>>616 >『クリスチャンがクリスチャンである以前に、人間として必要だと思われること』
その「人間としての必要性」についてもまた、これを書いた人が勝手に定めた定義です。
それに対する答えは以下の引用です。
「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。
平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。
人をその父に、
娘を母に、
嫁をしゅうとめに。
こうして、自分の家族の者が敵となる。
わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。
わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。
また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。」
新約聖書マタイ伝10章34節 ルカ伝12章、14章
それと、貴方には理解して頂きたい。私は貴方に敬意を表して略語を用いない返答をしたのです。
決して、
>>523ではありません。このことは、私がこれからスムーズに返答すべき相手に対し、
返答できるようになるための重要なポイントです。是非とも忘れないで頂きたい。
>>652 1.は違います。伝道しなければ本来のクリスチャンではありません。
2.信仰なくせば、聖書の知識も解説も単なる学問です。
3.寛容であるべきかは判断しかねますが、一番近い答えだと思います。
4.は、貴方が考えれば分かることだと思います。