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荻原:
☆人の血を吸うダニがおる
初夏の光、北アルプスの残雪がまぶしい。大逆事件で刑死した宮下太吉が爆裂弾を作った土地、長野県安雲野市明科を訪ねた。市役所課長の大澤哲(55)は地元の近代史研究メンバー。明科公民館の
「大逆事件資料コーナー」に案内してくれた。「明治の昔、ここに大きな製材所があって、宮下は愛知の鉄工所から来た腕のいい機械工でした。ひろかに薬品やブリキ缶を入手して爆裂弾をつくったんです」
展示を読み進むと、おやおや「妻と密通された同僚の密告により逮捕された」とある。捕まえた巡査小野寺藤彦への感謝状が飾ってある。奉職26年、一生の大手柄、ボーナス26円が出たのか。宮下が天
皇を狙うため爆裂弾の実験をしたといわれる「継子落とし」という崖を見にいく。1909年11月の天長節の日、花火の音に紛れて爆発させ「赤子の声が大きくて驚いた」と同志新村忠雄に手紙を書いた。いま
は何の変哲もない川景色、ただ「大逆罪発覚の地」という木標が立つ。「松本平からみた大逆事件」の著書のある松本市文書館館長小松芳郎(59)を尋ねた。「物的証拠があがったのは後にも先にもここだ
け。ほんとは幸徳事件ではなくて宮下事件なんですよ。ブリキ缶からどんどんフレームアップしていったんですね」宮下はなぜそんなに思い詰めたんでしょう。「職工は苦しんでいるのに平等の世の中は来な
い。何か直接行動を起こさなくっちゃと思ったんでしょう」東京への帰途、JR甲府駅で降りた。宮下はここの出身、墓がある。ごくつましい宮下家の墓石の横に、72年に記念碑が建てられ、そこには石川啄木
が宮下を書いた詩の一節が刻んである。「我にはいつにても 起つことを得る 準備あり」