刑事コロンボについて語ろう 第21話

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731ミステリ板住人 ◆0FE6khB7i2
まともなレスだけ抽出して読んでいけばわかるとおり、
コロンボがラムフォードに人間的共感を持っているという説は完全に崩れている
とわかる。
今回の議論中でも指摘され、前回「祝砲の晩歌」が話題に挙がった時に私も指摘
したところであるが、コロンボのキャラから見て、問題児とはいえ学生に罪を
被せて平然としているような人物に「共感」という心の奥底から生じる人間的感情を
抱いたと理解する方が不自然と言い得る。
また、ラムフォードに共感しているのであれば、コロンボの学生(特に容疑者や
林檎酒密造の連中)に対する態度もソフト過ぎる。
ひとりの兵隊として軍隊経験があり、その堅苦しさを実感しているコロンボに
とっては、むしろ共感を抱くのは学生サイドに対してであろうかと思う。
ただし、軍隊という組織を知るコロンボは、軍隊がラムフォードのような狂的な人物を
生み出してしまうという点を理解をしてはいるが、これは存在の理解であって、
人間的共感とは全く別物である。
前回の議論で、コロンボがラムフォードに共感を示しているやにも見えるシーンは、
俳優の理解と演出の意図の「ずれ」だという説が呈示されていたが、
すると、本作はこのような欠陥を内包したものということになる。
この線に沿って理解すると、ラストシーンはコロンボが感動して号令シーンを見ている
とするのは誤った厨房的理解であって、客観的に、一歩引いて、
ラムフォードという軍隊が生み出した狂的な人物への「挽歌」として見ていると
理解するのが妥当である。
ラムフォード=キティ(風)という理解も当初のコロンボスレではブラインドになっていた
部分であるが、本来、戦略の専門家であり、駆け引きやプライオリティの判断に長けて
いるはずの佐官級軍人のラムフォードが、林檎酒密造の摘発(校則遵守)に拘るあまりに、
コロンボの誘導に容易くひっかかり、犯行を自白せざるを得なくなり、
学校の存続を駄目にしてしまう展開は、大局的な思考を欠き(出来ない)、
目先の事のみに異常に偏執してしまう病的な傾向を示していると理解するとわかり易い。