【登録商標】徳田耕一について考える13【メーテレ】
第7章 戦後労働運動の悲願、全的統一果たし連合時代へ
第七節 反“いじめ”対策本部を設置
特定旅客による嫌がらせによって、組合員が退職に追い込まれたり旅客の面前で土下座させら
れたなどといった、“組合員いじめ”の実態が鉄道現場であちこちで発生し、問題となったのは
八八年(昭和六十三年)暮れのことであった。二年半前にもこのような実状が報告されていたが、
これがエスカレートし事態はますます悪化の方向に向かっていることが判明し、労働組合として
も放置できないところまで進行していた。
特定旅客とは、吉田某と徳田某という二人の鉄道マニアといわれる男であり、職場からの報告
によれば「旅客規則をたてに車内で発行困難な乗車券を請求する」「旅客・大衆の面前で大声・
罵声を浴びせる」「通常は請求のあり得ない乗車券購入で業務知識不能と個人を中傷誹謗する」
「土下座を強要する」「証明書や念書・謝罪文を求める」など、それはまさに”いじめ”以外の
なにものでもなかった。
事態を重視した組合では、これを特定旅客による組合員いじめと判断して八八年十二月十三日
の中央執行委員会で職場の秩序と組合員の平穏な生活を守るという立場から、この問題を真正面
からとらえ組合員いじめを断固拒否し毅然として闘うことを決めた。
組合は職場の実態調査と「いじめ」部分の証拠集めからはじめたが、その数は三百五十件以上に
ものぼり、八十五年(昭和六十年)から急激に増加している実態が明らかになるにおよんで、八九
年(平成元年)一月十三日の中央執行委員会で正式に「反いじめ」対策本部の設置を決定した。
対策本部では、当面の対策として組合員に対しては仲間の信頼感で組織の団結を一層強化し、
いじめ行為があった場合は直ちに組合へ報告することなどを八九春闘の職場討議期間中であり全
職場一斉に開催している職場集会の中で徹底をはかった。さらに会社に対して、請求があれば発
行せざるを得ない規則もトラブルの要因であり、業務改善事項の見直しを含め社内全体としての
対応策について申し入れを行った。
同時に特定旅客に対しては「いじめ」行為を辞めるよう直接申し入れる方針を決めた折もおり、
組合幹部が一月二十五日に行われた刈谷橋上駅の完成式典に出席した場で、会社の首脳陣など式
典の参加者全員に聞こえるような大声で特定マニアの吉田某が電話で罵声を浴びせている現場に
直面した。現場に居合わせた相羽書記長らは、その場で本人と面談し「組合と会談を持つよう」
直接求めたところ、「徳田某となら二月中旬以降に会談に応じてもよい」と約束し、あらためて
話し合いの場を設けることとした。
組合は、両者との会談に備えて資料整備を進める一方で法的な面からも検討をすすめ、弁護士
とも相談した結果、「両氏の行動は権利濫用のパターンから不法行為の構成ができる」との助言
も得て最悪の場合は法的闘争も辞さない覚悟で準備を整えたが、二月下旬になっても両氏から連
絡がないため、三月九日会談したい旨の手紙を書留郵便で自宅へ送付した。
その後、両氏からは名鉄の本社を通じて「本社を交えてなら会ってもよい」などとする態度を
示してきたが、組合は会社を仲立ちした三者会談には応じない方針を決めあくまで直接話し合う
こととし、三月三十一日に至ってようやく「名鉄労組で四月七日会談する」旨の約束をとりつけ
ることができた。
当日十時から行われた会談には、青山副委員長、相羽書記長、江夏組織部長が出席し、終始緊
張感が漂うなかで「いじめ行為が続くなら組合として放置できず何年かかっても解決するまで組
合員の声を代弁する。」と組合の立場と考え方を説明した。両氏からは「一乗客として、また運
賃値上げの賛成公述人という責任上指摘し指導もした。できるものをできないと言う従業員に対
し感情的になったことは認める」との発言もあったが、会談で結論を得ることはできず継続して
再度五月に話し合うことを約束して終わった。
対策本部は、この会談結果を分析し検討した結果、一月以降現場でのトラブルも発生していな
いことなどからも組合の主張は一応伝えることはできたと判断できた。しかし、もちろんこの時
点で決着していないので、従来の方針通りの態度を継続するとともに、次の会談を前にしていじ
め行為を辞めるよう具体的に文書を渡すことが必要であると判断しその準備も完了していた。
現場でのトラブルは聞かれなくなったとはいえ、その後しばらくの間は本社に対していろいろ
な小言や指摘は続けられており、職場への情報連絡の徹底と全組合員の意思統一をはかる活動を
継続するとともに、第二回会談の実現に備えた。しかしその後両氏からは何の連絡もないまま約
束の五月も過ぎ、半年たち一年たって時の流れとともにいじめ行為は次第に影をひそめている。
組合はこの間に私鉄名古屋やユニオンウイークリー、「なかま」への掲載はもちろん、八九年度
の運動方針にも提起して組織を挙げて取り組んできたが、事態の全面的な決着には至っていない。
利用者からの嫌がらせに対し、労働組合が組織を挙げてそれに立ち向かったというこの取り組
みは、名鉄労組の過去の歴史の中にもかつてなかったことであり、他の労働組合でもおそらく経
験したことの無い特異な活動であったといえる。