偏向報道とは直接関係無いですが、他都市の発展を妨害する東京の体質がよく表れている問題です。
■時代名に込められた東京の学者の悪意
ttp://murata35.cool.ne.jp/mail/mail0201.htm 本日の「高槻市民講座・名城と名将〜その4〜」は「大阪城と秀吉」を、阪大名誉教授脇田修先生の
講演で聞きました。(先日の古代史発掘展の際の午後の講演前に挨拶された大阪歴史博物館長です。)
その中で先生が力説された(?)点が3つ。
(1)「安土桃山時代」の呼称は不適。「安土大阪時代」である。
秀吉が伏見に築城したのは隠居城として築いたもので、本拠の城はあくまで「大阪城」である。
本拠の地名を時代名とするのが常識。・・・・・・家康も駿府城に隠居したが、本拠は秀忠のいる江戸城である。
何故「駿河時代OR駿府時代」と言わずに「江戸時代」と言うの?
因みに「桃山」と言うのは桃の木が多かったからだろう。築城時、桃山の地名も存在しない。
(2)「石山本願寺」と言うのは無い。「大坂本願寺」である。連如が本願寺を開いた当時の諸記録も
石山本願寺の記載例はない。恐らく寺を建立する際、沢山の石があったのであろう。
(あの付近は難波宮跡地であり多数礎石などがあったのでは・・・。)石山と呼ばれだしたのは
そういう風説を元に江戸時代初期になってからである。
(1)・(2)とも意識的に「大坂」OR「大阪」を避けて使った江戸派(東京派)の恣意的なものが感じられる。
先生は断じて「大坂」を使用し、今後も学会にそう呼びかけて行く。
(3)〜以下略〜
ttp://www.geocities.jp/paraguaysaga/hantaigawa-005.html 51・日本の歴史区分 (2004年02月05日)
日本の歴史区分を振り返りますと「飛鳥時代」「奈良時代」「平安時代」「鎌倉時代」「室町時代」
「安土・桃山時代」「江戸時代」と江戸時代まではその時の中心都市で呼ばれています。
安土桃山時代に関しては本来であれば「安土大坂時代」とすべきであったのでしょう。
大正時代にこの名称を付けたようですが、秀吉は伏見で政治をしていた訳ではないので、
本来は「大坂」の名称にするべきなのでしょうが、何らかの理由、都合の悪い事があり、
意図的に大坂を避けたのかも知れません。大坂の坂の字を「土が返る」という事で良くないとし、
大阪に変えたのもこの時期です。この時代、大坂が日本の中心であった事実を公的に認めたくは無いのでしょう。
ttp://www.ebookbank.jp/galge/ep/item/1-22533/ なお、ついでだが、安土時代はともかく、桃山時代という言葉も、慣例的に使ってはきたが、
ずいぶん非学問的な言葉であると思う。ある意味で戦国末期といわれる織田時代は、
安土時代で問題はないが、豊臣時代のことは、むしろ、大坂時代と呼ぶべきではなかろうか。
どうしても秀吉の晩年を中心として呼びたければ、伏見時代のほうが、まだ学問的であろう。
桃山時代というのは、伏見桃山時代の略称であるにしても、秀吉の時代には、桃山などとは
言っていない。秀吉の死後、伏見城のあたりが桃畠になったからである。桃山時代などという
非学問的な言葉を豊臣時代の代用としていること自体が、現代学界の謎であって、これは、
なんとかして、大坂時代と改称さるべきである。これを機会に、改めて、自説を提唱しておきたい。