見】思い出の蒸気機関車をレス番順に語る【撮】

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384名無しでGO!:2008/02/16(土) 11:40:53 ID:5rSajLW/O
D52384
D52の汽車会社への第二次製造計画では60両(333〜392)が割り当てられましたが終戦による製造中止指示により完成したのは52両で、それがこの384号機となっています。
よって同社のD52のラストナンバーにあたるわけです。
製造中止は終戦と同時ではなかったため落成は昭和21年3月30日となっています。
新製配置は国府津でその後、岡山へ移動、本格的なSLブーム前の昭和39年10月5日に糸崎で廃車となっています。
385名無しでGO!:2008/02/16(土) 22:04:59 ID:5rSajLW/O
C58385
後藤工場式デフ(G-2)を装備していました。
このデフは廃車前にC5833に引き継がれたと言われており33号機は釧網本線清里付近に保存されています。
C58385は戦後、汽車会社で製造された45両(383〜427)のうちの1両で昭和21年6月に落成しており王子に配置後は釧路に移動となり昭和48年度に廃車となっています。

↑D52384
汽車会社で製造された第二次製造分の52両の最後の1両という意味です。
386名無しでGO!:2008/02/17(日) 13:35:17 ID:c+pg+a4wO
386
D51386
後藤式集煙装置を装備していました。
昭14.11.17.日車、#761
大里、岡山のあとは長く新見にいて昭47.11月に廃車。

↑385
D51385 昭14.11.13.日車
#760
弘前、吹田、平、水戸、下関、長門と移動、昭和48.10.25廃車。
現在は千葉県鎌ヶ谷市市政記念公園に保存されています。
昔、何度か行ったことがありますが周りに木が多く撮影にはあまり向いていないような記憶があります。
387名無しでGO!:2008/02/18(月) 14:08:19 ID:UVTXia6p0
D51387 昭和14年11月17日、日車製造。386と同じく大里区に配属後、東北一関に移る。
しかしながら22年11月5日に廃車となりわずか8年の生涯であった。他型式への改造などを除くと
D51としての最初の廃車(22年の10両)のうちの1両となってしまった。

385・386補遺
39685 米坂線で活躍し坂町区が最後となる。廃車後は埼玉県与野市(当時)の市役所前に保存されている。
D51385 平区時代に他機のストーカー取付けのためテンダを交換、戦時型の船底テンダを装備した。正面シールドビームとともに一見D52のようなスタイルで晩年を過ごした。

D51386 ほぼ33年の生涯で廃車となったが、その動輪が滋賀県草津市に保存されている。
388名無しでGO!:2008/02/18(月) 14:14:23 ID:UVTXia6p0
38688 大正10年、川車製。主に東北地区で働き、小牛田などにもいた。
晩年はもっぱら荒屋新町区におり花輪線で活躍していた。そのため当時の活躍の姿が
「蒸気機関車」誌No42(76ー3)の表紙を飾るなどファンの良き被写体となった。
また同機は昭和36年に花輪線で運転されたお召し列車の牽引(後補機)の栄誉にも浴している。

36年10月13日 十和田南→荒屋新町 48633(荒)+後38688(荒)
389名無しでGO!:2008/02/19(火) 03:01:09 ID:nU7L+G4ZO
C58389
昭和44年10月1日、高山本線、高山−飛騨古川でさよなら運転が行なわれましたがこの時、客車4両を牽引したのがC58389です。
中学生だった自分は高山駅のホームで見送ったのですがあれからはや39年もたってしまいました。
同機は昭和21年7月汽車会社、製番2525で落成、新製配置は苗穂で、ほどなく北見に転属、その後、昭和30年代半ばには高山区に転属となっています。なぜこの時代にこのような遠くに転属させたのかはちょっと疑問ですね。
高山区でさよなら運転の直後の10月28日には遠江二俣区に転属。
しばらく活躍後の昭和46年4月に廃車となっていますが幸運にも遠江二俣駅前に保存されています。
390名無しでGO!:2008/02/19(火) 09:56:38 ID:W3CUoKca0
C58390 北海道で最後を迎えたカマだが、京都府の「加悦SLの広場」に保存されている。

38690 兄の38689とほぼ同じ移動をして花輪線などで活躍。最後はこちらも弘前だった。なお38689・38690の2両は8620の中でも最後まで現役であり、50年度に廃車となった
48679や梅小路の8630などを除くともっとも遅く49年度に廃車になった6両のうちの2両である。

