよ
サンデーかBTの直仔なら種牡馬入り出来た

カネヒキリやヴァーミリアンが引退しない(出来ない)のも同じ
589こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/12/21(月) 01:58:29 ID:z3uwCpZH
筆者さん復帰期待あげ
590こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/12/25(金) 20:09:45 ID:9H9hvubg
大障害前日。

>>80
>>469

のためにあげます。
全馬無事故完走を祈願。
591こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/12/26(土) 23:34:58 ID:dU9Zsk+n
全馬完走とはなりませんでしたね…残念です
592こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/12/27(日) 10:37:14 ID:Xbf10il+
保守あげ
593こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/12/27(日) 11:24:00 ID:0sjv0uws
>>591
人馬とも異状なし、他馬への影響もごく軽く不幸中の幸い
でした。
594こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/01/01(金) 03:14:22 ID:cVw385uc
エアダブリンたのむー
595こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/01/05(火) 22:36:15 ID:JRiWYK6s
>>588
こういう経営者目線づらの馬鹿が競馬をつまらなくする
596こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/01/08(金) 23:26:37 ID:sjlw7YHl
リアルタイムで彼の走りを観てきた者にとっては、彼がこのスレッドに登場するのは到底信じられない思いだろう。
だが彼も間違いなく、時代の影の中に消えた名馬であった。
G1の勲章を手にすることなく…

黒鹿毛の風格ある大柄な馬体。大器と噂された。
歴史的名牝の弟という血統の魅力がそれに倍加された。
実は彼は、双子として生を授かった。が、片方の兄弟は死産。
似たような境遇の活躍馬にダービー馬のアドマイヤベガがいる。
「生き残り」としての彼の競走馬生活は、常に脚元の不安との闘いだった。

デビューからわずか2カ月、4戦めにして臨んだ日本ダービー。
まずは大外から、スプリントさながらのダッシュでアドバンスモアが大逃げをうつ。
最終直線、2歳チャンピオンのサクラチヨノオーが先頭に立った。
彼が内から伸びて並びかける。しばらくの競り合い。一時は半馬身のリードを奪う。
が、ゴール間近で、チヨノオーがまさかの差し返し。小島太、気魄の好騎乗。
「根性なし」と揶揄されたチヨノオーの一世一代の差し返しだった。
その瞬間、ダービー馬の栄誉ある称号は、彼の元からすり抜けていった。
そしてレース後、骨折が判明。1年間の休養を余儀なくされる。

一瞬だが、直線で必ず切れ味の鋭い伸び脚を見せた。常に正攻法の走りをみせた。
なんというか、格調の高いレースをする馬だったと思う。
特に左回りコースでの良績が多かった。
毎日王冠、直線の勝負どころ。
鞍上の岡部は外からオグリキャップとイナリワンが襲いかかってくるのを待っていた。
並びかけられたところで始めてスパートをかける。
彼の脚を測るために、わざと追い出しのタイミングを遅らせたのだ。3着。
秋本番の天皇賞。内から早めに追い出した彼はスーパークリークに並びかける。
クリークの武豊は、追い出しのタイミングを遅らせ、並びかけたところでスパートをかける。
毎日王冠とは逆の立場だ。しばらくの競り合いも、最後の最後で力尽きる。3着。

屈腱炎で1年近くの休養後、彼は再び秋の楯を争う闘いに赴いていく。
内からするすると伸びてきたヤエノムテキが直線抜け出した。
セーフティーリードを保ったかに思えたが、そこで外から差してきたのが、彼だった。
一完歩ごとに差を詰めていくも、アタマ差だけ凌がれる。2着。

屈腱炎を再発してからは、往年の走りはもはや取り戻せなかった。
3歳春から6歳秋まで3年半の競走生活で、わずかに14戦。
2年半以上が故障による休養だった。

種牡馬入りしてからは、福島2000mのレコードホルダーだったメジロスティードや、3歳時ブラックホークに勝ってオープン入りしたトーアステルスなどを出したが、揃いも揃って彼と同じような首の低い走法だった。
後に中国に輸出され、種付け中に心臓麻痺で死亡。
海のむこうで、彼の名前はまだどこかに残っているのだろうか。


メジロアルダン   1985.3.28生  2002.6.18死亡
          14戦4勝
          高松宮杯(G2)
          東京優駿2着、天皇賞(秋)2着(いずれもG1)
597こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/01/08(金) 23:33:18 ID:sjlw7YHl
571です。しばらく規制で書き込めませんでした。
>>579 モンスニーの毛色は素で間違えました。すみません。
もしかするとアルダンのことが頭にあったからかもしれません。

もう一頭だけ書きあげてますので、規制に引っ掛からなければ、
近日アップします。
598名もなき筆者:2010/01/09(土) 09:00:17 ID:WmOy6Cm1
本年もよろしくお願いします。
取り急ぎご挨拶まで。
599こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/01/13(水) 13:41:26 ID:tlltHpvX
保守
600こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/01/13(水) 19:50:32 ID:NlC30w/9
皆さんは競馬の予想をする時、血統をどのくらい参考にするだろうか。
菊花賞に、ニホンピロウイナー産駒のメガスターダムが有力馬として出走した時はそれなりに話題になったし、
ひと昔前ならモガミ産駒の障害馬は、それだけで買いだった。
筆者のお気に入りでは「ディクタスの仔はみんな朝寝坊」というのがある。
サッカーボーイもそうだったのだろうか。

親馬の遺伝を強く伝えるために近親を掛け合わせる、いわゆるインブリード。
近親交配は、遺伝力が強い一方、体質が弱くなる弊害がある、と一般に言われている。
現役馬ではスワンS4着のショウナンカザンあたりか。
サクラユタカオーの3×3という、比較的きついインブリードを持つ。
トキノミノル、トウショウボーイの「奇跡の血量」については言うまでもないだろう。

さて、彼のことである。
彼は牝系のインブリードを持つ。
牝系のインブリードで有名なのはエルコンドルパサー。
さらに大種牡馬ノーザンテーストはレディアンジェラの2×3を持つことも知られている。
彼のインブリードは、ソシアルバターフライの3×3。
そう、言わずと知れたトウショウ一族の基幹牝馬である。

彼の場合、このインブリードは、体質の弱さとなって如実に現れた。
デビューは遅れに遅れて、なんと3歳の10月。福島だった。
もう菊花賞のトライアルも過ぎ、未勝利戦もそろそろ終了しようか、という頃である。
しかしながら2戦目の未勝利戦、ダート1000mを、8馬身差の圧勝。
素質の片鱗をみせる。

