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821名無しでいいとも!@放送中は実況板で
日本半導体の凋落原因を探る(前)


日本の半導体企業の苦境が続いている。エルピーダメモリの会社更生法申請につづき、ルネサス エレクトロニクスは
1万人超の人員削減を発表した。その凋落の原因については、すでに学会やジャーナリストなど各方面から分析が
なされているが、今回は、40年にわたり半導体研究・開発に携わってきた、産業サイドの第一人者とも言える
菊地正典氏の分析と提言を紹介する。

 日本の半導体メーカーに「内在する凋落の原因」として、次のような点を挙げることができるでしょう。

〈1〉コスト戦略──積み上げ原価方式で戦う愚かさ

 我が国の半導体メーカーでは、経営層から管理層さらには担当者に到るまでコスト意識が希薄だったこと。
はっきりいえば、企業体としてのコスト戦略が皆無だったということです。
企業トップは、積み上げ形式でのコスト決定ではなく、「コストを○○円で収めるために、各部署は何をすべきか
考えなさい」という形で指示を出すべきでしたが、実際にはそうではありませんでした。

 このような意味でのコスト戦略の不在は、我が国の大手半導体メーカーが東芝を除いて旧電電ファミリー
(NEC、日立、富士通、沖)と呼ばれる総合電機メーカーの一事業部門としてスタートしたことにも、
原因があると考えます。
 電電公社(現在のNTT)に製品を納入するに当たっては、「積み上げ原価方式」、すなわち実際にかかった費用に
「適切な利潤」を上乗せした値段で売ることができました。
現在、何かと問題になっている東京電力方式といえばわかりやすいでしょう。
 しかし半導体、特にメモリのように差別化ができなくなりメーカーが乱立するような場合は、完全な買手市場で
「価格勝負」になります。たとえば、DRAMを供給できる
メーカーが世界に5社あるとすると、上位2社では利益があがり、残りのメーカーは赤字になるのが実態です。
したがって、メモリメーカーにとっては、上位グループに入るか下位グループに甘んじるかは死活問題であり、
シビアなコスト戦略のなかった日本メーカーは戦いの場から退くしかなかったのです。
822名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2013/04/26(金) 02:41:21.50 ID:izgXFyQk0
2〉遅れをとった技術戦略──取り残された日本の技術者

 第二の問題として、半導体の設計におけるEDAツールの問題があります。
1980年代の後半から1990年代に入ると、半導体の設計はCAD(コンピュータ支援設計)をフルに活用して、
図に示したように、 機能設計 → 論理設計 → 回路設計 → レイアウト設計という階層的なトップダウン設計が
広く利用されるようになりました。特にロジック系、中でもSOCでは必要不可欠な手法になったのです。
これに合わせてケイデンス(Cadence)、シノプシス(Synopsys)、メンター(Mentor)などのEDAベンダーが
存在感を増してきました。

 一方で日本の大手半導体メーカーは自社内で開発した独自のEDAツールを持っていたこともあり、
もっぱら自社のEDAツールを利用して製品開発を行なっていました。むしろ、「自社EDAツールが
会社の強みになる」と考え、社外にはツールを使わせないでクローズドにしておいた方が有利に働く、
と考えていた節さえ見られました。
 しかし、その結果はどうだったでしょうか。餅は餅屋で、EDAベンダーが供給するツールは世界中の多くの設計者に
愛用され、改善を加えられつつ標準化が進むのと同時に、それで設計した利用分野ごとの優れた数多くのIPを
生み出していったのです。
 いっぽう、自社のEDAツールに固執していた日本メーカーはEDA技術の急速な進歩に遅れを取り、またそれで
設計したIPは汎用性を失うだけではなく、外部の優れたIPを簡単には利用できなくなるという、遅れた開発環境に
取り残されていきました。
 これが日本の半導体メーカーが1990年代以降、ロジック系の製品で大きく躍進できなかった一因になっていると
思われます。
823名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2013/04/26(金) 02:44:49.29 ID:izgXFyQk0
〈3〉見誤った製品戦略──トップ層の無理解

 日本の半導体メーカー各社がDRAMを中心としてシェアを急速に拡大した1980年代には、国内のNEC、富士通、
日立、東芝、沖などのコンピュータメーカーや電電公社(現NTT)、あるいは米国のIBM、HP、
などが主なユーザーでした。これら業界大手向けのDRAMでは、そのコストも重要な要素ながら、それ以上に
「性能や信頼性」がまず優先されました。このため、構造が複雑で製造プロセスも長い、いわば重装備のDRAMが
作られ、日本メーカーの十八番となっていたのです。

