NHK朝の連続テレビ小説「風のハルカ」Part27

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766五十川卓司
昨日(2006年3月3日)、富士TVにて放映されていた金曜
娯楽の、生きててもいい…?〜ひまわりの咲く家〜においても、
父親の暴力と母親の放棄とにより孤児同様とされてしまった河野
真希(山内菜々氏、福田沙紀氏、広末涼子氏)の物語が、表現を
されていました。

http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2006/06-052.html
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4344011104/

幼少期の親子関係の刷込が、児童福祉施設での集団生活に有った
場合の里子や養子の困難な状況が報告されていました。

生物学的な親子関係が有る状態でも、人文学的な親子関係の構築
が困難である事態が有るのに、里子や養子の関係において、育児
や育成に必要な強制の根拠が薄弱である状況では、安心と安定と
の確保による、緊張と弛緩との強弱が、被抑圧感と為ってしまう
ということなのでしょう。

父親の暴力や母親の逃亡を、無意識に肯定的に解釈している父母
への思慕が、子の心身の健全な育成を阻害している問題も、菅原
晴一郎(成宮寛貴氏)に観察されており、そのような父母の行状
を否定させる映像資料を視聴させることも必要で有るでしょう。

社会的経済的な欲望よりも、家庭的食卓的な希望が優先されると
いうことが、児童の場合には大きいと言うことも言えそうです。
767五十川卓司:2006/03/04(土) 14:38:21 ID:AHdqaN8r
追記>>766

ところで、同様の事態は、託児所や保育所での長時間の預託でも
発生するであろうことが予想されるとも言えそうです。職住近接
での長時間の託児保育の問題が、思春期において、過剰な反抗期
の到来を予想させる事態でも有ると言えます。

男子の誕生を欲望した父親が、女子の誕生に失望していて、男子
であるかのように、女子を育児して、女児への侮蔑や軽蔑を態度
としていると、性同一性への「人格障害」(過剰反応)を、発症
させてしまう危険も有りそうです。ここは自分の家では無いが、
これは自分の性では無いとする衝動を惹起するからです。

市村千佳子(松下由樹氏)に表現されている母親の振舞は、母親
からの愛情を、子に伝承しようとの愛情の発露なのでしょう。

両親の戦争での死亡により、親戚を盥回(たらいまわし)にされ、
「お前なんか死ねばいい」などと、戦後の食糧困難期に、虐待や
迫害をされた女子が、母親として、幼少期の体験や経験を、女子
にも暴言してしまう行為も観察され、父親からは、侮蔑や軽蔑の
対象とされている問題も観察されます。

市村隆之(笑福亭鶴瓶氏)の姿勢や態度は、父親として、組織に
おける演技や演出が、最終的には、個人を裏切するという問題を
表象していると言えそうです。
768五十川卓司:2006/03/04(土) 14:38:44 ID:AHdqaN8r
追記>>767

ということで、猿丸啓太郎(松岡充氏)の発言する「自由」には、
彼に暴力をした父親と、彼から逃亡をした母親の勝手を無意識に
「肯定」してしまっている勝手な振舞が射影してしまっている、
と感覚されるところです。

児童福祉施設において、そのような勝手な振舞が、無意識に肯定
をされ、それを権力や規制で抑圧する行為の多発が、それに反感
や反発をさせる風土を醸成する危険について、配慮や警戒が必要
であるという対策の立案が必要であるとも言えそうです。

生物学的な親子関係よりも人文学的な親子関係が、法律的な親子
関係の決定において、最終的に優越するという表現では有り得た
と言えるでしょう。

長時間保育で育児育成された女子が、母親と成って、どのように
育児や育成をすれば良いのか分からないという状態の潜伏も類推
されるところです。長時間の託児や保育をする場合には、未来に
予測される事態のために、その施設の保父保母の姓名を記録して
おくことも必要で有るでしょう。行政側の役務での責務としても
必要であると言えます。