389追加です
38689 大正10年川車製。主に東北地区で働く
兄の38688などと同じく戦前は小牛田に在籍。その後盛岡などを経て最後は弘前だった。
なお同機の動輪が八戸線の鮫駅前に保存されている。
391名無しでGO!:2008/02/23(土) 10:44:41 ID:b2CCZINoO
38691
また8620ですが上記の3-90を含め3-87から3-91までの5両は全て戦前に小牛田に揃っていました。
3-91は戦後もしばらく小牛田にいましたが郡山に転属、その後、弘前に移動しました。
ここで盛岡から移動してきた3-89、-90とまたいっしょになります。
しかしながら3-91は3-89、-90より4年ほで早い昭和455年3月に廃車となっています。
392名無しでGO!:2008/02/23(土) 20:28:50 ID:b2CCZINoO
C58392
昭和21年汽車会社にて製造されました。
C58389〜392の4両は苗穂に新製配置されました。
その後、北見への転属も僚機といっしょでした。
389を除く390〜392は最後まで北見で過ごしましたが廃車は391(昭和49年7月)、392(同年10月)、390(昭和50年6月)の順でした。
393名無しでGO!:2008/02/24(日) 07:49:29 ID:V0Rh9KdDO
D51393
昭和15年1月12日
日本車輌で製造。製造番号768。
吹田→福知山→竜華と移動。
昭和46年5月4日廃車。鷹取式集煙装置を装備。
394名無しでGO!:2008/02/24(日) 17:04:16 ID:V0Rh9KdDO
39694
国鉄から私鉄や工場に譲渡された9600は20両いますがそのうちの1両です。
9600は9割近くが川崎製ですが譲渡された全部が同社製なんですね。偶然!39694は大正9年3月川崎造船で落成しています(製造番号547)。
大宮区に長く在籍しましたが昭和24年3月15日付で廃車となりましたが三井芦別鉄道に同年12月に入線(一説に昭和25年)しました。
同鉄道では9600-1を名乗りましたが比較的短命で昭和35年8月に廃車となっています。
395名無しでGO!:2008/02/24(日) 17:19:12 ID:V0Rh9KdDO
↑に引き続きですが
39695
こちらも私鉄への譲渡機です。
大正9年3月川崎、製番548で函館や池田などにいましたが昭和24年10月29日に廃車となり昭和25年6月に三菱大夕張鉄道に譲渡されています。
ここでのNo.は5でした。
396名無しでGO!:2008/02/24(日) 19:40:43 ID:V0Rh9KdDO
D51396
長工デフを装備していました。
重油併燃1500立タンクも装備してました。
昭和15年1月20日、日本車輌で製造されました。製番771です。
青森配置後、長岡(長岡1)、酒田で活躍。
昭和46年11月29日廃車となりました。

↑395ですが
C58395、D51395とも保存されてます。
C58395
昭和21、汽車、茅ヶ崎新製配置後は佐倉、北見に転属。
昭和50年7月までがんばりました。
その後は東京西多摩の羽村動物園に保存されました。
D51395
昭和15、日車、396と同じく青森配置後、長岡(長岡1)酒田にも同行しましたがその後、こちらは広島に転属、昭和46年5月22日に廃車となり山口県徳山市立動物園に保存されました。
397名無しでGO!:2008/02/24(日) 19:58:24 ID:V0Rh9KdDO
D51397
昭和15年1月22日、日本車輌にて落成。製造番号772。
追分に新製配置後、函館、五稜郭、滝川と転属しました。
最後は生まれ故郷の追分に移動となり日本最後のカマのグループのうちの1両として昭和51年3月10日付で廃車となりました。
密閉キャブ改造工事を受けており副灯を装備しています。
廃車後は北海道士別市に保存されました。
398名無しでGO!:2008/02/27(水) 23:33:43 ID:D51ddb4J0
399名無しでGO!:2008/02/28(木) 01:54:03 ID:f1TB36OaO
399
C58399
昭和21年10月 汽車会社 製番2535
新鶴見に新製配置のあと豊岡では山陰本線、宮津線などで活躍、その後、三次に転属となり芸備線を最後の働き場所とした。
昭和44年5月に廃車。

