>>407 阿呆は、依然「文学一般」と「純文学」を混同してる模様ですね。
大体パズル小説であったとしても、人間たちを動かして話を進める以上、
読者に配慮して、一定のリアリティを持った登場人物の心理や行動を
描かないわけにはいかないでしょう。
ただクイーン(及びヴァン・ダイン)は人物の心理や行動を通して、
「人間とはいかにあるべきか」という哲学的命題に挑んだり
美や詩情を描こうとしたりしたわけではないし、そこまでの必要性を認めなかっただけ。
どうせ「大乱歩」が甲賀・木々論争について書いた所見も 未 読 なんでしょうな。
>(自身はミステリの範疇と考えていたようだ)
これも相変わらず、典拠を出せという声を無視して憶測を垂れ流してるだけ。
戦前の「探偵小説」、戦後すぐの「探偵小説」続く「推理小説(当初は人によって定義が違っていたようだが)」、
そして「ミステリ」を明確に区分けしない詭弁。
付け加えるなら、作者が意図しなかったから結果的に人間が書かれていないというものでもないですしね。
笠井潔の論に触れていれば、『Y〜』や『僧正〜』の犯人像を哲学的な捉え方で見てることは
確認できてしかるべき。それを踏まえた上で否定するならともかく・・・やっぱり 未 読 ですか。
それと親方、例えば萩原朔太郎の幻想的な散文詩に人間ドラマは描かれてないと思うけど、
あれは文学には入らないのね?
さらに言えば、乱歩自身の幻想小説は文学として、どの作品のどの部分をもって「人間や人間ドラマを描いた」というのか?
これは両方のスレにまたがった話題だから、今までみたいに各スレへコビベ→反論するってわけにはいかんぜ。
単純に、適当な分割してコビベしたら、また笑い者にしてやるからな!