以降も、脚元に負担の少ないダートの条件戦を使われながら、勝ち星を積み重ねていく。
ほとんどが持ち前の快速でポンとハナに立ち、そのまま逃げ切るレーススタイルであった。
負ける時は脆かったが、勝つ時は圧勝、完勝。格が違うといわんばかりの内容だった。
秋嶺Sでは、東京D1400mのレコード勝ち。
箱根Sでは、久しぶりの芝。本格化直前のマイスタージンガーを直線捉え、勝利を収める。
5歳にして、とうとうオープン入りを果たした。

迎えたオープン特別、パラダイスS。
相手関係に恵まれたこともあるが、東京芝1400mを、先行策から5馬身差の圧勝。
今後の短距離マイル重賞戦線での活躍を充分期待できる内容だった。

が。
彼の競走生活は、ここで突然、終わりを告げる。
資料がほんとうになく、詳しいことが分らないのだが、当時の記憶では、特に大きな故障はなかったと思う。
ただ、オープン古馬との芝の対決は、いつもより確実に彼の脚元を蝕んだのだろう。
通算11戦7勝。オープン特別勝ちひとつ。重賞出走歴、なし。
これが彼の競走成績のすべてだった。

故郷に戻り種牡馬生活をはじめた彼であったが、この成績では相手に恵まれるはずもない。
しかもソシアルバターフライの血を濃く持っているために、牧場内の牝馬ともなかなか種付けできない。
2006年をもって、用途変更により供用停止となる。

しかし彼の名が、一頭の牝馬の活躍により、再び登場することになる。
シーイズトウショウである。彼女の母の父が、誰あろう彼であった。
彼女の太く長い活躍を見るたび、彼の種牡馬としての未知の力量を伺い知ることができた、というのは言い過ぎだろうか。
思えば、彼のこの配合は、ノーザンテーストの日本版を作ろうとしたのか、と考えることもできる。
故郷の牧場で余生を送る彼であるが、彼の物語は、まだまだ終わらない。


トウショウフリート     1988.4.27生
              11戦7勝
              おもな勝ち鞍  パラダイスS
601こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/01/21(木) 00:05:21 ID:SwI342Jj
一昔前の新馬戦、同開催内なら4回も出走できた。彼は、3度目の出走になる。
普通の馬ならレースを経験して、騎手のいうこともきくようになるだろう。
だが、初めから騎手の指示に耳を貸そうとしない。
強烈に引っ掛かり、暴れながら、大逃げを打つ。まともな状態ではない。
ところが見事に逃げ切ってしまった。
内容は褒められるものではないが、3走目での新馬勝ち。

彼の調教時の特徴は、レース前の追い切りでも未勝利馬にぶっち切られる。
パドックでは、暴れに暴れた方がレースでは強い競馬をする。
逆に落ち着いていた時には全然ダメ。
ハイペースで走り、なお且つ天を仰ぎながら口を割り、猛烈に掛かる。
かなりの個性派といえるだろう。

時がたち、91年の京王杯SC。
宿命のライバルといえる、良血の令嬢ダイイチルビーとの対戦を果たす。
彼は3歳時と変わらないレース内容で6着に敗れる。
一方、令嬢は見事に勝利。
安田記念は健闘するが、わずかに及ばず2着。

夏を越し、マイルCSを迎える。
出走するのは、令嬢ダイイチルビー、昇竜の勢いのケイエスミラクル、バンブーメモリーなど。
彼の人気は4番人気。
ペースはスロー。彼が我慢できるはずがない。進出し始める。
ライバルたちは末脚勝負の馬たちばかり。
4角で後続に大きなリードをつける。
そしてライバルたちをおさえて、初G1制覇。
翌年のマイルCSも勝ち、見事に連覇。
その年のスプリンターズSと有馬記念を連闘して、ファンを驚かせて引退する。

本格化した91年以降、彼が出走したレースでは1番人気が全敗。
穴党には堪らない馬だったのかもしれない。
強さと脆さが同居している馬であった。
下手に抑え込んだりすれば惨敗、
馬の行く気に任せた時は、少々強引と思える競馬でも押し切ってしまう。
気性が悪い馬と思われるが、本当は気が良すぎる馬だったとも言われる。
気が良くまじめすぎて、他の馬が前を走るのを一瞬でも許さない。

種牡馬入りした後、彼を迎える牧場の人は、気性が悪い馬だろうと心配していたそうだが
迎えてみたら、大人しくて手のかからない馬だったそうだ。
ずっと起き上がらないので怪我でもしたかと牧場の人が心配したら、
のんきに寝たまま草を食べていたという、笑える話もある。
その彼の仔であるダイタクヤマトが、スプリンターズSでファンをあっと驚かせた。最低人気での勝利。
突如本格化して短距離界を沸かせる。

宿命のライバル、ダイイチルビーとの仔が見てみたかったと願う人は私だけではないだろう。


ダイタクヘリオス
1987年4月10日生  2008年12月12日没

35戦10勝 91.92年マイルCS、91.92読売マイラーズC、91高松宮杯、92毎日王冠、90クリスタルC
602こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/01/21(木) 23:17:30 ID:zx03mAS2
ダイタクヘリオスって名前とダイイチルビーとライバルとか、恋のマイル戦とか(馬なり1ハロン劇場)
そんなことしかしらなかった・・・。

ここ良スレだなw
603名もなき筆者:2010/01/21(木) 23:23:13 ID:Fp8JHLZd
2つの笑顔が並んでいるあの写真が、今でも忘れられない。

「どちらかを選びなさい」
「暖簾分け」の直前、師は彼にこんなふうに言ってきたそうだ。

1頭はGT馬の半弟。
もう1頭はGT馬の息子。
1歳違いのこの2頭は、人間で言うところの叔父と甥の間柄。
言うまでも無く、叔父には血統的裏付けがある。だが、甥の近親には全く活躍馬がいない。
それでも、初めて自分の「店」を持つことになる新米調教師は、師の予想に反して後者を選んだ。

新米調教師に選ばれた馬の転厩緒戦は、開業から2ヶ月後だった。
素人目にも明らかに余裕のある身体付き。
それでも果敢にハナを切ると、長い直線にも臆することなく3着に粘ってみせた。
府中への遠征、関東の騎手を乗せての3着という結果が後にもたらす僥倖の大きさを、この時はまだ誰も知らない。

7ヵ月後、彼は再び東上することになった。
鞍上には、前回府中で走った時と同じ騎手が、6戦ぶりに跨っていた。
果たしてこの人馬は前半600mを32秒8で飛ばして行くと、最後まで後続を寄せ付けずに圧勝した。
5歳の暮れを迎えて、彼はやっとオープン入りを果たしたのである。