398
D51398
昭和15年1月 日車 製番773岩見沢、追分、旭川、名寄と生涯を北海道で送る。
密閉キャブ改造を受けている。昭和48年9月廃車となっているが名寄市にて保存されている。
400名無しでGO!:2008/02/28(木) 09:48:54 ID:RKKDv9dH0
400まできましたね。
D51400 昭和15年1月、日車製。
初期は北海道・追分にいたがすぐに本州へ戻り一ノ関〜一戸と東北北部で活躍した。
奥中山の三重連の任務もこなし43年14月に廃車となった。

C58400 昭和21年汽車製
小山のお召し予備機で有名だった。

D52400
小郡〜下関で働き最後は北海道に渡り五稜郭区で廃車となった。

49600
遠軽のカマ。常紋や周辺のローカル線で見かけた方も多かっただろう。蒸機末期の50年7月まで現役で廃車後は美瑛町に保存されている。
401名無しでGO!:2008/02/28(木) 16:59:47 ID:fE3Vc/KQ0
D51401 昭和15年2月、日車製。
米原に配置。その後長町〜磐越西線管理所(会津若松)などを経て40年代に大館へ。奥羽電化により職場を追われ最後は木曽路・木曽福島区に移動して廃車となった。須坂市に保存。東北時代の「二つ目」と長野工式集煙装置などを装備。

C58401
仙台・新庄などの配置が長く、東北地区で生涯を過ごした。陸羽西線の「お別れ貨物列車」なども牽引し47年12月の新庄区にて廃車。

49601
最北・稚内のカマ
402名無しでGO!:2008/03/02(日) 10:37:51 ID:fH7uNdcc0
D51402 昭和15年2月、日車製。
兄・401と同じく米原に配置。その後は水戸を経て30年代初めに中津川へ。中央西線で長く働き47年3月の廃車まで活躍した。その間別れていた兄401も木曽福島に転じてきたのでわずかながら兄弟再び顔をあわせて働いた。廃車後は飯田市に保存されている。
403名無しでGO!:2008/03/02(日) 10:40:35 ID:fH7uNdcc0
403
たまにはそのものずばりで
403(型式400) 1886年英国ナスミス・ウィルソン製。俗にいうA8系
日本鉄道75→W2/4形21→明29房総鉄道1型6→明40国有化で400型403→川越鉄道5
→昭22西武鉄道5→4→上武鉄道(日本ニッケル)に貸し出し後1965年に廃車された。その後は解体されることなく西武鉄道沿線の各地(ユネスコ村など)に保存〜保管され、現在はかつての横瀬車両管理所内に他の貴重な機関車などとともに保管され、適時公開されている。

D51403 昭和15年3月、日車製。
新津を手始めに長岡〜長野と北陸・信越筋を移動、その後紀伊田辺を経て奈良区へ移り最後は関西本線を中心に働いた。48年11月に廃車となったが最後の地の縁で草津線沿線の滋賀県手原に保存されている。

D52403
静岡などに配置され東海道本線などで戦後の復興に従事した。最後は国府津区にあって、「御殿場線のD52」の1両として無煙化まで頑張った。43年8月に廃車されたが同県内の平塚市に保存された。
404名無しでGO!:2008/03/02(日) 22:45:24 ID:cch/VjR30
D51404 昭和15年3月、日車製。
新津に配属後、坂町〜直江津〜長岡一〜長岡と終始日本海縦貫線の機関区で過ごした。
信越本線の電化による無煙化で長岡区で最後を迎え、その際機関区の「お別れ会」で装飾を施された縁のD51となった。44年11月に廃車となったが、その動輪が縁の現・長岡運転所にナンバープレートとともに保存・展示されている。

今日は追分の9600が最後の仕事をして国鉄蒸気機関車の定期仕業が終了した日ですね。
405名無しでGO!:2008/03/02(日) 23:09:44 ID:5UhzbdTY0
D51405
山口線管理所を最後に引退しました。
現在、松戸市に保存されています。

D51395 フォロー
新幹線駅は徳山ですが、現在は周南市立徳山動物園 と少し話がややこしくなっています。
旧国鉄OBの方々か定期的に清掃・整備をしておられるようです。
406名無しでGO!:2008/03/06(木) 01:37:36 ID:ZwUcvoEtO
406
49606
大9 川崎 製番559
戦前は長野などにいたが戦後、渡道し滝川に配属。
昭和49年に廃車されるまで滝川にいて主に入れ換え用として使われた。
407名無しでGO!:2008/03/06(木) 10:23:34 ID:OSPqrZ/90
D51407
このカマも、405同様山口線管理所を最後に引退しました。
残念ながら、こちらは保存されませんでした。
408名無しでGO!:2008/03/06(木) 12:41:02 ID:4TIzDVfC0
D51408
45年11月に新鶴見区で廃車となり、川崎市生田区に保存されている。

