>>234-235 <b>鉄ヲタが嫌われる理由・・・周囲からの信頼が薄い</b>
小山内美江子氏が脚本を手がけたドラマ「3年B組 金八先生」シリーズに登場する坂本金八先生の名言の一つに「人という字は“人(あなた)と人(わたし)”でできている」という謳い文句がある。
しかし、3200年前に作られた甲骨文字によると人という字は人が1人で立っている姿を横から形にして描いたものという説が有力で、歴史上の観点では金八先生の名言が否定されることとなってしまう。
しかし、生物学的に人間自身の研究は未だ発展途上であるとされ、人間という種類は極めて集団性を好むという見解がある一方で、個人の意見や存在を尊重するといった点も見受けられる。
人という漢字の成り立ちがどうであれ、人間は1人で生きていくことは不可能だ。新社会に出ると言うと、社会人として自立し親元を離れる。
もしくは、会社に就職し自立心を持つと捉えられがちかもしれないが、広義ではその状況に行き着く前の学生生活でも自宅玄関の扉を一歩でも出ればそこは立派な社会ということになる。
学校へ行けば先生と生徒という上下関係をはじめ、クラスメイトや同学年の仲間といった左右の繋がりは自然と生まれてくる。そこで、多くの人間は絆という無形の繋がりを意識し、互いに信頼しあっていくのである。
金八先生の名言はあながち間違っていないのかもしれない。
新入生として学校に入学した当初は殆どが見知らぬ他人である。すなわち、大げさに言い換えれば学生生活のスタートラインは皆して平等であるということに値するのかもしれない。
通常は、その段階から左右の繋がりを意識し始め友達と呼ばれる関係を築きはじめる。そのきっかけは大概がで、教室内に振り分けられた席や出席番号が隣同士であること。学区・出身地が同じであることなどだ。
時間が経つにつれてその場の空気に馴染んでくると同じ趣味や嗜好が共通していることなどが理由となって友達と呼ばれる対人関係が築かれていく。これを心理学では『類似性による親近効果』と呼ぶ。
人間は自分と共通点のある相手に親近感を得る動物であり、こうした人間の性質を持っているとされる。そう、信頼を築く原点は全てここに行き着くのだ。
それでは、なぜ鉄ヲタは周囲からの信頼が薄いのかにメスを入れていくことにしよう。まずはじめに鉄ヲタの性質に着目すると、嗜好のジャンルでは鉄道趣味に分類されることになる。
しかし、鉄道に興味を示す者は幼児か精神的障害を負っている知恵遅れという周囲の先入観や偏見が存在しているため、
学校という生徒に対する規律が重要視される閉塞空間では仮に鉄道に対する興味を持っている者がいたとしても人目をはばからずその趣味を公言できるというケースは少ない。
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なぜならば、鉄道趣味を公言したことにより一度でも周囲から幼児や障害者同様の偏見を浴びせられると、集団主義を意識する同年代から年齢に合致した性質に値しないとして排他されるようになり、
その結果、いじめの対象になる危険性が充分に考えられるためである。しかし、鉄ヲタの中でも社交性があり鉄道以外の嗜好を持っている者であれば意図も簡単にこの障壁は打開できるのだが、
多くの鉄ヲタは鉄道というジャンルに限定してでなければ対人関係が築けない、もしくは会話が成り立たないため、月日が流れてもこの障壁を打開することができないのである。
この形態の人間こそ真のオタク(鉄ヲタ)に分類されるのだが、彼らはその性格が故に周囲との繋がりが無いため、同じてそこに信頼関係は生まれることも無い。そのため、集団生活からは常に距離を置くようになってしまい孤立してしまうのである。
このように、孤立した人間に対する周囲の目はかなり厳しい。なぜならば、当人と周囲の間には類似性も共通点も無かったため、親近感はもちろん、絆が全く介在していないからだ。
そのため、客観的視点から見た孤立した当人の印象は『何を考えて生活しているか分からない』『何が好みなのかも分からない』『自分たちのことをどう思っているか分からない』という“分からない”づくしとなってしまう。その印象は時を経て
“分からない→その人の人間性が見取れなくて怖い→気持ち悪い”
と非好意的なものに変わっていき、信頼を築くということすらできない状況に陥ってしまうのである。
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大宮駅ホーム先端にカメラを持って終結する集団に対する印象が“キモい(気持ち悪い)”という原因は全てここから来ているのではないかと思われる。
他サイトでは鉄ヲタのマナーが社会問題化しているため一般世間からの偏見が強く、これ以上偏見を持たれないためにも撮影マナー向上を促す文面が見られるが、全ては詭弁であると俺は感じる。
それはこのような鉄ヲタになったという時点で社会から烙印が押されたことを認めたくないためであり、認めてしまうと自分の趣味を自分で否定することになってしまうわけだ。
これら自分達が置かれた不条理な状況から現実逃避としてマナー向上を謳っているに過ぎないからである。
一般人でも場合によっては大人でも社会に出る者として相応しくない自己中心的な行動を取ってしまうことだってあるはず。
例えればゴミのポイ捨て。いつもは喫煙者のマナーとして携帯灰皿を持ち歩いているため、外出先で吸ったタバコの吸殻は携帯灰皿の中にしまうと決めている。しかし、その日は携帯灰皿を忘れてしまったことをタバコに火を付けた後に気がついた。
天気は雨で片手には傘をさしているため鬱陶しい。もちろん、周囲には誰もいない。このような自分にとって不都合な状況が重なってくると人間は如何にして楽をするかという考えを持ち出すのが本能だ。
その本能に負けてしまうことは鉄ヲタが人間であるのだから一般人も人間である以上は反社会的行動に出ることもある。
そう。何が言いたいかというと日本中の鉄ヲタ全てがある日を境にポイ捨てを辞めたとしよう。鉄道沿線の撮影地などは清潔を保たれどんどん綺麗になっていくだろう。
しかし、街は綺麗になっても鉄ヲタに対する視点は変わらない。なぜだろう。そう、鉄ヲタ=幼稚・障害者という偏見は100%払拭することなどできないからだ。偏見がそこに存在する以上、鉄ヲタに対する信頼は生まれることは当然ないだろう。
ネガティブ私見でしかないと思うかは読者の自由だが、本当にポイ捨て・罵声といった社会に出ている者としてマナー違反を辞めれば社会の見方全てが180度変わることはあるのだろうか?
