【日本ハムスレ】レオネット【自称玄人】

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466最低人類0号
差別問題とアイデンティティ

アイヌ差別の端緒は古代までさかのぼることもでき、また中世の蝕穢思想に基づく「辺境」観念との関わりも指摘されているが、ここでは江戸時代以降の話に限定する。
また、アイヌ差別を正確に把握するには、当時の日本の状況も把握しておく必要がある。

江戸時代の日本社会においては「独自の文字がない=読み書きができない」ということは能力の欠如を意味していた。また、アイヌの中には「実力行使の前に徹底的に話し合う」という風習を持つところも少なくなかった。
この、極力無用な戦いを避けようとする高貴な姿勢は、戦争や士農工商等の身分制度を当然視していた戦国時代・江戸時代の武士には十分に尊重されず、
また、されるはずもなく、逆にアイヌ民族への不当な抑圧を自らみすみす招いてしまっただけとも考えられている。
そして、他の地域における農民一揆と同様に、この封建社会的抑圧に対する怒りとして数度にわたるアイヌの大規模な軍事行動が発生したとされている。

さらに、明治維新以降、開国と文明化の恩恵を受けていた明治時代の日本人にとっては、古くからの因習と風俗を守り続けているアイヌは、
他のアジア人同様、「未開」な「弱者」に相当する存在だった。もともと北海道進出の歴史が対ロシアとの緊張(ゴローニン事件など)で加速されていたこともあり、
「北海道をロシアにとられないため」という防御的な理由と「未開地は(欧米と同じように)支配して文明開化すべきだ」という文明的な理由とが存在していた点も決して忘れてはならない。

こうした背景もあり、明治政府は、1457年のコシャマインの戦い以来日本の統治下にあるアイヌを正式に平民として日本人(大日本帝国臣民)に組み入れることにより、北海道という土地を明確に自国領として取り扱った。
また、明治人(特に知識人)の間では、アイヌを「教化しなければならない未開人」または「助けなければならない弱者」と考える向きが強まり、同化政策と保護運動が同時併行して行われた。