DQN鉄ヲタ(関東編) Vol.15

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160荻原
数日前、とある同和教育の講義に参加した。自ら志願したと言うわけではなく、半ば強制的な参加となったため、多くの聴講者は耐え難い苦痛であったと口々に文句を言っていた。部落開放同盟の前身である部落開放全国委員
会が発足したのは1946年のこと。当初は部落への差別意識を持つ一個人を糾弾の対象としていたが、その方針は部落に差別感情を持つ人間への攻撃姿勢が伺え、合理的でないという批判を受け、その後は社会通念的にも部
落差別は偏見であるという思考を払拭して1955年には部落全体で闘争を展開していくことをモットーにし、これを機に委員会名を部落解放同盟と改称された。私がまだ幼い頃。いつだったか明確な期日は覚えていないが、祖父か
ら「他人の出身地を聞く時には気をつけろ」と言われた記憶がある。理由は聞くこともなく気にも留めなかったが、祖父は相手の出身地が被差別部落であった場合、実家を探ることで相手を傷つけてしまうことを危惧していたのかも
しれない。私は、しばらくしてアルバイト先で1人の女と出会うこととなる。自分より1歳年下であった彼女は世間で言う『美人』の部類に属するのであろう。凛とした眼差しがチャームポイントとなり、たちまち職場内で人気は高まって
いったが。ある日、私は彼女から出身地はどこかと聞かれた。私は気にせず答えたが、その時、彼女は自分の口から出身地を名乗ることはなかった。会話はそこで途切れてしまったが、数日後に祖父が言っていたあの言葉が頭
をよぎった。あそこで出身地を聞き返してしまえば相手に不快感を味あわせていたかもしれないとは思いつつも、結局私は彼女の出身地を聞くことはなかった。後日、都内の駅で電車を待つ間に同僚とふと彼女の話になった。又
聞きながら同僚に彼女の出身地を問うたところ、彼女の出身は九州地方であると言った。美人だとかそういう理由では