 ところが、その後のパソコンやその他の電子機器の急速な普及に伴い、ユーザーは大手メーカーから小口ユーザーへ
と変わり、もっと身軽で低コストの軽装備のDRAMに対する要求が急拡大してきました。
 日本のメーカーはこのような市場に対応できなかったのに対し、DRAM専業メーカーだった米国のマイクロン社では、
日本メーカーに比べて工程数が4割少ないプロセスで製品を製造したのです。製造工程が4割少なくなると、
製造費用が約4割減少することに合わせ、同じ数量を生産するための設備投資が約4割少なくなり、
コストで言えば3分の1(0.6×0.6=0.36)にできることを意味します(他の要素もあるのでそこまでの効果が
得られるわけではありませんが)。

こうして1990年代の半ば以降、日本の半導体メーカーはDRAMでの大幅なシェアの減少とマイクロ分野での
シェア獲得の失敗により、凋落傾向は決定的になりつつありました。
 そのとき日本半導体メーカーのトップが揃って打ち出した戦略が、「これからはSOCで行く」というものでした。
 SOCでは一般のロジック回路に加え、CPUなどの機能回路や、SRAMなどの記憶回路、さらに一部では
DRAMやアナログ回路までも混載されています。つまり、SOCの登場の裏には、設計技術と製造技術の進展に伴い、
まとまった機能回路ブロックをIPコアとして利用できる環境が整ってきたことがあります。
824名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2013/04/26(金) 02:47:07.06 ID:izgXFyQk0
 しかし考えて見ると、「SOCで行く」という主張は何かおかしく感じられるでしょう。なぜなら、SOCはあくまで
設計手法や回路構成法に対する呼び名であって、DRAMやマイクロと言ったような具体的な製品に対する
名称ではないからです。したがって、半導体関係者の間には、「SOCの重要性はわかっているけれど、
ところでそのSOCで何を作るの?」という想いを当時、持った人も多かったのではないでしょうか。
 悪く言えば、窮地に陥ったトップの苦し紛れの言葉、あるいは実態をよく知らないトップが側近から進言を受けて
飛び付いたキャッチフレーズに過ぎなかったと言えなくもありません。なぜなら、SOCそのものがロジックと
SRAMなどのメモリ、さらにはDRAMやアナログ回路まで混載させるわけですから、設計と製造のコストは
さらに上がらざるを得ないからです。

ビジネス的視点から言えば、SOCを利用した、比較的高く売れ、ある程度の数量も出る製品を生み出すことが
求められていたのです。

じつは、SOCに関していうと、日本の半導体メーカーは別の問題も抱えていました。
すなわちSOCビジネスが本格化した1990年代から、先に述べたファウンドリ・ビジネスの台頭によって、
「ファブレス+ファウンドリ」という相互補完的な垂直分業による新たな業界スキームが確立されていったことです。
 ファブレスは電子機器の利用分野ごとのスキルとノウハウに基づき、標準のEDAツールをフルに活用して
汎用性があるコアIPを生み出し、それを用いて設計を行ないます。特に携帯電話に代表されるモバイル端末の
爆発的普及に伴って、通信分野のノウハウに秀れ、開発速度の速いファブレス企業の存在感は増していきました。
 こうしてファブレスによって設計されたICチップは、高度な生産システムを有する
ファウンドリメーカーに生産委託され、効率的に市場へ供給されるようになったのです。
 いっぽう日本の半導体メーカーのSOCの場合、外販より自社内や国内向け家電製品用などに開発されるものが
多くを占めていました。たとえば自社の携帯電話に搭載するコアのチップについては、当然、社内装置部門との
緊密な連携のもとに行なわれるわけですが、その内容は装置事業部のノウハウに当たりますから外部には
ノウハウが提供されません。
825名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2013/04/26(金) 02:47:41.15 ID:izgXFyQk0
したがってそのように開発されたコアのチップは、生まれ落ちた時点から特殊なものに止まり、
汎用=業界標準にはなりえないものでした。また国内向けの家電を初めとする電子機器向けのSOCは
国内市場の伸びの低下もあって数量にも
限界がありました。
 ロジックLSI(最近はSOCに含める)の機能分類を図に示しますが、日本の半導体メーカーは国内市場向けの
カスタム品(ASIC)では今でも善戦しています。しかし大量に販売できる標準品の分野、特にASSPとFPGAの
分野でファブレス・メーカーに大きな遅れを取ったうえ、ファウンドリの有するSOCに特化した高効率の
生産システムという点でも最適化されていません。


