奈良をマターリ語るスッドレ part13

このエントリーをはてなブックマークに追加
127列島縦断名無しさん
たとえば、すごくつらい目にあって、毎日死にたい、そればかり考えている人間がいる
生と死の紙一重のところにいる人間
せかせかしている都会では、泣ける場所がないんだよね
だけど、奈良はゆったりしていることと、座敷にのんびり座れるところが多い
喩えば元興寺や浄瑠璃寺
二時間でも、三時間でも、仏像と対峙して、ただ涙を流していられる。ただただ涙を流して何時間も泣く
それが受け入れられるお寺や空間が奈良にはある
誰にもいえない、当事者に話しても、真摯な対応は得られない、追い詰められて、もう、死ぬしかないって状況。ましてや、病気等でどうせ長い先なんてのぞめない状況で、とにかく絶望しかない時に奈良はいい
128列島縦断名無しさん:2007/06/07(木) 22:11:44 ID:0aUvdjxPO
天理教教会本部も座敷に上がれる神殿
何時間でも、ただ泣いていられる
129列島縦断名無しさん:2007/06/07(木) 22:13:56 ID:0aUvdjxPO
ただただ泣く
ただただ何時間も涙をながす
それも一つの癒しです
奈良には、それができる空間が多い
130列島縦断名無しさん:2007/06/07(木) 22:29:27 ID:0aUvdjxPO
世界中の人間から拒否され、世界中の人間が自分の死を望んでいたとしても、神仏は自分が生きることを赦してくれている
そう思わせてくれるのが、奈良の寺社仏閣