鉄道に関するいい話

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1名無しでGO!
列車、駅などで起こったいい出来事を話すスレ。

俺は小学生の頃山陰本線小串駅で運転士さんに運転台に乗せて貰ったなぁ・・・
2名無しでGO!:2007/07/26(木) 20:03:39 ID:n8NzrA9k0
代ゼミの講習に通おうと南新宿で降りてホームを歩いてたら、いきなり突風が吹いて
向こうからすまして歩いてきたオバハンのスカートが腰までめくれ上がった。
オバハン照れ隠しの笑みを浮かべながら必死で抑えようとしていたけれどもかなわず。
オバハンだったからどうでもよかったが、それでも悪い話ではなかった。
3名無しでGO!:2007/07/26(木) 20:07:14 ID:uYBaz72EO
降りるときに車掌さんに「ありがとうございました」と言ったお婆ちゃんがいた。
もの凄く和んだ
4名無しでGO!:2007/07/26(木) 20:19:51 ID:RoblQWIsO
特急間合いに入る鈍行に乗れること。
空いてそうな列車を選んで、マターリするという機会に恵まれていること。


>1
要望の頃、漏れは米軍機に乗った。
鉄道もそうだけど、動きもしない運転台に
乗せられても、何も感動なんぞ起きん。
おかげで車好きになってしまった。

>2
あらあらうふふ

>3
血罵死者の車掌に「ありがとうございました」
と言って切符を渡す客がいた。
車掌もきちんと回収していた。
もの凄く違和感があった
5名無しでGO!:2007/07/26(木) 20:23:25 ID:RoblQWIsO
>>1
ああ、列車や駅で偶然起きた良いことか。

そうだな、混んだ列車で運良く座れたこととかかな。
6名無しでGO!:2007/07/26(木) 20:32:05 ID:o7766thSO
鹿島鉄道最終日の日、地元で普段利用してると思われる盲目の女性が、
降りるとき切符を渡そうとしたら、
運転士の「今日で最後ですので記念にとっておいて下さい」
というやりとりのシーンを目の前で見てて、ジーンと来てしまった。
7名無しでGO!:2007/07/27(金) 02:30:42 ID:BX0TPTH0O
8あぼーん:あぼーん
あぼーん
9名無しでGO!:2007/08/02(木) 14:15:32 ID:iVurEC/U0
昔はフツーに運転台に入れてくれたよなぁ。
10阿部慎之助:2007/08/02(木) 14:27:00 ID:5B/6JCGYO
10番取れました(^o^)/
11名無しでGO!:2007/08/07(火) 22:53:15 ID:kExea36b0
震災の後、宝塚か西宮の人から新聞への投書で、
家は全壊、何もかも失って途方に暮れて数日後、
瓦礫の街の中を阪急今津線の電車が走り始めたのを見て、
立ち上がる勇気をもらったとか、そんな話を読んだ。

電車の復旧って、復興の大きな原動力になるんだな。

被爆直後の広島、長崎でも似たエピソードを聞いた気がするが、
忘れてしまった。知ってる人がいたら、聞かせて欲しいです。

もう一つ、震災後の阪急の話に戻るけど、西宮車庫の洗車用の
井戸水が開放されていた。
いつも綺麗に手入れされてピカピカの電車が阪急の自慢
だったのに、長い間、神戸線はドロドロの汚れた電車が
走り回っていた。
悲しかったけど、阪急の心意気を感じた。

ちょっとスレ違いかな?すまんかった。
12名無しでGO!:2007/08/12(日) 15:53:44 ID:HKZe6yVrO
age
13名無しでGO!:2007/08/13(月) 14:56:25 ID:kNCrDJh90

大畑でぼーっと本読んだりして和んでたら、次の列車まで1時間あるのにかすかにふぉーんってタイフォンの音がするなぁと思ったらはやとの風が来た。
乗客は3名ほど。
運転士がハンドルもって駅舎に来て、俺に「驚いたでしょう、臨時列車なんですよ」
といい、ちょっと雑談の後に「発車時刻なので」といい運転席に乗り込んだ。
タイフォン2発で発車、ループ線に戻ってきたときにこっち見ながら再びタイフォン。

翌日、吉松から鹿児島に戻るときに乗って列車の運転士がその人でワロタ
14名無しでGO!
阪神・淡路大地震のあと、阪急電車の復旧を沿線の人々は待ち望んでいた。うちもその一軒。
夜を徹して行われる作業、騒音や振動をこらえてくださいと、電鉄会社の人が頭を下げに来た。
「何を言ってるんだ?我慢するに決まってるじゃないか。それよりも一刻も早い復旧を。」
うちも含めて、沿線の人々はみなそう言って、電鉄会社の人を励ました。
阪急は国の補助も受けず、少しづつ復旧・部分開業していった。
そして最後に残された西宮北口〜夙川間の高架部分の再開によって、
ついに神戸本線は全通した。
再開の日に、もちろん漏れも乗りに行った。神戸で逝った友のもとへ行くために。
運転台の後ろは人だかりだった。みな静かに鉄道の再開の喜びをかみ締めているようすだった。
夙川を渡るそのとき、川の土手に近所の幼稚園の園児たちが立ち並んでいるのが目に飛び込んできた。
手書きの横断幕を持って・・・。

    「あ り が と う  は ん き ゅ う で ん し ゃ」

運転手が普段ならしないはずのそこで敬礼をした。
そして大きく「出発進行!」と声を上げた。
その声は涙声になっていた。漏れも泣けた。