拡大画像表示
ロジックLSIの分類:洋服に例えれば、標準品は「吊り」、セミカスタムは「オーダー品」、フルカスタムは生地からの
「仕立て品」に類似している

 また一時期、日本半導体メーカーのトップ層は、「微細化に代表される先端技術を採用したSOCでは、
設計と製造のよりきめ細かなすり合せ作業が必要になる。このためファブレス・ファウンドリという分業体制には
限界があり、IDMだけがその『解』になるのだ」
と、まことしやかな主張を喧伝していたことがあります。

 しかし歴史は逆に動きました。そして、あろうことか、日本の大手IDMの中には先端製品を作るための製造ラインの
資金捻出ができず、ファウンドリに委託する企業まで出てきたのです。


http://diamond.jp/articles/-/24446
826名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2013/04/26(金) 02:55:40.37 ID:izgXFyQk0
日本半導体の凋落原因を探る(後)




〈4〉 半導体部門の悲哀
──総合電機メーカーにとっては「新興・一事業部門・異端児」
 半導体業界では過去40年近くに渡り「シリコンサイクル」と呼ばれる、ほぼ4年ごとの好不況の周期的な
景気変動を経験してきました。いっぽう市場そのものとしては中長期的に見れば高い成長率を維持していますので、
半導体企業にとっては「投資のタイミング」が死活問題になりかねないほど重要になります。すなわち、
「不況時に設備投資を断行し、生産能力を上げておき、景気の上昇に合わせて一挙に生産数を上げる」ことで
高い市場シェアを握ることができる産業構造なのです。
 しかし、日本の大手半導体メーカーは日立にしろ、NEC、富士通にせよ、「総合電機メーカーの1つの事業部門」に
過ぎないため、アグレッシブな投資戦略が取れませんでした。全社の中で半導体事業は、重電、通信、コンピュータ、
あるいは原子力といった、それまで会社の屋台骨を支えてきた既成事業部門に対し
「新興勢力的な立場」に置かれていました。
 また半導体はエンド・ユーザーに直接わたる最終製品ではなく、あくまでも電子機器の部品に過ぎないという
意識も強かったと思われます。そのため半導体事業部門と社内ユーザーでもある他事業部門の間には、
新製品開発や汎用品の供給に関して、実務的あるいは心理的な対立や葛藤が起きることも、
じつは稀ではなかったのです。 他部門から見れば、半導体は好況時には非常に売れる反面、不況時の落ち込みも
また大きく、いわば金食い虫の「異端児」と受け取られていたとも言えます。このような状況下では、
不況時にあえて何百億円以上という大型投資をするだけの勇気をもつ経営トップは皆無だったのです。
 その点、海外の半導体専業メーカーの場合、会社トップは半導体ビジネスの特徴を当然、よく理解し、
大胆かつ適切な手を打てたのです。
827名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2013/04/26(金) 03:00:25.83 ID:izgXFyQk0
〈5〉 合併の失敗──強みをもたない弱者連合

 半導体メーカーの凋落に歯止めがかからない状況に対し、経済産業省の指導もあって半導体業界の再編が
何度か図られてきました(図参照)。たとえば、1999年にはNECと日立製作所のメモリ部門が統合されて
DRAM専業メーカー「NEC日立メモリ」が設立(後に「エルピーダメモリ」に改称)され、さらに2003年には
三菱電機のDRAM事業も譲り受けました。

 2003年には日立製作所と三菱電機のマイコンとシステムLSI部門が統合され「ルネサステクノロジー」が
設立されました。そして2010年には、このルネサステクノロジーとNECエレクトロニクスとが合併し、
「ルネサスエレクトロニクス」が誕生しました。

 新しく生まれた半導体専業メーカー2社は、形の上では資金を市場から独自に調達し経営に当たれる
ということになっていましたが、実際には元の親会社が大株主だったこともあり、分社化した後もいろいろな局面で
支配力を行使され、新会社の裁量権に制限が加えられました。
 しかし、それ以上に質・量の両面で大きな問題があったのです。量的問題としては、合併した2社ともに
特定の事業分野で世界的に圧倒的シェアを獲得できるような規模のものではなかったことです。
言葉は悪いですが、いわば「弱者連合」だったことです。