※D51の400〜409は10両のうち、6両が保存、1両が動輪保存と70%がなんらかの形で残っている幸運な番台。

407補遺
C58407 昭和21年12月29日、汽車製。
北海道に新製配置。苗穂〜五稜郭と移動し、終生北海道を離れなかった。最後は最初の配置区苗穂で
入換や千歳線の補機仕業などを担当して49年3月20日(48ー12?)に廃車となった。
廃車後は本州に渡り東京都豊島区の大塚台公園に保存され、都電荒川線をながめながら余生を過ごしている。

なお同機の刻印の残る動輪が北海道の振内鉄道記念館にも保存されている。
409名無しでGO!:2008/03/07(金) 17:51:34 ID:4innRCRz0
D51 409
昭和15年4月日本車両名古屋工場に於いて製造された。
北陸本線・山陽本線・山陰本線・関西本線・草津線・最期昭和52年12月は夕張線を走り引退。
現在は甲西駅に、生態保存されているが、痛みが激しい。

410名無しでGO!:2008/03/07(金) 23:46:00 ID:0az+vE3pO
410
49610
大正9年、川崎造船製造、製番563
新製配置は不明であるが昭和初期には甲府に配属されその後、富山、稲沢に転属。
昭和17年11月には高山に配属し、その後25年間、廃車になるまで高山本線や高山駅構内で入れ換え作業に従事した。昭和42年11月に用途廃止となり翌年5月に松任工場にて廃車されました。比較的、原形を保っていました。
411名無しでGO!:2008/03/08(土) 15:35:35 ID:BKoY9YuPO
C58411
廃車になるまで生涯を北海道で過ごしたカマでした。汽車会社で昭和21年に誕生。
製造番号は2547。
苗穂に新製配置のあとは木古内、五稜郭と転属した。昭和47年12月、五稜郭で廃車になりました。
412名無しでGO!:2008/03/08(土) 15:59:28 ID:BKoY9YuPO
D51412
昭和15年 日本車輌で製造、製番787
新製配置は浜松、その後、上諏訪、長野に転属。
昭和44年12月、長野で廃車になりました。
1500リットルの重油タンクと長野式集煙装置を装備していました。
413名無しでGO!:2008/03/08(土) 19:40:19 ID:BKoY9YuPO
49613
大正9年 川崎造船製造 製番566
北海道→本州→北海道と転属したカマです。
戦前は岩見沢などにいましたが戦後すぐ高崎2に、昭和30年代半ばには新鶴見に転属しました。
その後はまた渡道して北見に配属。
昭和46年8月に廃車となりました。
414名無しでGO!:2008/03/08(土) 21:08:52 ID:BKoY9YuPO
C58414
昭和22年5月14日 汽車会社(製番2550)で製造され苗穂に新製配置されましたが昭和48年4月24日に廃車されるまで転属しませんでした。
廃車後は三重県度会郡の田丸小学校に保存されています。
デフは苗穂工設計の切り詰め改造を受けこれと同時にデッキ周り左右に手すりを、またバイパス弁点検蓋と予備灯も装備しています。
415名無しでGO!:2008/03/09(日) 09:33:56 ID:sWJuNkle0
415
49615 大正9年川崎製。
生涯のほとんどを岩見沢で過ごした道産子。晩年は入換がもっぱらの仕事だったため、右運転台・動力逆転機付きに改造されていた。弟の49615とは最終期には一緒に岩見沢区で過ごした。

414追加
D51414 弘前ー尻内ー高崎ー吹田ー福知山ー旭川ー名寄と各地を移動し、最後は岩見沢一区にて活躍した。50年11月廃車。なお同機は『旅』75年8月増刊「この夏 北海道で最後のSLに会おう」の表紙を飾ったカマである。
416名無しでGO!:2008/03/09(日) 19:25:58 ID:ovEooI8HO
D52416
昭和20年日立製作所で製造。米原に新製配置。
その後は広一、小郡とどんどん西に転属し昭和41年5月に廃車となっている。