明け6歳。
オープン入り2戦目を快勝した辺りから、彼の特徴がだいぶハッキリとしてきた。
多少強引にでもハナを切りに行く方が良い、ということ。
どちらかと言えば、右回りの方がスムーズだということ。
そして、500キロを切るくらいの身体付きの方が結果を残している、ということ。

オープン入り後の成績は11→1→5→2→7。
この2着というのが、夏の函館の重賞で挙げた2着であったことが効いた。
それに、この年から短距離の番組が大幅に見直されたことも、結果として幸運だっただろうか。
昨年までの番組だったなら、秋緒戦の重賞を大敗した時点で、GTを諦めていたかもしれない。
そんなこんなで彼は、前回中山で勝った時と同じ騎手を乗せ、GTへと臨むことになった。
604名もなき筆者:2010/01/21(木) 23:24:43 ID:Fp8JHLZd
だが、いざフタを開けてみると、彼らは驚くほど人気が無かった。
近況全く良いところ無しの3歳牝馬にも遅れを取る16頭中16番人気。
単勝オッズは250倍を超えていた。

当時の短距離路線は、錚々たる外国産馬たちが幅を利かせていた。
翻って彼の血統を見てみれば、取り立てて活躍馬のいない内国産GT馬の父に、活躍馬の見当たらない牝系。
加えて、トリッキーな中山1200mで大外に近い15番枠、ということもあったかもしれない。
しかし、こうした条件が揃ったこと、そして何より彼自身の身体付きが好調を示していたことで、騎手は腹を括った。

15番枠からパッと飛び出した彼を確認すると、騎手は即座に積極策に打って出た。
内の方から快速自慢の3歳馬が迫り出して来たが、お構い無し。
2頭はほぼ並ぶようにして、緩やかな下りになっている芝コースをグングン飛ばしていった。
前半の600m通過が33秒0。ややぬかるんでいる馬場状態を考えると、まずまず速いペースである。

4コーナーに差し掛かったところで、この先行争いに決着が付いた。
内ラチ沿いの3歳馬の手応えとは実に好対照に、彼らは持ったままで勇躍先頭に踊り出た。
直線コースに向いて、200の標識を迎えようとしても、その脚色はいっこうに衰えない。
「あれよあれよ」という表現が、GTの大舞台でここまでピタリと当て嵌まろうとは・・・
後ろからは、錚々たる外国産馬たちが泥を掻き揚げて懸命に追ってくる。

残り100mの辺りで、彼の脚は上がっていた。
後は、強気強気で彼を導いた騎手の貯金で、どこまで頑張り通せるか。
4〜5頭の外国産馬たちが追って、追って、泥んこになって追い縋って・・・
1馬身と少しまで迫った地点。そこがゴール板だった。
勝ち時計1分8秒6。単勝257.5倍の6歳牡馬が、9700万余の賞金を手にした瞬間であった。

開業1年半でGT勝利の栄光を手にした調教師は、今年開業12年目を迎えた。
今や日本を代表する名伯楽の、しかしその原点は彼にあると言う。
彼は最低人気でのGT制覇の後重賞を2つ勝ち、1年前と同じGTで0.0秒差3着に入ってみせた。
そんな彼が現役時代、厩舎で使われていたネームプレートは、今でも厩舎に大切に飾られている。

一方、彼をGT馬にした騎手には、再びローカル回り中心の日々が訪れた。
どこか好対照な道を歩んでいるように見えるこの2人だが、
むしろ騎手の方にこそより大きな僥倖がもたらされたのでは?という気がする。
遡ること9年前の秋、初めて優勝したGTの表彰台の上で、騎手は俯いていた。
それ以降今日まで、GTを勝ったのはこの時1度きりである。

「本当の意味で」GTを勝てた・・・

決して派手に喜びを表す男では無いが、その年末、某競馬雑誌の特別号に載っていた1枚の写真が、全てを物語っていた。
たった4人での口取りの後、優勝レイをかけた騎手と調教師が肩を組み、満面の笑みを浮かべている・・・

冒頭で取り上げた、あの写真である。


第24回 ダイタクヤマト 1994年3月13日誕生
戦績 40戦10勝 主な勝ち鞍 スプリンターズS(GT)、スワンS(GU)、阪急杯(GV)
605こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/01/22(金) 00:46:02 ID:SbZ7BaNX
>>601
>>603
素晴らしい話しを連続で有難うございます。

ダイタクヘリオスの最後の産駒は、兵庫所属の「ファーストサフィー」という馬で、先日初勝利を挙げました。
参考スレ
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/uma/1241877051/
606こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/01/24(日) 00:33:01 ID:hfpKtDB8
某雑誌は吉川良さんの回顧録もいい味出してたよな。
「この世にはエダテルがいる」っていうタイトルだったと思った。
607名もなき筆者:2010/01/24(日) 09:09:28 ID:B3RDjAMM
>>606
ええ。素晴らしい回顧録でした。
前年に馬事文化賞貰ってるんですよね、吉川氏。
608こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/01/24(日) 22:25:46 ID:AlG/WEag
名もなき筆者さん以外に、何人位の人が書いているんだろうか?
あと、まとめブログが更新されていないのが気になる。
出来れば更新してほしいな
609ニアークティック ◆labBenQKzA :2010/01/26(火) 00:08:27 ID:j+MkCn+x
>>604
この騎手が「最年少天皇賞勝利騎手」になったときの
悔しそうなインタビューは忘れられないですね。

2着入線が1着馬の失格で繰り上がりの優勝。
「5馬身も差をつけられて・・・嬉しいという気持ちはないです」
そんなことを言ってたな・・・・。

最近では大塚愛の「さくらんぼ」の替え歌の歌詞で存在証明してるような彼・・・。
テンジンショウグン並みの派手な一発を期待したいものです。
610こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/01/26(火) 22:15:46 ID:mM+kZN8z
>>609
>大塚愛の「さくらんぼ」の替え歌の歌詞で存在証明してる

611こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/02/06(土) 00:35:09 ID:0VJiF+9D
「さくらんぼ」の節で・・・。

江田照男 飯田祐史 デムーロ
吉田豊 中舘英二 武豊

秋山真一郎 熊沢重文
池添謙一 和田竜二 勝浦正樹
柴田未崎 横山義行 横山典弘
福永祐一 佐藤哲三 田面木博公(たもぎ・ひろまさ)
四位(しい)洋文 和田竜二 宗像徹 木幡初広 幸(みゆき)英明

江田照男 飯田祐史 デムーロ
江田勇亮(ゆうすけ) 蛯名正義 柴田大知
江田照男 飯田祐史 デムーロ
吉田豊 中舘英二 武豊

もう一回!

