思うに「二枚のドガの絵」は、
*家宅捜索がすでに「逆トリック」で、
*そこにあの意外な「証拠」が加わり、
*さらに最後の最後に、どちらにも属さないあの「とどめ」が加わる
というところにのみを狙った典型的な『ギリス型』脚本なので
アンフェアだったり、コロンボの動きが効果優先であったり、
説明を省きまくった(電気毛布がまったく触れられないのはすごい)
ところが個性だから、そこを指摘してもはじまらない。
逆にいうと「ビデオテープの証言」や「自縛の紐」のような『フィッシャー』
型作品にも、『ギリス型』とはまた違う不足点や欠点があって、
それがいろんな名手が参加したTVシリーズミステリーならではの楽しみ
といえる。
『フィッシャー型』を気に入った人はどうしても、視聴者までに隠しごと
をしたり異色の展開となりがちな『ギリス』型の作品を非難しがちなよう
だが、それは「この形がコロンボ本来」という自説を絶対視してしまっている
場合が多く、実にもったいない気がする。
そのすべてが『コロンボ』なのだから…。