オールロング基地害「駿府人」正体は愛知県民Part5
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最低人類0号:2009/05/06(水) 00:35:52 ID:tT7ZIxx3O
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最低人類0号:2009/05/06(水) 00:37:24 ID:tT7ZIxx3O
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最低人類0号:2009/05/06(水) 01:34:50 ID:NAZyCnEVO
山地の西側に生まれて
〜沼津市在住 Aさん(29歳)
私は高校生のころから東京が好きで、月1回は遊びに出掛けていました。
当時は沼津駅から東京駅への直通電車が毎時1本運行されており、片道2時間強の道程も
あまり苦になりませんでした。
そんな東京好きの私は、高校卒業後、東京の大学に進学し、下宿。
学生生活を満喫した後は、そのまま都内の会社に就職し、そこで横浜生まれ、東京育ちのB子さんと知り合いました。
彼女は実に家庭的な女性で、交際を重ねるにつれ、次第将来のことを意識するようになっていきました。
ある日、彼女の実家に挨拶がてら遊びに行くと、早々、彼女の母に「貴方、出身はどこ?」と聞かれたので、
笑顔で「沼津市です」と答えたところ、苦い顔で「沼津市ですか、箱根の西側の…、あちら側の…」と言われ、
私は嫌な予感を感じながらも「そうです。よくご存知で。でも沼津から東京って意外と近いのですよ」と
返しましたが、反応はあまり私に対して好意的なものではありませんでした。
その後、彼女の距離はどこか遠くなり、1か月後、別れ話を持ち出されました。
私はそれが原因で3か月ほど落ち込み、ようやく前向きになろうとしたその時、B子が熱海在住の男と婚約
したと職場の同僚から聞き、
そのとき、言葉では言い表せないような、劣等感が私の中を駆け巡りました。
私は再び落ち込み、有給休暇を取って、実家のある沼津へ帰省することにしました。
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最低人類0号:2009/05/06(水) 01:36:39 ID:NAZyCnEVO
帰省には毎回車を使っていましたが、電車で帰ってみたくなり、品川駅の構内に入ると、
以前は毎時あったはずの「沼津行」が消えてなくなっていたのです。
仕方なく「熱海行アクティー」に乗り、終点の熱海で乗り換えようとすると、
「熱海駅を越えて三島・沼津方面へは乗り越せません」とのポスターが目に入り、読んでみると、
「熱海・伊東は関東であり、沼津とは別格」と言わんばかりの内容で、さらなる劣等感に襲われました。
歯を食い縛りながら飛び乗った3両編成ロングシート沼津行。
列車が長い長い丹那トンネルを抜けて函南に停車した瞬間、私の目からは大粒の涙が流れ出し、
思わず「オレ、せめて熱海に生まれたかったよ、お母さん」と叫んでしまいました。山地の壁を自覚せずにはいられなかったのです。
その日から、私は「東海人」として生きていくことを誓い、職場を変え、現在実家から静岡市の零細会社に勤務しています。
当初は関東への未練もありましたが、今では、これでよかった、これが沼津に生まれた自分の最良の生き方だと
思えるようになり、充実した日々を送っています。