499 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
昔のテレビの話
第一次チャンネルプラン(昭和32年6月)は実はまだ県域放送という概念がなく、
各地区にチャンネルを割り当てるというものでした。山口県で言えば、広島地区には
岩国・柳井が含まれ、他には徳山地区、関門地区がありました。関門地区には北九州
5市・山口県西部が含まれ、当時の概念の広域エリア局でした。他県(広島県など)
が民放1チャンネル割り当てだったのに関門地区は、2局の割り当てでした。このうち
免許がおりたのが、先に述べた下関・北九州5市の財界が設立したテレビ西日本(10Ch)、
もう一つを西部毎日テレビ、KRY、北九州テレビ、RKBが争い、後にRKBとの合併を条件に
西部毎日テレビ、KRY、北九州テレビが6:3:1で合体した西部毎日テレビが免許を得ました。
その後RKBと合併、RKB毎日放送(8Ch)となるわけです。したがってKRYは当時RKBにも資本金・
役員を送っていました。福岡地区はどうかというと、同じく2波の割り当てでしたが、
KBC九州朝日(久留米が発祥地、昭和31年福岡に移転済)とRKBが免許を得ました。したがって
北九州地区の者は福岡にもアンテナをあげKBCを、福岡地区の者は北九州にもアンテナを
あげテレビ西日本を見る、しかし距離があり今ひとつ映りが悪いといった状況でした。その後、
福岡県民の運動があり北九州のテレビ西日本と、福岡のKBCがそれぞれの地区にチャンネルを得て
相互乗り入れ(今の県域放送からすると不思議なことですね)することになりました。これが
第一次チャンネルプランの修正で昭和36年3月のことです。第一次チャンネルプランの修正は
基本的には基幹地区の民放複数化で、広島・仙台などが2局化しました。福岡・関門地区は
それぞれ相互乗り入れで3局化の予定でしたが、KRYが関門地区のチャンネル割当獲得に成功し、
なんとこの時点で関門地区は4局化したのです。そのときから昭和39年まで関門地区
と徳山本局が別放送だったのは既出のとおりです。
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/01 01:51
この後昭和42年10月チャンネルプランの
大幅修正があり(民放は関東・近畿・中京が広域圏、広域圏内各県に民放1局、広域圏以外は
民放は県域放送とする、VU混在により、各県民放2波以上、基幹地区は3局以上、島根・鳥取は
2県で3波)が決まりこの時点でほぼ現在の概念となります。さて1県2波といっても佐賀・徳島
は1波しか開局できませんでした。大阪・福岡の民放が受信できたからです。サガテレビの開局は
FBSと同じ昭和44年ですが、フジテレビ系列である理由は、FBS(福岡市本社)が日本テレビ系を
選んだこと、KBC・RKBが福岡市本社であることからと思われます。フジテレビ系列のテレビ西日本
だけはまだ北九州市が本社でしたから、ニュース取材にしても佐賀から遠かったのです。また佐賀県
は熊本・長崎の放送も受信できますが、これらの先発V局がフジテレビ系列でないといったことも
あったと思われます。ちなみにテレビ西日本が郵政省の許可を得て、福岡市に本社を移転したのは
広島・仙台が4局化した昭和50年のことでした。
本当です。当時テレビ西日本(今は福岡市に本社移ったけど、北九州・下関の財界
が作ったテレビ局なので当時は本社が北九州にあった)が日本テレビ系だったので
下関で同じ番組を流すわけにもいかず、フジ系の番組を中心に下関だけ別番組を流していた。
しかも当時は九州朝日放送がNET単独ではなく、フジとのクロスネットであったため、
フジをそのまま流すわけにもいかず、マイクロネットが使えずお金のかかるフイルム
ネットでした。その後昭和39年10月テレビ西日本が日本テレビとけんかした?かなんかの理由で
フジ系に系列移転しました。その際九州朝日放送もNET単独系列になりました。
そのためKRYはめでたく下関も徳山と同じ番組でしかもマイクロネットでよくなりました。
この時から、昭和44年FBS福岡放送ができるまでKRYは北部九州地区でも大いに
視聴されていたそうです。またKRYが日本テレビを系列に選んだ理由は岩国など東部地区では
広島のRCC,下関・宇部・防府など西部地区では福岡のRKBが視聴でき、RCC,RKBとも
TBS系で、TBS系に入ると視聴者がわざわざ新しく別アンテナたててKRYを視聴するとは
考えられなかったためだそうです(当時はNET,フジは弱小局で,TBS・NTVが二大系列だった)。
以上 山口放送30年史(昭和62年刊)より
都道府県や市町村が出資しているのは、殆ど全ての都道府県で行われている事です。
山形と岩手以外の宮城、長崎、熊本、鹿児島というのは、1975年の時点で4局化する事が
決められていました。岩手の場合、4局化が決められたのは80年代後半、山形の場合は90
年に入ってからです。山形と岩手の場合は別な影響が大きいのですが、それ以外の県では
4局化しても経営が行える、また4局を支えられるだけの企業体があると電波管理委員会
の結論が出たからこそ、開局出来たのです。
宮崎に2局しかない理由は、地元経済の弱さ、つまり、新しい放送局の株主になれるだけ
の体力を持った地元企業体が存在しない、県外から企業や新聞社、放送局などの資本参入
が少ない事に原因があります。
県内でも大手の宮崎銀行・宮崎太陽銀行・宮崎交通・旭化成延岡・デイリーなどは既に宮
崎放送やテレビ宮崎の株主になっており、さらに悪い事に、UMK商事(テレビ宮崎商事)
が宮崎経済の主にあるので、他局が出来にくい状態にあります。
先日まで宮崎3局目へ数社が名乗り出ていたのは確かですが、経営が難しいとの理由で、
全て却下されました。また、国の政策の転換により、宮崎県への3局目チャンネルの割り
当ても取り消されてしまいました。
青森・秋田・山梨・富山・福井・鳥取・島根・山口・徳島・高知・佐賀・大分・宮崎・沖
縄の各県が、これ以上開局する事はありません。
九州版からの再録です