江田照男……
612こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/02/09(火) 20:59:11 ID:mr64XueC
保守
613こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/02/22(月) 17:21:26 ID:1kXR68wa
保守
614こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/02/22(月) 22:55:37 ID:N1lzPvBB
>>604
>一方、彼をGT馬にした騎手には、再びローカル回り中心の日々が訪れた。
これはアストンマーチャン@中舘の時に使う表現では?
江田照は、二場同時開催のときにローカル行くことも滅多にないし、勝鞍が夏に偏ってるとも思えない
615こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/02(火) 22:36:09 ID:geM7+u+7
現在の彼のことから話そう。
生れ故郷の牧場で細々ながら種牡馬生活を送っている彼の右前脚は、
サラブレッドのそれとは思えないほど腫れあがり曲がっている。そして少し短い。
現役生活最後のレースによる負傷が原因である。

ホッカイドウ競馬入厩直後はさほど目立つ存在ではなかったが、3歳になりめきめき力をつける。
中央開催のダート戦を同着で勝利、その後王冠賞、北海優駿と連勝。
3歳チャンピオンとなる。
ダービーグランプリにも出走し(8着)、最高峰レースの道営記念に2着。
450kg前後だった体重も、その頃には500kgを超すまでになった。
成長力が備わっていたのだろう。

ダート長距離戦には滅法強く、ブリーダーズGCの常連だった。
古馬になってからは、逃げまたは積極的な先行策という戦法も確立された。
5歳の道営記念、3度目の挑戦。
1番人気の彼は、3番手から3コーナーで捲りを打ち、先頭に躍り出す。
そしてそのまま、先頭でゴール。待望の栄冠を手にした瞬間だった。

次走の名古屋グランプリも4着と好走。彼の更なる活躍を予感させる走りだった。
が。6歳2戦めのサクラローレル賞で故障発生、競走中止。
獣医師の診断は右前脚靭帯全断裂、球節複雑骨折。予後不良級の重症だった。
ここから、彼とスタッフの、もうひとつの闘いがはじまる。

オーナーブリーダーでもあった牧場主は彼の右前脚をガチガチに固め、牧場に戻した。
通常、重症を負ったサラブレッドは、患部の脚元に負担がかかり、蹄葉炎を発症する。
蹄からばい菌が入り、やがて蹄が、脚がどんどん腐っていく。
ついには立ち上がることも出来なくなるほど衰弱し、死んでいくのである。
しかし、彼の場合は違った。自ら脚元に負担がかからないよう、じっと静養していた。
心配していた蹄葉炎にも罹ることなく、奇跡の生還を成し遂げる。

奇跡の生還から6年。彼は種牡馬としてデビューした。
ただ一頭の産駒、それがクラキンコ。
母のクラシャトルも北海優駿を勝った名牝であり、道営重賞を父母合わせて10勝した「名血」である。
すでに2勝を挙げ、重賞のエーデルワイス賞で2着。
アパパネの勝った赤松賞にも遠征してきた(12着)。
現在道営がシーズンオフのため、大井に転厩している彼女であるが、目標はやはり北海優駿だろうか。
今後の活躍を心から祈る。


クラキングオー    1997.4.17生
           35戦12勝(地方35戦11勝、中央3戦1勝)
           主な勝ち鞍:道営記念、北海優駿
616こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/02(火) 22:37:34 ID:geM7+u+7

人間は過ちを犯す動物である、と以前、職場の先輩から教わったことがある。
人間が人間である以上、それはかなしいことに避けられないのだ、と。
過ちを可能な限り取り戻す努力をすること、同じ過ちを繰り返さないこと、それが本当に大切なことである、とも教わった。


2000年の桜花賞、阪神芝1600m。
二十世紀最後の3歳牝馬クラシック第一弾は、間違いなく彼女が主役であった。
これまで4連勝。先行して直線入口から力強く突き抜ける、爆発力のある末脚。
ライバルと目される他馬を次々となぎ倒してのものだけに、価値も高かった。
鞍上は石山繁騎手。
彼女の厩舎の所属騎手であり、デビュー6年目の若手である。
彼女に会うまでは、重賞で3着になったことがあるくらいで、大した実績を挙げていなかった。

2年前。石山騎手はかつて、素質ある牝馬の主戦だった。
ファレノプシスである。
デビューから3連勝でクラシックの有力馬として躍り出た。
が、初めての重賞挑戦となる桜花賞ステップレースのチューリップ賞で、痛恨の出遅れを喫してしまう。
4着、敗戦。
本番の桜花賞では、当時のリーディング騎手だった武豊に乗り替わり、見事勝利。
石山騎手がファレノプシスに乗せてもらうことは、二度となかった。

彼女の4戦めは、初めての重賞挑戦だった。
桜花賞トライアル、報知4歳牝馬特別(当時)。
2年前のファレノプシスと状況が被る。
負ければ石山騎手には後がないだろう、それが当時の競馬ファンの、率直な見解だった。
が。彼女はモノが違った。
いつもの先行策から早めに抜け出し、普通に1周回ったら勝ったという、楽勝劇。
シルクプリマドンナ、エアトゥーレらの追撃を振り切ってのものだった。
2年前と同じ過ちは、とりあえず繰り返さなかった。
そして彼女と石山騎手は、本番の桜花賞に臨むことになる。


例年、桜花賞は4月上旬に阪神競馬場で行われ、その頃は競馬場内の桜が満開になる。
満開の桜の下で行われるレース。「桜花賞」と名付けられた所以だと仄聞している。
桜の木の下で、大柄な彼女の黒鹿毛の馬体は、輝いていた…
いや、輝いていてほしかった。
元来カリカリしやすい性質の彼女は、パドックでややイレ込んでいるようだった。
さらに鞍上の不安。
そう、一流といえない成績の石山騎手は、G1レースの騎乗自体、初めてである。
しかも騎手は阪神芝1600mは6年目にして未勝利で、2着に来たことさえなかった。
それでも単勝1.8倍の、圧倒的な1番人気。2番人気のレディミューズが6.7倍である。
彼女への、そして石山騎手への期待は大きかった。
期待というより、あるいは願望のようなものか。
いったん苦汁をなめた騎手と、一流血統ではない素質ある牝馬。
ひとつのサクセスストーリーが現実となってほしい、そんな願いを込めて。