鉄ヲタの置かれた現状というものを今一度考え直すべきではないかと俺は思う。
君たちは社会における『信頼される人』の条件を挙げることができるだろうか。他人に優しい?仕事ができる?約束を守る?言い訳や愚痴を言わない?・・・そう。確かにこれらは人から信頼されるにあたり必須条件だ。
ここで“必須条件”という言葉を用いたことに注目して欲しい。これら、ここで挙げた条件は必須。つまり、信頼されるにあたり当然中の当然である条件だ。
もちろん、この必須条件さえクリアすれば人間は信頼されると言うわけではないことをまず理解して欲しい。
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前項で俺は学生生活内で鉄ヲタはどのような視点で捉えられているかを述べてきたが、最後に孤独学生生活を終えて、社会に出てきた鉄ヲタがどのように扱われるかメスを入れていこう。
孤独な学生生活を送ったからといって学習能力に問題が無ければ単位を取得し卒業することは可能だ。学校側が与えた課題を提出し、出席日数も充分に足りている以上、卒業資格は与えられる。
学校は完全な成績重視といった現場だと俺は思う。それでは、社会という場所が今までの学生生活と何が異なっているかを挙げていくこととしよう。
人によって着眼点は様々だと思うが、私的に何よりも大きく異なる点は学校は成績重視であるのに対し、社会はもちろん成績重視+信頼があって初めて評価される。
従って、社員同士信頼がなければ仕事の功績を上げることができないため評価されないわけだ。更に、学校では評価する側が先生であったのに対し、社会では評価する側は一般世間となることも特筆される。
社員1人の成績が良くても世間から信頼されなければその会社は評価されない=社員も評価されないということになる。
会社の面接で面接官が受験者の何を見ているかというと学歴や功績ではない。コミュニケーション能力と社会順応性である。
しかし、会社としても採用人員確保という責任も背負っているため、会社側が求めるレベルに達していなくとも採用せざる終えない場合もあるわけだ。
343 :
長岡厨:2012/11/11(日) 20:10:17.75 ID:ZIIVgPSb0
太田いい事言うじゃないか
こうして、厳しい社会の現場に孤独で社交性ゼロの鉄ヲタが新社会人としてやってきた。
日々同じ作業を繰り返し、与えられた仕事は完璧に終わらせることができるが、それ以上のことはせずに自分の仕事が終わればパソコンで鉄道写真を見て涎垂。会社は学校と異なり校則がない。
しかし、一社会人として常識とされることは学習していることを前提に採用しているため、マニュアルの無い社会生活の中でこのような社員は不要だ。
学校では周囲の生徒から排除されても一定期間を過ぎれば卒業を迎えるが、社会はそうはいかない。定年退職の日が来るまでずっとその会社で働くという強い意思が無ければ排除されてしまうのである。
それだけ、社会における信頼というものは重要ということだ。
数日前、偶然にもYahoo知恵袋こんな凡例を見つけたため、ここで紹介して論述を終わろう思う。
ある所に結婚を目前に控えたカップル(A男とB子)がいた。B子に取って彼にあたるA男は物静かで大人しいが、いざと言うときには守ってくれるといった寛容さに惹かれていた。
しかし、A男は結婚を前提にしてもB子に学生生活の話をしたことが無いためB子はいつも気になっていた。ある日、B子の勤める会社にC也がやってきた。
偶然にもC也はA男と同じ学校を卒業していたが、B子はC也の口から学生時代にA男はいじめられっ子であり、更にはC也もA男をいじめていたという事実を聞いてしまう。
とたんに、B子はA男に対し信頼を失い、何よりも自分の過去を隠し通されていたことで頼りがいがなくなっていくことになる。これに対して世間から回答を求めいているというパターンだったが、世間の反応はこうであった。
「そんなみっともない男性は結婚してもお荷物になるだけ!すぐに別れなさい!」
「婚約を破棄しC也と結婚するべき!」
345 :
[鉄道評論家]でってぃう太田◇脱・貨物同盟:2012/11/11(日) 20:13:59.63 ID:4kQHXTFp0