49616
↑にもありますが49615〜49617まで連番で生涯のほとんどを岩見沢で過ごしたものと思われます。
廃車は岩見沢一で昭和51年1月。
旋回窓、回転式火の粉止めを装備していた。
現在は大井川鐵道千頭駅に静態保存されているのでご覧になった方も多いと思います。
以前、見たときは汚れがひどいなぁという印象でしたが今はいかがでしょうか?まだそうであれば他の動態保存機を見に来られるお客様も多いのですからもう少し見栄えがよくなってほしいと思うのですが。。。
417名無しでGO!:2008/03/16(日) 14:33:54 ID:HXLYdmSlO
D51417
昭和15年6月、日立、製造番号792
尻内→福島→福島一→福島→長町→青森と東北地方のみの転属、昭和46年1月に廃車となりました。3000L重油タンクを装備。
418名無しでGO!:2008/03/16(日) 14:42:22 ID:HXLYdmSlO
C58418
昭和22年7月、汽車、製造番号2554
室蘭→釧路→北見と生涯を北海道で過ごしました。
廃車は昭和50年6月25日付けですがその後、三重県熊野市に保存されています。
418号機が保存されたC58ではラストナンバーとなっています。
煙室ハンドルがなくなるなど保存状態はあまりよくありません。
419名無しでGO!:2008/03/16(日) 15:16:58 ID:HXLYdmSlO
49619
大正9年、川崎、製造番号572
熊本→直方→行橋などを転属し昭和48年11月に廃車となっています。
420名無しでGO!:2008/03/16(日) 19:52:21 ID:HXLYdmSlO
48620
大正10年 川崎 製番667
浜田、小郡などに配属され活躍しましたが割と早い段階の昭和41年10月に廃車されています。
421名無しでGO!:2008/03/19(水) 14:20:50 ID:BpHyN/r80
421
D51421 昭和15年7月、日車製。酒田に配属されその後坂町〜横手〜秋田と羽越・奥羽筋の機関区を移動した。最後は再び坂町区で47年12月9日に廃車となった。最後に坂町区の同僚だったD51498の廃車の8日後のことである。

418追加です
D51418 主に山陰筋で晩年を過ごし、下関〜正明市(長門)と移動、49年3月に廃車となった。
山陰本線長門二見〜滝部を行く姿がファンお馴染みの「SLダイヤ情報Vol.4(49/4改正号)の表紙を飾った。
422名無しでGO!:2008/03/19(水) 14:21:39 ID:BpHyN/r80
422
C58422 昭和22年9月、汽車会社製。
新製配置は苗穂で、その後鷲別に移動し室蘭本線などで働く。48年11月に廃車となった。なお同機の動輪は東京都豊島区のJR池袋駅西口メトロポリタンプラザ入口に保存されている。

D51422 昭和15年7月、日車製。主に山陽・中国あたりの機関区で働いたカマ。
岡山〜米子〜新見などに在籍し46年9月に廃車となったが、幸いにも尾道市に保存された。
なお保存地に最寄りの尾道古浜郵便局の風景印の図柄の中に同機が描かれている。
423名無しでGO!:2008/03/22(土) 13:57:02 ID:9eVhR/w7O
D51423
昭和15年 日車 #798
岩見沢、函館、長万部と転属し最後は故郷の岩見沢一にもどり昭和49年に廃車となっています。密閉キャブ改造工事を受けていました。
48623
大正10年 川崎 #670
昭和40年1月に廃車となっています。千葉、館山、新小岩などに配置され総武本線、房総東線などを働き場所にしていました。
424名無しでGO!:2008/03/22(土) 14:08:47 ID:9eVhR/w7O
再びハチロクを…。
48624
大正10年6月 川崎 #671
釧路、池田、帯広などに配置され昭和39年8月に廃車となりました。
廃車後は釧路の国鉄車両管理センターに保存されましたが現在は音更町大通交通公園に保存されています。梅小路入りする前のC51239のように公式側が切開されてちょっと(泣)です。
425名無しでGO!:2008/03/22(土) 14:42:12 ID:9eVhR/w7O
C58425
昭和22年 汽車 #2561
新製配置は苗穂で鷲別に転属、最後は苗穂で廃車?
長万部〜鷲別や千歳線などで活躍しました。
425号機がC58の北海道配置のラストナンバーとなっています。
苗穂工の施工によるデフレクタ切詰め改造を昭和41年以降に受け、これに伴う手すり取付は左側のみとなっていました。
また予備灯を装備していました。
昭和49年に廃車解体されましたが動輪が新橋駅汐留口前に保存されています。