レースは忙しく過ぎていった。
スタート直後、中段よりやや後ろめに位置する。いつもの先行策ではない。
第2、第3コーナーと、いちばん外を大回りして上がっていく。
前を塞がれる不利を避ける利点はあるが、余分な距離を走るぶん、脚を使ってしまう。
直線入口では4、5番手。
そこから彼女は伸びなかった。いつもの爆発的な末脚は影を潜めてしまった。
右回りのコースで右ムチを連打する騎手。
馬上でステッキの持ち替えができなかったのだろうか。
おおきく外にヨレながら、もがくように走る彼女。
4着。敗戦。
彼女の前には、それまで彼女の後塵を拝しつづけてきた馬たちが、ゴールを駆け抜けていった。
617こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/02(火) 22:38:17 ID:geM7+u+7

続くクラシックレース、オークス。
血統的に2400mは長いと判断された彼女は4番人気。
スタート直後、抑える競馬をした彼女は、大きく口を割って抵抗する。
明らかに折り合いを欠いていた。
最後の直線、一瞬前があくが、その時にスパートをかける脚は残っていなかった。
逃げた馬さえもかわすことができず、6着。
レース後、彼女は屈腱炎を発症し、長い長い休養にはいる。

1年以上の月日が経ち、彼女は夏の札幌競馬場で復帰したが、あの頃の強さは戻らなかった。
第3コーナー途中で早くもタレはじめ、ブービーから6馬身も離されたシンガリ負け。
これが、彼女の現役最後のレースとなった。
桜花賞までの彼女を知る者にとっては、寂しすぎる引退であった。
競馬では毎年のようによくあること、ではあるのだが。


その後の石山騎手であるが、結局彼女の4歳牝特が、最初で最後の平地重賞勝ちとなった。
彼が主戦騎手になってから、師匠の濱田厩舎が深刻なスランプに陥る。
G1レースをいくつも勝った厩舎が、2004年には、ついに0勝。
しかも石山が主戦を降りてから調子が再び上向きはじめるという、皮肉な結果。
乗り鞍もどんどん減っていき、石山は次第に障害レースに活躍の場を見出すようになる。
2005年、フミノトキメキで小倉SJを制覇。二つめの重賞勝ち。
障害ジョッキーとしての活路を、自ら切り開きはじめた頃のことだった。

2007年2月。
障害オープンで落馬負傷。脳挫傷で意識不明の重体となる。
意識を取り戻すのに1カ月。取り戻した後も、高次脳機能障害に悩まされる。
人とのコミュニケーションがとれない。会話が成り立たない。
少し前にやったことの記憶が、その直後には消えてしまう。
負傷レース前の2年間の記憶はとうとう欠落してしまった。
覚えていたのは、騎手時代に体に染みついたステッキ捌き。
そして、フミノトキメキ。騎手時代の数少ない栄光。
石山は彼のことも、ほぼ唯一、覚えていたという。

リハビリや家族の支えの甲斐あって、石山の脳障害は、少しづつ改善をみせた。
が、騎手復帰はかなわなかった。
脳挫傷の後遺症である視力低下が致命的だった、という。
乗り役は眼が悪くなったら終わり、とはよく聞く話である。
2009年、引退。
奇しくも、師匠である濱田調教師の定年引退と同年であり、師匠の引退式に石山も出席した。
騎手会の提案で急遽、予定になかった石山元騎手のプチ引退式も行われ、花束が贈られる。
顔をくしゃくしゃにして花束を受け取る石山。
病に倒れ闘病生活を送る濱田師と、かたく抱き合う。
ほんとうにいろいろなことがあったのだ、と思う。
ほんとうにいろいろな、彼らにしか分らない、いろいろなことが。


サイコーキララ   1997.5.1生
          7戦4勝
          主な勝ち鞍:報知4歳牝馬特別(G2)


石山 繁      1995年デビュー 2009年引退
          2015戦92勝
          (平地1870戦79勝、障害145戦13勝)
          重賞2勝(報知4歳牝馬特別、小倉サマージャンプ)
618こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/04(木) 00:43:14 ID:Sgyb70Ex
>>617
石山くん、大変な事故だったけど本人と家族の努力で帰ってこれたね。
第二の人生、頑張ってほしい。

おれも2月からの新しい会社勤め、耐えてやってるよ。
619こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/04(木) 01:51:58 ID:7Dih4Nk+
良スレ
620こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/05(金) 09:05:20 ID:56NX8YtQ
sageててもいいんだけど念のため上げとく
621こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/06(土) 00:41:51 ID:SDW+712r
保守
622こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/06(土) 15:04:14 ID:PPFc5Ssw
保守すべきスレ
623こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/06(土) 23:48:00 ID:YEdi7hoz
ヤマノシラギク
624こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/07(日) 00:24:20 ID:YiKcTxXr
カイソウについて書ける奴はおらんかの?
625こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/07(日) 18:54:58 ID:5+zFLEFd
age
626こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/07(日) 19:03:02 ID:SwW1FJHM
サイコーキララのオーナーのおばあちゃんは、「ずっと乗ってていいんだよ」と言ってた、と毎日放送の中継で聞きました。
お姉さんの訃報もあって、石山騎手には競馬の世界で成功を収めてほしかった。
627こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/08(月) 07:10:39 ID:51BiFG3+
保守
628こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/08(月) 16:36:27 ID:9EOAZlSd
良スレ保守
629こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/08(月) 22:45:26 ID:Yhsn1umk
>>616=617
石山騎手が師匠の濱田調教師の引退式に出たその日は、同じく落馬で騎手生命を
絶たれた常石騎手が師匠の中尾正調教師の引退式のために出席していた。

中尾正調教師と常石騎手も、濱田調教師と石山騎手同様、いろいろな思いがあったのだろうな、と思った。

616=617さん、いつもいい話をありがとうございます。
630名もなき筆者:2010/03/08(月) 23:38:27 ID:wRJ2ZLkw
こんばんは。
短距離馬たちの季節ですね・・・
一昔前は、押し迫った年の暮れこそが短距離馬の季節!という感じでした。

ちと仕事が忙しいのです。
でも、ちょっと書きたくなりました。
運良く時間が作れて、まとまってきたらまた来ます。
631こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/08(月) 23:40:00 ID:uV8hCZgb
>>611
スレチだが「さくらんぼ」「亜麻色の髪の乙女」「気分上々」「プレゼント」
といった過去の名曲を競馬騎手の名前ばかりの歌詞をはめて歌う
重政豊という芸人がいてときどき「あらびき団」という深夜番組でネタをやる。
こないだはトークライブで江田照男騎手と競演したらしい。
以上、情報まで。
632こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/08(月) 23:40:47 ID:uV8hCZgb
コーリンオー。
633こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/09(火) 08:36:02 ID:l7W/gRGS
拙文をアップしてる職人のひとりですが、いただけるレスに感謝、感謝です。
保守書き込みも含めて、有難いです。
ひとことお礼を申し上げたくて。
やっぱりレスがあると、次回作への励みになります。

