実際1965年から1966年の間、プウエン省のタオ村で、韓国軍はほとんど大部分が婦人の村人
42人を狩り立て、やがて小火器を浴びせ全員を殺害した。
1966年1月11日から19日の間、ジェファーソン作戦の展開されたビンディン省では、韓国軍は
300人以上の住民を捕まえ、拷問を加え、更にまた400人以上のベトナム人を殺した。
1965年12月から1966年1月の間に、韓国軍は、ビンディン省のプレアン村では数百戸の家々を
炎上させ、一方キンタイ村を完全に掃討した。同じ省の九つの村々で韓国軍は、民間人に対して
化学兵器を使用したのである。
1966年1月1日から同月4日までの間に、ブン・トアフラおよびヨビン・ホアフラ地方で韓国軍は、
住民たちの所有物を残らず略奪したうえ、住民の家やカオダイ教の聖堂を焼き、さらに数千頭の
家畜を殺した。彼らは、また仏教寺院から数トンもの貨幣をくすね、それから人民を殺した。
「ある村が、わが軍の支配下に陥ると、その次の仕事はベトコンから村人たちを分け離すことだ」
こう言ってのけたという韓国軍将校の話しが引用された。ナムフュン郡で、韓国軍は4人の老人と
3人の妊婦を、防空壕の中へ押し込め、ナパームとガスで殺した。
アンヤン省の三つの村では110人を、またポカン村では32人以上を、こうしたやり方で殺した。
1966年2月26日、韓国軍部隊は、137人の婦人、それに40人の老人と76人の子供も一緒に、
防空壕の中へ押し込めて化学薬で殺したり、全員を盲にさせたりした。
1966年3月26日から28日にかけて、ビンディン省で韓国軍は、数千におよぶ農家と古寺院を炎上
させ、若い女性や年老いた女性を集団強姦した。
8月までに、勇猛な朝鮮人たちは、ビンディン省における焦土作戦を完了した。ブガツ省では
3万5千人の人たちが死の谷に狩り立てられ、拷問を完膚なきまで加えられ、全員が殺された。
10月には、メコン河流域では、裸で両手ないしは両足の19人の遺体が川から引揚げられた。
いずれも陵辱された少女たちの遺骸であった。
この事件に先立って、昼日中に結婚の行列を襲い、花嫁を含め7人の女性を強姦した、との報道も。
かれらは、結婚式に呼ばれた客の宝石を残らず奪ったうえ、3人の女性を川の中へ投げ込んだ。
放火、銃剣による突き殺し、拷問、強姦、強奪こんな記事は、ほとんど毎日のように続いている。