東海道を旅する

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このスレ、ぜんぜん伸びないですね。一年間でたった20しかレスつかないなんて。
でもdat落ちしないのがすごいところ。
ところで、134のカキコからほぼ一年。ついに東海道歩き終わりました!!
ひゃほー!!
記録はだいたい↓な感じです(8日目までは134に一部加筆)


【第1次遠征=夏休みの代休?で晩秋の古道を歩く】
1日目(2003/11/22土)京都→大津→草津→栗東(草津−石部間)
新幹線のぞみ号で京都へ。
10時半出発にもかかわらず、調子に乗って飛ばし35キロ踏破。後で後悔する羽目に。
(国道1号線沿いのビジネスホテル泊)

2日目(11/23日)栗東→石部→水口→土山→坂下→関
足が痛くなり始め、ペース上がらず。
しかし、土山にも坂下にも宿はなく、関まで40キロ歩かざるを得ない羽目に。
(関ロッジ泊)

3日目(11/24月)関→亀山→庄野→石薬師→四日市
足がすごく痛む。特に朝は、1キロ40分もかかった。足を引きずりながらの30キロ。
(四日市のビジネスホテル泊)

4日目(11/25火)四日市→桑名→長島→佐屋→津島(佐屋−神守間)
雨がザーザー降る中、足を引きずりながらの30キロ。七里の渡しは佐屋街道へ。
(名鉄で移動し,犬山の兄の家泊)
158134:04/11/10 23:32:47 ID:7mskdYuu
5日目(11/26水)津島→神守→万場→岩塚→宮→鳴海
佐屋街道は、一里塚あり格子戸の宿場風景あり、田園風景から市街地へとの変化ありと、面白かった。
(鳴海の旅館泊)

6日目(11/27木)鳴海→池鯉鮒→岡崎→藤川
市街地のど真ん中に旧街道の風景が残る有松が印象的。
(名鉄で移動し,岡崎のビジネスホテル泊)

7日目(11/28金)藤川→赤坂→御油→吉田→二川→白須賀→新居
御油の松並木はさすが。二川は何もないところでありながら、本陣がきちんと保存されていた。
白須賀には宿が無く、せっかくの潮見坂も真っ暗で不安な気持ちで下っていく。
(新居のユースホステル泊=長い山道を歩かされる。お奨めしない)

8日目(11/29土)新居→舞坂→浜松→磐田(浜松−見附間)
黙々と一直線の道を歩く。しめはひつまぶしで
(浜松から新幹線こだま号で帰京)
159134:04/11/10 23:33:22 ID:7mskdYuu
【第2次遠征=夏休み,灼熱の酷道を歩く】
9日目(2004/8/2月)磐田→見附→袋井→掛川→島田
新幹線こだま号+東海道本線で磐田へ。
炎天下の中40キロ
大井川は広大な河原に一瞬歩いて渡ろうかと。
しかし長い橋を1キロも進むと,足下に大濁流が現れ,無謀なことをしなくてよかったと。
(島田のビジネスホテル泊)

10日目(8/3火)島田→藤枝→岡部→静岡→清水
炎天下の中40キロ
宇津ノ谷峠で,小学生集団&日テレ取材陣にすれ違う。
特集番組の撮影とのことで,あいさつを交わしている間もカメラは回りつづける。
ひょっとしたらテレビに出ているかもとテレビ欄をチェックするが,結局確認できず。
(清水のビジネスホテル泊)

11日目(8/4水)清水→興津→由比→吉原→原
炎天下の中40キロ。夜は雨
旅館(原駅前にも旅館がありましたが,そこではありません。)に宿泊拒否され,
雨の中寺の軒先で野宿することに。
暑い,臭い(体が),痒い(体が),
うるさい(貨物列車&蚊),冷たい(雨飛沫が)で一睡もできず。
(駅近くの寺の軒先泊)

12日目(8/5木)原→沼津→三島→箱根→入生田(箱根−小田原間)
土砂降りの中40キロ。
奥湯元。日帰り入浴大歓迎延々山道を20分近くも歩かされた末に現れた料金表示は1,600円。引き返す気力はもはやなし。
しめはおんせんで
(箱根登山鉄道+東海道本線で帰京)
160134:04/11/10 23:34:14 ID:7mskdYuu
【第3次遠征=行楽シーズンの渋滞,排気ガスと戦う】
13日目(11/3水)入生田→小田原→大磯→平塚→藤沢→戸塚
東海道本線+箱根登山鉄道で入生田へ。
排気ガスの中の45キロ。
三条大橋を出発するに当たり,東海道を歩くに当たって,日ごろはいている安い靴(1,980円の靴)で出発したのだが,
この頃になると靴底が磨り減ってアスファルトの衝撃がもろに伝わってくるようになった。
新しい靴を買おうとも一瞬思ったが,なぜか愛着が沸き,日本橋まで一緒に頑張ることに。
履物はどんどんボロくなっていっているはずなのに,
体が慣れていくせいか,歩く速度は徐々に早くなる。
京都を出発した頃は30キロ12時間(休憩込み。平均時速2.5キロ)かかっていたのが,
この頃は45キロ9時間半で踏破(休憩込み。平均時速5キロ近く)まで向上。
しめはおいしいビールで
(東海道本線で帰京)
161134:04/11/10 23:35:29 ID:7mskdYuu
【第4次遠征=夢から現実へ】
14日目(11/6木)戸塚→保土ヶ谷→神奈川→川崎→品川→日本橋→六本木→渋谷→三軒茶屋→都立大学→自宅
人ごみの中の55キロ。
午後4時,銀座の歩行者天国の人ごみを掻き分け,最後の日本橋を目指す。
午後4時28分,日本橋着。バンザーイ!!
とは言ってもまだ時間が早いので,折角だから約15キロ,日本橋から家まで歩いて帰ることに。
162134:04/11/10 23:42:24 ID:7mskdYuu
・・・てな感じでした。
そして、自分の場合、最大の難所は箱根でも天竜川でもなく、日本橋でした。

歩き終わってバンザイの写真を撮ってもらおうと、
通行人にシャッターを押してくださいとお願いしたら、
みんな私を避けるのです。

「何この人気持ち悪い!!
ちょっと!話し掛けてこないでよ!!
あっち行ってよ!もう!!」
とは言われなかったけど、いかにもそんな感じの表情でした。
それこそ10分100人には声を掛けたんですが、
誰一人としてシャッターを押してくれる人はいませんでした。

101人目ぐらいにやっとシャッターを押してくれる人が現れたんですが、
そのときには、既にバッテリーが上がっていました・・・

これまで道中で親切にされてきた分、余計ショックというか寂しさが身にしみました。
163134:04/11/10 23:54:44 ID:7mskdYuu
しかし、また改めて、旅先での出会い、
触れ合いがなつかしくも思い返されたものです。
東海道沿道の皆様、本当にありがとうございました。
おかげさまで無事日本橋、そして家まで着きました!
そしてこの恩はきっと返したい(&別の旅人に恩を向けたい)と思います。

それから、
写真を拒んだ日本橋のセレブなご婦人方、三越や高島屋もいいですが、
少しは日本橋そのものにも目をむけませう。