最近のでは筆者さんのダイタクヤマトがよかったです。
ぼくはグルメフロンティアが大好きだったんですが、
ヤマトもしばらく関西の準オープンで、似たような競走生活を送ってたんで、気になってた馬でした。
どっちも本格化してからはほんとに強くなって、G1にも勝った。
人生で辛くなった時、時々彼らのことを思い出します。
634こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/10(水) 23:40:09 ID:GniwRyLU
キッポウシ
635こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/11(木) 19:53:34 ID:j/wnEQJn
このスレに出会えた事に感謝
636こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/12(金) 00:00:04 ID:wm8bZZ3Z
レイクスプリンター。
637こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/13(土) 21:33:08 ID:G8j+WZ2M
保守
638こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/16(火) 22:01:19 ID:iOiRYbwm
保守age
639こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/18(木) 16:21:25 ID:lLsZNWH/

「代打屋」という競馬用語が使われなくなって久しいが、
先日引退した菊沢隆徳騎手は腕のいい代打屋だった、といっても過言ではないだろう。
重賞10勝のうち、テン乗りで4勝。特別戦になると枚挙に暇がない。
更には関東の騎手なのに、関西馬で実に6つも重賞を勝っている。
関西の厩舎が関東やローカルに遠征する時、菊沢に依頼するケースが多かったのだろう。
地味な印象の騎手であったが、関係者からの信頼は、想像以上に厚かったと思われる。

そんな菊沢騎手も、G1レースでは3着が三度あるだけで、縁がなかった。
チャンスは皆無だったわけではない。
皐月賞のダイワメジャー乗り替わりでは、さぞ悔しい思いをしただろう。
騎手の人生は一流馬との出会いで決まるといわれる。
一流馬に巡り合えたのにモノに出来なかった悔しさは、当事者でなければ判らないだろう。
菊沢騎手の数少ない、G1を勝てる素材だったお手馬。彼女はその一頭だった。


人気のある馬だった。
父と母は同期の芦毛馬。ともに重賞を勝っている。
父は大器晩成を地で行く稀代の名馬。
母は中山1800mのスペシャリスト。増沢騎手を背に中山記念などを逃げ切った。
そして彼女。420kgそこそこの小さな馬で、それでいて勝負根性がすごかった。
直線の差し返しでクラシック候補馬の猛追を振り切った中京3歳S。
先行抜け出しから二の脚を使って勝ったクイーンC。
そのレースぶりにシビれたファンも多かった。
三連勝で本番の桜花賞に向かう。

桜花賞は混戦模様だった。
本来なら人気になっておかしくない馬たちが、揃いも揃ってトライアルで敗れてしまった。
代わりに彼女を含め、前哨戦を勝った馬たちが新たに有力馬として名乗りを挙げる。
彼女は2番人気。
締め切り直前までは1番人気で、彼女に対する期待の高さの程が窺えた。
或いは内国産馬がクラシックを制する「血のドラマ」を、ファンは期待していたのかもしれない。
640こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/18(木) 16:22:20 ID:lLsZNWH/

レースは、有力馬のほとんどが先行グループを形成するという、エキサイティングな展開。
彼女は4、5番手を追走。いつものレース振りだ。
最後の直線。スパートをかけて逃げ馬を捕まえに行く。
が、いつもの手応えがない。失速、6着敗退。
彼女はレース中に右前脚を骨折していた。
手術が必要なほどの重症であり、クラシック戦線離脱。長い長い休養に入る。


桜花賞からちょうど一年、復帰。骨折していた脚にはボルトが入ったままだった。
一走してさらに7カ月の休養を挟み、彼女は追い込みに脚質を変えていた。
怪我の後遺症でスタートダッシュが利かなくなってしまったのか。
不発も多く、勝ちきるまではいかなかったが、見事な脚質転換であった。
なかでもエリザベス女王杯、最後方から直線だけで3着に追い込んできたレースは圧巻だった。
上り3ハロン33.0秒。当時の京都2200mでは破格の末脚である。
だが、次走の阪神牝特で故障発生。
鞍上の二本柳騎手は彼女の異常に気づき、追うのをやめた。隠れたファインプレー。
ボルトの入った右前脚の、浅屈腱不全断裂。惜しまれながら引退した。

過ぎてしまったことを「たら」「れば」で語るのはよくないことである。
しかし彼女の場合、桜花賞での骨折がなかったら、あるいはオークスに出走できていれば。
彼女のみならず、例えば種牡馬として成功できなかった父馬の評価は違っていたかもしれない。
また、菊沢騎手も名馬との出会いが増え、先述のダイワメジャーの乗り替わりはなかったかもしれない。
幻の桜花賞馬、あるいはオークス馬。
でもそんな称号は、彼女にはいらないかもしれない。
それだけ彼女は、ファンに愛された馬だった。


エイダイクイン 1995.4.15生  現在繁殖牝馬
         19戦4勝
         主な勝ち鞍:クイーンC(G3)
         エリザベス女王杯3着

菊沢隆徳    1970.2.10生  1988年デビュー 2010年引退
         9454戦742勝(うち障害1戦0勝) 重賞10勝 
目黒記念、日経賞、フローラS(以上G2)
          愛知杯、中山牝馬S、シーサイドS、小倉大賞典、
          クイーンC、七夕賞、函館2歳S(以上G3)
         フェアプレー賞5回
641こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/18(木) 23:22:26 ID:l6GxE/Wx
ホリスキーの娘、ユキノサンライズ応援してました。
あのころ増沢さんと組んだ牝馬はみんな良かったなぁ。

ニッポーテイオーが勝ったマイルチャンピオンシップ、
ぼくは京都に日帰りで観戦に行き、アイランドゴッテスから
ダイナフェアリーという馬券で沈没しました。

最終の新幹線で帰ってきたぼくは地元の駅で別れた彼女と偶然会いました。
でもって、なんだか朝まで一緒に飲んでしまったなぁ。
彼女は何処に行ったのだろ?
642こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/19(金) 01:20:29 ID:t4UVfIt3
キッポウシ

