DQN鉄ヲタ(関東編) Vol.15

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162荻原
なく、彼女は珍妙な苗字であったことが出身を探るきっかけになったのかもしれない。福岡県と熊本県に1997年まで存在した三井三池炭鉱をはじめ、本州より諸炭鉱の密集していた九州の出身であることを考えると、炭鉱の産
業革命の発展に関連したその地ならではの苗字であったかもしれない。今ではあまり聞かれなくなった部落問題ではあるが、中には皮肉にも差別されていた町村の名前がそのまま人名になるケースも多いと聞く。差別的な意
味合いを含んでいる苗字を背負った人間は一生その苗字と向き合わなければならない。世間が部落問題をタブー視する現在、解決への糸口はせっかく掘り当てた何かを埋め戻すように、再び暗中模索の一途を辿っているよう
に思えた。中曽根康弘内閣指揮の下、国鉄が分割民営化され新たなスタートを切ったのは1987年4月のこと。貨物輸送は民営化がされる3年前の通称:ゴ・キュウ・ニ改正には従来のヤード方式を全廃させ、現在の直行輸送方
式に転換されたために国鉄は多くの余剰貨車を背負う形になった。国鉄は民営化後も新たな戦略として余剰貨車を販売し、引き渡す等苦肉の策を投じたが、機関車と比べると明らかに地味で汚いイメージの強い貨車はよっぽど
の物好きでない限り保存を志願する者も見つからず、売却された大半は貨車の実用性を生かせる倉庫や物置代わりとして余生を送り始めていた。添付画像は山形県西置賜郡の田園に放置されていた2両の国鉄貨車のワラ1形。
当形式は1960年代の鉄道貨物激増に対応するため、1962年から17,367両も製造された有蓋貨車である。従来の2軸貨車と比較すると2tの積載量増に貢献したため、国鉄貨物輸送の輸送力向上に寄与したのだが、製造開始
から翌年の1963年には国鉄史上指折りの大惨事とも称される鶴見事故を本形式が惹起させてしまった。さらに、後年は鉄道貨物輸送そのものの衰退に拍車が掛かり、ゴ・キュウ・ニ改正では通常運用を離脱。1987年の民営化
には全車が廃車となっている。人間は生まれ故郷を聞けば返事は来るけれど、機械は押し黙
163荻原:2009/05/30(土) 22:19:01 ID:xrw/MFFCO
ってそこに鎮座するのみ。人間なのだからどこの出身か明瞭に分らなくたって平凡な毎日を過ごせればそれでいい。無理に周りと同調
しあう必要もない。無論、これは個人的な主観なのかもしれないが・・・。先日、兄の勤める鉄工所の新入社員食事会に誘われた。「酒は呑めない」そう頑強に言い張る私に空気を察したのか、周囲も理解してくれたようだった。1
人、自分と同い年の少年は必死になって周りの空気を和ませようと“卓球のピンポン玉の音”を口でやるという一発芸をやっていた。悟ったかのように周囲の連中は大爆笑を終始繰り広げていた。