 半導体業界ではトップシェアを握ることは有形無形のメリットが生じます。たとえば市場情報を初めとする
さまざまな関係情報をいち早く入手できること、新規に開発された製造装置を他社に先駆けて入手(テスト)
できること等々です。また市場からも多くの資金が集められ、財務的にも健全な経営が可能になるでしょう。
しかし2社、特にエルピーダメモリはそれらのメリットを享受することはできませんでした。
828名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2013/04/26(金) 03:04:40.27 ID:izgXFyQk0
質的な問題としては、2つの合併とも、異なる製品分野でのシナジー効果を発揮できなかったことです。
たとえばエルピーダメモリは基本的にDRAMの単品メーカーでした。しかし携帯電話などのモバイル機器や
デジカメなどの普及に伴い、電源を切れば記憶を失ってしまう「揮発性メモリ」としてのDRAMに対し、
電源を切っても記憶し続ける「不揮発性メモリ」であるフラッシュッメモリの重要度が増していましたが、
もともとフラッシュメモリでNECと日立は後れをとっていたこともあり、エルピーダメモリが手掛けることはありませんでした。
韓国のサムスン、あるいは米国のマイクロンのように、主力製品としてDRAMとフラッシュの両方を持ち、
その時々の市場の変動に合わせて両者のバランスを取るという戦略がとれなかったのです。

 いっぽうのルネサスエレクトロニクスにしても、合併のシナジー効果による製品
ポートフォリオを含めた質的な事業転換が成功したとは思えません。
829名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2013/04/26(金) 03:05:50.12 ID:izgXFyQk0
番外編
── 「ノウハウは装置業界から流出した……」は本当か?

 なお、「凋落」の原因というより、A級戦犯扱いをされているものとして、「装置メーカー真犯人説」があります。
これは、「半導体メーカーの技術ノウハウが「製造装置に体化」され、その製造装置を通して海外、
特に韓国や台湾のメーカーに流出した」という指摘ですが、半導体産業への理解という面で本書のテーマにも
絡みますので、少しだけ触れておきたいと思います。

 この議論は、「製造装置を揃えれば誰でも半導体を作れるか?」という問いの形で提示されることもあります。
我が国の大手半導体メーカーは系列会社を持っていたこともあり、製造装置メーカーと二人三脚の形で
装置開発を行なっていました。その過程で半導体技術そのものがさまざまな形で製造装置に反映されたことは
間違いありません。

 ところで「ノウハウが流失した」と主張する人達はおおむね次のような理由を挙げています。
すなわち、「半導体の製造では多くの工程間(あるいは多くの部門間)のきめ細かな技術のすり合せが必須であり、
これは日本企業が最も得意とするところであった。これによって日の丸半導体は世界に大躍進を果たしたが、
やがてこれが製造装置に蓄積され、埋め込まれることになった。そして装置の輸出とともに、
いわばパッケージ技術として、半導体製造のノウハウが海外に流失した」という主張です。
一見、筋の通った議論に見えるかもしれません。
830名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2013/04/26(金) 03:06:23.80 ID:izgXFyQk0
 しかし、実態は違います。半導体メーカーは、具体的な製品とその製造工程に合わせて必要な
デバイス・パラメータを実現するため、さまざまな実験に基づいて最適な条件設定を行ない、
そのレシピを製品処理に適用しているのです。多数のレシピと、複雑で微妙な組合せが所望の
デバイス・パラメータを実現するために必要になります。
このため、装置をどう使うかは半導体メーカーが選択し設定することであって、
装置メーカーが行なうことではないのです。

 以上の説明からも明らかなように、製造装置を揃えるだけで、半導体を作ることはできません。
半導体の開発から製造に到る全体の流れの中で、各工程の位置を理解・把握し、その上で各製造工程において
製品に求められる装置機能を引き出さなければならないのです。

 したがって、「製造装置を通して日本の半導体技術が流失した」と言う主張には「根拠がまったくない」とは
言えませんが、「デバイス技術の流出があって、初めて装置技術のノウハウが生かされた」と考えるべきだし、
能力ある技術者を冷遇あるいは追い出してきた(韓国や中国に働きの場を求めさせた)
経営の責任だと考えたほうがよいのかもしれません。

http://diamond.jp/articles/-/24448