どんな意味なのだろう
643こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/19(金) 16:41:27 ID:74mPHMHR
織田信長の幼名じゃねーの
644こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/20(土) 21:22:06 ID:m1LfVlGd
「昨日も今日も、そして明日も逃げるキッポウシが先頭です」と
実況された韋駄天野郎でした。
645こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/03/29(月) 00:14:39 ID:UrfYLZRE
あげ
646こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/04/10(土) 00:44:21 ID:PWYxondv
サガミコトブキ。
647こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/04/12(月) 13:10:16 ID:aiAXDDr2
保守
648こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/04/19(月) 02:00:03 ID:cmRQLqSj
hosyu
649ニアークティック ◆labBenQKzA :2010/04/19(月) 23:32:02 ID:eqjlV8DF
ダンスダンスダンス。
650こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/04/24(土) 22:42:42 ID:tg971Nrd
おつるな
651こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/05/01(土) 04:44:01 ID:5flHnwbB
青葉賞
ペルーサとレッドスパークルのワイド買っとけよ。
652こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/05/18(火) 22:16:08 ID:Zp/R5vQl
保守
653こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/05/23(日) 02:47:26 ID:TTMp1lTg
オークスは、
アプリとオウケンのワイドで大丈夫だ
654名もなき筆者:2010/05/26(水) 00:40:40 ID:gYwLPoH1
長い長い写真判定であった。

逃げ込みを図った牡馬。
一完歩ずつ追い詰めた牝馬。
悲しいアクシデントはあった。
だが、全ての馬が巻き込まれたわけではなく。
2頭と後続の間には、5馬身もの大差が付いていた。

平坦コースの芝1200mに限れば、8戦6勝。
特に中京芝1200mでは4戦4勝、レコード勝ちが2回。
それほどまでに、彼の快速ぶりは際立っていた。
だが、中京で行なわれたGTには、ついに出られなかった。
もっと正確に言うならば、出走断念を余儀無くされたのである。

デビュー戦も中京1200m。
初の実戦なのに、テンを33秒5で飛ばし、そのまま2歳レコード更新。
既にこの時点で、彼のキャラクターの片鱗が現れていた。
4走ぶりに芝1200mを使われた小倉の特別戦では、後続に10馬身もの差を付けた。

初重賞勝ちも中京1200m。
「スプリント戦でハナを切る」という明確なスタイルが既に確立されつつあったが、
この日は内枠の同型馬を行かせて・・・とは言えすぐ外からビシッと追いかけたのだが・・・2番手。
600mを33秒フラットで通過すると、後は独壇場。同厩の先輩に2馬身近い差を付けて悠々とゴールした。

続くスワンSでも果敢にハナを切り、歴史的名馬2頭には後れを取ったが、自身も1分20秒2で纏めてみせた。
その次に出走したのが、重賞勝ちを果たしたばかりの中京1200m。
単勝オッズが最後まで1.0倍を示すほどの圧倒的な支持。
彼は、2着以下を6馬身千切り捨てる圧倒的なパフォーマンスでそれに応えてみせた。
もはや彼が現役屈指の快速馬であり、生粋のスプリンターであることを疑う者は居なかった。
655名もなき筆者:2010/05/26(水) 00:45:56 ID:gYwLPoH1
有り余るスピード。しかしそれは、諸刃の剣でもあった。
距離の壁、直線の坂への適性・・・そして、脚への負荷。
彼自身、500kg近い大型馬であったことも無関係では無かったであろう。
前半32秒4という狂気のペースを追走し、中山の急坂に苦しみながらも4着に粘ったスプリンターズS。
その後、平坦な京都のオープン特別を2連勝。すわ本格化・・・と思われたところで、骨折を発症してしまう。

馬は痛みを憶えている、と言われる。
彼もまた、なかなか本来の走りを取り戻せなかった。
ハナを叩いても踏ん張りが利かず、控えれば馬群に沈む・・・
13ヶ月ぶりの勝利を挙げ、いざ中京の新設GTへ・・・と意気込んだその直後。
またもや走りのリズムが崩壊。追い討ちをかけるように、フレグモーネを発症。
無念の出走回避。しかし、それだけでは終わらなかった。3度目の骨折が判明。
後から振り返ってみれば、悔やんでも悔やみ切れぬ失意の春シーズンとなった。

また秋が来て、彼は文字通り完全復活を遂げた。
「枠入りすると、こうやってゲートが開くのを待っている」
主戦騎手がこう表現したロケットスタートと、最後の直線での粘り腰が蘇っていた。
ぶっつけで挑んだマイルCS、あわやの3着。そこから中5日の連闘・・・丸2年ぶりの中京芝1200m・CBC賞。
32秒9-34秒4=1分7秒3。最初から最後まで、彼の独り舞台だった。

迎えたスプリンターズS。
彼がハナを切る。
「今までで一番自信があります。きちんと勝ちたいですね」
4コーナーをカーブして、最後の坂を迎えてもまだ先頭。
後続を大きく引き離しての、2頭のマッチレース。
誰の目にも、2頭が全く並んでのゴールイン・・・肉眼でも、そしてストップモーションでもそう見えた。

14年後のオークス。
やはり10分を超える写真判定の末に、JRA・GT史上初の「1着同着」が実現した。
このような時、必ず引き合いに出されるのが、このスプリンターズSの写真判定。
本当に、本当に僅かな差。1万分の6秒差とも、1cm差とも言われている。
だが、当時のスリット写真に映し出されていたのは、肉眼でも辛うじて判別できるほどの「差」であった。

稀代の快速馬はその後、生命の危機に瀕するほどの重度の骨折を発症。
ベストの舞台への挑戦はついに叶わなかったが、12年間の種牡馬生活の後、鹿児島で余生を送っている。
日本に競馬がある限り、他の数多のGT馬と同じように、彼の名もずっと語り継がれて行くのだろう・・・そんな気がした。


第25回 エイシンワシントン 1991年5月15日誕生
戦績 25戦8勝 おもな勝ち鞍 CBC賞(GU)、セントウルS(GV)
656こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/05/26(水) 01:22:10 ID:5DNNBbWq
>>655
このタイミングでエイシンワシントンキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!

