ライムグリーンという糞コテを治療するスレ

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63忍法帖他導入議論中@自治スレ
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ニュース [ニュース議論] “【表現規制】表現の自由は誰のモノ【大谷昭宏161】”

696 名前:ライムグリーン ◆y.1JhR.0Dc [sage] 投稿日:2012/01/11(水) 21:03:35.52 ID:XMGchp0D ?2BP(1700)
アクション、行動だな。
他人に行動を強要して動員するというのは、カルトの手口だから注意。
カルトの中でも政治カルトがよく使う手法。
こういう問題がある!おまえはそれを知った!知ったからには行動してもらう!という論法。
知る、考えるという行為は純粋でなければならないんだ。
知る、考えるという行為に、行動やその他の強要がついて回るのでは、純粋に考えることができないから。
純粋でない思考、純粋でない知は、間違った結論を招く。
つまりは間違った行動をする可能性が非常に高い。
○○アクション!とか行動!とか共感!とか言うやつに、特に注意するべし。

697 名前:ライムグリーン ◆y.1JhR.0Dc [sage] 投稿日:2012/01/11(水) 21:09:28.39 ID:XMGchp0D ?2BP(1700)
これは根深い問題だから少し解説が必要か。
フランス国旗はフランス革命の精神を表し、それは自由、平等、博愛である、と昔は言われていた。
しかしその博愛の訳はおかしいと指摘され、最近は友愛と言い換えるようになった。
友愛でもおかしいことに変わりない。
フランス革命の担い手が、博愛精神の持ち主であれ、友愛精神の持ち主であれ、王様をギロチンに架けるのはおかしいから。
ギロチンのことを友愛とも博愛とも言いはしない。
あれはやはり団結と訳すのが正しい。
自由と平等を実現するために団結して戦うぞ!というスローガンなんだ。
64忍法帖他導入議論中@自治スレ:2012/02/20(月) 06:32:12.31 ID:qYrz7xCm0

698 名前:ライムグリーン ◆y.1JhR.0Dc [sage] 投稿日:2012/01/11(水) 21:19:37.92 ID:XMGchp0D ?2BP(1700)
ここから少し難しい問題になる。
自由と平等と団結は、それぞれ両立しない目標なんだ。
世の中を自由に任せると、格差が生じて平等性が失われるし、
平等を押しつけようとすると、旧ソ連や北朝鮮みたいな自由のない国になってしまう。
そして市民が団結して戦うためには、自由や平等や、場合によってはその命すら犠牲にしなければならなくなる。
そうだろ。
個々人が勝手に戦うぞ!と言っても効果はないし、団結しようとすれば、集団の命令に従わなければならず、個人の自由や平等性は犠牲にしなければならなくなる。
おれが勝手に言ってる話じゃないよ。
レーニンや毛沢東の言ってることだ。
人間は平等なのに、なぜレーニンや毛沢東は指導者となるのか。
それを説明できなければ、彼らはその権力を維持できなかったんだから。
レーニンの説明は、まだ世界に不平等が残っているから、という物。
世界に不平等が残っている限り、民衆は戦い続けねばならず、そのため闘争の指導者が必要である、と言うのが彼の説明。
しかしこれは少し問題のある考え方。
この考えでは民衆は二重の不平等と不自由に苦しむことになる。
まず現実の世界が不自由で不平等であることに苦しみ、
その現実の社会を改革するために、不自由と不平等に耐えて戦わなければならないことになる。
いくら何でも個人の負担が大きすぎる。
もっと普通に個人のできる範囲の負担で、社会を変えることができないものかね。

 注:この段落は呉智英の著作による所が大きい

65忍法帖他導入議論中@自治スレ:2012/02/20(月) 06:33:14.54 ID:qYrz7xCm0

701 名前:ライムグリーン ◆y.1JhR.0Dc [sage] 投稿日:2012/01/11(水) 21:37:38.51 ID:XMGchp0D ?2BP(1700)
つまり逆なんだ。
フランス革命は、現代人に自由や平等や団結のすばらしさを教えてくれる物じゃない。
逆に現代人に、どの程度の不自由や不平等に耐え、どの程度の裏切り者を許すことができるのか、
許すべきなのか、という困難な問題を投げかけているんだ。
不自由や不平等に耐えられるのであれば、無理して戦う必要がないし、
どうしても戦おうというのなら、どの程度の裏切り、離反、怠惰を許せるのか示すべきだ。
この問題もおれが勝手に言ってるわけじゃない。
頭のいい人は昔から気づいていたけど、表に出して言わなかっただけで。
その証拠に、昔は素直に団結と言っていたんだ。
昔の左翼さんはストレートに、労働者も民衆も団結して、権力者や資本家と戦うべきといっていた。
しかしいつ頃からか、素直に団結という言葉を使えなくなった。
そして連帯とか共感とか行動とか言い換えて、その場をゴマカシながら今日まで来てしまった。
ボケ老人→痴呆症→認知症なみに短期間で次々言い換えながら、問題そのものは解決できないまま今日まで来てしまったわけだ。
フランスでもfraternitéって最近あんま言わないらしい。
アルジェリア独立戦争の時、アルジェリアの独立はフランスのfraternitéに反する!とフランスの右翼がさんざん言ってたから。
最近はsolidaritéって言うらしい。
民主主義の大先輩も言葉の言い換えで誤魔化してるわけだな。
誤魔化さず、どれくらいの不自由、不平等に耐え、どれくらいの裏切り者を許せるかという問題に向き合うべきだろ。
自由と平等と団結の、相反する三角形の中のどこかに、バランス点があるはずなんだから。
そのバランス点は国々によって違うだろうけど、現在の中国や北朝鮮みたいに明らかに三角形の外にバランス点を置く国はおかしいと言うだけなんだから。