阪急電鉄はいかにして没落したのか−9

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63名無しでGO!
俺が長年勤めた肥後橋の会社は「クソドケチ社長」で有名な経営者だったが、
片町線---京橋---京阪-----淀屋橋から徒歩の女子社員がいた。
JR東西線開通で彼女が-東西線---北新地---西梅田--肥後橋の通勤定期運賃を
申請したら「高くなった」と30分ほど怒鳴り散らしてからやっとハンコをついた。
通勤定期は「最短距離、最廉でないといけない」と怒鳴っていたが、役員の社長の弟は
元紀勢本線某大きな駅の駅長。可笑しくて笑いをかみ殺すのに困った。
社長は通勤に往きは五条の自宅からタクシーで阪急四条河町乗車、帰りは淀屋橋から
(アルコール漬けの後)淀屋橋から七条下車で普通に乗り換えるか、タクシー帰宅。
通勤費は勿論会社持ち。同属会社にはこの手が多い。