426名無しでGO!:2008/03/22(土) 15:54:24 ID:/CZ1aMh50
D51426
昭和15年(1940)7月24日、日車製。函館に新製配置後、本州へ戻り主に東北本線北部で活躍。
尻内(八戸)区で補機などを中心に働き43ー10で西日本へ移動。厚狭区にて47年4月廃車となった。

同機の前頭部などが東京の交通博物館入口に保存展示(現在はさいたま市の「鉄道博物館」に移設)されているのは周知の通りだが、動輪は遠く広島県三次市に保存されている。
427名無しでGO!:2008/03/22(土) 23:06:34 ID:9eVhR/w7O
C58427
C58のラストナンバーです。
昭和22年12月19日 汽車会社(#2563)で落成。
新製配置は宮地区でしたがC58は大分区に集中配置することになり昭和24年12月19日に同区に転属となりました。(宮地区は9600専門に)
さて、宮地、大分では豊肥・久大・日豊線で働いていましたが豊肥本線の無煙化が行われたため昭和39年3月21日に志布志区に転属となりました。
同じタイミングで僚機の424、426号機も同区に転属となっています。
志布志線では7年余り頑張りましたが全検切れのため同線無煙化の4年前、昭和46年10月20日に廃車となっています。(424も同日付、426は12月に廃車)
ラストナンバーであることに加え小工式除煙板を装備していて個人的にも好きなカマでした。

426に49626を追加させてください。
49626
大正9年 川崎造船で製造。#579 千葉などに配属後、渡道。
遠軽に転属し石北本線の補機などの運用にあたったあと深川に移動、昭和50年2月に廃車となっています。カマボコ型の変型砂箱に特徴がありました。
428名無しでGO!:2008/03/25(火) 11:51:09 ID:sZgIkS+z0
428

49628  晩年は後藤寺区で活躍しました。

418 フォロー

49618  49619 とともに晩年行橋区で活躍しました。
D51418 長門区を最後に引退しました。  
429名無しでGO!:2008/04/03(木) 01:03:27 ID:oFYIcieXO
D51429
昭和15年9月、日本車輌で製造。製造番号は804
青森?、岡山、浜田などにいて後藤式集煙装置を装備していました。昭和45年8月に廃車になりました。
ひとつ前のD51428ですがこちらは大田区東調布公園に保存されています。青森、長町、新庄、新見と転属、昭和47年9月に廃車となっています。


430名無しでGO!:2008/04/03(木) 10:22:47 ID:3X0k3eVm0
430
D51430 昭和15年9月、日車製。
弘前〜糸崎〜岡山〜稲沢一と各地を移動後、42年に木曽福島に配属、約4年間「木曽路のD51」として働き廃車となった。

48630 大正10年 日立製(製造番号20)
生涯のほとんどを山陰・米子区で過ごしたカマ。晩年は伯備線北部などを職場としていた。46年に廃車後、縁の米子機関区に記念として動輪が保存されている。
431名無しでGO!:2008/04/06(日) 17:30:20 ID:kVofngMU0
431
D51431 昭和15年9月、日車製。
直江津を皮切りに長岡(→長岡一)〜酒田と移動し、終始日本海縦貫線沿いの機関区で働く。羽越電化による無煙化時に任を解かれ47年9月に酒田区にて廃車となった。
432名無しでGO!:2008/04/06(日) 18:06:04 ID:9dTPHWES0
432
D51432 
兄・431と同じく直江津区に配属。その後横手〜大館と北上し、こちらは主に奥羽沿線で働く。46年2月28日に大館区にて廃車となった。
433名無しでGO!
433
48633 大正10年、日立製。
昭和初期は米子にいたが晩年は東北の荒屋新町(支)区に在籍し、主に花輪線で働く。
パイプ煙突・シールドビーム2灯・ボックス動輪の改造など形態は変わっていたが
47年に廃車になるまでファンの良き被写体となった。なお同機は昭和36(1961)年10月の秋田国体の際、花輪線内で同僚の78667・38688や宮古より借入れのC58342とともにお召し列車を牽引した。
(同機の牽引区間は、十和田南→荒屋新町 48633(荒)+後38688(荒)および荒屋新町→盛岡 C58342(盛)宮古より借入れ+次48633(荒)であった)

レス順番号機も残すは一部を除くと8620・9600・D51・D52の4形式と改造元機だけとなりましたね。できるだけ頑張りましょう。