百済の王子、璋。
新羅の王女、善花。
両国を隔てる国の壁は、高く険しく堅くそびえる。
百済王家も、新羅王家も、お家騒動に次ぐお家騒動。
父を知らぬまま、一人の民として育った璋。
知らぬ者無き新羅王女として、しかしそういう境遇に重圧を感じつつ育った善花。
はたして、二人は結ばれることができるのか?
百済・新羅、あい対する二つの国は、一体どうなってゆくのか?
薯童謠スレ、ここに再開。
…レス、つかないね…。
>>4 私1ですけど、2のレスや3のレスは、ほかの人たちが書いて下さったんですよ。
無理やり自演レスなんてする必要もないし、ゆっくり進行できればいいかな、と。
薯童謠の元ネタになった史書とかにもいろいろ関心はあるんで、
百済史や新羅史も個人的に調べたりしてるし、
気長に書いていきたいです。
ドラマとしての「薯童謠」の題材となった史書は、
「三国遺事」「三国史記」「日本書紀」「隋書」などですね。
「三国遺事」からは、このドラマそのものの根幹の薯童伝説、
「三国史記」や「日本書紀」からは、この作品の時代背景、
「隋書」からは、主人公の生まれの謎のヒントが、
それぞれ題材にされてます。
三国遺事の薯童伝説は、
「百済の竜の子孫であるヤマイモ売りの若者が、新羅に風変わりな内容の歌を流行させ、
その歌の内容のために宮殿を追い出された善花公主と結婚した後、黄金を掘り当てて大出世し、
百済の武王となった・・・」
という伝説。
三国史記からは、
聖王・威徳王・恵王・法王・武王と続く百済王家の歴史、その隣国の新羅の歴史、
そのほか、百済に関連する個人名。
日本書紀からは、
三国史記や三国遺事に表れない、特に百済関連の人物の歴史的逸話や、個人名。
たとえば、対新羅戦での聖明王(=聖王)戦死前後の状況や、
日本書紀のみに記載されている人物である阿佐太子の訪日経験など。
また、「三国史記」や「日本書紀」に登場する武寧王(聖明王の父)に関連する様々な伝説や歴史的推移には、
ドラマ「薯童謠」のあらすじとの類似性がかなり読み取れます。
そして「隋書」からは、
武王の父が威徳王であるとする説。
つまり、三国史記に記載された、武王が法王の子であるとする伝承との食い違いの謎。
このように、さまざまな史書が、ドラマの原案になってます。
少年時代の璋が‘天の峠(ハヌルチェ)’で垣間見せた才能の一つ、
「1から1000までの全ての整数の和を算出する方法」。
これ、私は、小学校のころに、
「数学者ガウスが小学校で算数を勉強していたとき、1から100までの全ての整数の和を瞬時に算出した方法」
として知りました。
そのとき、
「なるほどなー! 頭の切れる人は、やっぱり目の着けどころが違うものだ!」
と、大いに感心したものです。
ドラマ「薯童謠」脚本担当のキム・ヨンヒョンさんは、
ひょっとすると、このガウスの少年時代の逸話を念頭に置いて、
この場面を創造したのかもしれません。
一体、ガウスは、どのようにしてあっという間に答を出したでしょう?