何度も骨折して、その都度はい上がってきた馬でしたね。
たしか、貧血に悩まされた時期もあったような…
高松宮記念創設の際は「エイシンワシントンの為のGIだろw」って言われてたのに、出られなかったのは残念でした。
スプリンターズの時は「同着にしたれよw」なんて思いましたねぇ、懐かしい…
筆者様、ありがとうございます。
657ニアークティック ◆labBenQKzA :2010/05/27(木) 00:15:39 ID:lJ0o3bd/
エイシンワシントンかぁ、馬主さんももう少し愛情のこもった馬名をつけてほしいなぁ。

エーシンの馬も同じく・・・・。

658こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/05/30(日) 18:57:45 ID:yRLODGtl
エイシンの平井さんのお馬が、ついにダービーを勝ちましたね。
659こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/05/30(日) 22:43:35 ID:kPWCSB8x
同厩舎のタスカータソルテが死んだ次の日にダービー制覇ですね。
半分泣いて、半分喜んで、藤原厩舎の忙しい2日間でした。
660こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/06/03(木) 16:20:15 ID:AEbRGbZY
>>657
どこに愛情が無いと感じるのか、ちょっと理解が出来ない
安直だなんて言ったら、メジロだってそう変わらない
661こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/06/03(木) 18:04:18 ID:NA4I3wPE
>>660
この人には何を言っても無駄だから・・・
662こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/06/03(木) 19:25:35 ID:kpzpd0Br
エイシンミランはよかったじゃないか
663名もなき筆者:2010/06/07(月) 00:41:09 ID:Xq7Ppahu
「競馬とは血のドラマである」

死語だと思っていた。
と言うよりも、忘れかけていた。

蘇った記憶がある。
去年の夏、北海道で会って来た1頭の牡馬。
私よりも1つだけ年上の彼は、年齢を感じさせないくらい光り輝いて見えた。

中距離以下のGTレースが極端に少なかった時代。
彼は、毎日王冠と天皇賞・秋を連続してレコード勝ちしている。
まだまだ長距離GTの地位が高かった当時において、彼の存在は異色だった。

そんな異色のGT1勝馬の争奪戦は、熾烈を極めたという。
「社台」対「日高」の激しい綱引きの末、軍配は日高の側に上がった。
「三冠馬を社台に奪われた」その雪辱に燃えた日高の関係者の執念と、彼の調教師の後押しが実を結んだ。

日高の生産者たちもまた、彼に夢を託した。
争奪戦に敗れた社台も、毎年のように彼を付けた。
彼は実働12年で種牡馬生活を退いたが、日高から2頭、社台から2頭の平地GT馬が生まれた。

しかし、それだけでは終わらなかった。
2002年、彼の息子の仔・・・直系の孫がGTを勝った。
「内国産馬3代連続GT制覇」が実現したのである。

そして2010年、突如として急上昇した1頭の牡馬。
年明け緒戦のマイル戦を惨敗し、続くダート戦ではブービー人気シンガリ負け。
だが、その次のレースで騎手が替わると・・・まるで別馬のように、走りが一変した。

34秒台の上がりがやっとだった馬が、33秒7の脚を繰り出して初重賞制覇。
時計の掛かる馬場専用だと思われていた馬が、芝1800mを1分45秒7で勝利。
2連勝の勢いを駆って挑んだGT・・・まさしく「昇竜の勢い」。父仔同一GT制覇、成る。

それは同時に、この優勝馬の祖父である彼に端を発する大記録が生まれた瞬間であった。
「同一馬に端を発する内国産馬3代連続GT制覇」である。
血のドラマ。忘れかけていた競馬の醍醐味を、思い出させてくれた気がした。

もう一度、彼に会いに行きたくなった。
随分前に、彼は表舞台からは消え去ってしまったけれど。
また会えるかな。会って、あなたの美しさに見とれながら、あなたの素晴らしさをもう一度刻み込みたいんだ。

ね、サクラユタカオー。


第26回 サクラユタカオー 1982年4月29日誕生
戦績 12戦6勝 おもな勝ち鞍 天皇賞・秋(GT)、大阪杯、毎日王冠(以上GU)、共同通信杯4歳S(GV)
664オグリ友の会 ◆lm3GWAqDMA :2010/06/07(月) 00:58:45 ID:wiHv/wf/
密かにこのスレのファンなんやけど・・・
ユタカオーは影?ってイメージないな(笑)
665こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/06/07(月) 01:22:20 ID:ce4CJF6M
(ショウナンカンプ×マイダイナマイト)牝馬 ×ショウワモダン
666こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/06/07(月) 01:26:13 ID:jw2NcmGA
>>664
確かに。
ショウワモダンの父・エアジハードの方が98クラシック組の
「影」(消えてはいないけど)の存在なイメージかな。
NHKマイルでは「何かやってくれるんじゃ」と期待していた人間は自分だけじゃなかったはず。

ディヴァインライト、エアジハード、・・・
この世代のクラシックの日陰にいた馬が、
実はいい馬を出しているんだよね。
メイショウオウドウも地味だけど、味のある種牡馬だ。
667こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/06/07(月) 11:15:48 ID:UsJu6Wp5
ヒシナタリー
668こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/06/07(月) 15:50:53 ID:Pz70Mf0S
サクラユタカオーはいまだに表舞台で名を見るような馬だから
このスレには相応しくないよね
669こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/06/07(月) 20:30:15 ID:lMO7ULlI
親子三代で思い出したけど、メジロティターンは「時代の影の中に消え」てても
おかしくない存在だったけど(アサマはよく知らん)、マックイーンのおかげで
思いっきり陽があたるようになったよね。
670こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/06/08(火) 00:02:10 ID:Ib9zmgKR
サクラユタカオーは確かに「時代の影の中に消えて」はいないかもしれないけど、
「時代の影の中に消え行く」純内国産血統の中、ショウワモダンの勝利は称賛されてしかるべきものだと思うよ。
671こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/06/08(火) 01:05:28 ID:dQh9q9xO
短パンマンって何?
672こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/06/08(火) 16:51:03 ID:sRdB2uXS
このスレ好きだわ。
誰か書籍化してくれないかな。
取り上げられてる馬も特殊だし1の文章力も高いし、良スレだよね。
673こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/06/16(水) 22:17:10 ID:gyfwuN8s
気持ち悪いの一人除けば良スレだな
674こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/06/16(水) 23:35:27 ID:gIOOslTZ
このスレのまとめブログがあるけど、更新が止まっていますね。
できれば更新してほしいんだけどな・・・。
http://meibaretsuden.seesaa.net/
675こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/06/17(木) 16:53:00 ID:Jgv+nFe4
気持ち悪いのって誰?
676こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/06/22(火) 19:30:28 ID:EXjdc2/J
名もなき筆者さんの文章を読むと、いつも鳥肌が立ちます。
本当にどれも名文…ということで保守。
677こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/06/23(水) 13:07:02 ID:74u0NZBi
>>675
ノーザンダンサーの父じゃね?
678こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/06/23(水) 17:26:35 ID:o2ADHlTF
ナリタブライアンないかなぁ
679こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/06/24(木) 19:30:34 ID:Q7iaQMAY
つ最強ヒストリー
680こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/06/24(木) 20:42:15 ID:WxdFaDS2
>>678
まだ途中までだけど
ttp://www.retsuden.com/
681こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/06/24(木) 20:53:22 ID:HrGOQ4xM
retsuden.comはもう何年放置プレーしてるんだよ
682こんな名無しでは、どうしようもないよ。
続きないのかな