決定版 刑事コロンボ・スレ

このエントリーをはてなブックマークに追加
377ミステリ板住人 ◆K5MnIloIhA
>>371は、倒叙スタイルのミステリにおいても催眠術による殺人が禁じ手であることを
素直に認めている点は良しとしよう。
>コロンボって、「第2の殺人(犯行)で解決してはいけない」という
>暗黙の、しかし徹底的に守られたルールがあって、
>プロデューサーが変わっても全作申し送りされていたんだよね
>(旧シリーズ〜新の途中まで)。
ソースの開示を要求しておく。
仮にこういった取り決めがあったとしても、むしろ催眠術による殺人を描くことは
野暮という逆の見方が出来る。
見るからに立証不可能なものを持ち出して来るのはつまらないことである。
立証出来そうで出来ない、この辺がミステリとしての妙味なのである。
仮に洒落っ気や粋を狙ったとしたら、逆効果であり失敗、かえって視聴者を愚弄する
ものになっていると言えよう。
実態としては、ミステリとしてネタ切れになって来たため刺激が強そうな禁じ手を
入れてみたに過ぎないのだと思う。
378奥さまは名無しさん:04/03/26 22:46 ID:???
倒叙型の場合は、証拠が弱くても、犯行を観ている視聴者が納得しやすいといえる。
コロンボの他の作品を観ても、このことは明らかだと思う。
それで、「5時30分の目撃者」を観た時、コロンポの詰め手として、
通話記録をネタに使うのではないかという予想もできた。
それを使わなかったのは、おそらく「二つの顔」で決め手の一つとして、
一度使っていたからじゃないかな。通話記録を利用するとみせかけて、
さらに上質の解決方法を考えたという見方も成り立つだろうね。
催眠術による殺人=立証不可能=禁じ手と決めつけるのは短絡的である。

また、ミステリにおいて、そのドラマ性を捨象して、
ミステリとして作品を評価するという方法は、愚劣と言わざるを得ない。
人間をどう描くかはミステリにとっても重要な課題である。
そもそも、倒叙型ミステリの本質みたいなものをミス住は理解していない。
それをここで、くどくど言うのは面倒だが、もし理解しようとする意思があるなら、
土屋隆夫「推理小説作法」や貴志の「青の炎」の文庫本の解説を一読(再読か?)することをお勧めする。
379ミステリ板住人 ◆K5MnIloIhA :04/03/26 23:25 ID:Q8yYlLyT
>「5時30分の目撃者」を観た時、コロンポの詰め手として、
>通話記録をネタに使うのではないかという予想もできた。
>それを使わなかったのは、おそらく「二つの顔」で決め手の一つとして、
>一度使っていたからじゃないかな。通話記録を利用するとみせかけて、
>さらに上質の解決方法を考えたという見方も成り立つだろうね。
説得力0の論説である。
ドラマ制作上、前に使った決め手を2度は使えないというのは
不自然かつ制作サイドの御都合主義そのものである。
上質の解決というのが、偶発的な事故を契機としたひっかけネタの事を指すのであれば、
鑑賞能力を疑わざるをえない。
こういった御都合主義の展開も批判されるべきであろう。

>また、ミステリにおいて、そのドラマ性を捨象して、
>ミステリとして作品を評価するという方法は、愚劣と言わざるを得ない。
>人間をどう描くかはミステリにとっても重要な課題である。
上記はひとつの見解に過ぎず、謎解きミステリにおいては登場人物は作者の操り人形で良し
とする見解が有力である。
つまり人間ドラマは希薄かつ平板であっても、まず「謎解き」が面白いことが最優先される。
>土屋隆夫「推理小説作法」や貴志の「青の炎」の文庫本の解説を一読(再読か?)すること>をお勧めする。
いずれも筆者の個人的な見解の域を出ていないものである。
そもそも歴史的に見れば、「歌う白骨」等のソ−ンダイク博士シリーズに始まる倒叙スタイルの
ミステリは、犯行がいかに露呈するかという、言わば変種の「謎解き」の興味を主眼とした
ものであった。
人間ドラマ云々が語られるのは、倒叙スタイルのミステリが犯罪者の心理を描くサスペンス
主体の方向に流れた時期があったからであろう。(F・アイルズ等)
コロンボは、その内容を見る限り、ソーンダイクシリーズの流れを継承し、
これ以上無いような完成形にまで高めた謎解き主体の倒叙スタイルのミステリなのである。
380奥さまは名無しさん:04/03/26 23:50 ID:???
>>人間ドラマは希薄かつ平板であっても、まず「謎解き」が面白いことが最優先される。

倒叙物を好んだ清張を礼賛するミス住がこんなことを言うとは残念。
コロンボシリーズでは、逆トリックに代表される犯人とコロンボの対決の面白みも大きいが、
最高傑作と評されることが多い、「別れのワイン」や「祝砲の挽歌」は、
いずれも犯人の個性を重視した人間ミステリーである。
倒叙型だからこそ、ここまで犯人の個性を描くことができたといえるだろう。
もし、「登場人物は作者の操り人形で良しとする見解」に賛成するなら、
コロンボではなく、金田一少年や名探偵コナンを観ることをお勧めする。