505 :
列島縦断名無しさん:
1868年、薩長軍は平和を望む奥羽列藩同盟側の話し合いを拒み、
罪の無い会津人を皆殺しにするべく東北侵略を引き起こしました。
平和を望む東北同盟軍が衝突を避けて後退を続けた為、薩長軍は
たちまち東北全土を占領し東北民衆を虐殺しました。
薩長はその後、明治政府の実権を握り、政府主導の財貨投入によって
東京は繁栄を極めました。東京出身者は東京出身というだけで
雇用面・文化面で恩恵に与ることができるようになったのです。
東京出身というだけで、人格的に問題があろうが無能者だろうが、
努力しなくても一定の生活水準を手に入れられるようになったのです。
それにくらべ、東北の人達は朝敵として徹底して差別的に取り扱われ
ました。東北の整備に使うべき予算は懲罰的に朝鮮整備にまわされました。
特に第二次大戦後の高度成長期には、首都圏のための安価な使い捨て
労働力の供給地として政策的に利用されもしました。
また、政府と東京出身者は東北の人たちをさげすむキャンペーンを共同で
繰り広げました。「貧乏で後進的な東北の田舎者」と臆面なく見下す風潮は
東京出身者の文化として根付き、100年以上を経た現在でも東北の人たち
の苦しみは続いています。