ちゅらさんのパワーダウンについて

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126「ちゅらさん」放送開始時点案
>>112は放送前の原案だが、そのあと、放送開始時点にNHK公式サイトに掲載され
今も載っている全体あらすじ案は以下の通り。
ところが!!既にこの内容もかなり崩れてしまっていることに君たちは気がついたか?

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ヒロイン・古波蔵恵里は、1972年5月、沖縄本土復帰の日、八重山諸島の小浜島で生まれる。
三線や琉球舞踊が好きで、民宿を営む一家の深い愛情と、八重山の自然の中で満ち足りた少女期を過ごす。
そして、東京から民宿にきた少年と仲良しになる。だが、少年の兄は病気で亡くなってしまう。その時、
恵里とその少年は恵里の祖母から「命こそ宝(ぬちどぅたから)」という言葉をもらう。いま、生きている
この命を大切にしなさいという意味だった。
恵里が中学生になる頃、両親は農業と民宿の暮らしに区切りをつけ、沖縄本島に移住。父はタクシー運転手、
母は農連市場で働くことになった。
そして、自立を意識し始めた恵里は”青い鳥を探しに”上京。後を追って上京したロック歌手志望の弟や、
下宿で知り合った仲間達に支えられる青春の日々。いつしか恵里は同じアパートに住む老人の看病をするうち、
看護婦を目指すようになる。恵里は働きながらも看護大学を卒業、看護婦に。第一線の医療現場でモミクチャに
なりながらも、保健婦の資格も取る。
やがて、恵里は一人の若い研修医と知り合う。それは幼い頃、小浜島の民宿にきていた少年だった。彼もまた、
「命」にかかわる仕事を目指していたのだ。恵里はその彼と結婚。子どもも生まれ、仕事に子育てにと走り回る。
しかし子どもが情緒不安定になってしまう。
20代も終わりになる頃、恵里は心の底から求めていた仕事と暮らしが、忙しい東京ではなく、故郷・沖縄の島に
あるのではないかと気づき始める。夫を残し、子どものために沖縄に移住する恵里。やがて猛反対していた夫も、
後を追って沖縄へ。二人の胸にあるのは、幼い頃に祖母から聞いた「命こそ宝」という言葉。二人の心の医療”と一家の暮らしが、今、南の島で始まろうとしていた。