『「よう、見とれ。これからもの凄い惨劇が始まるんやさかい」
梅川昭美は1948年3月1日、広島県大竹市で生まれた。
時は流れ30年後、1979年(昭和54年)1月26日午後2時半ごろ、梅川昭美は猟銃1丁、
散弾実包33発を携え、大阪市住吉区万代東1丁目15番地の播磨町交差点西南角にある
三菱銀行(現・東京三菱銀行)北畠(きたばたけ)支店の駐車場前に乗りつけ、
銀行北通用口から同店1階に押し入った。
その後42時間の惨劇が銀行内で繰り広げられ、事件は梅川の射殺という形で幕を閉じた。
しかしながら事件は、これで終わりではなかった。
24年後の2003年元日、再び梅川はこの世に姿を現したのだ。ある男への憑依という形をとって。
しかも梅川の起こした惨劇の舞台・三菱銀行北畠支店も、最悪の総合相談所としてこの世に蘇ったのだ。
梅川は常に、猟銃と射殺した奪い取った拳銃を携え、人質に囲まれて、犯行現場奥の支店長席に腰掛けている。
大変危険な状況だ。
しかも相談者は「人質」と呼ばれ、梅川に猟銃で射殺された者は二度と当相談所を訪れることができない。』