この空港の第一の不幸は、計画決定の遅れだ。
関西が本格的な国際空港を造る運動を始めたのは1960年代の末、
日本万国博覧会のころだった。
当時は感情的な空港反対運動もなかったし、工事費も安かった。
もしこの時に政府が決断していれば、
便利な適地にアジアのハブにふさわしい大空港ができていただろう。
だが、東京一極集中化思想にとらわれた官僚達は、
「東京にさえ本格的国際空港がないのに何を言うか」と一蹴した。
しかも成田空港が土地収用の難航で遅れると関西空港も先延ばしした。
そのため、関西空港の計画決定も遅れに遅れ、ようやくそれが本格化した時は
騒音反対運動が盛り上がっているが、低騒音機開発はまだできていない、という
最悪の狭間になってしまった。このため神戸沖などの有力候補地が空港反対を宣言した。
故、宮崎達雄元神戸市長は、生涯「空港反対は判断ミス」と嘆き続けたという。
関西空港の不運はそれにとどまらない。
計画策定時期が民活(民間活力利用の公共事業)ブームからバブル景気に当たってたため、
「バブル思想」に取り付かれてしまった。
「銭金を惜しむな、経済は成長し地価は上昇するのだからコスト高でもすぐ取り返せる」というのが
バブル思想の中核だ。関空建設に当たって叫ばれた標語はただ一つ。
「成田の失敗をくり返すな」だった。
成田空港は優等生ではないが、貨客は多いし、採算性も良い。
土地も工事費を安くするために警官隊動員も何度もした。
官僚達が責任感と成長意欲を持っていた時期にできたからだ。
それに比べて関空は土地も工事費も一番高い時期に当たったし、
官僚の無責任と自己満足の玩具にもなった。
例えば、地盤沈下の予測だ。関空の位置では地盤沈下がひどいという予測は
内外多数の専門家から出されていたにもかかわらず、官僚達は耳を貸さなかった。
自分達がやりたいと思ったことをさも正確な予測のように言うのは、日本の官僚の悪弊である。
レンゾ・ピアノ氏の設計も採算無視の自己満足だ。
見学、見送りのない場所のターミナルビルでは店鋪の売り上げも入場料収入も伸びない。
初めから収入増加を考えなかったのだ。