蕎麦屋の息子からの手紙には、南方戦線で戦傷をし、このような姿になってしまったと、蕎麦屋のかみさんに
書いてよこすのだ。
片手のない兵隊の姿をみて、泣き崩れる蕎麦屋のかみさんとその肩をだきかかえる「そげか」。
>>232 茂樹が夢の中で操縦をする姿を励ましていたのを忘れたのか。
そのリストに茂樹を加えるべき
それとタマネギ男。
復員してきた蕎麦屋の息子は、片腕でも蕎麦は打てると独特の打ち方を発案する。
すなわち足袋をはいての足コネであった。
それでつくる蕎麦は実に臭いがうまみもあると、一部の絶賛をあびる。
当時は、蕎麦屋は、新たに中国から入ってきたシナそばに追い込みをかけられて辛酸なめる赤貧状態になったが
足コネ蕎麦で、東京の蕎麦をもっと普及させたいという社長に見出されるのだ。